「ああ、お友達が来たわね。じゃあ私は、もう帰るわね」
上白沢の旦那は博麗霊夢の相手をまともにやりたくなくて、あからさまに目線をそらしていたのだけれども、博麗の巫女の中でも様々な意味で、特に、等ととも言われている博麗霊夢がその程度の拒絶の感情で怖気づくはずはなかった。
なので結局、霊夢が言う所のお友達……つまりは稗田○○が上白沢の旦那の近くに来るまでは、博麗霊夢はその場にとどまり続けた。
決してその、留まり続けた理由は、1人っきりにしては等と言う殊勝だったり優しい理由でないのは、明らかであった。
上白沢の旦那は確かに、博麗霊夢から視線をもらい続けていたからだ。明らかに、彼を見定めるような値踏みするような、はっきり言って不愉快極まる視線を注がれ続けていた。
二つの足音、遠ざかる足音と近づく足音、博麗霊夢が立ち去って稗田○○が近づいてくる足音が聞こえてきても、上白沢の旦那は万が一にでも再び博麗霊夢の表情を見る事が無いようにと、顔をそらし続けていた。
結局その、顔をそらし続けると言う意地を張り続ける状況は、
「何か変な事を言われたのか?」
こうやって、○○が声をかけてくれるまで上白沢の旦那は、続けることとなってしまった。
この時、上白沢の旦那に声をかけてくれた○○の声色に、稗田の冠は無かったと言ってよかった。
そんな、気心知れた存在から声をかけられたことによって、上白沢の旦那はようやくホッとした息を漏らす事が出来た。
「ご自慢の勘を披露されたよ」
若干どころではなく、博麗の巫女をけなすような言葉が上白沢の旦那の口からは湧いて出てきた。
その言葉に対して、○○は少し驚いたような怯えたような気配を見せて、博麗霊夢が歩いて行った方向に目線をやって、ひどく気にしていた。
どうやら妻があの、稗田阿求であろうとも、博麗霊夢の機嫌は気になってしまうようであったが。失礼な事をやられた後だからか、上白沢の旦那の感情は少し以上に荒れていた。
事実、博麗霊夢が聞いていないかどうかを気にする、○○の姿を見ても上白沢の旦那は鼻で笑うぐらいの物であった。
「博麗霊夢は気にしないだろう、あの性格ならば」
いつもなら○○はすぐに返事をくれるのだけれども、今回ばかりはゆっくりとした様子で辺りを伺いながらであった。
「そうだな、博麗霊夢は、気にしないだろうね」
含みのある言葉であった。博麗霊夢は、と言う部分を妙に強調した話し方をしていた。
上白沢の旦那は、いまだに憮然としていたが。
「それより」
○○がこの場を仕切り直しに、違う話をしようと言う風に言葉をつむいだ。
「ずっと早くに来たのには、かなり差し迫った理由があるとは想像できるんだが。依頼の話をする約束をしていたとしてもだ、悪い状況なのだろう?」
君が俺にしてくれると言う、依頼の話をしようと、○○は求めてきた。きっとその方がお互いにとって、危なく無くて済むと、○○は考えたのだろうけれども。
「そう、そうだ!!頼む聞いてくれ、○○!!」
博麗霊夢からの失礼な態度と、勘だと言うのに自信満々にヒントを賜った事で、少し以上に思考が途切れていたが、○○からの促しによって、上白沢の旦那は息を吹き返した。
「まぁ、まぁ……慌てて喋り出しても言いたい事の1割だって伝えれないなんてことはよくある。ああ、丁度良かった!お茶のお代わりと、私の分のお茶菓子も用意してほしい」
運良くなのか、あるいは博麗霊夢と何かもめたのではと心配したのか。どちらにせよ○○は、近くを通りがかった奉公人に自分の分も含めて、お茶とお茶菓子を持ってきてくれるように頼んだ。
奉公人は指示を貰って立ち去る際、チラリとだけれどもしっかりと上白沢の旦那を見た、いつもよりも気にかけるような表情であった。
そしてその気にかけるような表情は、一番の友人である○○が当然のことながら最も色濃く見せていた。
「ああ……そうだな、ありがとう、落ち着かせてくれて」
友人からの気にかけてくれるような表情を見て、上白沢の旦那は苛立ちと焦り、これらの感情から全く解放はされてはいない物の、さりとて制御する事は可能になった。
少し落ち着いて、更に落ち着きを取り戻すために座りなおして残っているお茶を飲み干した。
その後、上白沢の旦那は○○と、○○が奉公人に頼んだお茶とお茶菓子がやってきた後も取り留めのない話をした。
天気の事、あるいは○○の飼っている犬の事。全部○○の方から話を振ってくれて、上白沢の旦那がそれに対して答えたり話を膨らませると言った具合だ。
けれども奇妙な事に、寺子屋に関わる話だけは全くなかったが……なぜそうなのかは、上白沢の旦那だって気づける。○○が推理したのだ、と。
上白沢の旦那が稗田邸に駆け込んだ時間は、寺子屋がちょうど始まった頃だ。
だと言うのに彼は、寺子屋の事も放り投げて稗田邸に、名探偵である○○の所へ駈け込んで来た。
それだけ考えれば、寺子屋の中で何かが合ったのだと、そう考えてしまうには強い合理性があるだろう。だから○○は、上白沢の旦那が完全に落ち着いたなと言う事を確認するまでは、寺子屋の話を振らなかった。
それぐらいは、上白沢の旦那だって推理できる。
そして、上白沢の旦那が目の前にあるお茶菓子を食べ終えた、そこを見計らって○○は姿勢を正した。
「それで」
先ほどの天気だとか飼い犬の事を話す時と、明らかに違った落ち着いた声を出した。
「ああ」
お茶とお菓子のおかげで、上白沢の旦那が見せていた興奮も完全に落ち着いてくれていた。今ならば話せる、どちらともがそう思う事が出来た。
「長くなるかも」
「構わない」
初めにそう断りを入れたら、長くなってもいいようにと○○は自分と相手の、空になった湯飲みにお茶のお代わりを注いでくれた。
「さっきの談笑で、○○、お前は寺子屋の話題をしなかったと言うよりは避けていたから、その時点できっと寺子屋の絡みで何かが合ったと気づいてくれてたんだろう。そう、実際にその通りではある、正確にはとある生徒の、とある兄弟に関わる事だ。実は、今日の朝に登校してきてくれた時に、その兄弟のうちの兄の方が、その……信じられない事なんだが腕を折って登校してきたんだ」
ここで○○が、少し質問を挟んできた。
「その兄弟は衛生的な格好をしているか?」
ただ質問の意図よりも質問してくるときの調子、声色、目の色。○○を構成するすべてが……友人にこんなことを思うのは失礼だとは思ったが、怖いと思った。それが事実であった。
「ああ……」
「大事な事だ!!思い出してくれ!!その兄弟の衛生状況、更には栄養状態は!?」
怖さすら思わせる○○の様子に、上白沢の旦那はまことに珍しい事に○○の前だと言うのに、言葉を詰まらせてしまったが。
「服は!?ほかの子と比べて発育状況は!?ちゃんと風呂に入っているか!?」
もっと珍しい事に、最初は上白沢の旦那を落ち着かせるために少し、お茶を飲んだりして回り道をしていたはずなのに。今度は○○の方が、上白沢の旦那よりも興奮して落ち着きを失っていた。
幸いにも奉公人達は誰も、この客間へとは入ってこなかったが。ここまでの声量でまくし立てるようにすれば、だれの耳にも聞こえていないなんてことはあり得ない。
バタバタとした音が、朝ゆえのあわただしさとは明らかに違う足音が聞こえてきた。あの様子、奉公人達の何人かが集まったのは推理するまでもない。
「○○、心配されてるぞ。外に待機されている」
上白沢の旦那は何とかこの言葉だけを紡いだ、幸いにも○○は目の前にいるのが自分の友人であり、自分が荒れてしまえば友人にも迷惑をかけてしまう事がギリギリの所ではあるが、思い至ってくれたようだ。
「ああ……すまない」
○○はそう言って、客間の入り口前にてふすまを開けずに待機している奉公人達の方に、まずは何ともないからと言う風に伝えに行ってくれた。
「すまない、騒がせてしまって……彼から聞いた依頼の話が、予想以上に深刻だった」
けれども、奉公人たちがすわ大ごとか言わんばかりに、この客間へとなだれ込む事態だけは避けられたが。○○の中では最悪の予想ですらどんどん悪化しているのか、とりつくろう余裕がなくなっていたように見受けられた。
奉公人達は、○○が解散するようにと言ったからすぐに、部屋の前から遠ざかってくれたが。
稗田阿求の教育により、○○の事を稀代の名探偵だと信じている奉公人達は、まさか○○から物凄く悪い状況であると伝えられた衝撃、あるいは恐怖は、○○よりも酷くざわめいてしまった。
「……」
奉公人達が完全に立ち去るまで、歩行音を注意深く聞き取りながら○○はずっと黙っていいたけれども。何も考えていない、そんなはずはなかった。少なくとも上白沢の旦那にだって、○○の今の感情ぐらいは推察する事が出来る。
怒りと嘆きであった、そして怒りと嘆きに振り回されないように冷静さを取り戻そうとする、そんな努力も見えた。
そして○○の耳に、奉公人たちが完全に立ち去ってくれた事を確認したら、○○は口を開いてくれたが。それは独り言で、自分自身に対してのもので、考えをまとめるがため。
「予想通りのクソ親ならば……純狐と
クラウンピースにぶん投げてしまっても良いかもなぁ。どちらも子供は好きそうだ、もちろん真っ当な意味で」
あるいは、決断せよと言わんばかりに、自分自身の背中を押すかのような物であった。その独り言の最中に上白沢の旦那の存在は無かった、代わりに明らかな敵意があった……むしろその敵意が向いていないと言う事で、上白沢の旦那の存在が無かったことは良かったのかもしれなかったけれども。
博麗霊夢が口に出した名前が、○○の口からも出てきた。
その一致を、偶然として片づけてしまう事は上白沢の旦那にはできなかった。明らかな引っ掛かりを覚える。
ゆっくりとした動作で、○○は上白沢の旦那の方向を向いた。わざとらしかった、けれどもそうしないとならなかったのは、理解できた。
「阿求に少し、何、一言か二言程度だが、伝えておくことがある。それが終わったらすぐに寺子屋に行く、その兄弟を永遠亭に連れて行こう。あそこが一番邪魔が入らない」
○○は上白沢の旦那がはいともいいえともいう前に、部屋を出て行ってしまった。
○○がいなくなった部屋は重苦しかった。
待たされることは今までにも何回かあったが、こんなにも重い空気が漂う稗田邸は、初めてであった。
――もしかしたら自分はとてつもなくお気楽だったのかもしれない。これは、ちょっとした不良だとかそう言う問題ではないのかもしれない。
○○がここまで荒れる原因にはまだ、思い当たらないが……完全に深刻な物として考えている。
博麗霊夢の勘とやらを、あんなものを肯定する気は無いけれども。依頼がかぶった事よりも○○も純狐と
クラウンピースを気にした事の方が、重大な物として。
あの二つの存在が、この幻想郷に置いて強大な物であるのは、最高戦力であるのと同じぐらいに歴史家として稗田の次に名高い上白沢慧音を妻としているのだから、資料の閲覧も許されている。
純狐と
クラウンピースの名前は、確かに見たことがある。強いと言う事も、知っている。
この両名が、自分の依頼にどう関わってくるのか全く分からなかった、おおざっぱな予測すら建てられないのは実に苛まれたけれども。
○○の方は苛まれるを通り越して大きな怒りすら抱いている、そんな状態の彼に色々と質問を投げかけるのは二の足どころではなく、ためらいの感情が前に出てきてしまう。
だが上白沢の旦那が、○○が戻ってきたら質問を何とかしてみようと言う、そのための心の準備と言う物が雀の涙ほどしか出来上がらないうちに○○は戻ってきた。
妻である稗田阿求を連れている事も、雀の涙ほどの心の準備が消え去った事もあるが、○○が相変わらず怒りを溜めながら、外出用の上着を羽織ろうとしていたことも、やばいなと思うには十分であった。
普段であるならば、どんな状況であろうとも、○○が外に出るときは稗田阿求が○○の側によってかいがいしく、上着を羽織らせてやっているはずなのに、今回はその手間すら惜しいと言う事らしい。
「上白沢の旦那さん」
阿求が声をかけた、○○はまだ急いで上着のボタンをかけている。
「何かあったらすぐに声をかけてください。人でも物でも金でも、援助します」
究極の後押しを貰った。けれどもまったく、上白沢の旦那は嬉しくなかった。むしろ怖さがより大きくなった。
この事件、明らかに稗田夫妻の虎の尾を踏んでしまっていた。
踏んでしまったことに対して、いくらなんでも上白沢の旦那に対しての怒りや責任云々は、一切考えてはいない位の正気さはあったが……。
何か原因があった場合――いや、ある。あの骨折は自己とは思えない――その原因に対して、いったい、稗田夫妻はどのような処遇を与えてしまうのだろうか。
もっと恐ろしいのは、稗田夫妻が両方とも頭に血を上らせてしまったら、だれも止めれない事だ。
一瞬、頭の端っこに酷いぐらいに自信家の博麗霊夢が見えた。あるいは、頼れるか?勘を自信満々に振り回すのは、上白沢の旦那の思考の基本から逸脱はしているが、権力者であり戦力としても高い事は認めなければならない。
最悪の場合は…………上白沢の旦那は黙って博麗霊夢の事を、名簿の一番上に移動させた。
「行こう」
○○は、上白沢の旦那が実は阿求の言葉もほとんど聞かないで、何かあった場合の歯止め役として、博麗霊夢の事を考えていたなんてことには……気づくどころか、何か別の事を考えているなと言う、そんな事にも気付かずに急ぐばかりであった。
「あ。ああ……」
上白沢の旦那は、稗田夫妻の虎の尾が踏まれてしまった事に、だからこそ必死で動いてくれるだろうと言う、いわゆる良かった探しでそう悪くない状況ではないか?と自分で自分をごまかしていたが。
○○はドスドスと歩いて行って上白沢の旦那が付いてきていない事にすら、気づいておらず。
そして……これが一番怖かった。
稗田阿求も怒りを溜めていて、上白沢の旦那に対して。
「早く来い、この依頼は私の気持ちが収まらない。全力で支援してやるんだから本気で解決に動け」
わなわなと震えながらつぶやいた。
怒りの矛先は、原因だけに向けているはずなのだけれども。原因究明に対する動きに、稗田阿求からの及第点すら得られなければ、原因の一部とみなされかねなかった。
「……分かった」
今更逃げる気などは、最初から無かったけれども。逃げれないと言う事実は、中々に上白沢の旦那の恐怖心をあおっていた。
増してやその恐怖を与えている相手が、人里の最高権力者である稗田阿求なのだから。
基本的に稗田○○は、自分が入り婿で逆玉だからと言う、後ろめたさと立場の低さがあるから、出来る限り穏やかな存在であろうとしているし。
別に演じる必要もなく、○○は生来の人格からして穏やかである。
その甲斐もあるし、そもそも稗田阿求が実に強く惚れているから、奉公人はもちろんだがほとんどの人間も○○の事を好意的に見てくれている。
だが今の○○は、焦りと怒りとで鬼気迫る表情をしながら、上白沢の旦那が走って寺子屋から稗田邸に向かったのと同じように、今度はその逆を行ってその走っている人物は稗田○○であった。
既に上白沢の旦那が、明らかに不味い事が起こったような面持ちで必死になって、稗田邸に走って行ったことは、里の住人の間にはもう知れ渡ってしまった。隠す気も無いどころかそんな発想も出てこなかったとはいえ、こういう時に有名人はつらかった。
「急げ!」
そして今は○○が、上白沢の旦那の時よりも酷くなった状態であった。走りながら大きな声を出して、上白沢の旦那に急ぐようにと、必死になっていた。
もうこれは、隠せないどころではない。里の隅々、下手をしなくとも天狗やそれ以外の勢力にも、何らかの話が耳に飛び込むだろう。
隠す気はあまり無かったとはいえ……不味い線をなんの注意も払わずに踏みしめながら走り抜けている、そんな気がしたが。
稗田阿求の怒りにまみれた表情を思い出すに、自らの安全を考えれば実はその線とやらが一番、安全なのが気がかりであり皮肉な気配ですらある。
そして隠さなかった結果はすぐに表れた。
上白沢の旦那も稗田○○も、まだ気づいていなかったが、緑色の巫女が、東風谷早苗が空を飛んでいた。
早苗は眼下に、鬼気迫る形相で走り続けている稗田○○の事を見て、追いかけていた。
感想
最終更新:2021年05月31日 23:02