「行こう」
○○は、上白沢の旦那の方にこそ向いていないが、確かに苛立ちを内包しながら立ち上がった。
まだ授業中なのだがな、と言う感想は存在しているが。感情が荒くなっている様子を隠そうともせず、態度や所作にもその荒々しさがにじみ出ている○○を見るに至っては。
これは、放っておくことはできないなついて行かねば、と言う結論に達するのにさほどの時間も迷いも必要ではなかった。
こういう時に決まって上白沢の旦那は、自分が結局は○○の事を大事な友人として思っているし、その生業、名探偵としての活動に巻き込まれてしまう事にも悪い感情を抱いていないのが、よく理解できた。
ちょっとした懸念としては、八意永琳が放っておかれた形ではあるが。向こうからすればそっちの方が良さそうなのは、態度を見れば理解できた。当たり前だ、こちら側の嫁は、あの稗田阿求と上白沢慧音であるのだから、一線の向こう側の中でも特にと言う評価に一切の文句を付けれない。
最もそれは八意永琳だって同じのはずなのだがなと、例の狂言誘拐事件の主犯である事を思い出しながら横目にしながら部屋を後にした。
しかし八意永琳は、放っておいても勝手に帰るし、むしろ強すぎるぐらいなので心配する必要は、むしろするだけ無駄だし八意永琳も邪魔だと思いそうだ。
しかし件の兄弟の場合は、全く違う。特に骨を折った方のあの兄に関しては、心配しかない。
兄と言っても、まだ寺子屋に通う程の年齢であるならば年端もいかない、身を守るすべはないせいぜいが走って逃げれるかどうか。
弟に関してはそこに輪をかけて、か弱い存在だと認識するべきだ。幻想郷一の薬師で矢の名手としても覚えが高い――そんなのをよく狂言とはいえ誘拐被害者にしたな、彼氏に対して猫をかぶっていたとはいえ――八意永琳よりも、保護すべき対象としての認識を強く持つべきだ。
そんな事を考えながら○○と上白沢の旦那は外に出た、今日は人力車は無しで歩くようだと言うのは、○○の動きで何となくわかった。
最も、人力車は目立つのでこっちの方が上白沢の旦那としては、有難いぐらいであった。
「まずは純狐が最近、よく現れるお菓子屋に行ってみよう。あとは周辺への聞き込み」
けれども上白沢の旦那は、○○があの兄弟の事をしっかりと考えているとは信じているが、どうして純狐にこだわるのかがあまり分からなかった。
けれどもこういう場合の対処は、もう上白沢の旦那も理解している。
「なぜ純狐にこだわる?」
素直に聞いてしまえばいい。結局、これが一番早いし簡単で、自分たちの仲もこじれにくい。
「怒るかもしれないが、博麗霊夢の勘だ。俺が純狐とその周りを調べるのが良いだろうと、そう言っていた」
「探偵らしくないなぁ!ましてや名探偵の行動とは思えん」
けれども今回に限っては、素直に聞かない方が良かったかもしれない。そんな雑な答えを○○は上白沢の旦那に与えてきた。
上白沢の旦那は思わず、かなり感情的になってしまった。冗談含みの突っ込みと言うには、あまりにもとげとげしい言葉尻をしていた。
幸いにも○○は、上白沢の旦那からのそのようなとげのある反応を、どうやら最初から予期していたようで、そこまで辛そうな顔はしていなかった。
少し困ったような、そんな表情で済んでいた。
「うん、まぁ。今のは半分冗談なのだけれどもね」
上白沢の旦那は、半分冗談であったことにホッとするべきか、それとも半分とはいえ本気の部分があるじゃないかと、心配するべきか。少々、判断をつきかねていたが。
○○はその、判断をつきかねている状態をこれ幸いとばかりに、次の話題を上白沢の旦那がまた熱っぽくなる前に出してきた。
「純狐の様子が、ここ最近明らかにおかしく。頭に血を上らせているような状況であることは、事前の情報でこちらも知っている。それと共に、誰かと話し込む様子やどこかの家に来訪する様子も。純狐は明らかに何かを知っている。そして純狐がよく見かけられる場所は、子供たちの多い場所、最初にも言ったけれども子供たちがお小遣いを握りしめてやってくるお菓子屋の近辺が最も多い。そして純狐が怒りを溜めだしたのと時を同じくして、あの子が骨を折った。純狐はその生涯を紐解けば、子供に執着を見せるのは自然の成り行きだ……これはちょっと偶然とは思えない。だから純狐と接触してみようと思うんだ」
全部話し終わった辺りで、上白沢の旦那は少し考えてみた。純狐と言う存在が強者であることは、博麗の巫女と言う物にあまり興味がない上白沢の旦那だって分かっている。
「まさか純狐が犯人?」
ふっと、思ったことを口に出したが、○○からは落胆したような表情を向けられてしまった。
「絶対に無い」
そして○○が上白沢の旦那の思い付きを否定する声は、表情よりも突き刺さるものを持っていた。
「純狐に関する調査書は見ただろう?彼女は子供をよりにもよって身内の手、旦那の手により亡き者にされている。復讐心に走るのは当然だが、同時に子供に対する愛情からの執着がある、間違いなく愛情がある、純狐は子供の事になると弱いが、同時に子供を守るためなら何をやるか分からない。だから子供に手を挙げる事は、可能性として考えるべくもないことだ。悪ガキが純狐にちょっかい出して、ケガさせたと言う方がまだあり得る話だ」
全否定された形ではあるが。しかし上白沢の旦那は、自分の思い付きを全否定されたことよりも、気になる事が出てきた。
「なぁ○○。妙に純狐の肩を持つな……不用意じゃないか?」
上白沢の旦那は○○から渡された、純狐に関する調査書をもう一度パラパラとめくりながら、彼女の姿が掲載されている場所を開いて、○○に対して見せてきた。
写真はどうやら隠し撮りのようであるので、ほとんどは似顔絵であるが……それでも彼女の美貌が、たとえ隠し撮りだけの写真でも彼女が先ほど置いて来た八意永琳のような、置いてくるのが自分たちが嫁にした一線の向こう側を刺激しないためには、下手に近づくべきではない程の美貌を純狐は携えていた。
「その……言いにくい事だが、稗田阿求が嫉妬する相手と言うのは、多分この手の美人だと考えるが?」
「そうだな」
○○は確かに認めた、だからこそ余計にわからなくなった。○○が妙に純狐の肩を持つことが。
「上白沢先生の場合は、体で取られたら体で取り返す、そんな自信を常に持っているから大丈夫だけれどもな。健康的な身体だから」
だが○○からの明確な、納得のいく答えは出てこなかった。
「え?」
上白沢の旦那は○○に対して、恐怖のような物を感じ取り、それを否定したくて聞き直してしまった。確かに聞こえていたはずなのに、その時の○○が見せる感情が、前回に
ナズーリンさんからの依頼で駆けまわった時に何度も見てしまった、稗田阿求が上白沢慧音に抱いている嫉妬心や敵意と似たような物が、確かにあったのに。上白沢の旦那は気づかなかったことにしてしまった。
そして○○も、上白沢の旦那が思わず気づかなかったことにしてしまった、その見ようによっては優しさに対して、○○は決して鈍感ではなかった。
○○は目を閉じて、やってしまった事を後悔するような顔をした。上白沢の旦那にとっては、それだけでも先ほどの気づかなかったふりが、無意味ではなかったと確認出来て良かったぐらいであった。上白沢の旦那にとっては○○は、最も大事な友達だから。
「稗田阿求は純狐の事をどう思ってるんだ?」
だから、上白沢の旦那は聞き直した、○○に対して。さっきの事を、無かったことにしたのであった、悪い気と言うのは誰にだっておこるものだから。
「……ああ」
ややあって、○○の精神は回復してくれた。
「うん」
上白沢の旦那は優しく、一言だけ添えた。気にしなくていいと言おうとしたが、かえってやりすぎの様な気もしたし、話を蒸し返したくもなかった。
「阿求は生まれつき身体が弱い。その影響で阿求は、子供が出来ない体だから、子供の事になると少し我を忘れやすくなる。そして純狐は子供をよりにもよって、身内の手によって亡き者にされた。その事に対する大きな同情心が、今回は特例として機能しているんだ」
「なるほど」
先ほどの○○が放り出してしまった暴言が、○○自身にもまだ後悔の念が強いのか。ぽつぽつとした形ではあるが、それでも○○の説明の内容は理解できた。
「そう言う理由だったのか……」
それと同時に、もしかしたら知らない方が良かったのではないのかと言う稗田夫妻にとっての弱点も聞こえてしまったが。
この事は、上白沢の旦那が努めて話題に上らないように、避ければいいだけだ。友人との仲を維持することを考えれば、その程度、苦痛だとは思わなかったし。
稗田阿求の身体が弱い事は、内緒でも何でもないので、その推測にはいずれ到達するだろうから。
「行こう。なるほど、この種の偶然は確かに気に食わない。純狐との接触は必要だろうな」
少なくとも今の上白沢の旦那がやるべきことは、○○の背中を押してやる事であり、○○と一緒に今回の案件に対して解決の糸口を探す事である。
けれども。
「こんばんはぁ~○○さん」
上白沢の旦那の脳裏で思い描いていた、今回の一件に対する対処を続ける状況に、東風谷早苗の姿は無かった。
だけれども、東風谷早苗は上白沢の旦那が感じた動揺なんぞどこ吹く風で、空からふよふよと降りてきた。
その姿はさながら、強者が目的地の手前で
主人公たちを妨害するかのような、そんな雰囲気すらまとっていた。
少なくとも、早苗はどれほど無視されようが絡んでくる、そんな硬い意志を見せていた。
「ああ……」
○○もこの状況をすぐに察知したので、かなり、悪態含みで落胆するような声を出した。
少なくとも東風谷早苗には、純狐のような稗田阿求ですら同情してしまう様な特異な事例は存在していないはずだ。だから○○は、あえて悪態をついているのだと上白沢の旦那には理解できた。
何よりも稗田阿求の癪(しゃく)と言う奴を刺激しないように、何より今回の一件は阿求が持ちたくても持てない子供の安否と言うのが絡んで、阿求は○○に対しては常に甘いはずなのにその○○ですら、今回の阿求は我を忘れかねないとまで表現している。
これ以上の懸念は絶対に避けるべきであるけれども、東風谷早苗は悲しそうな顔を浮かべるのみで、○○からの悪態に対してはさしたる影響を受けてはいなかった。
「一途ですね、ほんとに」
東風谷早苗の言葉は、どう考えても○○の稗田阿求に対する考えに対して、あまり良い風には捕えていなかった。
「お前、命が惜しくないのか?何か刺激的な遊びがしたいなら、洩矢諏訪子に頼めばいいだろう」
上白沢の旦那は思わず、東風谷早苗に対してそう言ったが。早苗は上白沢の旦那の方をチラリとすらも見ずに、むしろお前の方など見てやるものかと言う様な意思すらをも感じ取れるぐらいに、○○の方だけを早苗は見ていた、もしかしたら洩矢諏訪子の名前を出したのは、不味かったかもしれない。
「何かお手伝いしましょうか?私なら方々飛び回れますから、役に立ちますよ」
少し、いやらしい声をどこかに対して――○○の方向ではない事だけは上白沢の旦那にはわかった、けれども上白沢の旦那の方ですら無かった、もっと言えばここ以外のどこかであった――飛ばしながら、東風谷早苗は○○に対して助力を提案してきた。
○○が早苗からの提案に対して、はいともいいえとも言わない間、明らかに深く悩んでいる間も早苗は○○の事を見つめ続けていた。
そしてその、○○が悩んでいる時間と言うのは非常に長いものであった。
上白沢の旦那は後ろを向いて、間違いなくいるはずの稗田家からつかわされた護衛兼監視役が、どのような感情を抱いているかを確認した。
あの人たちが背負っている任務のうちで、最も重大で恐らくは崇高とすら思っているのは、稗田夫妻がこのまま夫妻のままでいる事のはずだから。
案の定、稗田家からの護衛兼監視役の者たちは、動揺を隠せていなかった。
○○が難しい顔で早苗からの提案を、受けるか受けないかをこめかみを抑えながら考えている様子、それ以前に今回の依頼と言うか案件が、今までにない程に稗田夫妻を苛立たたせて焦らせているのも、無関係ではないだろうし、子供絡みと言うのだってもちろんの事で理由の一部だろう。今回は何から何まで、今までの依頼とは毛色が違っているのんが、あの人たちの狼狽にもつながっているのは想像に難くはない。
しかしまだ、東風谷早苗に対する敵意は見えていない、これは幸いな事だと思うしかなかった。
この状況が悪くならないうちに、東風谷早苗を帰らせる、その役目はおそらくは自分が行うべきだと、上白沢の旦那は考えた。
いやらしい話だが、上白沢の旦那の、その妻である慧音は良い女だしそれを自覚してもいる。東風谷早苗の出すちょっかいが、たとえこちらに向いたとしても、慧音は早苗以上にいい女だと固く信じている自分が前に出て、取り返しに動いてくれるだろう。
最もそんな事がなくとも、自分は慧音から離れるつもりなどはみじんも存在はしていないけれども。
だとしても肉体的魅力の低さを気にし続けている稗田阿求、彼女を刺激してしまうよりかはマシなはずだ。
「○○、東風谷早苗は俺が説得しよう」
そう思いながら、上白沢の旦那は○○の前に出ようとしたが。とてつもなく意外な事に、○○はそんな上白沢の旦那の動きを止めた。
「○○?」
意外な動きに、上白沢の旦那は不安から声が上ずった。
「今回の一件は、普通じゃない」
果たして普通の依頼や案件が、これまでに一回でもあったのか?と上白沢の旦那は思ったが、言わないで置いた。
「手数は多い方が良い」
重々しい姿の○○と、狼狽している様子の稗田阿求がつかわした護衛兼監視役。このどちらも、刺激するのは得策ではないからだ、そもそもの稗田阿求からしておかしくなりかけているのだから、余計に。そう思って上白沢の旦那は神妙に○○の言葉を聞いていたのだが。
「やった!私、○○さんの中で少なくとも手数の一人には数えてくれてるんですね!?」
肝心の東風谷早苗が妙に浮ついていた、これには上白沢の旦那は肝が冷えたけれども。
「ははははは!」
なぜかつられて笑いだす○○の姿は不気味極まりなかった。彼の真意と言う物が分からないからだ。
「お前の役柄がすっかり分からなくなった!どの役でもそれっぽいから、全く悩んでしまう」
そして早苗に対して好悪入り混じったような感想を漏らした。
それを聞いている時の早苗は、先の○○の口ぶりは邪険にこそ扱っていない物の、決して友好的な物ではなかった。
しかしながら早苗は、キャッキャウフフと言った様子を見せながらゆらゆらと揺れていた。その際に早苗の胸のあたりの部分も一緒に、揺れていたのは上白沢の旦那は印象深く思っていたが。○○は上白沢の旦那が早苗の胸のあたりの揺れ具合を、印象深く思ったのとほぼ同じころに目を閉じて何も見ないようにした。
○○は東風谷早苗に対して、敵意こそないが明らかに避けているのは明らかであった。
しかし東風谷早苗は、そんな防御防衛に徹し続けている○○を見て、悲しそうな顔をふっと浮かべたが。
本当に、少しだけであった。すぐにまたキャッキャウフフとした様子に戻った、その姿の方が鮮烈で扇情的で。先の様子がかき消された。
相変わらず、胸のあたりの揺れが目についた。
「物の数にいれてくれていると言うだけでも、箸にも棒にもかからないなんて事が無いだけ、少なくとも私はホッとしましたよ。カードゲームで言う所のジョーカーのような、厄介な奴だと言う様な扱いや印象だとしてもね。無関心でいられるよりは、まだ、希望もありますよ」
そして東風谷早苗はよく分からない事を言ったが、○○に対してついて行くと言う意思だけは見えた。
「単独行動すら止めはしないが、俺とのバディ(相棒)を組もうとは思わないでくれ。少なくとも上白沢の旦那を連れてくるおからな……阿求は連れてこないでおいてやる」
東風谷早苗に対して○○は、明らかに釘を刺していた。稗田阿求を連れてこない事は、優しさと受け取れない事もないが、彼女の体の弱さを考えればそうなるしかない、と言う悲しい事実も存在していた。
「バディ!相棒!良い響きですよねぇ!!やっぱりワトソン役がいないと探偵小説は締まりませんものね!ポワロは好きですが、ヘイスティングス大尉が思ったより出てこないのは不満でしたね!やっぱり探偵役にはバディがいないと!」
バディについて相棒についてワトソン役について、探偵には必要だと言う事を東風谷早苗は感情を昂らせながら、熱弁していた。
その際において、チラチラと早苗は上白沢の旦那の方を見ていた。
含みのある目線だと言うのはすぐに理解できた、いっそその事について聞こうかと思ったが。
「行こう」
○○は上白沢の旦那の手を取って、足早に立ち去る事を決めた。最も、ついて来るなとは○○もはっきりと明言しなかったから、東風谷早苗は自分たちの後ろからついて来た。
非常に危うい格好だと言うのは、上白沢の旦那もすぐに理解できたけれども。触れるのにも勇気がいるのは事実だ、増してや東風谷早苗は決して弱くない。
現人神と言う呼称を使っているのには、中々、思い切りが良いと言うか向こう見ずと言うか、言葉が大きいきらいはあるが。
強いか弱いかで言えば、東風谷早苗は強い。だから触れないでいるのは、さほど悪手とも言えないのが辛かった。
稗田家からの護衛兼監視役の男も、似たような気分でいるのかそわそわとしていたのはよく目についた。
そして○○に腕を引かれる上白沢の旦那を先頭に、その後ろに東風谷早苗、さらに後ろに稗田家からの護衛兼監視役を引き連れる、奇妙な行列は目的地まで続いた。
目的地であるお菓子屋は、稗田家が使う様な高級な店とは違って、○○が言うように子供たちがお小遣いを握りしめてやってくる、そんなのどかな店であった。
「ああ、この店なら知ってるよ。おばあさんとおじさんが二人でやってる店だと言うぐらいしか知らないが」
道中では全くの無言であったので、ついに上白沢の旦那はその緊張感に耐えきれずに、取り留めのない言葉を出した。
「ここが悪の源泉だとは思いたくないね……違うとは考えているが、それでもそんな事は思ってしまう」
○○も自分の考えや感情を口に出してくれて、少しほっとした。相変わらず東風谷早苗は、自分たちの近くでちょろちょろしながら件の店を覗き見たりしているが、これに関してはもう触れない事にした。
下手に触れてとっかかりと言う物を与えたくはなかったから。
その店は、子供たちがお小遣いを握りしめてくるような店だから。まだ寺子屋で授業が行われているぐらいには早かったから、表の戸口こそ開いているが営業をしているような雰囲気はなかった。まだ準備中と言うのが正しい認識であろう。
「入るのか?」
少し上白沢の旦那は物怖じをしながら、○○に問いかけたが。
「ああ、もちろん。この店の近辺で純狐がウロウロしているのは確認済みだ、店の者と話す必要がある」
○○の腹はもう決まっていたし、○○の言う通りこの店の近辺から聞き込みを始めるのが最良であると言う考えに、そこに異論はない。
東風谷早苗も、さすがに自分がいきなり入るのは不味いと思ったのか、○○が来るのを待ってくれていた。
○○の方を見る早苗の顔は、相変わらず楽しそうだったが。
「失礼する!」
そんな妙に楽しそうな早苗の事を、半ば以上に無視しながら、○○は件の店に声を出しながら入って行った。
「誰かおりませんか?お聞きしたい事がありまして」
早苗の事を無視しようと努めているからか、○○の声は上白沢の旦那が想定していたよりも大きなものになってしまっていた。
ちょっとまずいかな、と思った。奥の方からどたどたとした音が、きっと店の人間がやってきたのだ。あんなに慌てさせて、申し訳ないなと言う思いが込みあがった。
「稗田○○様!?」
ましてや声をかけてきたのはあの稗田○○なのだから……奥からやってきた高齢にさしかかっている男性は、慌てるのも無理は無いと思っていたが。
「お気づきになられてくれたのですね!!」
その高齢に近い男性は、感極まったように涙を流しながら、○○の手を取って嬉しさを見せてきた。
「あの2人を、あの兄弟をお救いになられに来たのですね!?あんな鬼ども親である視覚はございません!!稗田様がどのような処置を施しても、あの兄弟にとっては今よりも良い状況になると、私は固く信じております!!純狐様にもそのようにお伝えしております!!」
○○も上白沢の旦那も、そして勝手について来た東風谷早苗ですら。
今の状況が呑み込めずに、完全に黙ってしまったが。純狐と言う名前が出てきたのを、上白沢の旦那は聞き逃さなかったし、それは○○も同じであった。
チラリと、上白沢の旦那は○○の方を見た。ちょうど○○の方も、旦那の方を見てくれていた。
そして感極まりながら○○の手を握る、この男の方をもう一度、二人は見た。
熱烈な信者、そんな言葉がこの男に向けるのには正しかった。そして間違いなく出てきた純狐の名前。
この男、少しまずい領域に達しているかもしれなかった。
感想
最終更新:2021年06月06日 15:35