上白沢の旦那は、行方不明の弟を捜索中に稗田家の奉公人のうちの誰か一人が走り寄ってくるのを見た時、一瞬だけれども見つかったのかと思って希望にあふれたけれどもすぐにその感じた希望が徒労と言うか幻を見ていただけなのには、その奉公人の絶望と必死さの現れた顔を見ればわかった。
良い便りを持ってきてくれる者の顔ではなかったからだ、残念ながら。
「……何があったの?」
これ以上悪い事があってたまるかと言う気持ちを、何とか抑えながらもうんざりとしたような面持ちは隠せずに、上白沢の旦那は走ってきてくれた奉公人に聞いた。
「旦那様が……気を悪い方向に」
けれども○○が感情の底を抜いて、悪い部分に落ちてしまったと短い言葉ながらも理解させられてしまったときに、上白沢の旦那は何とか踏ん張りこそはしたが立ちくらみのような感覚を覚えてしまった。
「どうしたの?」
だけれども、何だかんだで付いて来た純狐はと言うと――信頼と思う事にしていた――純狐はと言うと奉公人の不味い事になったと言う危機感や、上白沢の旦那の感じためまいとよく似た精神的打撃、そんな状況をみたお菓子屋の老夫婦も目線を右往左往とさせていたが。
「これ以上何の悪い話があると?」
純狐は全くもって超然としていた。
たかが人間の組織が抱える厄介ごとなんぞ、純狐にとっては何もかも些末なのだろう、ただ気にしているのはまだ生きていると信じたい弟の方を見つけたい、本当にただこの一点のみしか純狐から見える感情は無かった。
「まーまーまー、友人様。先方には先方の都合とか理屈とか、色々と、あるはずですから!」
比較的以上に可愛がってもらっていると、その自覚があるからこそでそれを利用している
クラウンピースが唯一、今の純狐に軌道変更を与えられる可能性を持った存在なのかもしれないが、クラウンピースですら純狐の事は自分が可愛がってもらっているがゆえに好感を抱いているけれども。
されどもだ、自らの主であるヘカーティア・ラピスラズリの友人だからと言う部分は確かにあるけれども、やはり、それ以前の問題としてのこのお方は強者だからと言う部分がどうしても、クラウンピースの覚える最も強い懸念や恐怖であるから。彼女はどうしてもどこか戯曲的で道化的なふるまいを続けざるを得なかった。
あるいは純狐が、クラウンピースを気に入っている理由の一つがその道化的な部分なのかもしれなかった、クラウンピースが他意を全開にしながら抱き着いたのにはともすれば嫌悪感を抱くなどで純狐の態度を悪化させる要素となりえるけれども、彼女の表情を見た純狐は困ったような悲しそうな表情を浮かべるのみ、この一連の流れだけでもこの両名の仲の良さと言うのは簡単に推し量れる。
「弟の方を探しましょう!両方助けれられなかったのは……その」
純狐に対して更にダメ押しを図ろうとしたクラウンピースだけrども、ここに来て初めて彼女がつまづきと言うのを見せた。
そのつまづきの中身は、最悪を想像してしまい思わずと言うのが適切と言うかそれ以外には無いとまで言っても構わないだろう。
「私も仲良くしてましたから」
しばらくの無言の後に、結局純狐に対して特に何かを言い切る事も出来ずにたまらず、もっと重要なのは時間が惜しくなった、主人である
ヘカーティアから命じられているはずの純狐を頼むと言う部分も瞬間的ではあるけれども忘れた、そんな動きを今のクラウンピースは見せていた。
「あ、ピースちゃん待って」
けれどもクラウンピースの主人であるヘカーティアの思惑と言うか、算段はまだ望んだ範囲内に収まっていた。
不意にかけだしたクラウンピースを、純狐は追いかけたからだ。
「とはいえ」
だけれども上白沢の旦那は力無くつぶやき始めた。
「どこを探すべきなのか」
連中が何も言わないと言うのが最大の問題とはいえ、今こうやって弟君を捜索している彼らに当て所と言うのは実は全く無かったのであった。
上白沢の旦那は自分にだけ、自問自答する形で呟いたけれどもクラウンピースの見せた変調はこちらの心を打つには十分で、恐らくはこの場で最も厄介な存在である純狐もいなくなったことで嫌な静寂が出来上がってしまい、自問自答に留めるつもりだったはずの上白沢の旦那のつぶやきはびっくりするほど色々な人間に聞こえてしまった。
不味ったと思ったときにはもう遅かった、今のつぶやきが誰かに聞かれてしまった以上はこれの伝播をもう止める手段はなくなった。
そもそも初めから呟いてはならなかったのだ。
「あっ……」
上白沢の旦那は口の中身をからっからにしながら狼狽するのみであった、ここでもまた自分は大したことはないと言う事実を突きつけられた形であった。
少しばかり、奉公人の誰かが上白沢の旦那に対して哀れむかのような表情を作りながら、彼の元に近づいてきてくれた。
お情けの存在にますます上白沢の旦那は嫌な気分と自分の軽さを、否応なく味わう事となった。
「永遠亭から人里への動線は決まっています。こういう場合は常に、基本に立ち返るべきでしょう。人里の者が基本的に使う道を中心に、そこから広げていくしかありませんよ」
「……そうだな」
反論の余地など無い、そもそもの段階で反論する気力がないとも言えるけれども。
「たぶん○○もそうするだろう」
何よりも気力を奪うのは、上白沢の旦那がその心中でするりと、○○もそうしている場面を簡単に想像する事が出来てしまったからだ。
ややフラフラとしながら、上白沢の旦那は奉公人から言われたとおりに、基本に立ち返った動きをするしか無かった。
気力がなくなり、そもそもの精神的部分にも打撃を食らってしまっている今となっては、彼が役に立っているとは言いづらかった。
けれどもそれをあえて指摘するほど、稗田家の奉公人は心の無い存在ではなかった、たとえ屈強な者たちに至ってもである。
ひとまずは永遠亭の側から初めて、もう一度人里までの道を調べる事となった。
人里の方はこの状況が津々浦々、それこそ遊郭にまで知れ渡っているので目と言うか無自覚の内に捜索に参加している人たちが大勢いる、だからもし人里にいるのならばもう見つかっているはずだと言う――どちらの状況に陥っていたとしても――考えで、稗田の奉公人達と上白沢の旦那は人里の外、と言っても比較的安全な永遠亭までの道を重点的に捜索していた。
……無論、誰しもが考えてしまっている事はある、もしも道をそれてしまっていたらと言う可能性だが、もしそうならばもう無理と言う事になってしまう、ただの人間しかも子供にはあまりにも苛烈な場所がひとたび安全とされる道をそれたら、そんな場所ばかりなのだ。
それぐらいはあの子も分かっているはずだから、道はそれていないだろう、ただそれを希望としていたのだけれども。
よりにもよって、と言うべきだろう。前から博麗霊夢がやってきた時、自分たちはまだ彼女から一言も貰ってはいないのだけれども自分たちがどうやら間違っているらしい、それを瞬間的に理解してしまった。
大なり小なりの差はあるかもしれないが、完全に浮かない顔を――彼女は浮けるのに――している表情を見れば、たとえ嫌だとしてもその理解を受け入れなければならなかった。
「外にはいないわよ、多分だけれども」
多分等と言う、実にあやふやな言葉を使っているけれども、博麗霊夢は腹が立つほどに毅然とした態度でこっちは望み薄だから他を当たれと、そう迫っていた。
「多分?」
上白沢の旦那が、毅然とした態度のくせにあやふやな言葉を使っている博麗霊夢に、かみつくとまでは行かないが、腹立ちを抑えきれずに迫った。
「ええ、多分だけれどね。でもいないのは結構確信しているは、ざわざわしているのがあんたたちだけだから、空からずっと見てたけれども、ざわついてるのがあんたらだけってのは、これはたぶんと言う言葉を使わずにはっきりと言えるわ」
「空から?」
上白沢の旦那が何か引っかかりを覚えて、もう一度博麗霊夢に質問をした。
ここで博麗霊夢が『じゃあ』等と言って飛んで行ってしまえば、上白沢の旦那に追いかける術はないし、まさか博麗神社まで追いかけるほどの執着は無かったのだけれども。
「ええ、見てたわ」
さも当然のふるまいのように、博麗霊夢はそう言ってのけた。
上白沢の旦那はカッとなる心中に必死に抗いつつも、その目は見開かれてしまってはっきりと言って尋常ではない雰囲気の男が一人、誕生してしまった。
「良いから貴方は、上白沢慧音に可愛がられてなさい、間違いなく良い女よあれは。稗田○○も自分の立場を理解して、稗田阿求に可愛がられ続けているのだから」
そして博麗霊夢は……彼女が強者を通り越したともすれば幻想郷の安定が服を着て歩いているような存在だからだろうか、口を慎むと言う発想が欠如すらしていたのかもしれない。
上白沢の旦那に対してあんたでは無くて貴方と呼んだのは、珍しいと見る向きもあるけれども、上白沢の旦那はそこに気づきつつもそれは妻である慧音の威光が大いに関係していると、そこに気づけないほど鈍感では……いやこの際においては鈍感だった方が良かったかもしれない、鋭敏すぎて却って物事は動かなかったり悪くなったりする。
ようやく霊夢も、刺激しすぎたかと思ったらしくて「じゃあね」と言って空を飛んでどこかへ、まぁ、博麗神社に帰って行ったのだろうけれども。
それを上白沢の旦那は、卑屈になってきている彼は霊夢がめんどくさいと思ったのではなくて、お目こぼしを与えてくれたとそう考えてしまっていた。
「また慧音のお陰か」
上白沢の旦那はぶつぶつと呟きながら、踵を返すしか無かった。
とはいえ、このまま人里に帰ってどうする?どこを調べればいい?
言ってみれば心配だからついて来てくれている奉公人もそうだが、また大して価値のない事を繰り返していると思っている、上白沢の旦那が最も焦燥感と言う物を抱えていた。
「やぁ、博麗霊夢から聞いたよ。外は望み薄だとかで」
人里に戻ってきた時、出迎えてくれたのは稗田○○であった。
上白沢の旦那との仲の良さを考えれば、それは不思議でも何でもないのだけれども、今回はどうしても固定された片腕が異形を放っていて、明るい感じで応対する○○の姿が矛盾を大きくして異形であることを更に加速させていた。
「ああ……」
○○は上白沢の旦那や奉公人達が息をのむ姿に、やっぱりこうなったか程度の気持ちでしかなかった。
「大丈夫だ、八意女史が来てくれたから」
来てくれたではなく、稗田阿求が呼びつけたの間違いだろうと一瞬、上白沢の旦那は思ったけれどもそこは今回における本筋ではないので上白沢の旦那はすぐに考えを変えた。
「大丈夫なのか?」
すぐに彼は○○の事をおもんばかったが。
「もっと大丈夫じゃない子がいる」
微笑はそのままと言うより、不自然に固まってそんな当然の事を言った。
「……その通りだな」
上白沢の旦那は、さっきから自分は誰かに行く道を示されてばかりのような気がして、そして○○にすら対等ではなくそんな状態でいる事が、ただただ心苦しかった。
「博麗霊夢と会ったよ、正確には向こうから乗り込んできたと言うべきなのだろうけれども」
○○も何か思う所を上白沢の旦那から見たのか、話題を急激に変えてくれた。
「……それで?あの巫女の事だから重要なのだろうけれども厄介な事を伝えてそうだな」
「まぁ……そうだよな、実を言うと真意をまだ測りかねている」
○○ですら分からないのならば、俺にはもっと分からないじゃないかと上白沢の旦那は卑屈な事を考えてしまった。
「ヘカーティア・ラピスラズリの事は知っているか?」
「資料で読んだぐらいだ……いくつかの地獄の神様なんだってな、クラウンピースの主人」
「うん、それが一番表面にある情報だな」
その後○○は急に考え込むような顔を少しばかり作った、いつもの事だと言えばその通りなのだけれども、考え込んでいる内容を教えてくれないのかなとまたしても卑屈な気分に上白沢の旦那は至ってしまった。
短時間の内に二回も、そんな気分を作ってともすれば○○や下手をすれば妻である慧音にも迷惑をかけかねないので、思うだけでなんとか済ませようと上白沢の旦那は努力していた。
「歩き回っているそうだ、ヘカーティア・ラピスラズリが。そう、その事を博麗霊夢から聞いた。と言ってもまだまだ異変と言うには弱いが、面倒そうなのは確かだから情報をくれたと言う事か」
重要あるいは貴重な情報だとは○○も態度で示しているけれども、それだけじゃあなぁと言う気持ちがどうしても○○には出てきていた。
「あるいはクラウンピースを主人であるヘカーティア・ラピスラズリと引き合わせたらどうだ?主従の仲は良いようだし、純狐との友人関係も良好だから、結果的にそうなる程度かもしれんが今の一触即発とも言える状況に、せめてもの歯止めを与える事は……どうだ?」
上白沢の旦那がふと思いついたことを○○に喋ったが、○○は浮かない表情をしていた。なので最後の方は上白沢の旦那も語勢が弱くなってしまった。
けれども上白沢の旦那に対する後ろ向きな表情と言うか、感情は一切作らずに、きっとそこだけは○○の中にある上白沢の旦那との友情を大事したいと言う思いから、強く気を配っていたのだろうとすぐに察する事が出来た。
「備えておいてくれ」
上白沢の旦那の本当に近くに寄った○○は、そう伝えてきた。この言葉は小さくて、本当に上白沢の旦那にしか聞こえていないと確信できるものであった。
「……備えるって?」
ここで上白沢の旦那がしくじるわけにはいかない、特に慎重を期しながら彼は○○に一体何事かと問うてきた。
「博麗霊夢にはっきりとは聞かなかったし、聞いたとしてもお決まりの勘何だけれどもね……それでもやっぱり、この予想にたどり着いてしまった」
辺りを警戒では無くて、○○のため息から察するに言うのすら本当に嫌なのだと分かっただけではない、ここまで来れば○○ほどではない上白沢の旦那だって分かってしまった。
「弟の方も、多分もう死んでいる。だから何も言わないんだよ、どっちともが。金を出しても言おうとしなかった理由も、これで説明がつく。今更あいつらが、子供を捨てた事で悪口を言われても傷つくとは思えんが、死んだとなれば厳罰が課される事ぐらいはいやらしい事に理解しているんだ」
この事実――まだ事実だと確定したわけではないが――はいつ衆目に出てきたとしても、ロクな事にはならないだろう。
「クラウンピースはもう当てにならないかもしれん」
不意に上白沢の旦那は呟いた、彼女はあの兄弟とどうやら結構いい友達だったようだから。
「ヘカーティア・ラピスラズリも頼りになるかどうか。純狐ぐらいは抑えて欲しいが。いや、これは直接『お願い』すれば何とかなるだろうか」
○○はもっと先の事を見据えていたが、それもあんまり捗々しくは無さそうなのが辛い所だった。
ヘカーティア・ラピスラズリだって結局は、主従仲の良さと友人との仲の良さを考えれば、あの兄弟の仕打ちに同じように怒っていると考えた方が自然である。
○○は一気に徒労を覚えた表情を浮かべた、無理もないが。
ただそんな友人の表情を見ていると、今度は何とかして自分が支えるべきだと言う。
真っ当な感情なのに欲のような物が出てきた。
感想
最終更新:2022年02月09日 23:02