もはや一秒ごとに精神力や気力が削れて行っているのは、○○だけでは無くて稗田の奉公人達も同じであった。
「旦那様」
何人かの奉公人を代表して、一番年季が、年齢にせよ奉公人になってからの年月でも両方の意味で一番大きな物が、稗田○○の前に歩み出た。
「ご下知を」
まだまだ恭(うやうや)しく扱ってはくれているけれども、その根っこにおいては、もはや○○に決断を迫っていた。
――先ほどのヘカーティア・ラピスラズリと○○との会話は、隠すような物でもないしそもそもがヘカーティアに隠そうと言う意思が無かったので、全員が聞いていた。
もはや猶予と言う物は、無くなってしまったと見るべきだろうここまで来てしまっては。

「出来る限りの人出を集めて、あの二人の、連中の動向をつぶさに調べ続けろ。実力行使はまだだ…・・・やるとしても俺か上白沢の旦那だろう、先鞭を切るのは」
何もやらないわけにはいかない、そしてあの連中を放っておくべきではないのは無論の事であった。
最後の一線と言うか気になる点として、この奉公人達が暴走をしてしまわないかだけが、○○としては気がかりであった。
それゆえに自分と上白沢の旦那の存在を暗に所か、完全に前に出しておいた……最も○○としても処断の引き金を引かせるのを、友人である上白沢の旦那にやらせる気はなかった、あくまでも自分が背負うべきだとすら考えていた。

だが少なくとも、事実の確認が先ではあるが分かり切った事実の確認さえ終われば、もうやってしまうと言う部分は隠さなかった。
それがあったから良かったのだろう、奉公人は先ほどよりも明らかに期待に満ちた様子で、恭しく礼をしてくれてすぐに何人かが向かってくれた。
こういう場合の事も、最低限残る人員と言うのは初めから決まっているから、動きは非常に速やかに行われてくれた。
唯一の上手くいかない点としては、今回ばかりは奉公人達も前へ前へと出たがっていたから、初めの取り決め通り残った奉公人達は少しばかり残念そうな顔を浮かべていた事か。
だけれども無理はない、この者たちだって子供がいると言う場合も珍しくない所か普通とまで言い切れる、それは残ってくれた中の者たちに関しても同じであった。

とはいえ、○○は覚悟を決めつつあったし上白沢の旦那もどうやら二人ともダメらしいと言う事実をようやく飲み込み始めて沈鬱な様子を浮かべていた。
「何もできなかった」
里へ戻る道すがらに、上白沢の旦那がぼそりと呟いた。
道理であったし、その言葉に異論や批判をさしはさむような事も出来なかった。ただ、上白沢の抱いていた無力感と悔しさと、あるいは暴発しかけている感情、それが感染したのは間違いは無いと○○は気づいた。
「まだ早い」
月並みな言葉だがそう言って、○○は上白沢の旦那を抑える事にした。
「分かってる」
上白沢の旦那はそう言ってくれたけれども、果たしてどこまで理解したり同調したりしてくれているかは、怪しいなとしか○○としても思わざるを得なかった。

そのまま無言のまま重苦しい雰囲気をどうする事も出来ずに、○○たちは歩いていた……ただ○○からすれば東風谷早苗が相変わらず、列からはある程度外れているけれども物の見事に○○の視界の端にチラチラと映るように、巧みに動き回りながらついて来ている事であった。
東風谷早苗も状況を、ヘカーティアとの会話はしっかりと聞こえていたから状況が一気に悪化、ないしは考えたくなかった最悪の場面まで向かってしまった、それにはさすがに気づいていたから、手を振ったりして愛想を振りまくような事こそなかったが……しかし○○に対して自分の存在を主張したいと言う思考回路は、それまでをも我慢することは出来なかったと言う葛藤が○○の目にはよく分かってしまった。

早苗は少しばかり小走りをしたりして、○○との距離を出来るだけ一定に保つ努力をしていた。
その努力を少し強めに発揮するたびに、○○の視界には早苗の事がチラチラと、どうしても映り込んでしまうし、○○が早苗の事を意識したり見た瞬間に、そもそもが彼女は育ちが良いからそのたびに会釈をしてくれるのが……丁寧なのだけれども、やりにくいと言うか厄介と言うか。
「ああ……」
○○の方もほだされている、とは考えたくなかったが早苗が何度か会釈をしてくれているうちに、反応らしきものを早苗に対してあげてしまった。
「あはは」
すると早苗は笑顔を浮かべて反応をさらに返してくれた、状況が状況故にあからさまな明るさは無いけれども――
いや、ここから先は○○が意識していただけであった。
○○のいるところに追いつこうと、空も飛ばずに早足で時には何秒かとはいえ走る事を繰り返している早苗は、まだまだ元気とはいえ明らかに心拍数が上がっており息も早くなっていた。
そのうえ幻想郷の巫女服は腋が丸出しで扇情的な上に……それを着ているのが東風谷早苗であるのが一番の問題であった、美人なのは阿求も同じなのだが早苗は比べてしまえばどう考えても健康で胸も大きくて――
――つまり、妻である稗田阿求の持っていない物を、彼女にとってはそれが無い事を強い劣等感としてしまっている物を、東風谷早苗は全部持っていた。
○○の中にある男性的な部分が、どうしても東風谷早苗の事を意識してしまった、ついでに何故か友人の妻である上白沢慧音の事も脳裏に浮かんでしまった。いや彼女はその旦那である自分の友人に対して、何があったかは知らないけれどもべた惚れしているから、婚姻を結んでいるから大丈夫なのだけれども。
東風谷早苗はどこからどう見ても考えても、独り身であった。それが一番危険なのだ、その上多分彼女も一線の向こう側なのだから。

○○は息を大きく吸い込みながら、気を張った様子を見せながら歩みをさらに早くした。
その様子を見た奉公人達は、○○が今回の事件でまた感情が荒々しい物にぶり返したのかと思って、とはいえ○○は――そもそもが地縁も血縁も無い外来人であるから気を付けているのだけれども――横柄だったり乱暴な旦那様ではないから、今回の事件で感情がおかしくなったと奉公人達も思ってくれて、慌てこそしたがなおも親身になって付き従ってくれた。
何と無しに気付いているのは、一線の向こう側を○○と同じように妻としてしまった上白沢の旦那ぐらいであったけれども……東風谷早苗は上白沢の旦那と目があった時、明らかに彼に対して避難ほどではないけれども呆れたようなため息を漏らしたのが、上白沢の旦那には見えてしまった。
そのまま早苗も走って行ってしまって、ついに上白沢の旦那がこの列の一番後ろに位置してしまった。
「まるで今の自分を象徴しているじゃないか、何もしてない男め」
上白沢の旦那は置いて行かれてしまい、一番遅れて走り出す寸前に、自らを酷く非難する言葉を自然と出してしまった。
何かを成し遂げたいと言えば聞こえはいい、野心と言い換えても決して悪くは思われにくいけれども。
今の彼の心中にある物を例えるのに、最も適切な言葉は欲求不満と言う、はっきりと言って身勝手な気持ちであった。
けれども今の上白沢の旦那はその事に気づいていなかった。

「ああ……」
走るとまでは行かないが、随分速い速度で歩き出した○○であったがその歩みは止められる事となってしまった。
「何の用だと言うのだ、博麗霊夢」
また素敵な巫女が出張ってきたのであった、帰ったのだと思っただけに○○としては意識の外からの攻撃に近かった。
東風谷早苗に対する情欲を確かに感じてしまって、嫁である稗田阿求への申し訳なさを感じている稗田○○は苛立ちから、人里を通り越して幻想郷の要石とまで言えるような存在に雑な対応を取ってしまった。
「まぁ、まぁ、まぁ」
さすがに霊夢に対してこれ以上の雑な対応は、早苗としても肝が冷えるので○○と霊夢の間に割って入った。
「あんた……」
霊夢は少し早苗の様子を見て何事かを言いそうになったけれども。
「まぁ良いわ、めんどくさい。今回のこれと同じね」
異変ほどの何かを感じない以上は、霊夢としては下手に首を突っ込む方が厄介な事になりやすいと瞬時に判断してしまった。
それは幸なのか不幸なのか。

「稗田○○、お前は今すぐ件の夫妻の所に行きなさい。稗田家の奉公人達がクラウンピースに追いついたけれども、いつまで持つか分からないの」
「ああ……」
だけれども今度は○○が、博麗霊夢が○○の前に来た理由を知って一気にやる気をなくした。
はっきり言って、あの夫妻がどうなっても構わないからだ。
「里の構成員どうしの殺し合いなら、私は首を突っ込まないの。でもクラウンピースは違うから、めんどくさい事になりやすいのよ。たとえ○○、お前がやったとしても嫁の稗田阿求と色々とこねくり回してしまっても何も言わないわ」
稗田○○は何も言わなかった、博麗霊夢の感じている懸念にも理解は及ばせていたけれども、だとしてもなぁと言う気分しか出てこないのだ。
とはいえ「真実を知ってからでも遅くは無いか」寸での所で○○の性格が幸いした。
○○は博麗霊夢を置いていく形で走り出した「あ、待って!」それについて行く東風谷早苗の声は……間違いなく乙女であった。

博麗霊夢は目を見開いて驚くでも、かといって不安そうにするでもなく、ただただ表情を変えずに○○を追いかける東風谷早苗や稗田の奉公人を見ていたのだけれども。
「ああ」
すぐに目線に気づいて、その主である上白沢の旦那の方向を見た。
「殺し合い、あると思うか?」
上白沢の旦那は博麗霊夢に質問をした。
「たとえ一方的でも人里内部で収めて」
霊夢は先ほどと比べてほとんど同じことを言うのみであった。
「約束しよう」
上白沢の旦那はなぜか笑いながら博麗霊夢と約束を交わした。ただしその約束は一方的であった、博麗霊夢は何も言わずに飛んで行ってしまったからだ。
(多分、上白沢慧音が世話を焼くわね。まぁ、慧音はあの男にぞっこんだから好きでやってくれるのがせめてもの幸いかしら)
心中にある、この先のちょっとした動きを霊夢は予測すらしていたのだけれども、何も言わずに飛んで帰ってしまった。


「私と一緒の方が早いですよ」
○○はこう見えて随分活動的であるから、その為に思ったよりも健脚ではあったのだけれども。
しかしながら東風谷早苗のような存在から見れば、飛ぶことのできない○○は彼がいくら健脚であろうともそこには限界がある。つまり東風谷早苗にとってはじれったい速度にしかならないのであった。
なので早苗は自然と、そもそも男性の手を握ること自体が早苗にとっては、前向きにそうしたい思えない限りはあり得ない事であったのは言うまでも無かった。
だからむしろ早苗は、○○と手をつなぐ大義名分を得て非常に嬉しそうにしていた。
○○は『あっ!?』とも言う事が出来ずに早苗から手を握られてしまった、それだけ早苗がその行動をとりたかったから前のめりであったと言えたし、何よりも確かに早苗に手を握られていたら非常に素早く移動できた、それこそ浮き上がる様な感覚を味わっていた。
当然だ、早苗からすればそれは空を飛ぶことの力を少しばかり、加減して使っているだけだ、お手の物と言える。
○○が何も言わない、つまり嫌がる事もしなかったから早苗は少しばかり勢いを増してしまって、そのうちにふわりと本当に浮き上がってしまい、屋根から屋根へどころか家屋の上側を浮き上がりながら通って本当の意味での最短距離を通ってしまった。

完全に浮き上がった時、○○が怖がっていないかどうかここに来て初めて早苗が気にした、それだけ興奮していたのだけれども。
けれどもここで○○は、少しでも居心地悪そうにしておくべきだった。
その時の○○は、喜びの感情こそなかったけれども初めての感覚に対して、興味津々と言った様子で早苗の事を見ていた。
「あはっ!」
少なくとも自分への違和感だとかそう言う物は感じていない、それを見て取った早苗は○○に対してとても感情的だけれども、好意を前面に出した表情を浮かべた。
ようやく○○は自分が不味った事を悟り、せめてと思って早苗から目線を完全に逸らしたが……もう遅かった、それはもう完全に遅かった。





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最終更新:2022年02月09日 23:13