○○は目の前にいる男から、その底が全く見えなくてややもすれば恐怖のような物を感じざるを得なかった。
幸いな点としては、○○の目の前にいる忘八たちのお頭は決して○○の事を悪い風にはとらえておらず、あるいは味方よりも尊くて貴重な同類だとみなしてくれていた事であった。
そうでもなければ、○○がカッとなって彼の鼻っ柱を殴ったと言うのに、それでもなおニコニコと――もっと言えば恍惚――な顔で○○の方を目を細めながら見るはずは無かった。

視点を変えれば、○○は忘八たちのお頭から凄まれてはいないので、何だコイツはと言う不気味さはありつつも恐怖の感情をそこまで強くは味合わずに済んでいた。
ありていに言ってしまえば、忘八たちのお頭は元々割と優しい性格をしていると言うのもあるけれども、○○に対しては特に優しいと言ってよかった。
「まだもう少し話したい事がある、とはいえ……○○様もお忙しい身のはずです。今は大丈夫でも、何か事が起こればどこへでも馳せ参じる必要がございます……私はそろそろお暇致しましょう。摩多羅様が後ろ戸の向こう側から見て下さるとはいえ、一番の理由である純狐様が○○様にご挨拶したかったからと言う理由付けはもう使えませんし」
そう言いながら、相変わらずキレイな物腰で所作正しく、忘八たちのお頭は席を立った。
意外な事に、彼はそれなりに荷物を持っていた。
「意外にございましょう?」
思ったより大きな荷物を、遊郭街の支配者であるはずの彼が持っている事に○○は目を丸くしていたら、さすがはと言うべきか、忘八たちのお頭は自分が注目されたことにもう気づいた。
「自らで為せることは、出来るだけ自らで為そうとしているだけなのでございますが……どうにも、意図を悪くとらえる方が多くて」
この時の忘八たちのお頭は間違いなく、残念そうな無念そうな、そんな表情をしていた。

○○が忘八たちのお頭に注目しすぎていたので、ガタガタと後ろから音が鳴るまではこの場にまだ誰かがいる事に気付かなかった。
「ああ、彼は私の側近のような物ですよ。事務処理や計算仕事、そして私の代わりにいくつかの遊郭宿に……まぁ、商い拡大の動きが全く潰えたとは思いませんので、警告もたまには与えに行く役を担わせています。私が直接出張ると、それだけでうわさが立ちますから」
言っている事は全て理解できる、それよりもこの片腕らしき……何というか背丈がどうのでは無くて小物そうな男よりも、忘八たちのお頭の方がたくさん荷物を持っているのが、彼は自分で自分の事を成したいとは言っていたが、やはり少し以上に意外な気持ちで○○は思うのであった。
「ああ、ここに来る前に美味しそうなお菓子やらを見つけたので。買い込んでいたら、荷物が増えたのですよ」
忘八たちのお頭は自分の荷物を重そうに持ち上げて肩にかけていたが、その姿は随分と楽しそうでうれしそうであった。
反対に小物そうなこの男は、忘八たちのお頭は側近だと表現していた男の方は、特に何かを持っている訳ではない手持ち無沙汰に近い状態であったからなのか、ずいぶんともじもじといたたまれないような気まずいような雰囲気を出していた。
「……行きますよ」
忘八たちのお頭がその男に促した時、この場において初めて楽し気な感情が全く消え失せて、それでも苛立ちは全く無くて悲しそうな顔と声をしていた。

少しだけ○○は、なるほどと思った。
この男は多分では無くて間違いなく優しいし、横暴と言うわけでも無いのだろうけれども……摩多羅隠岐奈の事が話題になった瞬間、自分が信じている本尊の事になると一気に様子がおかしく恍惚過ぎて冷静さを失っていた、それも明らかに。
かぶれている、その上でそれを指摘されても激昂すらしなさそうだと……そこまで思う事が出来てしまった。
「幸せそうな顔をしているな」
思わず○○は忘八たちのお頭に皮肉をぶつけてしまった、その瞬間に忘八たちのお頭が連れている男がビクンと体を震わせた。
少なくとも、遊郭街で彼に対してどころか人里全体にまで話を広げたとしても、阿求や慧音が遊郭街の事を嫌っていたとしてもたかがひとりの住人が、忘八たちのお頭に対してこんな口はきけない事をはっきりと意味していた。
小物そうな男とはいえ、相手が遊郭街の支配者であるならば小物になってしまうのも道理である、この男が震えてしまうのも無理はない。
自分はまた、阿求の権勢をかさに着てしまった……それを○○が理解するのに大した時間は必要では無かった。

「はい、幸せにございます」
○○が阿求の力を無自覚の内に振り回してしまった事に恥じ入ってしまっていたが、忘八たちのお頭は○○の皮肉にもその直後に○○の心中にやってきた恥じ入っている様子にも、意にも介さずに、自らの幸運を喜んでいた。
「摩多羅様に目をかけてもらっているお陰でございます」
だがそれだけには留まらずに、去り際に際して、自らの進行する対象への感謝の言葉を述べて。
その後に、いまだ阿求から与えられている影響をそして権力を無造作に振り回してしまったと言う事に恥を感じている○○を、無視よりも酷くて気づいていなかった。

この場で一番かわいそうなのは、○○からは小物そうだなと思われてしまったこの男だろう。
男は恐る恐る、忘八たちのお頭に手を触れようとはしたけれども、遊郭街では超然とした扱いが常となっているのだろう、異性である遊女ですら恐らくは触れる事すらはばかられると言うのにましてや男性に触られる、その事で嫌がられたらどうしようかと寸での所で思ったようである地点を境に、男の手をぴたりと動きを止めてしまった。それでも代わりに、立ち往生して困っているような表情は強かった。
忘八たちのお頭に振れる事こそなかったが、極めて近くで微動だにしていなければ気配と言うのはもはやうるさいぐらいであった。
「ああ……」
忘八たちのお頭も恍惚さから現実に戻ってきてくれたし、その際に置いて機嫌の悪そうな表情や雰囲気は一切出さずにいてくれた。
「何を気にしているんだい?私たちは仲間なのだから、早く歩いてよと思ったのなら、それにその程度を言うのすらはばかられる横暴な存在にはなりたくないんだよ……それ以上に私達は出自が似ているんだから。出来るだけ仲良くしようよ」
緊張した面持ちの側近とは違って、忘八たちのお頭は本当にオロオロとしていた。
これがこの男の一番怖い所かもしれない。
何というか不気味なのだ、信仰心の高さも合わせてよりそうなってしまう。

「ああ、そうだ……言い忘れるところでございました」
側近である以上友人と思いたい男を落ち着けるのを優先していたが、忘八たちのお頭にとってはやはり一番言いたいことがあったようだ。
挨拶をちゃんとしていないと言うのも、多分本心だから厄介なのだけれども。
「上白沢ご夫妻には特にその旦那様には、私が言っていたことは伏せて構いませんと言うか伏せて欲しいのですが、この後においては出来る限り労ってあげてくださいな。あのお方はお可哀そうだ、今のままでもあのお方が許されているのだけれども、本人が納得していない」
「は?」
なぜここで、自分の友人にそんな気をかけてやるような言葉を、この男は出すのだろうかと○○は訝しむ以外には無かった。
しかし忘八たちのお頭は○○がまだ訝しむ事しか出来ていないうちに、スッとした動作で○○が常連となっている喫茶店から立ち去った。相変わらずキレイな所作であった。
遊女を扱っているとはいえ一番安い物ですら他の遊郭宿であるならば一番を張れそうな者ばかりを集める、高級な店の主ゆえかその部分は。
側近であり忘八たちのお頭からすれば友人と思いたいようである、あの男も慌てて○○に頭を下げて出て行った。

かくして残されたのは○○ただ一人となってしまった。
やれやれやっと終わった、と言うような気持ちにはなれなかったが会話を知らない外で待つしか無かった喫茶店の店主には、それはあずかり知らぬことであった。
「ああ、○○様!旦那様!ありがとうございました。あんな雲の上の存在が二つも一気に入り込まれては、こちらとしてもどうする事も出来なく。ようやく帰ってもらえて、これで営業を再開できます」
「ああ……」
満面の笑みで喜びを隠さない店主と違って、仕事を終えたはずの○○の表情はすぐれないとまでは言わないけれども、決して調子のよい物では無かった。
「あいつ……どういう意味だ?言いたい事だけ言って帰るのは分かるが、中身が判然としない」
キョトンとしている喫茶店の店主を、その存在に気付いていないように○○もようやく歩き出して……結局コーヒーをはじめ飲食を全く行わずに喫茶店から出て行ってしまった。


そのまま○○はウロウロと歩き回るだけであったが、それは見た目だけの話で合って頭の中ではずっと忘八たちのお頭の意図を、特に最後に残した○○の一番の友人である上白沢の旦那を労うような言葉をかけた意味を、常に考えていた。
里中をウロウロと歩く○○の姿は、最初こそ見慣れた光景であるから住人達もいつもの散歩に出かけられているのだな程度にしか思わなかったが。
しかしながら、そんな光景が一日に何度も見えてしまうと……ましてや今回の事件の凄惨さを考えればその捜査を一番前で行っていた○○の、その精神状態に変調を来したのではと心配になってくるのは自然な事であった。
ここで真っ先に○○の精神状態を彼の身に何か不調がと心配してもらえるのは、阿求の普段から行っている情報操作とそもそもの○○の人柄が相乗効果を上げていたと、そう考えてやるべきだろう。

「旦那様」
ついに○○に日ごろからついて来てくれている監視兼護衛役が不安と心配に耐え切れずに、しびれを切らした。
「人力車をご用意いたしますので……本日はもうお屋敷でゆっくりなさった方が心身のためだと、口はばったいように私自身も思っておりますが……素直に心配なのです」
一気に○○の前に立ってくれた護衛の者は、非常に申し訳そうにしているが同時に○○の事を心配してくれているのも事実であったし、それが分からないほど○○も頭が悪いはずは無い。
「ああ……そうかもしれないな…………うん、そうしよう」
「幸いにも、ご友人である上白沢の旦那様も取り調べに参加して、お手伝いなされています……旦那様は下手人をあげた段階でもう十分お働きになられました」
「うん、ありがとう」
そう殊勝にも礼を述べながらも、しかし何故上白沢の旦那はあんなにも前のめりに参加したがったのだろうか。

ぐるぐる、ぐるぐると。
事件発生から今までに起きた事、そして人力車に乗り込むまでを脳裏で想起していた。
何度目かの想起で、弟の方の死体をあの二重底の桶――外の知識でなければ分からないキャラクター名がでかでかと書かれて、挑発をしてきた裏側が存在する――から見つけ出した後の事に考えが巡ってきた。
あの時はもう……精神的な疲労で少しでも早く寝床についてしまいたかった。
だから、完全にその事の意味を考えずに終えてしまったが……しっかりと眠って更には忘八たちのお頭から意味深に労ってあげてくださいと言われた今なら、はっきりと、注目できたことがある。

「純狐と俺の友人は、俺の友人は上白沢慧音が妻なのに一線の向こう側が妻なのに、よく上白沢慧音は自分の旦那が間違いなく美人の純狐と会話している様子を我慢できたな……」
あの時、稗田邸の門前には上白沢夫妻はもちろんだが、様子の変化に気付いた純狐やヘカーティアクラウンピースもいた……それだけではなく、純狐と上白沢の旦那の声が邸宅に入った後も同時に聞こえていた。
何をしているかまでは、そもそも聞こえているだけで聞き取ろうとしなかったから、今となっては分からないが、それでも間違いなく会話はしていた。
なのに、一線の向こう側である上白沢慧音は黙って聞いていた。明らかにおかしいと、○○はようやく気付く事が出来た。
「旦那様?」
人力車の引手が、○○からブツブツとした独り言が増えて来たところでさすがに、再びにそしてさっきよりも大きな心配が出てきたので、人力車を止めて後ろを振り返ってきた。
「寺子屋にやってくれ!上白沢慧音なら旦那が何を考えているか、知らないはずは無い!確認したい事が出来た!!あいつ何かやる、でもそれが何か分からん!!」
だが心配をよそに、○○は出てきた不安の種とその不安がどういう方向に動くか分からずに、上ずった声で叫ぶのみであった。

とはいえ、人力車の引手は素直であった。
普段の○○の行いか、あるいは明らかに危機感を抱いている姿に触発されてくれたか。ただこの場合、○○にとっては素直に寺子屋に向かってくれただけで十分であった。


寺子屋に大急ぎで向かった○○であるが、その物々しい様子とは全くの裏腹に内部で出会った慧音は。
「ああ」
○○の見せる緊迫した様子にも全く動じずに、全くもって軽く迎え入れてくれた。
「予想していたな?」
○○も慧音の軽い様子には、こいつは色々と知っていると断言できてしまえたのでいきなり話に入り込んだ。
「いや、上白沢慧音よお前は純狐と俺の友人が会話しているところに割り込まなかったが、何も気配を隠さないなんてことはあり得ない。もっと踏み込もう、純狐は何を考えている、俺の友人はどういう役回りを望んで実行しているんだ?」
この問いかけに対して上白沢慧音は胡乱(うろん)な様子で笑みを、敵意こそないがうさん臭い笑みをゆっくり出しながら、そして言葉の方もゆっくりと出してきた。
「いやに断定的じゃないか、稗田○○」
○○はその慧音からの、答えを出さずに時間を稼いでいる様子に苛立つよりも皮肉気な笑みの方が先に出てきた。
「一線の向こう側を嫁にした者だぞ、俺は……それから、時間を稼ぐな。すぐに、はっきりと言え」
○○からはっきりと時間稼ぎを止めろと明言されたものの……上白沢慧音はそれでも、うさん臭く意味ありげに笑いながら、目の前にいる○○をジッと見つめるだけであった。
「このまま稗田邸に帰って、お前の旦那を止めてやろうか」
○○が実力行使を示唆した時、ようやく上白沢慧音の眉根に動きが見えて焦りを誘発できたが……壁にかかった時計を見た時に、ホッとした顔を浮かべられてしまった。

「これでもね」
そのまま上白沢慧音はうさん臭い笑みにホッとした物も混ぜながら――とはいえ相変わらず時間稼ぎ気味の口調だが――話を始めてくれた。
「稗田○○がずっと気付かないままと言うのは考えられないとは、これに関しては私もあの人も同じ意見だった、純狐たちをこちらの都合で動きをある程度ですら影響を与えられないから余計にね。だから私の旦那には急ぐようにとは助言をしておいた、具体的には制限時間を区切って置いた」
○○の背筋に嫌な感触が走ってきた。今の上白沢慧音は、ほとんど勝利宣言をしているような物であった。
「もう間に合わないと?」
「いや、もう過ぎた」
そして満足そうに窓辺に寄って行った、何かを待っているかのようであった。
「そろそろ……ああ、きたきた。稗田邸から急報を持ってきてくれたぞ」
「旦那様!○○様!!」
稗田邸の奉公人が血相を変えて自分の名前を呼んできて、○○はさすがに「何があった!?」声を荒げて窓辺によるしか無かった。
「上白沢の旦那様が抑えきれなかったのです!下手人の内の一人を刺し殺してしまったのです!!」
友人の手までもが血に汚れてしまった事に、○○は落胆と衝撃を受けたものの……とうの上白沢慧音はそう考えていないようであった、そして間違いなく張本人であって何よりも○○の友人である彼の方がもっとであろう。
上白沢慧音はどこか誇らしい顔をしていたから、やってしまった彼も間違いなくそう思っていたであろう。
ここで上白沢慧音にどういう絵図が存在するんだと、聞いてやろうかと思ったが……聞く前から慧音の方から口を開いてくれた。

今回は、上白沢慧音の機嫌がとても良かったらしい。
「私の夫はね、実はとても野心家なんだ……最もそれが心配で結婚までして管理下に置こうとしてしまった。若干悪い事をしてしまったなとは思うよ、もうちょっと上手い手が無かったかなとは、今になって何度も思ってしまうよ」
「…………」
○○は何も返事をしなかった、喋らせるだけ喋らせてみようと言う考えはあると言えばあったけれども、下手に返事をしては上ずったような嘲笑したような物になりそうで。
「本当はね、私の血が欲しかったんだ。それで名を上げようと……まぁ、子供の頃だから浅はかだと言って笑ってしまう事も可能なのだけれども、子供の時分でそこまで考えてなおかつ何種類も私を襲撃する方法を思いついたことを、むしろ褒めてやるべきだと思うよ。だから結婚したんだけれども」
○○はなおも黙っていたが、慧音の口から出てくる自分との結婚に価値があるかのような口ぶりに、その根っこにある傲慢さに○○は口角の端がひくひくと痙攣していくのを自覚せざるを得なかった。
実際問題で、極上の女だからどうしてもそうなってしまうから余計に。

「あの兄弟が死んだことは至極残念だ、けれどもその犯人を私の夫が始末したのを嬉しいと思ってしまうのだよ。私の夫にもいざと言うときはこういうことをする、いやもっと言えば出来る存在だと言う事をようやく、世間に知ってもらえた喜びがあると言うのも事実だ」
残念だと言う言葉を疑う気は、そこまでは○○も上白沢慧音に対して引いた感情は持っていなかったけれども、隠しきれない喜びが慧音の表情を獰猛な物に変容させていた。
一線の向こう側がたまにみせる、あの獰猛な笑みを今の上白沢慧音は浮かべていた。
○○は阿求でそれを何度も見ていた、特に酷かったのは○○の懐の中身を横領していた連中を、○○は慈悲のつもりでさっくりと始末したのだけれどもその後始末をやる時の阿求の顔は、阿求の事を愛しているはずなのに見ていられないほどに獰猛だった。

どうにも一線の向こう側と言う存在は、流血と親和性が高いようであった。
血が流れていると言うのに、たとえ処されるのがお似合いな悪党であろうとも法ではなく個人の思惑で私刑を行ったと言うのに、しかもその蛮行を来したのは今回に至っては自分の旦那だが……ここまで考えて、○○はこれ以上上白沢慧音と話をしていても自慢話が始まるだけだと、頭を振って稗田邸に戻るために人力車に飛び乗る事にした。
はた目から見れば、急報に際して急いだように見えるけれども。その内実は、ただただ今の上白沢慧音が面倒だと思ったからに過ぎない。

しかしこの事件は、ここで終わってしまうなと言う徒労は人力車に乗った途端に○○は理解してしまった。
幻想郷だからと言うべきなのか、それとも相手が上白沢慧音の夫でありそもそも犯人がクソッタレだからと言う、二重に強力な力学が働いているからなのか、はたまた幻想郷だからも含めて三重の力学なのかもしれないけれども。
人力車の引手は、稗田邸から急報を持って来た者からの言葉に初めは大層驚いていたが……すぐに、好印象を確かに抱いている表情で納得したような顔を浮かべながら。
「旦那様の懸念がこれなのですか?」
心配するようなと言うよりは完全に疑問を氷解させたい、好奇心から質問をしてきた。
「……ああ。遅かったがな」
外の知識で自分を挑発している存在の事を、まさか言えるはずは無いので言葉少なげに答えるしかなかった。
「いえ、いずれ処されるような連中ですから。九代目様も、阿求様もご理解いただけるはずですよ」
人力車の引手は○○の口調が重いのは、自分の友人が何か罰せられてしまわないかを心配しているだと思って、きっと大丈夫ですよと言う言葉をかけるのみであった。
(黙っているから当然だが……やはり、そう思うよな)
そう思いつつも、それよりも○○はもっと心配になると言うよりは。
自分を挑発した存在が表に出れば苛烈な状況になってしまうと、ますます確信を持つ事になってしまった。
裁判と言えるような物を完全にすっ飛ばして、私刑に走った人物を完全に支持していたし……そもそもが彼の妻は人里の最高戦力である上白沢慧音だ、どうとでもしてくる。
ただ問題なのは、私刑を問題視していないこの幻想郷の人里の空気であった。
(もし何かあっても、俺の小遣いを横領していた奴らを……拳銃で始末した時のように、バレたとしても阿求がキレて暴れる前に俺が処理しないと)
けれどもそんな決断をしている割には、○○はあの時よりも沈鬱な気持ちにはならずに済んでいた。
それは何故か?
東風谷早苗は間違いなく、常人である上白沢の旦那よりも強いからだ。
(問題なのは、東風谷早苗に対する俺の感情が大きくなってきている事か……)
ため息を大きくついてしまったが、この意味は○○本人にしか理解は出来ていなかったし、今はまだ所か最後まで理解されてほしくも無かった、そうなれば間違いなく荒れてしまう。




「すまない」
稗田邸に戻った○○は、客室で何故か風呂上がり――とてもじゃないが殺人を犯したばかりの人間への対応ではない――の様子の上白沢の旦那から謝罪の言葉を真っ先にもらってしまった。
「我慢できなかった」
何も言わずに目の前に座る○○を前に、いつもとは完全に口数の多さが逆転している○○と上白沢の旦那の状態にも彼は気付かずに、○○に対して妙に楽しそうに言葉を紡いでいた。
「風呂に入ったのか?いや、風呂をうちの者が与えてくれたと言うべきか」
ひとまず○○は湯上りの様子であることからひも解いて、会話をして、上白沢の旦那を落ち着けようとしたが。
まさか天気の会話をするわけにもいかない、必然的に会話は直近の事となるので……その事で上白沢の旦那の顔は酷く誇らしい表情となった。
「ああ、汚れずにやれるように何度も慧音とも話したりして頭の中で絵図は作っていたんだがなぁ……興奮してしまって。だけれどもこれでようやく、俺は、完全では無いのかもしれないけれども慧音の付属品では無くなった気がして晴れ晴れとしている」
しかも楽しんでいるのが○○の目には、はっきりと見えた。興奮してしまってと悪びれているけれども、おちゃらけながら言われればそう思わざるを得ない。
こいつぶん殴ってやろうかと、友人相手だと言うのに○○はそう思ってしまったが。
普段は○○の方が彼からそう思われているはずだと、すぐに気が付いたので自制するのみであったが……それでもとは、思う所はどうしても存在はしている。
○○は基本的に、死人など望んではいないからだ。
だがもっと言えることは、上白沢の旦那の中にある劣等感を見て取ってしまったときに、酷く哀れにそして同情心が湧いてしまったのだ○○の中に。
同情した時、ああやっぱり自分は彼の友人なのだと言う事も同時に納得してしまった。


「遺体見たよ、急報を持って来た者は興奮していてどっちをやったかとは言ってなかったが、妻の方だったんだな。しかし派手にやったな、あれじゃどっちをやったか言い忘れるのも無理は無いか」
少し○○は笑ったが、決して良い意味の笑みでは無かった。なのに上白沢の旦那はそれに呼応して彼も笑みを浮かべた。
「何回刺したか覚えているか?腹部と胸部に刺し傷が無数にあったから……間違っていたら訂正してくれて構わない、最初は順手で持った刃物を腹に何度も刺して、その後は倒して馬乗りになって刃物は逆手に持ち胸をって流れだと思ったが」
「さすがだな、○○。そんなんだから刺した回数は覚えてないんだ、すまないね」
どうやら○○の推測は全部当たっていたようで、上白沢の旦那は素直に称賛してくれたものの……○○は嬉しくも無いのにお義理で笑みを一瞬作るだけだ、今の○○の心理状態ではそれが限界であった。

「男の方は?夫の方だ、何もしていないとは思えんのだが……ずっとここにいたのかお前は」
とにかく今の○○は、やや事務的でも話を進めたかった動き続けている方が気もまぎれると思ったからだ。
「ああ。可哀そうに、ずっとほっとかれてるんだな、まだ気が付かれてないんだ」
でも上白沢の旦那のちょっと面白そうな顔を見ると、すぐに気を張らねばならないと気が付かされた。
「どういう事だ?」
○○は静かにゆっくりと上白沢の旦那に問いかけたが、静かでゆっくりなのは○○自身に時間が欲しかったからに過ぎなかった。
「半分こしたんだ、純狐とね。俺も英雄になりたいからどっちか片方はくれって言ったら、純狐はすぐに夫の方を始末させろと言ってきたから、俺は本当にどっちでも良かったからじゃあそうしようと。楽な交渉だった」
その楽な交渉のせいで、あの夫婦に入れ知恵をしたものを○○は全くの手掛かりなしから探す羽目になったのだけれども……伝えていないのだから上白沢の旦那が先走った事をこのネタで批判することはお門違いであった。

○○はこれ以上上白沢の旦那にどのような言葉をかければいいか分からなかったので、放っておかれていると言う夫の方を見に行くことにした。
もう生きているとも思わなかったが、あるいは絶命していた方が楽かもしれなかった。
そして純狐の過去を考えれば、ただ始末するだなんて彼女の中の溜飲が下がるはずは無い。
あの男は間違いなく、純狐の過去において息子を殺した男の身代わりとして機能してしまった。

「……死ぬより酷いかもな」
夫の方が閉じ込められている部屋のカギを開けて中を見た時、まず視覚的情報よりも嗅覚が異常を検知した。
血しぶき、吐しゃ物、歯も転がっていた。だけれども夫の方は、どこにもいなかった……
その代わりに、こんな凄惨な部屋の隅っこでクラウンピースは待っていてくれた。
「遅かったね」
すぐにクラウンピースは○○の方に向いてくれたし、彼女は嫌悪感と怒りを持ちながらもまだ冷静であった、会話する相手としては実にホッとする相手だ。
「来てくれても良かったのですよ、こちらとしても聞きたいなと思っている事もありますから」
「あんたがお友達と会話する邪魔は、やっちゃ悪いかなと思ったから待ってたの」
「心遣いに感謝いたします」
クラウンピースに対して○○は、こんな凄惨な現場で彼女から気配りをしてもらった事に素直に頭を下げた時、多分あの忘八たちのお頭も気圧されずに所作正しくいつも通りにキレイなお辞儀をするだろうな、脳裏にはっきりと、その情景が想像できてしまった。
あの男が、自分と○○は似ていると言った事が急に現実味を帯びてしまった。


「稗田○○、あたいと二人っきりで話せる?」
クラウンピースはそう提案しながらも、少し迷っていた。
「もちろん、あんたの奥さんが許せばの話だけれども」
やはり彼女は、よく物が見えていた。
「会話は聞こえないけれども、我々が見える範囲でなら」
「それでも構わないよ」

稗田邸の広い庭で、そのど真ん中で○○とクラウンピースは二人で相対していた。
もちろん最初にクラウンピースが求めた、二人っきりはさすがに無理であった。会話こそ聞こえないが、だれの目にも見える場所なのですぐに阿求が縁側に座ってこちら側を見ていたし、女中や奉公人もひっきりなしにこの庭が目に付く、つまりは○○とクラウンピースの姿も目に付くのであった。
「あんた達っていったい何なの?」
奥の方に見える稗田阿求の事をかなり気にしつつも、クラウンピースは本題に入った。
「と言うと?」
○○は何でも聞かれた事には答える気はそのままであるけれども、上白沢の旦那について聞かれるとは思っていたが、そうか自分も含まれているのか、いや無理は無いかと色々な事を考えてしまったから大分目を丸くしてしまった。
「……疲れないの?あんたら常日頃からそんなに演じてるの?今回ばかりは事件の最中はキレてたりしてくれてたけれども」
何となく痛いところを突かれているような気は○○もしたけれども、困ったなとは思いつつもあんまり悪い気はしなかった。
「私の場合は稗田阿求と契約をしたから、かもしれない」
「つまり稗田○○の場合はそれが、対価の内の一つ?」
「はい。全くもって、その通りですね。仔細は……まぁいずれ、私も有名人になりましたし妻の阿求はもっとだからいずれ分かりますよ。種族の差を考えればクラウンピースさんは間違いなく、新聞か何かで私たち夫妻の名前が踊っているのを見た時に、こういう事だったのかとご理解いただけるかと」
「上白沢の旦那の場合は?」
クラウンピースは決して納得したわけではないようだけれども、○○が1から10まで納得と理解と、何よりもこの契約で利益を得ていると確信しているのを見て取ってしまえば、クラウンピースとしては十分に当てられてしまい、もう結構となって話題をもう一人の方に変えてきた。
「……断片的な情報しかありませんが。それでもわかることがあると言えばある、上白沢慧音の影に隠れる事よりも、彼女の重荷になる事を恐らく彼は嫌がっていた」
「……その脱却方法があれ?」
「なぜ彼が血を求めたのかは分かりませんがね……いっそ上白沢慧音本人に聞いてみるのも良いかもしれないな。今の彼女は、さっきまで会っていたから分かるのですが、今回の事で非常に上機嫌で……もちろんあの兄弟の死に対しては至極残念だと言っておられましたが、死の原因を自分の夫が処断したのが嬉しいようで」
「あたいはやめておく」
ドン引き、通俗的に言えばその時のクラウンピースはそんな表情を浮かべて一歩後ずさった。
この後ずさりは、象徴的な意味を○○に対して与えるためにクラウンピースが意図したのもあるだろうけれども、ある程度以上には本気で逃げたかったはずだ。

「次は私が質問する版です、クラウンピース」
別に、クラウンピースには逃げられても構わなかったのだけれども。
一応はこちらも質問をせねば、まとまりと言うのが付かなかった。
「夫の方は、あのクソッタレ旦那の方は純狐が持って行ってしまったのですか?私の友人からは、純狐と半分こにしたんだとしか聞かなかったのですが……まぁ、何となく所では無く酷い目に合っているのは必定なので、構わないと言えば構わないのですが」
「うん、そうだよ。ご主人様の提案で、血しぶきとかあった方が黙って持って行くにしても酷い目にあわせてるのが分かって、そっちの方が向こうも納得してもらえるだろうって」
「良い提案ですよ、それは」
○○は苦笑を浮かべながらもクラウンピースの主であるヘカーティアの気配りを、素直に褒めてくれた。
「貴女が残ってくれたのも、伝言を確実に届けるためですか?」
「まぁね……今思えば置手紙だけでも良かったかなって気分だけれども」
クラウンピースは思いついた気配りに対して、大きなため息をついた。
「おや、それはまた何故?感謝こそすれ、貴女の事を邪険に等は扱いませんよ」
「あんたら何なの?」
○○は疑問符を出しながら、クラウンピースに対して素直に頭を下げたのだけれども。実を言えばそんなしゃなりとした行儀のよい行動自体が、クラウンピースにとってはため息の源泉であった。

「何なの?と言う風に問われましてもね……質問の意図を図りかねてしまっては、どのようにお返事をすればいいのか」
「ただの人間には思えない。あまりにも演じ続けている」
「演じる……ですか」
ここに来てようやく、○○の表情に曇るような物が出てきた。
「思い当たる節があるって感じだね?」
「…………ええ、まぁ」
かなり迷った物の、○○はクラウンピースからの疑問に頷いて肯定を与えてしまった、とはいえ困ったなと言う様子はある物の○○からは後ろめたさが感じられなかった。
「ただただ生きていて、歴史に名前が残せるだなんて思えませんよ。私の友人はその事に気付いているのかいないのか、そこまでは分かりませんがね。けれども名を残すと言うのは、大なり小なり他人の求める何かを理解してそれに合わせないと」
「……上白沢慧音の旦那はどうなんだろうかな?」
ややいたずらっぽくクラウンピースは、お前の友人は一体どうなのだろうな?と、どこも見ずに答えた。
この質問に対して、○○はさっきよりも困ったような顔を浮かべた。
「まぁ、彼は……何なのでしょうね、名声と栄光を求めているのは確かでしょうけれども……まぁ志が高いのは良いのですが」
一瞬、上白沢慧音が自慢げに話してくれた彼はそもそも最初は自分の血を求めていたと、暴露してくれた事を思い出した。
○○の口がいくらか空回りして、結局言わない事に決めた。
はっきり言って上白沢慧音が暴露したあれは、情事に近い何かを感じた。そんな物を口に出すのは、非常にはばかられる。
「どっちがマシなのだろうね?」
クラウンピースは乾いた笑みを浮かべながら、くるりと背を向けた。どうやらこれ以上は、彼女としてもうんざりするのだろう。
「好きで演じている稗田○○と、演目も知らずに演じている事にも気づいていない上白沢慧音の夫、どっちもあたい以上の道化ではあるけれどもね?」
○○は思わず笑ってしまった、ただし妙に快活に。
「演目ぐらい少しは選びなよ、稗田○○」
「無理です。既に対価を得てしまい、それ無しでは生きられなくなった」
クラウンピースからの厳しい言葉にも、あるいは優しさに対して○○は首を横に振りながら拒否した。
「あっそう……」
完全に呆れてしまったクラウンピースは、そのままどこかに飛んで行ってしまった。

これ以上はもうあまり語る事はない。
上白沢の旦那が下手人の一人を刺殺した事は、好感を持って人々に受けいられて。
稗田○○がクラウンピースと会話したことも素早く、阿求の思惑もあり里中に伝播した。
残ったもう一人、男の方は姿形も全て消え失せたが閉じ込めていた部屋に血しぶきや抜け落ちた歯が転がっていたこと、クラウンピースが残って○○と話を従った事と合わせれば純狐が何かをやったのは、どんなに察しの悪い物でもそう予測してくれる。
命蓮寺主導での兄弟の法要が営まれ、その準備に繰り出した稗田夫妻や上白沢夫妻の姿は、もはや完全に事後処理の内であった。

ただ引っかかるのは、○○は演じる事に何も後ろ向きな事は感じていないが、上白沢の旦那は演じている事を自覚させるべきかはたまたこのままの方が良いのか、そこだけが少し以上に迷い所であった。
けれどもこれは内側の問題だ、自分一人でああだこうだと考えても結局答えが出なくても、諦めのような物が出てきたとしても、まだ、飲み込むことは可能であった。第一上白沢の旦那の行動が問題になるようなことは、彼の人格を考えても少し考えづらい。
じゃあ今回の事は?と言われると、かなり困る質問なのだけれども……

そしてそんな質問をしてきそうな者が、最低でも二名は○○の脳裏に出てきてしまう。
東風谷早苗と、○○の事を外の知識で挑発してきた謎の人物だ。謎の人物に関しては、手でも叩きながら喜んで嘲笑しそうだからまだこちらとしても鼻で笑いながら対応できるかもしれないが。
厄介な事に東風谷早苗の場合は、道徳的な理由で否定的に今回の事象を見ている事であった。
そしてそんな東風谷早苗の考えに対して、○○もある程度は理解を示せる事であった。
この命蓮寺主導の法要に、人里とは近い存在である東風谷早苗も出席していた。
稗田○○はその立場上、この法要において常に表に立っている必要がある、ゆえに東風谷早苗が○○の姿を見つけるのは非常に簡単であった。
そして早苗は、○○と秘密を共有する仲にまで発展してしまった、○○に挑発的な態度を外の知識を用いながら行う謎の人物がいる事を。
上白沢の旦那が起こした刺殺事件――人里の認識ではあれは正当な行いだと、妻の慧音の穏やかな圧力もありそうなっているが――と、謎の人物による○○への挑発。
――で、どうするんですか?これで終わり?――
早苗は何も言わなかったが、そんな声が聞こえてきそうな疑問を大いに感じている表情を作って○○に見せてきた。
ただ、○○が答えてくれないとは早苗も分かり切っていたからか……すぐに焼香を行いに奥へと入って行った。
○○も早苗から離れるように、喉が渇いた素振りを見せながら置かれている飲み物を手に取ったが。
○○が口に入れる物は阿求が用意しているから、上等な物のはずなのに。
やはり内心にある引っ掛かりが、○○から上等な物を味わう余裕を確かに奪っていた。
○○は自分がやや慌てながらお茶を求めたのも、見られているような気がしてならないのだ。







感想

名前:
コメント:




+ タグ編集
  • タグ:
  • キツネつきと道化師とキツネシリーズ
  • 慧音
最終更新:2022年09月20日 22:35