白沢慧音が具体的な事は何も話してくれず、また○○の方もあれ以上居座ってしまっては今度はこちら側が授業の邪魔をしている悪者になりかねなかった。
そのため○○は持って来た菓子折りを慧音に突き渡して、そのまま寺子屋を後にしてしまった。
上白沢の旦那が何をやるかは分からないけれども、それでも何か聞き出せれば御の字、めっけもの程度の気持ちもあった。
……無論、あの連中に誰が入れ知恵したかは気になるが、気にはなる物のまだ長髪を受けていると言う事実を自分と――東風谷早苗の二人だけで隠しておきたかった。
上白沢の旦那ならばともかく、秘密の共有をする相手があの東風谷早苗だと言う事にいささか所で済ませはならない不安はあるが……状況的にそうならざるを得なかった。
最悪の場合はこちらがずっと黙っていればいい、東風谷早苗にこちらの考えを証明する手段は無い。
それに彼女がこの情報を表に出す事、それによる利益はどう考えても存在していない、騒動があまりにも大きくなりすぎるし……最悪の場合は八坂神奈子に迷惑がかかると脅してやるのも心苦しいけれども有用な手段であった。
それに認めなければならない部分も存在している……結局の所で、動きようが無いのだ。
相手がどこぞの誰かが全く分からない、多分男だとは思うけれども性別ですらどっちに振れるか分からない全くの謎の人物を相手に、何を考察できると言うのだ。
相手の行動を、相手が再びこちらに興味を持ってくれるのを待つしか無かった。
余りにも材料が少なすぎた、○○は何も手札を持っていないのと同義であった。
少しばかり○○は天を仰いだ。
空は……いっその事腹が立つぐらいに良い天気であった。
ただこんなにも天気の良い日に、イライラしたくないと言う考えも同時に湧いて来てくれた。
「……取り調べに俺が出向く必要はない物の。そうなると手持ち無沙汰だな」
ひとまずは上白沢の旦那に状況をどうこうしても構わないと言う感じに与えてしまった、そのためすぐに帰る必要性は無くなってしまった。
第一、あの連中にもう会いたくないと言う気持ちを優先できることに、○○は幸運だと思ってしまった。
本来ならば連中に入れ知恵をした存在を調べなければならないのだけれども……誰にも気づかれてはならないの部分には、○○は上白沢の旦那も入れてしまっている。
外の知識で外の出身である○○を小ばかにしてきた存在を、土着の存在と一緒に調べるには乖離がどうしても存在してしまう。
だけれども今は、○○は少しばかり何も考えたくなかった。
自分の事を挑発してきた存在が再び動いた時、それは今回よりも直接的に何かをやってくる可能性の方が高い、そうなると○○は気を休める事が出来なくなってしまうだろう。
だから、せめて今だけはと言う気分でいつもの道を歩いていつもの喫茶店へと歩を進めていた。
いつもの道を通っていると、正面から見慣れた人影が……常連として通っている喫茶店の店主が小走りで、明らかに青ざめさせた表情を携えながら○○の方にやってきた。
別に○○の居所が知られているのには、不思議はない、そもそも隠そうとしていないから。
ただ問題は、あの店主が何かを抱えている事であった。
一瞬、○○の脳裏には最悪の可能性をよぎらせてしまっていた。
あの謎の人物は、○○の行きそうな場所全てに種をまいて、○○を挑発しているのではないかと。
「ああ、よかった稗田○○様……今日お越しになられなかったらどうしようかと……」
店主の顔が青ざめていたから、やはり自分を頼りたいと思ってしまうような何かが起こったらしい。
自分に頼ろうとする人間を増やすのは、それは阿求の絵図が見事に機能しているから問題は無いはずなのだけれども……果たして阿求の絵図通りなのか、阿求の絵図すらも利用して○○に挑戦しよとしている輩の余波なのかがこの時点では分からなくて、○○も息を止めてしまっていた。
「遊郭街に関して、旦那様が避けていらっしゃるのは重々承知しております。けれども、物の本でしか見た事のないような、純狐が遊郭街の頂点と一緒に話し合っている様子を、ただの喫茶店の店主には荷が勝ちすぎてどうにもできないのです!どうか、お助けを……」
どうやら多分、謎の人物がまいた種ではなさそうではあったが。
そっちは大丈夫でも、今度は全然違う場所から全く違う種類の難題が降ってわいてきたような形であった。
○○は目元を手で覆って、もみほぐして気を取り直していたが何も良くはならなかった。
ただ思う事は「偶然とは思えんな、遊郭街の頂点である忘八たちのお頭があの純狐と一緒に、俺がいつも使っている喫茶店で連れ立って茶を飲むなど。偶然なんかであって堪るかよ」偶然では片付けたくないと言う思いであった。
「恐らくは……」
それには喫茶店の店主も同意してくれた。
「遊郭街を取り仕切っております忘八たちのお頭は、開口一番に旦那様はよく来るのかとお聞きになられました。明らかに、出会う事を望んで、貴方様が来そうな場所を歩いているのだと、そうとしか思えません」
○○は人前、それも往来のど真ん中であるにも関わらず大きなため息をついた。
「結局のところで、あっちを片付ければ今度は違う方向から何かが来る、そう言う風に世界は出来ているのかもな」
○○はいっそ稗田邸に戻ろうかとも乱暴な事を考えてしまったが。
件の夫妻に対する取り調べを、やや前のめりであったのが不安とはいえせっかく彼に任せてしまった、彼も十分以上に乗り気である、それを反故にはしたくなかった。
「すぐに行くよ」
それにお気に入りの喫茶店が困っているのならば助けたい、そんなもっともな気持ちの方が○○の中では強かった。
だから特に長く考える事も無く、○○はすぐに目の前にいる店主に対して色よい返事を告げた。
まさしく快諾してくれたその様子に、店主は往来のど真ん中であると言うのに深々とお辞儀をしてくれた。かなり目立つ姿なのは言うまでも無かった、やや恥ずかしくなったしこの状況は確かに良くない、○○は後を護衛の奉公人のうちの誰かに任せて、一足早く歩き出してしまった。
「ははは……はぁ」
行きつけの喫茶店の店前は、既に物々しさと心配そうにしている両方の感情が入り混じっていた。
喫茶店があるぐらいだから、周辺には飲食店だとか本屋だとか雑貨屋だとか、それなり以上ににぎわった場所であったしどうせ散歩するなら帰りに何かしたり買ったりしやすいそんな場所を○○も散歩道として利用していた、なのでここは結構にぎわった場所であった。
それに対して○○が出した感情は、非常に乾いた物であった。
自分とその興味以外はどこか何も考えていないような純狐はともかくとして、堅気とは言えない遊郭外の連中を取りまとめる、遊郭宿を経営する忘八のその頂点に立つあの忘八たちのお頭が、自分がしかも純狐と連れ立っていきなりこんな表の世界の大通りを歩けばどうなるかぐらい、考えなくても分かるはずなのだけれども。
「分かっているからこそ、だろうな……俺を無理やり動かした、会いたいんだ。でも理由が分からないな」
あの高名な名探偵である稗田○○がやってきた事で、辺りの人間は一番の助けが来た事で沸き立ったが、それに対してほとんどお決まりの通り一遍の挨拶のような物を手を上げてしておくだけで、○○は忘八たちのお頭が何を考えているのか、ずっとそれを考えていたが。
「まぁ、直接聞くのが一番早いか」
答えが目の前にあるのならば、しかも向こうから来てくれたのであるのならば、ああだこうだと考えるよりも本人から聞いてやるのが一番早い。○○はちょっとばかり鼻で笑いながら、喫茶店に入って行った。
喫茶店の中は、客はおろか店員すら一人もいなかった。当たり前だ、純狐と忘八たちのお頭がいきなり来たのにその緊張感と圧迫感に耐えられなくて、外に出て行って逃げてしまうのも無理はない、責めようとは思わない。
むしろ自分と忘八たちのお頭と純狐、この三名以外に誰かいた方がやりにくいまである。多分、純狐はともかくとして忘八たちのお頭は少しぐらいは内密な話を持ってきているのだから。
喫茶店の扉が開いて、扉の上部に備え付けている鈴の音が瀟洒な音を出してくれた。本来は店主や店員が客の来訪を伝えるための物であるけれども、今回は違った。
鈴の音が店内に鳴った事で、座席から一人の男が立ち上がって出入り口の方向を見やって、入ってきたのが稗田○○であることを確認したら大層な笑顔を浮かべてくれた。
ただ不思議な事に、その笑顔からは忘八どものお頭をやっているような、とても強い権力者の雰囲気よりも、無邪気にしているような笑顔であった事だ。
もしかしたらあんまり大きな意味は無いのかもしれない、と○○は残念そうに思いかけたが、この子とは稗田阿求の耳にも届く。
やっぱり何かあると思うべきだ、これが阿求の耳に届いた場合には間違いなく彼が不利になってしまう。
不利を上回る、何か明確な利益か目的が無ければこんな事をするとは……ちょっと考えにくい。
「まぁ……本人に聞こう」
ニコニコと手を振ってくれる忘八たちのお頭に、思いのほか気圧されてしまいながらも○○は彼の目の前にやってきた。
ただし、仲良くする気はない。
阿求が嫌がるだろうからと言う部分もあるけれども、それを考えなかったとしてもやっぱり遊郭街の頂点と下手に仲良くなろうとは思えなかった。
「目的は?そして何の利益が貴方にあるのですか?忘八どもを束ねる事の出来る貴方は、自分の行動が色々と余波を望むと望まざるにかかわらずに起こしてしま事ぐらいは、理解しているはずだとそう考えたいのですが」
忘八たちのお頭の前に立った○○は、座らずにそのまま仁王立ちのような姿を作りながら、声も出来る限り詰問の形を取るように心がけていた。
「もちろん純狐さん、貴女もいきなり来たのに。何か理由がおありのはずだ」
それと一緒に純狐に対しても、出来るだけ強くどういう思惑があるので?と、問いただした。
「それの事ね」
最初に声を出してくれたのは純狐の方であった。
急に無作法にやってきた割りには、純狐はとても丁寧にコーヒーカップを置いて話を始めてくれた。
なるほど息をのむ美しさだ、そう思いながらも○○は半歩ほどではあるが出来るだけ純狐から下がった。
○○は彼女の事が怖いのではない、人里の中でほとんど怖い物は無い、だけれども○○は彼女に見とれてしまう自分の中にある可能性に恐怖したのだ。
○○が半歩下がったのを、そしてその意味を忘八たちのお頭は分かっているのか笑みを浮かべたが面白そうではなくて、感心するように、評価するように見ていた。
「
ヘカーティアに言われたのよ、ご挨拶は済ませておきなさいって。○○さんにも、一言やっておかないとならないって、上白沢さんだけじゃ半分しか済ませてないって。まぁ確かにそうかもね。でもいきなり門をたたいても会えるかどうかは分からなかったから、遊郭街を仕切っているこの人に会う方法は無いかって、声をかけたのよ。昨日に小さい騒ぎを起こした謝罪もついでになさいってヘカーティアは気にしていたし」
挨拶をすると言うのはとても正しい所作のはずなのだけれども、純狐の中には○○に対する意識が抜け落ちているような気配がどうしても拭えなかった。
○○とも目は合わせているはずなのだが、合わせているだけで注目はしていない、目の前にある障害物程度、しかもそれを見ながら別の事を考えている様子であった。
そう言えば、と思い出した。
昨晩、帰ってきた時は○○は特に精神的に疲れ切っていたので早く眠りたくて、素通りしたけれども。
稗田邸の門前でやいのやいのとやっている声の中に、上白沢の旦那と一緒に純狐の声もあったのを思い出す事が出来た。
「彼と、上白沢の旦那と、俺の友達と何を話したんだ?何も会話が無かったとは思えん」
それに、とも○○は思った。上白沢の旦那の方が色々な人間と話しやすい、たとえ純狐のような絶世の美女としか言いようのない人物とでも。
妻である上白沢慧音が、そもそもで絶世の美女に近い存在なのだから身体で取られたのならば身体で取り返すぐらい、気概もあれば能力まである。夫が少し女性と話すぐらいで、上白沢慧音は苛まれない。
その点を鑑みれば、もしかしたら上白沢の旦那の方が広い世界にいるのかもしれなかった。
「ああ……」
ようやく純狐の意識が、○○の方向に向かったけれどもかなり言葉を選んでいる様子であった。
「ご挨拶するってのはそれもあるの、特にヘカーティアが言うにはいきなりよりも、あの時の挨拶はこれの事だったのかと、稗田○○なら気づけるから今のうちにってね」
純狐はそれだけ言い終えると、面倒くさいと思ったのだろう、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干して立ち上がってしまった。
追いかけて、前に立ちはだかってやろうかと思ったときにはもう消えていた。
比喩では無くて本当に消えていたのだけれども、それぐらいの事が出来てもあんまり驚かない。
○○はため息をつきながらも、友人である上白沢の旦那の事を思い浮かべていたら。
「まぁ、ご友人から聞き出せばよろしいでしょう」
抜群とも言える塩梅で、忘八たちのお頭が○○に友人である上白沢の旦那の事を話題として振ってきた。
実に楽しそうな、愉快そうな声色に……何故かは分からないが妙にイラついてしまった。
さすがに殴りはしなかったが、利き腕に力はこもった。
多分所か間違いなく、こいつが一番訳が分からない。
「忙しいお方でしょうから、先の質問には正直にお答えいたします」
そして○○の知りたい事を自ら喋りだすあたり、やはり間違いなくこいつは、遊郭街の支配者を続けられるだけあり曲者だ、阿求が嫌がる以前の問題で仲良くしたくはない、近づこうとも思わなかった。
「とは言っても恥ずかしながら、わたくしの場合も同じなのですよ○○様、ただご挨拶に伺いたかった……いや、私の方がもう少し能動的だったかもしれませんね」
コーヒーカップの中身をくゆらせながら、純狐と違ってこちらの方が感情が見える態度を忘八たちのお頭は取っていたが、とらえどころが無いのは純狐もこいつも変わりが無かった。
むしろこっちの方が何を考えているか分からなかった、純狐ですら何かを隠そうとしていたけれどもこいつは、隠したいのか見せたいのか判然としなかった。
「挨拶?」
○○はオウム返しを行って、忘八たちのお頭からもう少し聞き出そうと努めたが。
彼はそんな○○の思惑を分かっているのか、相変わらずニコニコとしていた。
「はい、ご挨拶です。思えばわたくしはまだ○○様とちゃんとした形で挨拶も会話も出来ていないなと思いまして。これでも割と気になっておりました」
そう言って彼はコーヒーの中身に口を付けた、いやにもったいぶった動きをしていたがそれがこいつのやり方だと思えば敢えて待ってやることも○○としては苦ではなかった。
ちらりと、忘八たちのお頭は○○の方を見て、どうやら○○はずっと待っているようだなと理解してくれた。けれどもまだまだ、いやさっきからずっと楽しそうであった。
「とは申しましても、私だって何もなしにご挨拶が出来るとは思ってはいません。純狐様が○○様に挨拶できないかとお頼みに来ましたのは十分理由になりますが、もっと強力な物が欲しくて、ですからこれでもお伺いを立てて――
忘八たちのお頭は自分以外の何かの存在を示唆し始めた時、対外的で腹の底を隠した微笑では無くて本物の、ただ宗教的で恍惚とした笑顔を浮かべた。
○○はこの時初めて、この男が怖いと思った。
損得勘定が強く動く遊郭街のその頂点ですら、勘定を無視した動きをこの時この男は行っていたのが○○の目には見えたからだ。
「○○様とお会いするには、私のような忘八などと言う下賤な生業をしている人間にとっては……今日のように『後ろ戸の国』からのご支援や目くばせが無ければ、とてもとても、怖くてできませんよ」
「後ろ戸の国?」
○○はそう問い返しながらも、毎日のいつだって触れる事が出来る稗田家所蔵の歴史書や調査の書類を、記憶の中で片っ端から思い出して見返していた。
確かに何かの書類で見た記憶があるからだ、この男が口走った『後ろ戸の国』と言う単語が。
○○は忘八たちのお頭を前にしながらも、と言うよりはついに口走ってくれたもしくは教えてくれた取っ掛かりを、それをどこで見たのか内容はどのような物だったのかをそれを必死になって思い出していた。
思い出そうとするうちに○○の視線は、狼狽とは全く違う意味で左右に動いて頭の中で資料を必死になって参照し始めていた。
その姿を見た忘八たちのお頭は、とても面白そうにそして嬉しそうにしていた。
「摩多羅様の存在無くしては、私は遊郭などと言う苦界を調整して取りまとめて生きよう、等とはとても思いませんでした」
「ああ~……!!」
けれども忘八たちのお頭が焦れたのか、また取っ掛かりを今度は答えまで教えてくれた。
「摩多羅
隠岐奈!!」
頂点に立っているはずの彼の更に上に立っている、その存在を答えを示されたからとはいえついに○○も思い出せた。
思い出して、その名前をついに言の葉に対してつんざくようにして出した時、忘八たちのお頭はしずしずと頭を下げた。
本来ならばそのように頭を下げられる側である彼が、いやにしずしずとした仕草で頭を下げていた。
それは○○に対しての物なのか、それとも……自分よりさらに上に対しての物なのか。
ただなんにせよその時の彼は間違いなく、宗教的で恍惚としていたのは確かであった。もはや狂信の領域に達している可能性が強かった。
「なぜ今になって?」
忘八たちのお頭は間違いなく、自分の核心とも言える部分をさらけ出しつつあった。
しかしそれを教えるのは今でなければならない理由は?と○○が聞いたら、彼はにべも無く笑っていた。
「別に今だからと言うわけではありません、むしろ私と○○様はとても似通った存在でございますから。ですから出来るだけ早いうちにご挨拶はしたいと思っておりましたものの……私同様、○○様も後ろに控えます存在がとてもお優しいですから中々……それも叶いませんで。丁度いい時を探しあぐねいていたら、今までかかっただけの理由でございます」
「似ている?」
どうにも彼から同族意識を持たれている事に、○○は引っ掛かりを覚えたが、問い返しながらもそれだけではないようなと言う気もしていた。
「はい、似ております」
「土着の人間であるお前とそうは言っても流れ者である俺が、ねぇ」
「お互い、自らの後ろにとてつもなく強力な存在が控えて下さいます」
「阿求の事か?」
○○は突如として、脳裏にピリッとした嫌な物が走ってきた。
「はい、稗田阿求様の事にございます。私には摩多羅隠岐奈様が、○○様には稗田阿求様が。どちらも滅多に表にはお出でになりません、さながら後ろ戸の向こう側から見守ってくださってもらっているような関係ではございませんか。私にせよ貴方様にせよ」
「否定はせん、しようとも思わない、俺と阿求を比べたら間違いなく阿求の方が権勢は上だ。俺が阿求の慈悲によってこういう立場をもらっている事も含めて、否定は全くしないが……」
阿求には負けている事を○○としては認めつつも、だけれどもその声には怒気と言える物が含まれていた。
忘八たちのお頭が『おや?』とは思ったが、その事について口をまわす余裕は与えられなかった。
○○は感じた怒気をそのまま勢いに変換して、忘八たちのお頭の鼻っ柱を一発殴った。
「っ!?」
大げさな声こそ出さなかったが、思わず彼は懐から洒落た刺繍(ししゅう)の入ったハンカチを取り出して、鼻っ柱を抑えた。
こういう細かい所でも、彼が権力者であり金を持っている事をうかがわせるけれどもそれは今に関してはどうでも良い。
「阿求の事を評価してくれているようだから、許そうかとも思ったが。やはり我慢できなかった、阿求は阿求だ。摩多羅隠岐奈も含めて、他の誰とも似ていない、唯一無二だ。俺はそこに惚れている。阿求を他の何かと比べてもらうのは、これっきりにしてもらおうか」
この場に稗田阿求本人がいてくれたら、キャッキャと喜びそうではあったけれども。
それは自明の理であるから論ずるまでも無いにしても、なぜか殴られた側の忘八たちのお頭も目を細めて稗田○○の事を見ていた。
彼も明らかに楽しんだり喜んだりしていた。
感想
最終更新:2022年09月20日 22:28