初めに行動を起こしたのは、案の定で雲居一輪の方であった。
「ねぇねぇ、よく考えてよ。この成金仙人の、あんな下品な商売が長続きすると思う?遅かれ早かれ飽きられるわよ。あなたも山に戻りたいんでしょ?じゃ、私が身の回りを整えるからさ。それで良いでしょ?」
彼女はとてつもなく甘ったるい声で、まるで遊郭街で効く事が出来そうな声色と体の使い方で、件の歩荷にしなだれかかりながらも、しっかりと彼の腕を掴んで。
慎ましく行きましょう等と、清い事を口では言っているがその実で清貧なのは言葉だけで。それ以外の部分はみだらと言ってよかった。
雲居一輪は精一杯、自分の肉体的魅力を使いながら件の歩荷が山を人生の一部にしている事を、可能な限り尊重した後。いやらしく物部布都の方に目線をやった。
誰も別にそんなことは言っていないが、自然と、先攻後攻と言う概念が物部布都と雲居一輪の間で出来上がってしまったし。
互いが互いを見下しているので、相手が何を言おうとも勝てると言う自信もあるのが実に滑稽であった。
しかし物部布都もさすがに、雲居一輪の無礼なふるまいにはワナワナと肩を、それ以上に拳を震わせていたが。
立場かあるいは豊聡耳神子から言われたのか、何にせよ暴力はまずいと、物部布都の中にある最後の理性がそう訴えているのだろう。わなわなと震える、きっと利き手をもう片方の手でぎゅっと握りしめていた。
「…………肉塊がぶら下がるな」
たっぷりの時間を使って物部布都はようやく言葉を出した。しかしその言葉もあまり長い物ではなくて、わなわなと震えがちの物であった。
少なくとも現時点で勢いと言う物は明らかに、雲居一輪の方に分があると言えたけれども。
「歩荷の肩と腰に、無用な負担をかけるな、この……肉塊!!」
頭を使っているのは物部布都の方だなと、遠巻きにて見守っている面々はそこに気づいた。
残念ながらまだ雲居一輪の事を仲間だと思いたいし、守っている聖白蓮ですら。今の雲居一輪がろくに頭を使えなくなっている事を、認めざるを得なかった。
物部布都の言っている事は、感情的であることを加味したとしてもよくよく考えれば、理屈は通っている。
山に出入りするのが常である歩荷にとって、荷物を支えてなおかつ山道を歩き続けるのに、肩と腰は重要な機関と言える。
里にいる、ふもとにいる時でも次の仕事の為に、肩や腰はもちろんだがそもそも肉体をいたわり支障を来さない様に、気を使うと言うのは別に歩荷でなくとも必要不可欠な思考であるが、物部布都からすれば増してや彼は歩荷なのだからと言わんばかりの剣幕を持っていた。
「ははは」
しかしながら雲居一輪は、物部布都からの指摘を全て鼻で笑い飛ばした。その後には
物部布都に対して、自らのの肉体を、少なくとも肉体的魅力に関しては物部布都より勝っていると自信があるからだろう、布都に対して明らかに見せつけながら件の歩荷に、更にしなだれかかるような動きで抱き着いていた。
布都はまだ利き腕をもう片方の手で、必死になって握りしめて押さえつけていたが。顔面の方は湯だったような赤ら顔に変わっていった。
フラれた衝撃でやけ酒に走っていたようではあるが、あの赤ら顔は残っている酒の影響ではなく、完全に精神的な物であった。
○○も
諏訪子も、不味いなとは思ったが間に入ってまで……とは考えなかった。冷たいようだが、何とかしたいとは思っていてもその身を危険にさらすほどの価値は、この騒動に対してどちらともが思ってなどはいなかった。
裏で動き回っていいる○○と諏訪子が、まだ監視こそしているが積極的な介入を見せない事に、何よりも物部布都が最も気にしている部分を刺激して、その感情を暴れさせたことに対して雲居一輪は明らかに気をよくしていた。
聖白蓮の心痛や、寅丸星の呆れ顔なんぞは気づいてもいない。
「虚飾にまみれているのよ、お前のやり方は。お前は人気商売を自称しているのかもしれないけれども、私みたいに実体のないやり方よ」
気をよくしてしまった雲居一輪の、はっきり言って物部布都に対する人格攻撃は止まらない。
阿求は雲居一輪のやり方に対して、少し面白くないような顔をしていた。まだ怒りや腹立ちという程、大きなものではないけれども、阿求の一輪に対する心象はかなり悪くなっていると言う他はなかった。
もっと具体的に言えば、阿求は自分と同じように肉体的魅力の低さを気にしている、物部布都の側に同情を示していた。
「あんまり首を突っ込むべき依頼ではない。受けておいてなんだがな」
○○はそんな阿求の心理が気になったので、釘を刺すという程ではないけれども、面倒そうな話だから遠巻きにしているのが無難であろうと示してはおいた。
稗田の家格的に、どちらか一方に対して肩入れすると言うのは、安易にするべきではない。
「ええ、もちろん。どうしても比べるなら物部さんかな、程度の心情でしかありません」
幸い阿求も○○と同じように、遠巻きに見守りながらよっぽどまずくなりそうならば、その時は間に入る程度の認識を持っていてくれた。
○○の出した妥協的な計画である、宗教戦争よりも男の取り合いを前面に出して、この話題を大したことないものにまで小さくする、と言う考えには全面的に賛同してくれていた。
もっとも○○が正気を失って、いっそ博麗霊夢が出てくるような激突を起こして巫女に全部投げてしまおう、等と言いだしても阿求は全面的に賛同したが。
それを考えると少し寒気がしたが。阿求はそんな○○の冷や汗だらけの思考回路に気づく様なそぶりもなく、最愛の○○から肩を抱かれている、ただその一点が楽しくて楽しくて。
今もなお阿求は、一触即発としか言いようのない雲居と物部と、そしてその間に挟まれている件の歩荷の完全に困ったと言う、逃げ出したいかのような表情を見ながら、楽しく笑っている。
こちらに害と言う物が及ばない限りは、物部布都に対して思った少しの同情心だって。○○と一緒にいられることに比べれば些末どころか。
風変わりな舞台演劇でも見ているかのような表情にしか、○○には見えなかったけれども。阿求を関わらせない事の方が、○○にとっては安堵できる材料であったので。
ただただ、○○は黙って阿求の肩を抱き直して○○と阿求の密着度合いを強くし直した。
阿求の身体から、阿求の全身から震えるような振動が○○の手先だけでなく、密着しているから体にも感じたが。
阿求の事を愛してしまった、近くに居続けたいと思う○○にはこれは寒さからではなくて。興奮からの物であると、また妙な呆れ心が出てきたけれども。
可愛いじゃないかと、○○は阿求に対して相変わらず甘々な態度と感想しか抱いていなかった。
目ざとくすべての登場人物の観察を続けている寅丸星から、駄目だコイツと思われている事にも、気づいていなかったが。
寅丸星はならばと、稗田夫妻にぶつけれるぐらいの対抗馬として、上白沢夫妻の方を見たが。こっちはこっちで、場合によってはもっと酷いとしか、寅丸には思えなかった。
上白沢慧音は自慢の肉体で旦那を後ろから包み込みながら、艶やかな手指で旦那の視界をふさいで、余計な物が見えないように配慮して……くれているだけでも十分酷いが。
上白沢慧音の旦那は、ヘラヘラした顔で上白沢慧音の肉体のすべてを堪能しいていた。
寅丸は先ほどまで飲んでいた酒が、悪い周り方をしだしてきたのが、定まらない目線等で自覚を始めてきた。
雲居一輪の事だけでも十分なのに、ここで酔って倒れるなどあったら、恥の上塗りである。
せめて立ち続けなければならない、何も見ないでおくことにした。
無駄に奇麗な青空にいっそ恨めしいぞと、お門違いなことを考えながら。寅丸星は大空を見上げて、それ以外は何も考えないようにしておいた。
何よりも己の精神を守る為に。これは、もう、仏門がどうのと言う領域を軽々と飛び越してしまっている。
――最も恐ろしさが無いわけではない。まさか人間がその領域に達しているのだから。
寅丸星が、その内面を解析していけば聖白蓮と違って、雲居一輪の事をついにはある程度かもしれないが、見放し始めたけれども。
後から話を聞けば、一時的とは言っても見放してよかったかもしれない。
この時に雲居一輪は、肉体的魅力の低さを劣等感としている物部布都に対して、人差し指を突きつけながら、声こそ出してないが大きな口を開けて。
はっきりと、嘲笑の最高潮を向かえていたのは。後々にこの話を小さく滑稽(こっけい)にするための天狗の新聞においては、特に射命丸は好きそうな光景であるけれども。
稗田○○は冷静に、これはちょっと下品すぎると冷静に考えていた。上白沢の旦那は妻である慧音の細くてきれいで艶やかな手先に、口づけまで始めていた。
寅丸星は辺りの観察を放棄して、聖白蓮は雲居一輪が哀れだと言う気持ちで一杯なので、彼女の事しか見ていなかった……
物部布都はどんどん頭に血が上っていき、せっかく利き手を封じ込めていた手を離してしまい、雲居一輪に対して人差し指を突きつけて。詰問、あるいは批判するような態度を作ったが。
雲居一輪は完全に物部布都よりも――もはや妄想じみているが――上だと思っているので、物部布都の真っ赤な顔はそれだけ布都が追い詰められてムキになって、冷静さを失っている証拠とでも考えていた。
確かに。物部布都はこんな状況でいつもの冷静さを、増してや酒がまだ体に残っているから普段通りにやれるはずはないが。
酒の威力がまだ残っている事を自覚しており、頭に血が上っている事も自覚している布都の方が一輪よりも遥かに冷静であった。
雲居一輪に対していっそぶん殴りたいと思う気持ちは、秒ごとに高まっていくが。一輪の体が、布都の表現で言えば肉塊が、件の歩荷に対して相変わらずまとわりついているのが最大級に邪魔であったので、握りこぶしに力がこもるばかりではあったが耐える事が出来ていた。
布都にとって最悪なのは、この歩荷が愛している山へと行き来出来なくなるような怪我、それを追ってしまう事の方がよっぽど、布都にとっては耐えられない事である。
それがあったから、一時的とはいえ雲居一輪と結託する事が出来た。あの歩荷を不当に、嫉妬するどころか小細工まで弄する連中の排除ならば手を結べた。
だが今の雲居一輪は、布都の目には先の排除したこの歩荷の敵たちと根っこの部分では変わらないとまで思っていた。
この歩荷が山へと向かう時の、障害とまで考え始めていた。正妻ぶっている事も腹は立つが、良妻ぶっている事の方がなおのこと怒りを布都の中に湧き起こしていた。
「のう、のう……お主に聞きたい事があるのじゃ。雲居一輪、お前じゃない!!」
物部布都は雲居一輪の事を見下しているけれども、まだ冷静な布都は雲居一輪だって布都自身の事を見下しているとは理解していた。
いや、もちろん布都だって恋には狂っているから。自分がふられたのは雲居一輪のせいであるぐらいの事は思っていたけれども。
きっと布都が何を言おうともやろうとも、雲居一輪は布都の事を野蛮な人ねとでもせせら笑いながら、気にも留めないと言うのは、実に簡単な予測だ。
「わしは、お主がわしとこの女の事をどう思っているのかを知りたいのじゃ!!雲居、お前は黙れ!!」
となればと。物部布都は、この場においては件の歩荷が気配を消して騒動に巻き込まれないようにと、そう願っているのは理解していたから心苦しかったが。
しかしながら雲居一輪の独壇場など、虫唾が走るものを布都は見たくなかった。そっちを見ていた方がよっぽど、布都は自らを制御しきれなくなって、結局は自分が好いている彼の事を一番、迷惑をかけてしまうとやや強引ではあるがそれでも、それらしい理論は布都の中でも組み立てられた。
何より彼の言葉ならば、彼の考えた結果の行動であるならば。物部布都はまだ、耐える事が出来るのだ。
少なくとも雲居一輪を見ているよりは、彼の顔を見ていた方がよっぽど、布都は冷静な感情を取り戻して、相手の立場に立った物の見方を可能と出来た。
喧嘩の中心に立ちたくないと言うのは、至極もっともだ。
だが布都からしても、何もしないはずがなかった。
「湿布は足りているか?肉体作業と言う仕事柄、湿布は毎日使っているから、消費も早いだろう」
布都にだって、布都にしか知らないこの歩荷に関する事ぐらいあると、そう言う自信は存在していた。
それに布都は遊郭街に出入りしたり等で、色々と珍奇な物をかき集めて大々的に売りさばくのをここ最近では大きな商いとしていた。
その恩恵、あるいは役得とでも言おうか。布都はもちろんだが、布都の好いている件の歩荷にも色々な物を分け与えていた。
直接金を渡すことも考えたが、あんまりにも品がない気がしたのでそれは布都もやめたし、一度だけ金を渡そうと言うのを布都がほのめかした時、件の歩荷が戸惑ったような表情を見せたのも大きいし……
何より雲居一輪と同じ土俵に上がって、同じような事をやるなどと言うのは布都としても嫌であったし。
朴訥(ぼくとつ)の気配が強いこの歩荷は、自分の事はあまり話さないだろうと分かっていた。だから、自分の体の不調の事も、特に歩荷ならば職業病ともいえる腰やら肩やらの不調も、仕方のないものと考えそうな性格だと布都にはわかっていたが。
色ばかりの雲居一輪よりは、と思っていて信じてもいたが。
その甲斐が、ようやく巡ってきたと言わんばかりの笑顔――嫌な笑顔だなとは布都もある程度以上は自覚している――が布都の表情にはありありと表されてきた。
何故なら雲居一輪はこの歩荷の身体が意外と、傷を負っていて少なくとも湿布が手放せないような身だとは、雲居は気づいていなかったのだ。布都は彼女の表情を見れば、十二分に雲居一輪が何も知らない事を知る事が出来た。
「抹香(まっこう)で鼻が馬鹿になっておるのかのう?もっとも、それを加味したとしても、なぁ?お前は夜もこの者といた気がするのだが、のう?」
布都はとてつもなく嫌らしく、語尾を釣りあげながら一輪に人差し指を何度も突き付けた。それは雲居一輪が色ばかりを使って、この歩荷に付きまとっている事の批判もあるが。
もっと大きい批判は、色を惜しげもなくこの歩荷にぶつけて、更には一晩居続ける事に何度も成功しているくせに。身体の不調に何も気づいていないのか?と言う部分だ。
案の定雲居一輪は、自分が知らない事を物部布都が知っていたことに対して、明らかな狼狽を見せていたが。
件の歩荷はやはり優しいと言うか甘いと言うか、そういう性格のようでぼそぼそとまた喋った。
何を言っているかは○○たちの耳には聞こえなかったが。
「我は気づいたぞ!?肌も合わせずにな!!」
布都の勝ち名乗りじみた言葉で、何を言ったのかは大体予想できる。彼は、別に何も言わなかったから……と言った具合の言葉を言って、一応は雲居一輪の事を擁護してやったのかもしれないが。
布都の勝ち名乗りの方が、納得できるような強い言葉であったのは、残念ながら聖白蓮ですらそう思ってしまった。
「それで正妻か!?笑わせるな!!」
布都はここぞとばかりに、肌を合わせているくせに気づいていなかった一輪を罵倒してやるといわんばかりに、声を荒げた。
雲居一輪は件の歩荷と、一緒にいる時間的には有利な状況であるけれども。物部布都は時間的『不利』をしっかりと理解していたからこそ、そして雲居一輪が意外と暴走しやすい性格だと見抜いていた。
いずれ失敗する方に賭けていたし、件の歩荷の朴訥とした性格。二人の女性から好かれているだけでなく、二人の女性の身体も好きにできると言う状況は、真面目な彼には気にしてしまう材料だとして、布都の方から色は遠ざけて商売だけに注力していた。
「その肉塊と財布の中身を浴びせてやるしか、お前はやっていないではないか!!」
時間を独占し、肌も合わせていた一輪は明らかに油断していたとしか言いようがなかった。
家政上の差配に関しては、明らかに布都の方が上であると言う、証拠を突きつけられたようなものである。
一輪もこの歩荷に対して、確かに色々と与えていたが。物部布都のように商売をして稼いだものではなかった。
一輪のやった事と言えば、月々に命蓮寺から聖白蓮からもらえるお給金の一部を、この歩荷に渡してやっただけである。
命蓮寺の財政管理がどのような物かはわからないが、もしも一輪が口をきいて彼が担っている、命蓮寺の屋台村に対する保守整備の日当を、出来る限り高くしたとしても。
布都のように大きな商いを催したわけではない、巡り巡れば命蓮寺の金を何とかして件の歩荷に引っ張ろうとしているだけである。
はっきり言って、弱いとしか言いようがなかった。少なくとも一輪のやっている事は、商売とはいいがたい。
「屋台村の最終的な主である、聖白蓮のおこぼれをかき集めているだけではないか!!雲居一輪、お前はな!!」
ここぞとばかりに布都は一輪を罵倒する。罵倒と言う行為が下品ではあるけれども、言っている事はかなり正しい。
商売の旗振り役を担っている布都の方が、布都が自分の方が一輪よりも上だと言い切っても。中々これに対して、反論をすることは難しかった、それは雲居一輪ですら同じであった。
感想
最終更新:2021年01月20日 21:58