「おお!お主!!奇遇であるなぁ!!」
命蓮寺参道から聞こえた、沸き立った声からほどなくして。やはり物部布都が勢いよくやってきた。
その後ろには、○○から協力を依頼されている洩矢諏訪子だってもちろんのことで、布都の事を追いかけていた。
諏訪子は、何故かいる東風谷早苗の事を見て、唖然としたようで彼女らしくもない格好、口を開けたままで早苗に向かって指さしながら、何でここにいるんだ?と言う感情をぶつけたが。
遊郭に入り浸りながらたまに稗田家と密談をして、また遊郭に向かってほとんど洩矢神社にいない諏訪子の事は、まともに相手したくないようで、早苗はプイっと分かりやすく顔を背けて。あなたとはしばらく話をしたくありませんと、返答をしたような物である態度を取った。

布都は、追いかけてきた諏訪子の事など、はっきり言って何とも思っておらず。
待ち構えているような姿である稗田夫妻に上白沢夫妻に対しては、以前の稗田邸での大騒動があるから、気にするようなそぶりを見せたが。
こいつらは全部知っているから、何をいまさらとすぐに思い直してしまったようで、結局は件の歩荷への愛が勝ってしまった。
遠巻きに監視しているような雰囲気の、早苗や寅丸星の事は、認識しているかどうかも怪しかった。


「のう、のう……我の話を聞いてはくれぬかのう?」
布都は種々の立場の存在から監視されている事にも、まるで気に留めずに。愛してしまった存在へと、請う様な姿で近づいた。
その顔は赤らんでいるが、走ってきた事よりも酒の力と興奮しきっているが故、そう考えたほうが適当な物であった。
物部布都は、稗田○○の目論見通りに雲居一輪にカチコミをかけるために、命蓮寺へとやってきてくれたが。
まさか自分が好いている――厄介と思われフラれたようだが、まだ好いているようだ――件の歩荷が命蓮寺にいるとは思っていなかったらしく。
しかしながらとてつもなく嬉しい予想外の出来事に、布都の抱える興奮は更に大きなものとなり、興奮から来る赤ら顔もますます大きく。
もはや情欲から来る紅潮と言った方が正しい様な、そんな有様の表情であった。
しかし物部布都はとてつもなく好いている、件の歩荷の前となってしまうと、増してや商売の場以外でとなると、嬉しくて仕方ないけれども気恥ずかしさの方が勝るらしく、もじもじとした動きをしていた。

神霊廟の面々は命蓮寺と違い、現世利益を求めるような売り文句で信者を増やしているから、彼氏や彼女を作る事も肯定されるはずなのだが。
ともすれば恋愛すら、煩悩と言ってしまいかねない命蓮寺の戒律の中にいる、雲居一輪は情欲すら隠さずに、色恋に関して猪突猛進の気配すらあるのに。
現世利益を重視すると言う事は恋愛も肯定する神霊廟の、物部布都の方が明らかに奥手であった。
思い返せば雲居一輪は、件の歩荷の肩やらを気軽に触っていたが。物部布都の場合は、派手な催し物こそあるが、布都の方から件の歩荷に明らかな接触を見せたのは、一度も確認していなかった。
厳し戒律のはずの命蓮寺の雲居の方が、色が多く。緩い戒律の新霊廟の物部の方が、色に対して奥手。これは結構面白い矛盾なのではと考えたけれども。
物部も雲居も一線の向こう側であることをすぐに思い出した、これはただの恋愛のこじれで終わるはずがないのだ。思い出した○○の笑みは、すぐに消えてしまった。
――そして○○の思考の奥底では、この一件とは関係ないけれどもあと一つ。東風谷早苗の事だ。
彼女は……もしかしたら……一線を踏み越え始めているのでは。
彼女はまだ遠すぎず近すぎずと言った、絶妙な距離感を保ちながら稗田夫妻を見つめ続けているのが、はっきりとは確認しなくとも気配で。それ以上に阿求の機嫌が悪そうなのが、触れている肩越しに分かるので、見ないでも分かる。
だが、今は、その事は関係ないので物部布都と件の歩荷、そしていずれは飛び出してくるであろう雲居一輪を警戒し続ける事にした。
まさかこんなややこしい事件の方が、心をかき乱さずに済むとは思わなかったが。事実は変えられない。

「のう……今すぐ考え直してくれとはさすがに我も申さぬ…………でも、稗田のお屋敷で……合った事は知っているはずだから、お主が少し退きたくなった気持ちは十分わかる……でものう…………」
おずおずと、何回も不自然な間を作りつっかえながらも、物部布都は件の歩荷に対して、こいねがう様な態度で語り掛けていた。
先ほど○○が気付いた矛盾の通り、物部布都は狂いながらもしっかりと好いている、件の歩荷の、たとえ衣服越しであろうとも腕やら肩やらに、触りたいという欲求こそ見えるが、一思いにそうするのは気恥ずかしいのか、あるいは、はばかられる様な思いがあるのか。
何にせよ、物部布都が見せるもじもじとして明らかにドギマギした感情と動きは、先ほどよりも分かりやすい物になっていた。
ナズーリンの言う通り、件の歩荷は、人は悪くないどころか良すぎるぐらいの物であるから。
あんな純情な姿を見せられたら、どうやら二つの勢力がぶつかると言う、厄介ごとや騒動から逃げたいという思いがあっても。
今もなお、純粋にに自分を好いていてくれている、そんな感情を確認してしまうと彼の中でも、逃げたほうが良いという合理的な考えに対して、迷いと言う物を見せているのが、少し離れた場所で観察している○○には、ありありと見て取れてしまった。

また物部布都は確かに一線の向こう側だが、確かに彼女が件の歩荷に対して良い目を見て欲しくて思って動き回ったり、与えたりしているものには過剰では?と言う向きは存在するけれども。
好いているという部分には一切の裏側や、打算と言う物が存在していないのだ。
それが、ナズーリン曰く、稗田○○の頭を少し悪くした感じだ、等とずいぶんと酷い評価を知らないうちに食らっているけれども。
件の歩荷、彼が○○自身と似ているというのは、○○自身が最も自覚してしまう物であった。
件の歩荷も稗田○○も、どちらともに甘いのだ、特に好意に対しては。厄介だと思っても突き放せない。
そしてその甘さは、件の歩荷の場合は物部布都だけでなく雲居一輪にも。○○の場合は、もしかしたら、東風谷早苗に対しても――――


○○はまさかと思いながらも、自分は東風谷早苗の事を?と言う絶対に踏み込んではならない領域を、ほんの数舜とはいえ感じ取ってしまい。
それを上書き、あるいは塗りつぶすかのように。○○は露骨ともいえる態度で件の歩荷と物部布都を監視しながら。
肩を抱いている、妻である稗田阿求の肩から、もう少し上の方へ移動して髪の毛をさらさらとなでたりして、必死に考えてしまった東風谷早苗の事を忘れようとした。
阿求は、まだ気づいていないようではあるけれども。
例えそうであったとしても、最初に悪意と嫉妬をぶつけたのは阿求の方からとはいえ、上白沢慧音の方からもいよいよ、手心が一切無くなった嘲笑を浴びせられている。
それがあるのか、阿求は○○が自分の髪の毛を、さらりとやりながら手遊びに興じ始めた時。
阿求自らほっぺたを寄せて、犬が自分の匂いを街路にこすり付けるような動きを始めた。

上白沢恵奈は言葉にこそしていないが、阿求の事をちんちくりんだと言って笑っている。
それは阿求にはないが慧音にはある、抜群の肉体的魅力を露骨に見せつけている事だけで証明の作業は十分であろう。
――どうか東風谷早苗が、そのような楽しみを見つけませんようにと○○は願った。




「来てくれたんだ!!」
○○の意識が、数舜とはいえ確かに自分の中で存在感を示した、東風谷早苗の影を振り払いたくて阿求へと意識を固定する作業に集中してしまい。
雲居一輪がとてつもなく嬌声に満ちた声を出しながら、件の歩荷へと走り寄った時も。
稗田夫妻の直近を通ったのに、○○が意識を向けたのは通り過ぎてから何秒も経ってからであった。
しかも○○は、最初の方は雲居一輪が通り過ぎたとは、気づいていなかった。
間の抜けたことに○○は、雲居一輪が通り過ぎた場所を見やって、何か通ったはずだが、と言う様な疑問符を付けながら見ていたという有様だ。
「雲居一輪!深呼吸するなりして、落ち着いてから近づく方が賢明だと思うが!?」
そんな間の抜けた有様から復活できたのは、諏訪子からの若干以上にわざとらしい大声のお陰であった。


諏訪子は、○○からの計画である。大騒動で何もかもを覆い隠して、男の取り合いと言う何とも情けない事実を広く知らせる事によって、二大勢力のいさかいを陳腐化させると言う計画を、忘れていたわけではなかったが。
さすがに間に挟まれそうな件の歩荷に対する、同情の念が沸き起こったのと。イライラを明らかに溜めている寅丸星、憔悴した様子の聖白蓮。これらに対する同情も多かったからだし。
どうやら助けては、関わってくれそうにない上白沢夫妻に。こちらを認識しているのかどうか怪しかった稗田夫妻と言う肝心の存在が機能不全に陥っている事。
駄目押しに早苗ですらイライラと……何かに憤るような感情が見えてしまったせいで。諏訪子は○○からの計画を一旦止めてでも、状況分析と言うか諏訪子自身が落ち着いて辺りを見回して考える時間が欲しかった。

「全員落ち着け、全員だ!」
本来ならば稗田○○がいうべき言葉だろうと思いながら思いながらも、諏訪子がこの場を取り仕切り始めた。
けれども諏訪子は早く稗田○○に復活してもらわねば、と言う思いからわざとらしい大声は維持し続けていた。
その甲斐あってか、○○は辺りを見回して諏訪子と同じ懸念(けねん)を持ってくれたようで、前に出てきてくれた。

上白沢夫妻は相変わらず、関わろうとしてくれないどころか。慧音の動き方を見れば、慧音の方が、今回は夫には関わってほしくないような雰囲気が見て取れた。
○○もすぐにそこに気づいて、悲しそうだが尾を引かずに一人で歩みを再開した。
稗田阿求は、夫と見える範囲とはいえ肌のふれあいを中断するのが、悲しそうであったが。
夫の大舞台が見れるので、それとの交換なら悪くない取引だと思ってくれたようで。諏訪子としては一番の懸念事項がすんなりとしてくれた事に、安堵の息を漏らした。
寅丸星と聖白蓮は、○○が前に出てきてくれた事で多少なりともホッとしてくれたが、今度は早苗が難しい顔をしだした。
しかし早苗は、洩矢諏訪子は決して馬鹿ではないし、勘も良い事を十分に知っていたから。
この場は、少し後ろに下がって存在感を薄くすることにした。この場でなければならない理由は、どこにもない。


「ええ、まぁ。この場で決着をつけてしまいましょう。全員にとってそれが一番、時間を無駄にせずに済む」
○○は随分と息を吹き返してくれたようで、依頼に関する調査を行っている時には、折々に触れてよく見られる、演技がかった動きを見せていた。
諏訪子は皮肉な物だと思った、ともすれば嫌らしいこの性格と言うか趣味を、今は待ち望んでいたのだから。
今の状況を○○に投げ渡す事が出来て、妻の阿求は○○の立つ舞台にご執心なのだから、諏訪子はいつもの暗躍するような立場に戻れた。

稗田○○が雲居一輪の横を通り過ぎた時、○○と違って苛立ちを隠さずに○○の事を視線で追いかけた。
前回の大乱闘は雲居一輪の、上白沢の旦那に対する無礼な言葉が発端であったため、聖白蓮は憔悴していても、雲居一輪が実は件の歩荷からふられつつあると言う事に気づいていなくとも、稗田○○に暴言を浴びせてしまってはいよいよ、どうにもならなくなる事には瞬時に理解できた。
ズリっと、音が鳴るようなすり足で、聖白蓮は雲居一輪の横に、せめて間髪入れずに張り倒せる位置に移動しようとしたが。
「ああ、聖さん。それには及びませんよ」
○○はそう言いながら少しずつ近づいてくる聖を、手で制した。少し迷いながらも聖は、○○はもちろんだがチラチラと横目で見てきている、稗田阿求の視線が非常に気になった。
○○の態度はまだ、願う様な態度であったが。阿求からの視線は突き刺す気配を感じざるを得なかった。


元々聖白蓮には、そもそもの発端が雲居一輪である上に前回の暴言と言う弱みがある。そこに稗田阿求に対する確かな恐れが混じれば、聖白蓮が歩みを止めるどころか、後ずさりして元いた位置に戻ってしまうのは、残念ながら自然な事であった。
だが聖白蓮は、果たしてここで退いてよかったのだろうかと言う罪悪感を、最初は持っていたが。
聖白蓮が沈痛な面持ちで退いた、その姿を見た稗田阿求が、寒気とは明らかに違う全身の震えを見せたのを見るに至っては、興奮した表情を見てしまっては。
聖白蓮の感情は、退いてよかったと言う方向に傾かざるを得なかった。雲居一輪に対する、仲間に対する情が枯れたわけでは決してないのだけれども。けれども稗田阿求の趣味嗜好が歪んでいる事を、確認してしまっては。近づきたくないなと言うのが本音でしかなかった。
……と言うよりは人里の重鎮夫妻両方共か、とは。上白沢夫妻はなぜ何も、動きを見せてくれないのだなと確認したときに聖白蓮は感じた。
上白沢慧音はまたしても声を出さずに、口を開けて稗田阿求を思いっきり嘲笑して。まだ冷静そうな旦那は、上白沢慧音に甘えっきりで、なお酷い事に上白沢慧音もしっかりと旦那の事を甘やかしているのだから。
(幻想郷っていったい……)
根本にかかわる疑問すら聖白蓮は考えてしまう程であった。



「さて……」
稗田○○だってもちろん、周りの不穏を通り越して最早修復不可能な空気には気づいているが。
せめて目の前にある、片付ける事が可能そうな問題を片付けようと、少しは殊勝な考えを持っているとは信じて欲しかったが。
「宗教戦争だなんて、博麗の巫女がどう考えても出張ってくる。せめて色恋なら色恋だと分かりやすく終わらせろ。しばらく放っておいてあげますから、物部布都に雲居一輪、二人で話し合うんだ。件の歩荷さんへの愛を証明して見せろ、戦っても構わん!」
これのどこが片付ける等と言える、そんなやり方なのだと、○○は自嘲の笑みを込めながら妻である阿求の元に戻るしかなかったが。
愛に狂った物部布都も雲居一輪も、少し冷静ならば○○が実は自分で自分に苛立ちを抱えているのは、理解できそうなものなのに。
雲居一輪はまったくそんなことに気づかず、そして暴言をこらえようともせず。
「お前がどう思おうが私とこの人で幸せになるから!放っておきたけりゃそうしなさいよ!!成金仙人よりも良い女なんだから!私の方が!!」
命蓮寺の戒律はもっと、おしとやかな物だったはずなのだがなと言う疑問が、○○の頭の中で芽生えたけれども、愛に狂い、一線の向こう側に到達した存在であることを思い出せばそれは些末、あるいは自然だ。
むしろ緩い戒律の神霊廟にいる物部布都の方が、明らかにイライラしているのに、腹の底や独り言等ではまぁともかくとして、件の歩荷が目の前にいると言うのもあるだろうけれども、ほとんど汚い言葉を使っていない。
相変わらずこれは、面白い矛盾だ。しかし眺めるならともかく、付き合いきれない。


しかしここで一番可哀そうなのは、件の歩荷だろう。
別に○○は件の歩荷に対して、お前も話し合いに参加しろ等とは言っていないし、少しばかり離れたところに移動したとしても。まったくそれをとがめるつもりは無かった。彼の逃げたいと言う意思は、○○としては最大限尊重するのが、最初からの考えであったけ、けれども。
だかっらと言って、積極的に逃走を手助けしてやる義理は存在していなかった。
件の歩荷は、オロオロとしていた。右往左往と、金銭的に世話になった物部布都と、肉体的に世話になった雲居一輪。
この二人を交互に見ているばかりで、逃げようと言う気はあまり見えなかった。
○○は少しだけ、彼に対してため息を漏らした。わざわざ雲居一輪と物部布都の名前だけを出して、彼の事を言及しなかったのは、せめて少しだけでも彼が安全地帯に向かいやすくなるようにと言う、○○なりの配慮だったのだが。どうやら彼は気づいていないようだ。
彼の朴訥(ぼくとつ)さは長所と短所が複雑に絡み合っている。
ここで少し遠くに移動するぐらいの冷徹さがあったら、二人いっぺんに好かれてしまうと言う事態は避けれたかもしれないのが、ほんの少しばかり残念に思うが。
もうここまで来たら、死人が出ない程度に納めれば……それで十分だろう。






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最終更新:2021年01月20日 21:56