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 交渉

 外の冷たい空気が風となって吹きすさぶ中、ビルの中の会議室は暖かな空気に包まれていた。昨日の夜のニュース
では、朝は今年一番の冷え込みだとキャスターが知らせていた。湯気を立てブラックのコーヒーがカップに置かれて
軽い音を立てた。インスタントの軽い苦みが眠気を吹き飛ばすかのように舌に残る味わいだった。
「では、一セットXX円にて如何でしょうか?今回の商品は弊社で新しく販売したものでして……」
売り手の男性が相手に探りを入れる。今までの製品とは変わった点が、価格に上乗せされる形で反映されていた。
「ううん…。どうしたのものか。難しいですね…。」
堂々としている売り手とは反対に、買い手側の男は悩んでいた。今までに扱っていなかった商品のためであろうか。
頭の中で色々とこねくり回すかのように考えている様子が、外にはっきりと漏れ出ていた。
「以前の商品を改善した新シリーズですので、性能的には値段相応、いや今までよりもかえってお安くなっている
節すらありますので……」
相手の迷いを悟りここぞとばかりに売り手側が攻めていく。優柔不断な男の本丸に迫っていくかのごとく。
「でもなぁ…。さとりが何て言うか…。」
男がポツリと漏らした言葉。恐らくは彼の上司なのであろうか。目の前で悩んでいる男に影響力を持つ人物の登場に、
男性が書類を持ち出した。
「こちら、御社の方に見て頂けるように資料をご用意致しました。こちらの冊子の三ページ目に乗っている商品が、
今回の商品になりまして、ええ弊社の自慢の商品でございますので、こうしてご検討頂けるようにお持ちしましたので…」
厚手の紙にカラーページで綺麗に刷られた写真を見せながら、買い手を説得しようとする男性。不意に男のポケットから
鈍い音が生じた。
「ちょっと失礼…。」
買い手の男が席を立つ。大事な商談の間に挟まってきた用事にしては男の顔がほころんでいたのが、男性にとって少し
気に掛かる、微かな小骨が喉に引っかかったかのような小さな違和感であった。

「お待たせ致しました。」
「いえいえ、美味しいコーヒーを頂けましたので。」
先程とは裏腹に顔つきが変わった男が席に座る。今までの弱い風采は消え失せて、どことなしか自信に漲っている雰囲気すらあった。
「それでは先程の件ですが、こちらとしてはXXで購入させて貰いたいかと思います。」
「………。成程、中々に難しいご提案ですね……。」
瞬時に頭の中で計算を働かせる男性。いままでの優柔不断の態度に隠れていたのだろうか?男が出した案は売り手側の
ギリギリを攻めてくる値段交渉であった。
「今回新しく扱う商品でございますが、纏まった数をご用意して頂ければ今後御注文する数も増えるかと思いますので。」
「うーん…そうですね……。」
一転して受け手に回った男性が言葉を濁す。この数を逃がすことは惜しくあったが、しかし値段はこちらの限界を突いて
きていた。将来ここで扱う量が増えるとしたら、この買い手を見す見す他の業者に取られるのは大損になってしまうで
あろう。将来の欲と現在の利益が天秤に掛かり男性の心の中で均衡を失い揺れ動く。
「では、そちら様にはご検討頂くというということで…。」
「いえいえ!ここでやらせて頂きましょう。」
買い手の申し出を反射的に遮る売り手の男性。思わず反応してしまい内心でしくじった感情が沸いてきたが、それを
押し隠すように契約を進めていくしか、男性には道が残されていなかった。
「ではこちらの方で。今日はありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。」
売り手の男性が会社を去ろうとする。軽く相手に向かって礼をする際に、見送る男の側に小柄な女性が居ることに気が付いた。
一見何も感情を示していないように見えたが、女性の目の奥底からはこちらを見透かすような鋭さが男性には感じられた。
なぜだが不意に、そう、全くの不意に男性には、交渉の途中で掛かってきた電話の一件が思い起こされた。





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最終更新:2021年01月20日 21:53