「私に案内させて」
そう言いながら純狐はゆらゆらしながらも、確実に歩を進めて行ってしまった。
恐らくは一番冷静であろう
クラウンピースが、彼女の主人からも頼むぞを言われているのもあるのだろうけれども、彼女自身の危機感と、純狐に対する親愛の感情もあるのか、○○たちの事をある程度は気にしつつも一番の心配は純狐であると理解しているのか、○○たちの事を何度も見やりつつも申し訳なさそうな顔を浮かべた後は、純狐の方に急いで追い付き彼女の手を取った。
その生涯から、子供と言う物に執着を見せている純狐は、少なくとも見た目は幼い存在であるクラウンピースから手を握られたことにより、激情と言う部分こそはそのままであるものの、今ここでそれを噴出してしまっては、クラウンピースの迷惑になると理解しているのか。
ゆらゆらはしているが、発露される荒々しい部分は先ほどよりはマシになったと言ってよかった。
上白沢の旦那は思わず、大きなため息をついてしまったけれども。
○○は面白くないと思っているのか、奥歯を強く噛み締めている姿を見せていた。
その横合いとまではいかないが、やや奥の方で東風谷早苗は、こんな場面に似つかわしくない若干の微笑を携えながら、○○の方をずっと見ていた。
相変わらず上白沢の旦那はおろか、純狐やクラウンピースにすら興味を抱いていなかった。あくまでも彼女の興味は○○にしかなかった。
ここで一番可哀そうな存在は、稗田阿求の命令によって○○の護衛兼周辺の監視を担っている、稗田家の奉公人でもある屈強な者たちであろう。何かが起こった場合、いったいどうやって対応しろとお言うのだ、純狐にせよクラウンピースにせよ東風谷早苗にせよ、これらと正面切ってどうやって戦えと。
もっとも、そのどうやって戦えと言う部分は上白沢の旦那にだって当てはまるのだけれども。
その事に気が付いたら、急に彼も悲しくなってしまったので……やれることと言ったら、○○について行くだけであった。
悲しくなった、例えそれのみを稗田阿求が箔付けに求めていたとしてもだ。
とはいえ、悲しさを内包しつつも上白沢の旦那は付いて行くだけであった。
「あの家」
ゆらゆらと揺れる純狐を引き連れながら、○○たちはとある家屋にたどり着いた。
初めの頃に比べて、純狐が背中に背負っている、狐の形をした陽炎の揺れ動く様子が荒々しくなっているのは上白沢の旦那にも分かった。
これは……よくない兆候だと、すぐに理解できた。それに気が付くと東風谷早苗がじっとこちらを見ている、そこには苛立ちと嘲笑が均等に混ざり合ったような表情があった。
どうやら東風谷早苗も、今の純狐の様子が明らかにおかしいと言うか、危ない事を言いたくて仕方がないようである。
「ねぇ、相棒さん。何か思いません?」
少し声がいやらしく上ずったような形で、東風谷早苗は上白沢の旦那に声をかけた。何かを求めている、行動を示せと言われているのだとはすぐにわかった。
「分かってる……なぁ、○○」
上白沢の旦那としても、この状況におけるよくない部分はもう見つけている。
東風谷早苗から背中を押されたと言うのが、若干の腹立たしさを感じるが……自分と言う緩衝材を使わねばならないと言う危険な部分には思いを至らせることが出来るのは、まだ安心できる。
稗田阿求にとっては今回の東風谷早苗は、どこまでも異物のはずだからだ。
それでも、自分と言う緩衝材を使わねばならないと言う部分に、上白沢の旦那はどこか○○の側にいられることに対する優越感を抱いてしまった。
上白沢の旦那は自分自身に対して、浅ましい男めと言った感情が、無いわけではなかったが。今は目の前の悪い可能性を摘み取る事の方が、先決であろう。
「○○、今の状況なんだが、少し物々しすぎないか?」
上ずりそうな声を何とか抑えながら、上白沢の旦那は○○に……要するに純狐を何とかしてから行くべきではないか?と提案した。
この言葉を言った後、上白沢の旦那は自分の背中を、押すと言うよりは早くやれと言わんばかりに蹴り飛ばした、そんな感触すらある東風谷早苗の方を見たが。
見た瞬間、これは悪手であったと後悔した。東風谷早苗には、上白沢の旦那がいくばくか以上の優越感をもってして、○○に声をかけたことを見抜かれていた。
東風谷早苗の顔は、しらけるような白眼視するような、あるいは軽蔑するような、これらのいずれだとしても東風谷早苗が上白沢の旦那の事を評価しているはずがない、そんな見下した目を浮かべていた。
浮かれ過ぎたか、何にせよ東風谷早苗の感情を確認したのは不味いやり方だったと、上白沢の旦那は自分で自分の感情に舌を打ったけれども。
「そうだな……なぁ、純狐よ。せめてその背中にある陽炎だけは収めておいてくれないか?人里の外ならともかく、なのだけれどもね。それにまだ話を聞く段階なんだ、今はまだね」
しかし、この場の空気は和らいでくれた。○○が純狐に対して、矛を収めろとまではいわない物の、せめて相手から話を聞く態度ぐらいは作っておいてくれと、そう要求したら。
「悠長な事。聞くけれども、あの兄弟は大丈夫なの?」
「大丈夫だ、永遠手に預けた」
「あら、そうなの。鈴仙ちゃんのいる場所ね、手回しが良いわね。まぁ、だったら、時間をかけて苛ませると言う楽しみ方も、理解できないわけじゃないわよ」
件の兄弟が、既に永遠亭の保護下にあると知った純狐は、パッと明るい顔を見せてくれて陽炎のようにゆらめく狐のしっぽを収めてくれたが。
長引かせると言うのが実は残酷な趣のある遊びだと言うのには、思いを至らせることは出来たが、思うだけで限界であった。
「さぁ行こう」
元より、稗田阿求から全面的に権力を与えられている○○が、そもそも稗田阿求も今回の一件に関しては、ひたずらに残酷になり続けている。
稗田夫妻にこの人里の構成員が、いったい何を言えると言うのだ。
上白沢の旦那は次に、付いてきてくれている稗田家からの護衛兼監視役に少しうんざりとしたような表情で目をやった。
彼らとしても考えている事は上白沢の旦那と同じか、妻が人里の最高戦力である上白沢慧音ではない彼らの方が、上白沢の旦那よりも立場は弱いので。ただただ、困ったような笑みで誤魔化すぐらいしかできなかった。
「……すまない、残酷だった」
困ったような護衛兼監視からの笑みに、この人たちの方がつらい立場であるのにようやく思い至る事が出来た。
上白沢の旦那は力なく謝罪する事しかできなかった。
「稗田○○だ、開けなければ開ける方法はいくらでもある」
開けろとは言ってないし、戸口を叩く強さも穏やかではあるが、むしろ荒々しくない分怖さが増している。
しかしながら家人は胆力が強いのか、単に頭が悪いのか、中からはうんともすんとも声が返ってこなかった。
「いない可能性は?」
「無い」
一応上白沢の旦那が○○に、留守である可能性を聞いてみたが。純狐が無いと横から言い放った、○○はその判断を全面的に信頼しているようであったし。
「永遠亭にあの兄弟を預ける前に、色々と聞き取った。その時に阿求から預かっている手の者も使った、いないはずがない」
○○の方も○○の方で、抜け目なく下準備の調査を行っていたようであった。
そして○○は荒々しく、懐から取り出した金具や工具を戸口のカギ穴に突っ込んだ。
以前にも見たことがあるけれども、その時に比べてがちゃがちゃとした雑音が多かった、普段ならばもっと静かに開けてしまうはずなのに。
結局○○は、カギ穴を半分破壊したのでは?と言う様な異音とともに戸口をあけ放った。
そのままずかずかと、○○はもちろん、後ろに純狐や既にこの騒動で憔悴している様子のクラウンピースを連れて家屋に入り込んでいき、その奥で縮こまって許しを請う様な女性を見つけた。
「ははは!」
○○はそれを見つけて笑ったが、純狐は陽炎の様な狐のしっぽこそ出していないが、出している時と怖さに関してさしたる違いはなかった。
ただクラウンピースも、この騒動に憔悴こそしているけれども、憔悴に原因を目の前の女性に……と言うよりは兄弟を除いたこの一家そのものに見ているような気配すらあった。
少なくとも今のクラウンピースの、目の前の縮こまっている女性に対する視線は、およそ敵対的であるとしか言いようがなかった。
「まぁ、この場は私に。戦争をしに来たわけじゃないんだ」
○○はそう言いながら、純狐の前に手の平を出してこの場は自分が取り仕切るとの旨を出しながら、心配している手の者も外で待つように求めた。
少なくとも純狐の敵意は旦那様である稗田○○に向いていないし、そもそもの旦那様がこの場は少人数でやりたいと求めている。
「何かあれば、すぐに」
そう言って手の者たちは家屋の外で待ってくれた。
しかし上白沢の旦那には、○○が使った戦争と言う言葉が引っかかった、今のこの状況は戦争と言うよりは酷く一方的だと言うのに。
最も○○の場合、分かっていて気づいていて、何か皮肉気な感情を込めながら優しい感じがしないでもない、そんな言葉を使っているのだろうけれども。
「居留守を使ったことは何も言いません……ただ、お伝えしたい事と聞きたい事がありましてね」
今はまだ、少なくとも荒っぽい事は何もやる気は無いようであり、笑顔を携えているがそれが偽物の笑顔である事は誰の目にも明らかであった。
ただ、上白沢の旦那が最もうんざりしたのは、目の前の縮こまっていた女性からの表情が、明らかに権力と言う物に媚びたそれに変わっていたことである。
どう猛さを攻撃性を隠しきれていない顔よりも、見ていられない醜い表情と感情を感じ取ってしまう事しかできなかった。
○○も自分に媚びているこの表情が、権力も手の者も資金も何もかもが、稗田阿求からの借り物であると強く自覚している○○にとっては、阿求に泥を投げつけられたような気分すら起こったのか、隠しきれていない攻撃性をともなった笑顔が、急になりをひそめてしまった。
これならばさっきの笑顔らしき表情の方が、まだマシだったなと上白沢の旦那は思った。
「あの兄弟の、兄の方が骨折していたので永遠亭で『保護』することに決めた」
表情が無くなった○○はそれに見合ったように、淡々と出来事を報告していたが、やはりそんな声色でも保護と言う言葉を使ったのは、気になる。
まるでそうしなければ、何者かからの危害を加えられる恐れがあると言っているような物ではあるが。
ただ、そんな言葉を使いたくなってしまうのも理解できた。
この家は、酷いの一言であった。
目につく範囲に酒瓶やら、乾物のつまみやら、何やらと言った物が放置されているのはこの家の環境が悪いことを示す一例としては、十分すぎるぐらいのものであろう。
○○はそれをチラリと見ただけで鼻で笑って、自分の考えが正しかったことの証明を得て少しばかりいい気になっていいたが。
この一件に関しては、純狐の方が入り込んでいると言ってよかったため、自らの考えが正しかった証明を得たのは、かえって苛立ちを溜める原因となっていた。
純狐は相変わらずゆらゆらとした動きをもってして、家屋内を歩き回って、目についた戸棚を荒々しく開けたかと思えば、憎しみの感情をこめたため息、あるいは咆哮一歩手前の息遣いを見せながら、戸棚の中身をぶちまけ始めた。
○○はそれをいやらしく横目で見やっていたが、想像以上だなと言わんばかりに口がぽかんと開き始めた。
純狐が戸棚からぶちまけたのは、案の定で酒だとかおつまみの類がほとんどではあるが……いかがわしい物、要するに遊郭ぐらいでしか手に入れる事が出来ないような書物や物品もゴロゴロ転がってきた。
戸棚の位置と高さから考えて、子供でも、様するにあの兄弟ぐらいでも簡単に手に取れるような場所に、そんな、遊郭を強くにおわせる物品が転がっていたと言う事になる。
○○は妻である、一線の向こう側である稗田阿求の事を思いやって、確認だけ出来たらもう見ないように努めていたが。
同じように一線の向こう側を妻としているのは上白沢の旦那もそうなのであるけれども、彼の場合は妻である上白沢慧音と言う存在が極上であるから、まだ、苦渋や苦悶にまみれた顔こそしているが、遊郭絡みの情報を参照できる余裕があった。上白沢慧音は自分の身体で奪い返すだけの、気概と能力を有しているからだ。
「○○さん、可哀そう」
しかし、上白沢の旦那が遊郭絡みの物品を苦渋にまみれた表情とはいえ眺めていたら、不意に東風谷早苗が○○の事をおもんばかる言葉をつぶやいた。
この言葉だけならば、まぁ、少し危なっかしい部分は感じる物の無視できなくはないけれども、東風谷早苗の言葉は上白沢の旦那にもある程度以上は向いていたと、ぶつけられた以上は気づかざるを得なかった。
「どういう意味だ?」
手の者を○○が遠ざけている事を、上白沢の旦那は感謝するほかなかった。東風谷早苗と少しばかり、喧嘩が出来るそんな余裕が生まれているからだ。
目の前にいる、びくびくしているようで媚びた様な顔をした女……あの兄弟の母親のようではあるが…………
ここまで考えて、どうでもよくなった。あの骨折は事故ではなくて故意の物ではあると言うのは、もう疑いようのない事実である。
永遠亭の八意女史が嘘を言う利益は無く、聞き込みを行ったあの菓子屋の夫婦の怒りが嘘や演技とは思えない。
となればこの、目の前の女性の、増してや媚びたような表情には腹立ちが出てくる。上白沢の旦那が東風谷早苗とのちょっとした喧嘩を優先するには、十分な理由と言えよう。
「はぁ」
たとえいくばくかの気になると言った感情が残っていようとも、どこか間延びしたような下に見た様な、この声はそのいくばくを消し去ってしまうには十分であった。
「どういう意味だと聞いている」
純狐はいまだ戸棚の中身をばかすかとぶちまけていき、○○は相変わらず微笑をもってして一応の母親をさげすんでおり、純狐の手を握り続けてなんとか落ち着けようとしているクラウンピースは、上白沢の旦那と東風谷早苗の間に険悪な空気が走っているのを見て、驚愕したが関係ないとしてそっぽを向いていた。
一番この状況、特にクラウンピースのいたたまれなさに気づいてくれそうなのは東風谷早苗であったが……。
「だから、○○さんが可哀そうだなと言っているんですよ」
彼女は、それでもなお○○の事を思いやる方を優先するであろう。クラウンピースは人知れず、腹を決めた。
「可哀そう?抽象的でよく分からんな」
怒鳴りあいや暴言が飛び交っているわけではないけれども、冷静な怒気ゆえに怖い場合と言うのは多いであろう。
「貴方は多分どころか間違いなく、人里で二番目に幸せなはずなのに。○○さんの為になっているとは思えない。あなたがもう少し活動的だったらなと、思っただけで……稗田阿求のこだわりと言うか地雷が多すぎるし強すぎるのに、○○さんは常に神経を張り詰めているのに」
東風谷早苗からは悲しさと怒りが湧いてきたが、その向かう先は上白沢の旦那ではなかった、それどころか彼を素通りしているような気配があったが……
問題はどこに向かっているかであろう。そしてそのどこにと言う部分、気づけない程上白沢の旦那は頭が悪くない。
と言うよりは、頭が決して悪くないゆえに、活動的になる事の恐ろしさを理解してしまったともいえる。
上白沢の旦那の脳裏には、稗田阿求の顔が浮かんだ。それを、東風谷早苗は。
……触れるべきではない。瞬時にそう理解した上白沢の旦那は、視線を東風谷早苗から外した、つまり逃げたのである・
「そういう所、私が言いたいのは。どいつもこいつも、あいつを」
「それ以上は言うな、腹の底に収めておくんだ」
ただ稗田阿求の名前を言いかけた時だけは、上白沢の旦那は声をかけるしかなかった。
戦争など、ごめんである。
「まぁ、今はまだその時ではない、ですかね。
神奈子様に迷惑をかけたくもありませんし」
ただ東風谷早苗の腹は、もはや決まりつつあったのだけは確かであった。
○○は目の前の犯人への怒りで、東風谷早苗の声を聞いてはいないけれども。怖くて、報告する気にはなれなかった。
また、これを○○が知る事によって○○が苛む様な気もしたからだ。
感想
最終更新:2021年06月06日 15:56