しかしながら射命丸にとっては、人里の最高権力である稗田阿求から知っている事を話せと言われた以上は、もはや話さずに済ますことは出来なかった。
妖怪の山の総意では無い物の、天狗だけを見て取れば人間からのその一番の集合体である人里との関係は良くしておくことに越したことはない、なまじ新聞製作を生業としている射命丸の場合は個人的にも人里との仲をこじれさせたくはなかった。

とはいえ、射命丸にも素直に言えない事情は存在していた。
誇りと言えば聞こえはいいがもはや傲慢との評価もされやすい天狗の中でも、その中でも特にとも言える射命丸でさえ身内や友人が直接かかわる可能性が出てくるとなると、躊躇してしまうのであった、彼女だって心を持った生き物なのだ。
「阿求から割とすごまれても素直に話さないのは……お友達が関係してしまう可能性を危惧されておられるのですか?」
その上この男は、稗田○○ときたら稗田家によって能力にゲタを履かされているのだろうけれども、的中率の高さもさることながら誰を相手にしても物怖じをせずに思った事を言える、聞けるこの人格はそれそのものが強者たりえる要素であった、そこに稗田阿求からの個人的な愛情を根拠に稗田家の家格が乗るのだから始末に負えないとまで言えたかもしれない。
それと同時に、喧嘩をしてはならない存在でもある稗田○○と言う存在は。
むなしい意地を張るなだとか利益に反するだとかの話ではない、ただただ空虚な行いな上に周りに迷惑をかけかねないのだ。

とはいえ、射命丸が素直に話せば知り合いに迷惑をかけてしまうかもしれない、そこが難しい所なのだが……射命丸はとっさに自分をお節介物にしてしまおうと思い突きに恵まれた、良い思い付きであったそれは。
「そうですね、稗田○○さん。それじゃあ今から、この射命丸文は貴方への依頼人として振る舞います」
稗田○○は目を細めながら、しかしながら幸いにもと言って良いとは思うが楽しそうにしながら射命丸の事を見た。
稗田阿求は射命丸の真意には気を付けているようだが、最愛の夫である○○が楽しそうにしているので今は静観の構えを見せてくれて……この状況で大きな役割を得たくない上白沢の旦那は相変わらずどこも誰も見ないで気配を出来る限り小さくしようと努力していた。

「お節介者ならば、友人や知人を売ったと思われるよりは遥かに……露見しても遥かにマシな立ち位置と言う算段で?」
「まぁそうなりますね」
意地悪な絡め手だと言う事は射命丸自身が一番よく分かっている、だから彼女の辟易としたような吐き捨てるような感情は、完全に自分自身の方向に向いていた。
「何か不都合に見舞われた場合はご一報を、評判の回復に手をお貸しいたします」
そして多分○○が入り婿であるはずなのに稗田阿求からの愛情を根拠にしているとはいえ、家中やその周辺での評判が決して悪くない理由が多分これだろう。
根っこの部分では自分の名前が売れることそのものに対する、愉悦だとかはあるのかもしれないけれども、そのために相手の為にほとんど無償で事を行えると言う精神性が存在していた。
ただ意地悪な評価だけれども、射命丸はそれを高潔だとはほとんど思わなかった。
稗田阿求から無制限にお小遣いをもらえるから、無償で誰かのために何かをやりやすいだけでしかないと、厳しい事を言えばそう射命丸は○○の事を断じていた。
ただ、それはこの一件とはまるで関係が無い。射命丸はすぐにその、嫉妬にも似た感情を振り払って忘れるように努めた。
少なくとも今この場においては。

「これは……」
射命丸が内容を言いかける段階に置いて一拍の間をあけて稗田阿求の方向を見た。
「話しますよ?ほら例の、原っぱの、光る何かの話と関わるので……」
断片的な情報であの話だと阿求には伝えている、阿求と射命丸はまだ――出来ればこのままずっと――早苗が○○に接触して来て作為的な可能性のある怪奇現象の事を伝えてきたが。
事件のわりに紙面を賑わさないなと思っていた理由はやっぱり、案の定で阿求が遊郭街の醜聞を遊郭街が外に助けを求めれないようにするために出来る限り握りつぶしていたようであった。
「……っ」
舌打ちと言うまでには悪意的な物は感じ取れなかったが、阿求は確かに逡巡していた。
「まぁ……ずっと握りつぶせるとも思っていませんでしたし」
けれども○○の中にあった楽しそうな顔が、少し不安げな顔になって阿求に降り注いだ時に阿求はと言うと一気にほだされてしまった。
言葉にこそ射命丸は出さなかったけれども、ホッとしたと言うよりは疲れたような顔をしていた。まぁこの状況がやりやすい何てはずは無いので、射命丸がそう思ってもしかたは無いしちらっと上白沢の旦那の方を見たのも、関わってはくれないのかと言う苛立ちや呆れの感情もあったのかもしれない。
だが現実は射命丸一人で話をして、稗田○○に面白そうな顔をしてもらわなければならなかった。
――稗田○○にとっては見えない敵の手掛かりかも知れないと言う、完全に秘匿された○○以外では早苗しか知らない動機があるのだけれども、そしてこの動機は火薬庫だそれも超大型の――

○○の感情は二種類の色味を抱えながらそれでいて、その色味の違いを絶対に秘匿しなければならなかった。
そして今現在は、姿を現さない敵への手掛かりかも知れないと言う興味よりも、新しい依頼に対する楽しそうならば良いのだけれどもと言う感情を優先して前に出していた、この感情は常日頃から○○の中にあると知られている感情だからだ。
だがここに来て三種類目の感情が突如として表れてきた。
楽しそうに振る舞う事と実際に楽しいと思ってしまっている事に対する、東風谷早苗への罪悪感であった。
その罪悪感を覆い隠したくて、○○はジッと射命丸の表情を見る事にした。
下手に妻や友人の方向に意識を向けると、小さなミスから大きな穴を作り出してしまいそうで怖かったからだ。
「さて、阿求からのお墨付きも貰った……射命丸さん、気にする事は無くなった形だ」
にこやかに○○は射命丸に対して気にせずにお話をと迫るのだけれども、腹の底に何かを隠している状態の笑顔が、たとえ依頼が至極の楽しみと言う歪んだ思考があったとしても。
腹の底を隠そうとしながらする何かの行為と言うのは、腹の底を隠す為に往々にしてやりすぎあるいは焦り過ぎと言う物になってしまいかねなかった。
今はまだ……期せずして来てしまった依頼の閑散期だから○○が焦っていると言う物の味方で覆い隠せていたが……いずれボロは出てくるだろう。

「まずは前情報と言うか前提からお話いたします……基本的に遊郭街の方々、特に遊女に至りますと遊べる場所と言うのが非常に限られます」
射命丸はおずおずと喋り始めた、この情報が依頼とどういう関係があるんだと稗田阿求にすごまれる、また機嫌を悪くされると非常に面倒だからだ。
しかしながら今は肝心の○○が手を使って『続けて』と言うような動作をしてくれて、全くもって助かったと言うような塩梅であった。
稗田阿求が彼の邪魔をするはずが無いからだ。

「そうなりますと……きらびやかで合ってもその実では鳥かごに近い遊郭街とは違う、空気の通りが良い場所空気が美味しい場所に行きたいときは、やや危険でも人里の敷地とは言い難い場所にある原っぱなどに向かう必要があるのですよね」
「人里の内部で、お弁当を広げられそうな場所は大体が稗田家の持ち物だからな」
○○が補足してくれた情報に対して上白沢の旦那と射命丸はそうなんだ……と言うような気持を抱いたが、阿求はそれに対して誇らしそうにすると言うよりは『ざまあみろ』と言うような感情を、ここにはいない誰かと言うよりは不特定多数に、つまりは遊女に対して向けていたのが射命丸の目には毒であったし、上白沢の旦那もはっきりと観測したくなくてすぐにまたどこも見ない虚ろな視線を作り始めた。
射命丸は逃げる事の許される上白沢の旦那に少し、苛立ちのような物を感じざるを得なかったが……この場を逃げる事が出来ない以上は知っている事を即座に喋り続けて、走り抜けるしか彼女には出来なかった。

「まぁ……遊女が外に出るのにまさか遊女だけでと言う事は考えられません。遊郭街には無い開放的な空気が欲しいと言うのは確かにあるでしょうが、遊郭街に足しげく通う客にとっても遊女を何人も連れて外で遊べると言う見栄を張る場面でもあるのですよ」
しかし走り抜けたい射命丸にとっても、危ない話題を使っている以上は一区切りごとに稗田阿求の顔色を窺わなければならないのは何とも歯がゆかった。

「女と酒と……まぁ要するに乱痴気騒ぎですよ。多分稗田家の持ち物ではないお弁当を広げられる空間があったとしても、乱痴気騒ぎを上白沢慧音が見逃すはずは無いので、結局人里の外に向かう以外はありません。それに遊女に変な事をしないように見張る目的で荷物持ちをしている男衆もいれば、余興をするために呼ばれた芸人や奇術師なんかもいます。もはやあれ自体が、催せる旦那の権勢誇示と、そんな太い客を確保している遊女の権勢を遊女仲間に対する誇示、客と遊女どっちを見ても自らの権勢を誇示する意味合いしかないんですよね。遊女でなくとも、あんなに大きな催しに余興として使ってもらえる芸人にとっても媚を売る場面としては最適です。最近では機械を使って派手な演目も増えてますし、広い場所でやるからその分準備に前日以上の時期から始めなければならないほどに時間もかかりますが……動く金額が大きければそれだけ旦那に頭を下げる人間が増えてそんな旦那が熱を上げている遊女にも媚を売る人間が増える……旦那とその隣にいる遊女にとっては金はかかりますが……いや金をかけてるのは旦那1人だけか。とはいえ旦那にせよその隣にいる遊女にせよ、自分が金をばらまく側になれる催し物と言う物は、権勢の誇示と強化以上にただただ愉悦でもあるので、旦那と遊女が違うだけでこの種の催し物は定期的にあるんですよ。と言うよりはやっておかないと、権勢の維持が出来ない」

射命丸の説明から見えてきたのは、ただただ欲望のみであった。これにはあの可愛い閻魔様でなくとも、眉根をひそめる者がいてもおかしくないぐらいの、乱痴気騒ぎであった。
気配を消している上白沢の旦那ですら皮肉気な笑みが口角の端に見えていたし、そうであるならば気配を消す必要のない○○は呆れが一周回って却って優しそうな顔をしつつも、それでもやはり頭を左右に振って度し難いと言う意思を見せていた。
ただこの二人は皮肉気に面白そうな顔をするだけで構わなかったけれども……稗田阿求は少し、一歩進んだような事を考えているのが表情だけで見えてきた
ただまぁ、彼女の考えている事は言われなくても○○には分かった。権勢誇示のための催し物を、少なくとも遊郭の外で行う事を邪魔できないかと言う部分だ。
さすがに内部で行う分には邪魔できなくとも、自らの肉体的魅力の低さが一周回ってそれで食って行っている遊女に対する嫉妬心と行動できるだけの頭の良さと家格が合わさって、かなりこじれたことになっているのは、彼女の事を妻としている○○が一番よく分かっていた


○○は何度か、阿求には幻想郷でも上から数えれるぐらいの頭の良さがあると言って慰めていたけれども。
最愛の存在である○○からの慰めには確かに嬉しくは思っていたけれども、それとこれとは別なのだ、稗田阿求のほの暗い楽しみの一つに遊郭街に対する有形無形の嫌がらせは、遊郭街を夫から遠ざけると言うもっともらしい理由を建前にしながら行われ続けていた。
恐らく人里の範囲外とはいえ、野外で行われる太い客とそれを捕まえた遊女の乱痴気騒ぎは、同じく遊郭街が夫を篭絡しないか惑わしてしまわないかと、過剰に心配する一線の向こう側仲間である――最近はちょっと分からないが――上白沢慧音も巻き込んで、禁じてしまうだろうなとは○○としても上白沢の旦那としてもすぐに予想出来てしまった
だからと言ってこれを止める義理もそして利益も無いのだけれども。
権勢もあれば実力行使も出来る、人里の最高権力と最高戦力の嫁たちを止めないと言う点では、○○と上白沢の旦那の二人も遊郭街にとっては敵に近い中立なのかもしれなかった。

「続きを」
○○は阿求の表情から確かに見えるほの暗い愉悦の表情を見て、少し哀愁を帯びた顔で何か考えていたが。
結局は阿求の内心における黒々とした思考回路とそこから導き出される行動に対して、○○は傍観と言う名の後押しを決めた。
この場における稗田阿求に対して唯一物を言える○○の関与しないと言う方針は、無言ゆえに消極的かもしれないが肯定の意思でしかないのだ。
それに○○としても全く持って消極的と言うわけでもなかったのだった。
「阿求が楽しそうな今のうちに……射命丸さんも話してしまいましょう」
(あ……これが稗田阿求の楽しみなんだ。と言うか○○さんですら、何で嬉しそうなんだろう。奥さんが楽しそうにしているから?うっわ不健全極まりありませんね)
射命丸は○○からの……もっと言えば○○が少し影がある物の嬉しそうに阿求が楽しそうだと呟く言葉に射命丸は、はっきりと不健全だなとしか思わなかった。
最も射命丸は飲み込むしか無いのだけれども、この感情だって。
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最終更新:2023年07月25日 23:34