純狐がこの遊郭街において、何かをやらかしたのは主人の友人だから以上に認めているし気に入っているし、大事に思っているクラウンピースにとっては怒りや焦りを募らせるには十分な出来事である。
確かにこの遊郭街は人里の最高権力者である稗田阿求や最高戦力の上白沢慧音の、それらの完全なる統制下にあるとはいえ、それでも一般的な人里からすれば遊郭を構成する存在とはおおよそ堅気とは言えない連中しかいない。
それらが集まり、管理している場所での騒動乱暴狼藉が何を意味するのか純狐は分かっているのか……。
そうクラウンピースは思ったが、純狐にはそんな微妙だったりあるいは騒動を恐れるような心配りや感情は必要ないのだと、すぐに彼女は自嘲交じりの気持ちで頭を振るしかなかった。
あの月をもして、徹底抗戦を諦めさせて遷都を選ばせる存在である純狐が、たかが人間の作った組織相手に何を恐れる必要がある。
博麗の巫女でも出てくれば、純狐も少しはやり過ぎたなぐらいには考えてくれるかもしれないが、今回の場合は場所がそこまでの事態を未然に防いでしまった。
人里の二大巨頭である稗田阿求も上白沢慧音も、遊郭街の事は大層嫌っている。いわゆる一線の向こう側が、旦那に変心や乱心を起こさせる可能性を持った組織何ぞ、それ以外が大多数でもない限りは今すぐにでも潰したいと思っている、それぐらいに人里の二大巨頭は過激なのだ。
結局は人里と言う組織の安定と、厄介な連中は一か所にまとまってほしいという多分後から出てきた実利的な面で、阿求も慧音も遊郭の存在をギリギリのところでお目こぼしを与えている。
となれば純狐が少々暴れたところで、あの二人は純狐の味方に付くどころかそもそも騒動があった事を、そんなものは存在しないという態度を平然と取るだろう。
また筋ものが集まり、管理している場所でしかない遊郭街を果たして博麗の巫女が一般的な人里と同じように扱ってくれるかもやや疑問であった。
結局自分がやるしかない、クラウンピースは大きなため息をつきながら走る速度をグンと上げるしかなかった。



何が起こった。
どこの遊女だ?
そもそもあれは遊女なのか?もっと別の……

クラウンピースが懸命に走って騒動の中心地、純狐のいる場所に向かおうとしている折に、明らかに筋もの遊郭の構成員達の慌てるような鼻息の荒い様な声が聞こえたけれども、クラウンピースの着ている珍妙な道化師の姿を見るに至っては、純狐の事をどこの遊女だといぶかしんでいた連中ですら、どんなに鈍感な物であろうとも首を振ったり目を閉じたりして、騒ぎを起こしている存在が純狐だとは知らない者でも今この騒ぎの中心にいるこの女が、いわゆる一線の向こう側だと言う事にはもう既に、嫌と言う程気づいていた。
それにクラウンピースの後ろからは東風谷早苗が面白そうな顔を浮かべながら、追いかけてきた。
遊郭の構成員となるためには、近場の有力者権力者、あるいは強者といった存在の事は知っておかねばならないし。
何よりもそれら特筆すべき人物と言うのは、基本的に一線の向こう側か、そうなる可能性を強く持っている予備軍でしかないというのが、これは遊郭街に限らず人里全体における大方の見方であった。


そして……純狐に追い付き、純狐がある男の腕をひねり上げている光景をクラウンピースが見た時、これは穏やかに収めることが出来るのかと言う疑問がクラウンピースに出てきた。
純狐が腕をひねり上げている男は、今純狐が執着している兄弟の、その上で兄の方に至っては今朝がたこの男から腕の骨を折られているだけでなく……
この男はとんでもないことにあの兄弟の実の父親なのだ。
子供を亡くした純狐にとっては、実子を苛む親と言うのは、そして純狐の子供はよりにもよって旦那によってその命を取られた。そして今回、父親が子供の腕を事故などでは無くてへし折るという事件に巡り合ってしまった。
純狐にとっては自らの痛ましい記憶とダブり、暴走するには十分な案件の原因が目の前にいる。
どうにもならないかもしれない、クラウンピースはそう考えてしまったがそれでも主であるヘカーティアの友人様である以上に、純狐として気をかけているクラウンピースにとっては、歩を進めるのみであった。

「友人様、友人様」
クラウンピースが純狐に近づいたとき、ああやっぱりという程度の補強であろうけれども。幻想郷においては明らかに――早苗からすれば外でもだいぶ、という具合であるが――珍奇な服装を身に着けているクラウンピースが純狐に、騒動の原因に対してとても友好的に話しかけているのを見れば、今いる場所から何歩か後ろに下がって傍観を決め込むには十分な光景である。
それに何人かの筋もの、遊郭の関係者はそれこそ遊女ですら、今この光景に対して純狐がある男の腕をひねり上げている光景を見て、ほくそ笑む様な姿をクラウンピースは確認できた。

……どうやらこの、純狐が痛めつけているこの男。あまり遊郭関係者から良い風には思われていなかったようである、だから純狐がこの男を痛めつけていても、何だ何だと言って周りに集う事こそするけれども、それ以上の事をやらなかったのだなとクラウンピースは苛立ちを覚えながらも理解できた。
しかし、クラウンピースは歯をきしませながらも後ろにいる東風谷早苗が何をしてこない事を確認しつつも「ここは任せてよ、頼むから」そう言って抑えつつも純狐の方に歩を進めた。

「友人様」
先ほどと同じようにクラウンピースは穏やかな声色を純狐に対して用いているけれども、行動に関してはもう少し積極的なものとなり、純狐の背中を触って自身の存在を出来る限り純狐に対して示した。
「ああ、ピースちゃん」
純狐はクラウンピースの事に気づいて、優し気な言葉もかけてくれたけれども、男をひねり上げる手は相変わらずで強いままであった。

「こいつ、私にいやらしい目を使ってきた」
そして純狐は、クラウンピースに自分が怒り狂っている理由を説明したけれども、クラウンピースはため息だとかそう言う批判的な動きはおろか雰囲気すら出さなかったけれども、内心では呆れの感情が色濃く出てきた。
「友人様、ここは遊郭ですよ?ぶっちゃけた話をしますね友人様。友人様はぶっちゃけた話めちゃくちゃ美人です、太夫(最高位の遊女)でも通るぐらいの見た目を持ってます、そんなのがキレイな服を着て遊郭を歩き回ってりゃ、そりゃ好奇の目の一つや二つ飛んできます。だから明らかにおかしい様子を作る為に、私が近くにいる事に決めたんです」
クラウンピースは出来る限りに穏やかな口調を使っていたが、事実を指摘するとなるとどうしても、表現が強くなってひとりでにフラフラと歩きまわっている純狐の事を非難するような、そんな言葉しか述べることが出来なかった。
この程度でクラウンピースに対して怒り狂う様な、そんな小さな器を持っていない事ぐらいは信じているしそもそもの付き合いも、結構と言えるぐらいにはあるとクラウンピースは信じているけれどもいつもの様子とは完全に違った、下手と言うよりはへりくだったような態度をクラウンピースは作らざるをえなかった。
「こんな場所でこんな奴が原因で心を砕かなくて良いのよ、ピースちゃん。いやそもそもいやらしい目を使ったのはまだ我慢できるの、あの兄弟の実子の腕を折ってるのにこんなところでお酒を飲んだり女を買ってるのが許せないのよ」
事実、純狐は必死で言葉を選び口調を整えているクラウンピースに対して、相変わらず男の腕をひねり上げ続けている方とは違う方の手で、クラウンピースの頭を優しく撫でてくれた。
もう片方の、男の腕をひねり上げている方と比べてしまうと、落差によってクラウンピースは盛大なため息が持ち上がってくる思いであった。
しかしそのため息は寸での所で何とか止めた、仮にため息をついたとしても純狐がクラウンピースに対して苛立ちだとかを向ける事は無いと、それぐらいの事は彼女も信じているけれどもそれ以外となると分からないし、そもそもの部分で純狐を刺激する事に利益をまるで見いだせない。

チラリと、クラウンピースは早苗の事を見やった。
予想の範囲内なのであろうけれども、早苗は純狐が荒々しくなっている様子を見て意味ありげな笑顔を浮かべながら、しかしながら野次馬以上の動きを早苗は見せていなかった。
思う所はある、我慢ならないとなる感覚も無いわけでは無い。
だが、クラウンピースは外野であろう早苗からは目線を外す事にした。外野は外野だ、それに早苗も手出ししないという約束はしてくれているし、面白がっている風こそあるが確かに手を出さないでいてはくれるようだ。
……それに東風谷早苗が外野だと言う事は、残念ながら純狐を含めた自分たちは渦中の存在だ、クランピースは心中で毒づいた、渦中である以上は、これは焦らなければならないからだ。
「……友人様、人が集まってきましたよ?『コレ』に関して思う所があるのは、まぁ理解しますし私もぶっちゃけあの兄弟の父親が『こんなん』だとはなとも思います。何もしないわけにはいかないという友人様の気持ちも、考えも、最大限尊重します。でも今ではない、ぐらいは理解していただかないと。今この場では、不味いかと」
とにかくクラウンピースは、純狐と一緒に一旦この場を立ち去り体勢を整えたかった。今の状況はいくらなんでも、観客の数が多すぎる。
純狐が腕をひねり上げているこの男、残念ながらあの兄弟の父親であるこんな男の事は、クラウンピースも好きになれるはずがないし、どうなろうとも構わないと思っているけれどもその余波で純狐がどうにか、厄介だったり不味い状況に陥るのは決してクラウンピースとしても純粋な思いとして望んでなどはいない。

けれども純狐は変な所でまだ、頭が回っていた。
「私が暴れている事が遊郭街にとって、本当に不味いのであるならば……負けることは無いから全然かまわないけれども、とっくに私たちはもっと厳しい視線や空気の中にいるわ、それが無いと言う事はこの男、はっきり言ってよくは思われていない事の証拠よ。行き当たりばったりに確かめたことは、まぁ、ピースちゃんには謝るけれども」
……クラウンピースは全くもって、主人の友人である以上に敬愛しているはずの純狐に対して、実に珍しい事だが腹立たしさを覚えざるを得なかった。
「友人様、あんまり遊ばないで。『コレ』に関しては、そりゃ私もロクな印象は持ってません、何かひどい目に合うべきですけれども……場所を考えて」
穏やかに、そして言葉は選んでもいるけれどもクラウンピースの態度はかたくなであった。
今は止めろ、純狐がクラウンピースに何を言おうとも彼女の根底にあるこの意見は、変わる事は無さそうであった、たとえこの男が遊郭の関係者からあまりよく思われていなくて、それこそ純狐に腕を捻られている今この場面においても、ざまぁみろとまで思われていようともだ。
クラウンピースは奇抜な服装を着ているけれどもだからこそ、良い目立ち方と悪い目立ち方ぐらいは心得ている。

「……ここじゃ嫌?ピースちゃん」
純狐はクラウンピースが嫌がっているのは理解しつつも、せっかくここで捕まえたことに対する惜しいという考えは中々捨てることが出来なかった。
「別にいつでも何とかなるはずでしょう?行動範囲はほとんど分かってますし、待つのも苦手じゃないでしょう友人様、私も付き合いますから。とにかく友人様、周り見て」
クラウンピースと目を合わせて話をすることが出来ている純狐は、彼女からの忠告通りに周りを見渡し始めた。
何人かは純狐と目を合わせてしまった事に、不味い物を純狐の眼かあるいは純狐そのものから感じ取ったのだろう、何人かが逃げ出したけれども。
逃げたのは大体が男で、遊女の方が胆力は合った。と言うよりは嫌な奴と一番、それこそ肌を合わせてしまう可能性があるのは遊女たちに他ならない。
そう、まさしく当事者である遊女達にとってはこの光景も、身に詰まる物がある為に一部始終を見たいという欲求が純狐への畏怖よりも勝っていたし、それに純狐は同じ女であるから危険だともあまり思わないのかもしれなかった。
どちらにせよ純狐の目的はこの、腕をひねり上げている男ただ一人なので誰に見られようとも構わないと言えば構わないのだけれども、好奇の視線や逃げていく野郎に嫌なものを感じるぐらいは、まだ純狐にも出来た

「そうねぇ……いやらしい目つきが多いわねぇ」
まだ迷っている風ではあったが、純狐はクラウンピースの様子を気にしてくれていた。
「ちょっとね、嫌ですねこれは。あの兄弟をこんな客の見世物にはしたくもありません」
「ああ……」
件の兄弟の事を、クラウンピースはいやらしい方法かなと思わせつつも純狐にはっきりと思い出させることにした。
「うん」
クラウンピースはホッとしかけたが。
「あのクソガキどもとお前たちは何の関係があるんだ!おいクソメスガキ!お前あの二人の何なんだよ!?」
この男は痛みになれたのか、それとも純狐がクラウンピースに意識を向けていたおかげで少し力が緩んだのかは分からないが、憎まれ口をぶちまける余裕が生まれていた。
(あ……)
クラウンピースは一瞬の静寂を、あるいは野次馬達のこれは何か起こるぞと言う好奇の空気に対して、嘆く様なしくじってしまったという様な感情を抱いた。
何よりもあの兄弟やクラウンピースを罵倒したのが一番まずい、罵倒したのが純狐だけであるならば純狐は耐えたかも……いや、それならそれで今度はクラウンピースが我慢できなかったかもしれない。
汚い言葉をこの男が辺り構わずにぶちまけた時点で、命運だとか結末と言う物は決まってしまったのかもしれなかった。

案の定で、純狐はこの男の事を精いっぱいの力でひねり上げ始めた。
とうぜん男は叫ぶ、だが純狐はその叫び声に機嫌を更に悪くしてのど輪を掴むようにしてこの男が息を吸えないつまり叫べないようにしてしまった。
「友人様、ここで命までは取らないでくださいよ」
最期の一線を踏み越えるなとだけは、クラウンピースも純狐と無理にでも目を合わせて忠告した。純狐はコクリと、クラウンピースに微笑みかけながらうなずいてくれた。
ひとまずクラウンピースは自分の存在と言葉を伝えただけで、それで済ませる事にした。

「お前はお日様の高いうちから酔っぱらいながら何をやっているのかしら?家業は実子の腕を折る事だから、今日の分はもう済んだとでも!?」
のど輪を純狐が押さえているから、この男は何も言えるはずは無いのだけれども、そもそも実施の腕を折る様な輩に申し開きなど何を言ったとしても意味があるのか、あったとしても火に油なのでどうにもならないだろうから無くても構わないかぐらいにしか、クラウンピースは感じなかった。
それよりも実子の腕を折ったという事実が、遊郭内部に知られるのは……遅いか早いかの差でしか無いのだろうけれどもこの場所でそれは、不味かったのではぐらいにはクラウンピースは思った。
事実クラウンピースは、サッと周りを見た時に遊女の内の一人がキセルの吸い口を明らかに噛み潰して震えていたり、他の野次馬も好奇の視線から不快感を覚える表情に大なり小なりの差はあるが変化していた。
別にこの野次馬たちは、調査したりしていないけれども純狐の言葉を頭から信じていた。その時点でこの男の評判は、もう推して知るべしであった。

「お兄ちゃんの折れた腕……右だったかしら?それとも左だったかしら?」
純狐は男の腕を、ひねり上げていないもう片方の腕にも狙いを定めて左右同時に痛めつけるのではなくて、交互に遊びながらと言った様子でひねったり解放したりを繰り返していた。
「友人様」
純狐が遊びだした様子を見てクラウンピースは咄嗟に、真面目で重々しい声を出した。
「もうちょっと」
「良くないです」
クラウンピースは純狐の袖を引っ張るが、愉悦をそう簡単に手放せないのは神霊である純狐にとっても同じであった。



「ああ、くそ……」
クラウンピースは純狐の袖を引っ張りつつ、少なくとも今日は立ち去りましょうこいつの顔はしっかりと確認できたので良いじゃないですか、と言ったような文章を頭の中で作って言おうとしていたが、それは不幸にもかなわなかった。
クラウンピースが毒づきながら見ている先に、人力車が一台止まった。豪奢な装飾が成されている、どう考えても偉い人やお大尽が乗っていると分かるし……この遊郭街においてはそんな抽象的な表現で済まない人物が降りてきた。
「ボスのボスかよ……こんな小さい騒動に出張るなよ」
この遊郭街の事実上の頂点に立つ、遊女を道具として扱う忘八たちのそのお頭が降りてきたからである。
思わずクラウンピースは自分たちのまき起こした騒動を、発端である自分たちを棚に上げて矮小化したくなった。質の悪い客が一人、ボコボコにされた程度では済ませられないのかと言った気分だ。

そしてなお不味いことに。
「ああ……アイツか」
忘八たちのお頭は、ボスのボスが現れたことに野次馬達が、彼に対して我先にと一礼して頭を垂れている光景よりも、純狐がひねり上げている男の方、もっと言えばこの男が純狐にひねり上げられている事に面白そうな顔を浮かべていた。
運が向いているのか、いないのか。全くもってクラウンピースにはわからなかった。





感想

名前:
コメント:




+ タグ編集
  • タグ:
  • クラウンピース
  • キツネつきと道化師とキツネシリーズ
  • 純狐
  • 早苗
最終更新:2022年02月06日 21:43