「似顔絵を見た時はまさかと思ったが……やはり同一人物か。遊郭としては運が良かったかな」
クランピースからはボスのボスかよと思われた通り、忘八たちのお頭はこんな状況でもまだ余裕と言うのを見つけることが出来てしまえるようで、辺りで我先にと彼に頭を下げる遊郭の構成員を片手で『はいはい』と言うようにいなしながらも、彼は純狐と
クラウンピースに対して近づいてきていた。
純狐にせよクラウンピースにせよ、確かに旦那を持って男を愛しすぎておかしくなっている、いわゆる一線の向こう側とは確かに違うかもしれないがだからと言って基本的な強さだとかにはまるで変わりはない、ただの人間にとっては神経を使って相手をしなければならない存在なのだけれども、忘八たちのお頭からはそう言う雰囲気はまるでなかった。
……もちろんクラウンピースは
さとり妖怪などでは無いので、この男の腹の底までは分からない、もしかしたら余裕そうなのは見た目だけで物凄く怯えているのかもしれないが……彼女だって幻想郷へのいわゆる武者修行のお陰で少しは目端と言う物を効かせることを、クラウンピースも出来るようになっていた。
クラウンピースが辺りを見渡すと、忘八たちのお頭に恭しく頭を下げている連中が明らかにホッとしたような雰囲気を出した者が、それが何名もいた。
この男が、その内容に状況は極めて特殊とはいえ商いをやっているくせに商い拡大に対して、消極的であるどころかその気配を出した者を見つけ次第に叩き潰すほどの事をやっているが。
それでもこの男がボスのボスを続けられる理由が、クラウンピースにはホッとした野次馬や取り巻きを見てよく分かった。
打算はこの男にだってあるかもしれないけれども、こういう場面で真っ先に前に出れるこの男は、そりゃボスのボスになれるし座り続けられると。
遊郭街を維持するために最も神経を使う仕事であるはずの、稗田阿求や上白沢慧音との折衝や交渉もこの男は行っている。
偉くなれる権利と言うのがこの男に存在しているし、遊郭街の大半がそれを認めているし望んですらいる事をクラウンピースは如実に感じ取った。
「どうも……直にお話しするのは初めてではございますが……」
「ボスのボスが出てくるとは思わなかったよ。この一件、そこまで大ごとになるとはね……」
クラウンピースはそう言いながらも、稗田○○がそして稗田阿求ですら意地と本気と言う物を出してしまえば、大きくならざるを得ないかとも考えた。
「ボス?ああ、頭と言う意味ですね、ええまぁいわゆる頂点に座らせてもらっていますね私は、お陰様で」
「殊勝ぶらなくて良いよ、頂点取るために色々考えてることぐらいは分かるから……今回も厄介中の厄介である私と純狐と言う存在に、落ち着けるために前に出たことで点数稼げてよかったじゃないの」
柔和そうな笑顔を携えながら、穏やかそうな声を出しつつもこちらの事を計ってきているこの忘八たちのお頭の事が、その胆力やボスのボスになれる才覚に関しては素直に称賛する事はクラウンピースも出来るけれども。
点数稼ぎに利用されている部分に関しては、嫌みの一つも言いたくはなった。
「これは手厳しい、まぁ否定はしませんが」
けれどもボスのボスである忘八たちのお頭は、この嫌味にも対して堪えたような様子は一切なかった、むしろ実に楽しそうであった、本当にちょっとした会話を楽しんでいるような具合だ。
クラウンピースはこれを彼流の挑発とみるべきなのか、それともこんな形でしか楽しみを見出せない彼の立場故の業と思ってやるべきか少し迷ったが、クラウンピースからすればこの忘八たちのお頭の立場や事情には、一切何の関係は無かったことを思い出した、これ以上首を突っ込むのは良いも利益も無い。
「で、何の用?何も考えずに前に出るわけないじゃないあんたが」
クラウンピースは突然に会話を切り上げて、事務的な調子を作った。
忘八たちのお頭は、やはりこのちょっとした鞘当てと言う程ではないがやや厳しい空気の中にも楽しさのような物を見出していたようで、突然に事務的な調子で相手をしだしたクラウンピースに対して寂しそうな顔を浮かべた。
やはりこの男、少し楽しんでいたようである。
けれどもこれ以上は、付き合う気は無かった。
「ご随意に、とだけお伝えしようと思いまして」
クラウンピースからの頑なな態度を見て、これ以上は付き合ってくれそうにないと判断した忘八たちのお頭は、本題に対して素直に入って行ってくれた。
ただし忘八たちのお頭にとって、本題と言うのは本当に一言か二言で済んでしまうのである、だから少しばかり遊びたいと思ったのかもしれない。
「その男に関しましては、純狐様のお好きになさっていただければ、我々遊郭街としましてもいっそ助かります」
あるいは、純狐が今腕を捻り上げているどころかついに右だか左の腕の骨をぶち折ったこの男、案の定ではあるけれども評判のほどは良くないの一言でしかないようであった。
「ふぅん……もうちょっと抵抗するかなとも思ったけれども。一応客みたいだし」
「客がいるのは大前提ではございますが、他の客への影響を考えたりあるいは最大の売り物である存在である遊女は生物(ナマモノ)でございます。それらを保護する義務が、私には存在するのでございますよ」
そう言いながら忘八たちのお頭は、懐から帳面を一冊取り出してあるページを開いて渡してくれた。
「ああ、それはすぐに返してくださいね。私は少しだけ話したいお方がここにいますので」
そう言いながら彼は、クラウンピースに対してくるりと背を向けて東風谷早苗の方向に歩いて行った。
早苗はあからさまに嫌そうな、腹立ちのような顔も浮かべていた。東風谷早苗の主とも言える洩矢諏訪子はここ最近において急速に、遊郭内部での存在感を増しているし、忘八たちのお頭のケツを持つような形で稗田家とも交流がある。
早苗もその事は理解しているはずだが、どうやらあまり良くは思ってい無いようだけれどもその事はクラウンピースには関係がなかった。
それよりも忘八たちのお頭が渡してくれた帳面のメモ書きの方が、よっぽどクラウンピースにとっては意味も興味もあった。
……あの男に対する苦情ばかりであった。そう言うのだけをまとめてる項目なのかもしれないけれども、だとしても帳面を黒く染め上げてしまえる時点で、この男はやはりそう言うロクでもない輩であると言うのを結論付けるには十分であった。
「なるほど」
呆れを内包しながら、クラウンピースは相変わらず男を捻り上げ続ける純狐を眺めつつも、納得と理解を急速にクラウンピースは深めた。
忘八たちのお頭が、ご随意にと言ってそれこそ客を売るような真似をするはずだと。
そもそも彼の場合は、純狐やそれこそ稗田家や上白沢慧音に突き出したとしても、売ったとは認識されないそれぐらいに厄介な乱暴者なのだこいつは。
「少しはやりやすくなったのかな」
クラウンピースはぼそりと、そうつぶやいた。余り真っ当なやり方に方法とは思えないけれども、少なくとも、協力者もいれば邪魔をしてくる者もほとんどいないのは確かであるから。
悪くないどころかむしろ良いぐらいであるのだ、思う所はあるけれどもあの兄弟の事を優先するのならば、お行儀よくする意味や必要も実はさほど無いのかもしれなかった。
まぁ良いか、そう思いながらクラウンピースは純狐の側に戻った。
「やぁ、東風谷さん」
クラウンピースが純狐の下に戻った、つまりは自分たちに対する興味はない事を確認した忘八たちのお頭は、わざとらしい笑顔で東風谷早苗に挨拶をしつつ横に立った。
「はぁ……」
早苗はもう、○○以外の男とは仲良くはしたくないと考えているのであったけれども、お頭の出すわざとらしすぎる笑顔には、仲良くしようと言う気配を感じなかったので思ったよりも嫌悪感を抱かずには住んでいた。
「ほんと不思議な人」
むしろ違う事を早苗は感じていた。
「遊郭の一番の中央、あるいは頂点にいるしかも男なのに、貴方って権力志向こそはありますが気持ち悪くないんですよね、遊郭の男なのに」
「あははは」
忘八たちのお頭は、まるで友好的とはいいがたい早苗の言葉に対して笑っていただけであった。
しかしこの男が何も考えていないはずはなかった。
(一線の向こう側か……誰が言い出した表現かは知らんが、実に的確な表現だ)
早苗の事を見ながら、色々と俯瞰(ふかん)して物を考えていた。
(洩矢様との仲以前にこの女は危険だな……摩多羅様も私がこの女に近づくことは嫌がるはずだ、遊郭などと言う苦界を後戸の世界へと救い出すための障害になりかねん、東風谷早苗と仲を深めるのは。最も私の事は東風谷早苗は良く思っていないから、近づかずに済ませる事はそんなに難しくないか、事務的関係だけで済ませられる)
ジッと、忘八たちのお頭は東風谷早苗を見ながら色々な事を考えていた。
「気持ち悪くは無いけれども」
見定められているような視線は、無論の事で早苗は強く感じ取らざるをえなかった。
けれども早苗ですら不思議だったが、気持ち悪さやいやらしさは感じ取れなかった。
「敵意だとかそこまでは行かなくても私に対する、厄介そうな奴めと言う感情は見えましたね」
しかしながら真っ当な、友好的な印象を持つはずも無かった。
どうせ仲良くするつもりなど、○○さんの事が無くてもする気は無かったからこの際では近づいてこないようにとはっきり伝える事にしたけれども。
「ええ、それで構いませんよ。そもそも洩矢様のご息女とも言える関係であられる貴女は、厄介と言う言葉が実に的確な表現になってしまいますので……だからと言って無視するわけにもいかない」
「ふん」
早苗はつらつらと述べつつも、腹の底を徹底的に隠している忘八たちのお頭に対する敵対的感情は存在していたし、隠す必要も無いと感じていたので鼻で荒く息をして返事の代わりにした。
無論、その程度で忘八たちのお頭が傷つくはずはないと言う妙な信頼や安心感があった。
その妙な信頼に安心の派生だろう、早苗が言葉をつい口に出したのは。
「普通遊郭の人間って、もっといやらしい奴だと思ってたんですけれどもね。貴方の場合は腹の底はほんと分かりませんけれども、腹の底で思ってることを実行あるいは守ろうとする何かはあるんですよね」
褒めているような気配は無いけれども、妙な信頼や安心から来るやっぱり妙な評価と言う物は存在していた。
「ははは」
少なくとも敵意がそこまではない事をきちんと感じ取っている忘八たちのお頭は、お義理などではなくて中々どうして、嬉しそうに笑ってくれていいた。
「食えない奴」
早苗はただ一言、そう言うのみであった。
「それが取り得ですから。往々に悪い意味の言葉でありますが、それでも、いやらしく思われるよりはマシにございます。遊郭などと言う稼業は、遊女と言う生物(なまもの)を扱いますから反物や呉服屋などと違って、商品である遊女たちは飯も食えば病を患う事もございます、だからと言って放っておくわけには行きません。中には放っておく者もいますが、私は違います!私にだって信心がございますが、世の中は忘八忘八と、人が守るべき八つの道徳全てを忘れた者と蔑みます。まことに、遊郭とは苦界にございますよ。しかし客には苦界だとはっきりと思わせずにいなければなりませぬ」
早苗から悪くは思われている物のそれは決定的ではなく、妙な信頼に安心や評価の存在に気を良くしたのか、忘八たちのお頭はつい話し過ぎたのを急に自覚した。
ハッとなった彼は、口を真一文字に結んでコクコクとうなずいて気持ちを落ち着けていた。
「洩矢様が貴女の事を気にしていましたよ」
だから明白な事実だけを伝えた。
「はん!」
早苗は苛立ちにまみれた言葉を出しながら、その場を後にした。
早苗の進行方向にいる野次馬は、慌てながら道を譲った。
忘八たちのお頭はそれを、早苗が完全にどこかに行ってしまったのを確認した後で視線を純狐とクラウンピースの方に戻した。
野次馬たちは、この騒動よりも忘八たちのお頭がやって来たことに対する空気の変容や重くなったことに耐えきれずに、もうほとんどがいなくなっていた。
そのため、純狐があの男の事を足で蹴ったりしてボコボコにしているのがよく分かった。
ご随意に、とクラウンピースに伝えたお陰で彼女もあまり周りを気にする必要性を感じなくなったようで、純狐に付き合っていた。
忘八たちのお頭は、稗田家で作られた似顔絵の後ろに書かれた細かい情報を見直した。
それはまだ○○が動き始めたから量としては大したことは無いけれども、実子の腕を事故などでは無くて故意に折った、と言う情報だけで十分であった。
歯を軋ませながら、忘八たちのお頭は似顔絵の主を見た。
場合によっては、自分が奴を処断したいとそこまで思っていた。稗田○○はそう言うのになれていないだろうから……恩を売ると言う感情は無かった、ただただ目の前の男が許せないだけなのだ。
それだけ彼は遊女の事を考えていたとも言える。
遊女と言うのはその生業の影響で、子供を成せない場合が酷く多いから。
そしてもっと大きく考えてもいた、遊郭街はまるごと後戸の国へ招かれるのにふさわしいとすらそう思っていた。
感想
最終更新:2022年02月06日 21:50