この事件が、他の事件とは明らかに一線を画してしまった瞬間がどこにあるかと問われたら、上白沢の旦那は間違いなく子供の死体が一つ見つかった瞬間だと答えるだろう。
それはてゐにとっても同様であったようである、遅まきながらもてゐにだって稗田阿求の叫ぶような報告は衝撃的の一言でしか無かった為に、彼女にしては珍しく誰かと目線を合わせたがっていた。
そしてこの場において、衝撃やあるいは怒りを抱きつつもより大きな感情の濁流を抱いているうえに下手をすれば支配されることもいとわない、○○たちの事を考えたがゆえに、上白沢の旦那は少しだけ自分は冷静さを保持すべきだと思いながら、話し相手を探すようにしながら目線をさまよわせていたてゐと、上白沢の旦那は目線を合わせた。
「ああ……」
上白沢の旦那と目線を合わせる事が出来たてゐは、色々な感情が入っている声を出した。
衝撃や危機感、緊迫感はもちろんの事で存在はしているけれども、上白沢の旦那がまだ冷静さを投げ捨てないでいてくれている、その事に対する安堵感が最もてゐの中では大きかった。
「あんたで良かった、冷静で良かったよ」
そうてゐは、思わず口走ったけれども上白沢の旦那はその事に対しての返答は与えなかった。上白沢の旦那だって、慧音の後ろについてそれっぽい顔をしているだけだと言う自嘲はあるが、それでも教師の端くれぐらいには思っていた。
「想像の遥かに外に行ってしまった事は、はなはだ残念だ……だからこそもう、手を引くと言う部分は無くなってしまった。それはそちらも理解してもらわないと困る」
上白沢の旦那は、自分は慧音のおまけだからと思っている彼にしては珍しく永遠亭の構成員であるてゐに対して、てゐだけでは無くて永遠亭と言う組織に対して、手を引くなと口調は穏やかだけれども迫っていた。
「……分かってるよ」
てゐの返事は重々しかった、さすがに子供の死と言うのはどれほどの年長者であろうとも堪えるものがあると言う事だ。
「ましてや今回は、状況を考えれば病気でもなければ事故でもないからな……」
「あいつとうとうやりやがった!!」
事故でも病気でもない、そして下手人は恐らく……そう考えていても口に出すことすらはばかられるような気持でいたら件のお菓子屋の主人が怒声を張り上げながら元来た道を、つまりはあの男の家に戻っていった。
彼が何をやるつもりなのかは、一目見れば誰でも理解できるだろう。口を割らせるのは確かだろうけれども、問題なのはその方法である、およそ平和的だったり交渉によって成されるような雰囲気はあのお菓子屋の主人からは一切感じられなかった。
「ええ……考えなくても分かるわ」
そして不味い事に、純狐も同調したように動き出した。
その際に純狐は、気品があるからなのかそれとも自らの気品を守る事を、やはりいくらかは意識しているからなのか件の彼のようには走り出さずに浮き上がって、先ほどの場所に戻っていったが。
それはそれで、もっと不味い、そんな気が上白沢の旦那にはそう思えてならなかった。
あんな強者に上を取られることの意味ぐらい、武道に覚えのない上白沢の旦那にも広範な被害につながりかねないと言うその懸念と言うか恐怖のような物を感じ取れてしまった。
だが同時に、ほの暗い事も考えてしまったのは事実であった、被害があの虐待をしていたあの男だけで済むのであれば、それはそれで悪くはないんじゃないかと言う感情が出てきたのも、また事実であった。
「じゃ行って来ますね!?私は友人様を少しは止めないと!!」
だがそんなほの暗い感情は、
クラウンピースがわざとらしく出した大声によってハッとして現実に戻されることになった。
ハッとなった意識だからこそ、上白沢の旦那の目に見えた
クラウンピースの目線からは、責めるような物こそないが嘆願するような部分をどうしても感じ取らざるを得なかった。
そしてその嘆願するような
クラウンピースの意識はてゐの方向にも向いていた。味方と言う所までは持っていけなくとも、冷静な存在には近くにいて欲しいと言う意思が垣間見えた。
「ああ……」
しかしながらてゐは、
クラウンピースの状況に同情を寄せつつも、それこそ永遠亭が公式に首を突っ込まない限りはてゐとして自発的にかかわる事は恐らく無さそうであった。
「……まぁ良いよ」
クラウンピースはやや以上に気落ちしていたが、てゐに対してこの件に関わってくれと言うのも好意を強要しているぐらいは、彼女も理解していたので大人しく引き下がり、純狐同様に空へ浮き上がって追いかけて行ったが、純狐のような雄々しさはまるでなかった。
となれば自分が少しは、動いてやるべきかと上白沢の旦那は思った。
少なくともてゐのように、つかず離れずで観察することが許されるような楽な立場だとは、全く思っていない。
寺子屋の生徒が死んだとなれば、それも殺されたと言う事ならば妻である慧音も絶対に関わってくるし、何よりも今は目の前にいる○○が心配であった。
感情の激変に身体を壊しかねない、と言うような部分はもちろんだけれどもそうなる前に、身体の前に今回の場合は辺り一帯をどうにかしかねなかった。
自らの財産が横領されたあの時のような、犯人をかえって哀れむような感情は期待できないし、持っても欲しくは無かった。けれども○○には冷静であってほしかった、そうじゃないと困る様な事態があまりにも多すぎる。
「○○」
こういう時、上白沢の旦那は自分の立場を有難いとは特に思ってしまう。稗田阿求に無理やり指名されて、上白沢慧音の旦那であることの恩恵をありありと感じてしまう。
「何もしないなんてことはあり得ないし、何かするべきだとも思っている、何をやろうとも止める事はまずないが……冷静さだけは持ったままでいてくれ。それさえあれば俺は安心できる」
かなり大きく言ってしまったな、と思わなくも無かった。○○は既に、事故的ではあるしそもそもの発端が向こう側にあるとはいえ、何名かの命を処断する決断を下さざるを得なかった。
そしてその決断を下させたことにより、上白沢の旦那はある事を懸念していた。
○○の中での血を見る事に対する、その心理的障壁を著しく低くしてしまっていないかと言う部分だ。俗な言い方をすれば癖になってしまっていないか、そこを上白沢の旦那は気にしていた。
だけれどもそれを今、口に出すことは出来なかった。出すべきでもないとすら思ってもいた。
それを話題に出す雰囲気ではないと言えばそうなのだけれども、チラリと上白沢の旦那は稗田阿求の方を見た。
阿求は、九代目であることを強く自覚しているがゆえに常に超然とした姿を、意識して作ろうとしてはいるけれども、今回の事件に対して稗田阿求は完全にのめり込んでしまっている。
子供が生来の身体の弱さから出来ないと言うだけでも、それが○○への数少ない負い目となっているから、気を入れやすくなってしまっていると言うのはあるけれども。
そこに自分と同じように子供が出来ない事できっと、色々と、嫌な事も言われたりやられたりしたであろう事も想像に難くない、今は稗田阿求の横で子供の死と言う事実に生気をなくしかけている老婆と言う存在が湧いて出てきた。
稗田阿求はしきりに、この老婆の肩もゆすってやって生気がこれ以上落ち込まないようにと気を配っていた、こんな状況であっても。
それはつまり、稗田阿求にとってこの老婆の存在が大きい事を意味する、自分と同じように子供が成せないと言う事を、稗田阿求はその一点によって完全にこの老婆に肩入れしてしまった。
それは老婆とその夫ぐるみでこの事件が事件となる前から、関わっていたこの一件に関しても首を突っ込めるだけ突っ込むことを意味していたし、状況的に稗田がその夫で名探偵である○○も含めて首を突っ込むことを、称賛や有難いと思いこそすれども、逆はないだろうし白眼視されるようなことだと言うのは明らかであった。
「分かるよな、○○。稗田阿求を見ればわかるはずだ。この状況は一触即発所か、もうケツに火が付いたと言っても構わない。そして稗田阿求をどうにか抑えられるのは、人里ではお前だけだ」
事故でも病気でもない理由での子供の死と言う悲劇的事象が、稗田阿求から確実にタガを外しつつある、それを上白沢の旦那は非常に危惧していたが……残念ながら彼一人ではどうにもできない事は彼自身がよく分かっていた。
稗田○○、彼の協力なしではどうにもならなかった、ゆえに○○だけは何としても確保して、冷静なままでいてもらわなければ上白沢の旦那は匙を投げてしまいそうであった。
「……ああ、でも」
実際、○○はと言うと上白沢の旦那の抱いている危機感に関しては、これまでの仲も存在しているから、穏やかに受け入れてくれたけれども。
「確実な証拠が見つかったらの条件付きだが、見つかり次第俺は奴らをどうにかする」
穏やかに受け入れてくれながら、そして穏やかな表情で○○は上白沢の旦那に断罪者としてふるまうことを宣言してきた。
熱や興奮あるいは嘆きに浮かされていない状況でのこの言葉は、上白沢の旦那にかえって恐怖と言う物を呼び起させてしまったが……それに対して何もできる事は無かったし、言う事も出来なかった。
「阿求」
落ち着いた姿と声で、稗田○○は老婆を落ち着けようとしつつもとうの本人ですらどこか落ち着いていない、自らの愛妻である稗田阿求に声をかけた。
「ひとまず現場が見たい。うちの人たちが保存してくれているだろうけれども、他には誰がいる?」
その落ち着いた○○の姿は、阿求にの心中の奥底から熱を与えて艶と言う物を呼び起こし、老婆にとってはまるで神仏にでも出会ったかのような恍惚な感情を与えた。
上白沢の旦那の目に映る今の状況は、決して何かが変わっているわけではないし、むしろかえって悪くすらなっている印象すら上白沢の旦那は感じてしまった。
○○の見せる、相手を落ち着けるための微笑に無理に出した部分と言うのは一切なかった。つまり○○は冷静なのだ、落ち着いているのだ、確かにそれは上白沢の旦那の求めたとおりだから何も言えなかった。
けれども、落ち着いて冷静に、躊躇なく、今の○○は何かをやれた。
もしかしたら自分は、○○の背中を不用意に押してしまったのではないかとすらまで上白沢の旦那は考え始めてしまった。
タガを外しかねない稗田阿求を止めてくれと頼んだ相手、稗田○○がもうとっくにタガを外していたのならば……最悪としか言えない。
そのまま○○が求めた通り、死体が見つかった現場へと移動していった。現場はとても……とてもうっそうとした場所であった。人里の端っこで、こんな場所で遊ぶ何てことは無謀がカッコいいと思っている悪ガキでも、少し考えられない。
「あの子はこんな所歩かないだろう」
上白沢の旦那は思わずそう呟いた。
「奴らは自分を抜け目ないと思っているのだろうが、自分の子供の性格すらよく分かっていないんだ……証拠隠滅や工作にしたって稚拙に過ぎるな。まぁ夫婦ともに輩だからしかたがないのかもしれんが……だからこそ何であんなのに、あそこまで良さそうな子供が」
○○の目つきが明らかに変わった瞬間を、上白沢の旦那は見逃さなかった。
落ち着けるために、どれぐらい落ち着いてくれるかもわからないがそれでも、上白沢の旦那は○○の背中に手をやって自分の存在を忘れないでくれとだけは、主張した。
「ああ……」
短いが○○は声を出してくれたから、まだ最後の一線は大丈夫だと信じたい。
明らかな異常事態だからか、それとも阿求が最初から気をまわしていたからか、この現場に人数分の人力車がやってきた時には少しばかり辟易とするような感情が湧いて来たのは、上白沢の旦那はもちろんだがてゐも口を開けて少しばかりの驚きを禁じ得なかったが。どちらともがその事は欠片だって言葉で表現しない方が良いとは、分かっていたので黙って用意された人力車に乗った。
てゐだけは、私飛べるんだけれどもなと思っていたがここで反論じみたものを出すのはもちろんだけれども、飛んでしまったらそのまま逃げかねないから連れて行ってもらった方が多分良さそうだとも考えてしまっていた。
現場は○○の思った通り、稗田家の手の物が辺りを、現場保存も兼ねて○○たちの到着を待っていた。
降り立った○○たちにその者たちは恭しく、そして今回は状況が状況であるから緊張感も併せ持ちながら、頭を下げてくれた。
上白沢の旦那にとっては、慣れたような光景だけれどもてゐにとっては知識はあろうとも見るのは、もしかしたら初めてかもしれなかったので、気圧されるような様子を見せた。
「てゐ!こっちに来て!!」
けれども更にてゐの事を、言ってみれば本当の意味で威圧できる存在がてゐの事を呼んだ。
八意永琳である。
てゐは最初こそはやっぱりいるよな、程度の事は考えていただろうけれどもこういう状況ではたとえ上役であろうとも知っている存在が近くにいる事は、精神的に実にホッとする事が出来る。
「まぁ良い」
けれども○○が、上白沢の旦那の横にふっと立ってつぶやいた言葉は怖かった。
てゐは確かに、逃げたのだろう。上白沢の旦那としても確かに、あいつ逃げやがったと言う腹立ちは無いとは言わないが、問題にするにしても小さいと言うのも確かであるけれども。
いや確かに上白沢の旦那と同じような気持ちを、○○だって持っていてくれていると信じているけれども、○○のこのことに対する話題の振り方が恐怖を想起させたのも事実であるのだ。
稗田○○の魂は確実に、稗田阿求と、同化しつつある。上白沢の旦那は不意にだけれども強烈にそう感じざるをえなかった。
幸いな事は、○○はこの件に一分一秒でも長くかかわりたいと思ってくれていたので、一番の友人である上白沢の旦那に対して『君は違うよね?』と言うような圧力をかけなかったことである、もしかしたら彼が○○の後ろを追いかけてくれた時点で○○からすれば、それで十分だったのかもしれない……○○は優しいから。
「やぁ、八意先生」
○○は所作正しく、現場を先に入って調べてくれていた八意永琳に挨拶をしたが。
「他殺ですよね?」
やはり今回の一件に置いて○○は、おかしくなっている。他殺で無ければ困ると言う意思が、明らかに今の○○からは見えていた。
調査して、そこで手に入った材料を証拠をもとに、判断を下す、そのいつものやり方を○○自ら忘れ去っていた、あるいは意識的にそうしてたのかもしれないが。
「……そうね」
八意永琳も今の○○に何か思った事があったのか、少し言葉に間と言う物を持たせたけれども。
「他殺よ」
目線を少し上にやって考え事を、短くだけやってから○○の期待通りの言葉を出した。やはりこちらか関わらない方が良いと思ったのだろう。
「一応言っておくけれども、貴方好みの答えを言ってやったわけじゃないのだからね」
それでも幻想郷一番の医者としての誇りは、八意永琳に言わせたいことを言わせた。
「詳細な報告書は今晩にでも稗田邸に寄こすけれども、死因は間違いなく後頭部を強打したことによるものよ。鼻っ柱にも殴られた跡があるから、後ろに向かって受け身を取る事も出来ずにこけたのね」
「そうですか……ええ信じますよ、もちろん」
どこか○○の返答は宙をさまよった物であった、連中を処断できる最初の足固めが出来たとの気持ちなのだろうか。
「その割には……この周辺が妙に散らかっていませんか?」
「隠蔽工作でしょうね……低級の妖怪の仕業にでも仕立て上げたかったのでしょうけれども、低級ならそもそも、ここには入り込めないのを知らないのはお笑い種ね」
○○がやはり、やや落ち着いていないので上白沢の旦那が辺りを見て思いついたことを言ってみたら、八意永琳はその事実を鼻で笑った。そして皮肉な事に、八意永琳が鼻で笑った事実は、○○に更なる推測に対する補強を与えた。
実際抜け目なく○○は、八意永琳の言葉に呼応して笑っていた。いや、○○なら見たときから気づいてたかもしれないが、八意永琳からの証言による補強は、この幻想郷では特に強力なのは誰にだって分かる。
けれどもそれを嬉しがるのはともかく、やはり今の○○の笑顔は、獰猛であった。依頼や事件を前にした少しばかり不謹慎な楽しみ方とは明らかに、違っていた。
感想
最終更新:2022年02月07日 23:16