○○は空を見上げて、明らかに何かを知っていそうなにとりの方にではなくて東風谷早苗が飛んで行った方向を、ずっと見やっていた。
「河城にとりは……何かを知っているのかな?」
上白沢の旦那はこの空気を――ただでさえ東風谷から手渡された、悪臭のする布切れ入りの巾着を手に持っているのに――何とかしたくて、とにかく話題の方向性ぐらいは上白沢の旦那としては操作しておきたかった。
「あれは」
だが○○は、上白沢の旦那のせめてものと思いながらひねり出した言葉を……無視されたとは思わなかった、それはあまりにも悲しいから、だから上白沢の旦那は○○がまた考え込み過ぎて聞こえていないんだとそう思い込むことにした。
「あれは、東風谷早苗は厄介な好事家あるいは夜遊びを続けて朝帰りが常でシラフの時の方が少ない洩矢諏訪子に対する、意趣返しとしての遊び歩き……そうでなければならない」
○○の口ぶりにやや、上白沢の旦那は皮肉気な笑みをこぼさざるを得なかった。
「そう『する』んだろ?東風谷早苗がどう思おうとも。稗田阿求は、彼女が存命のうちは全ての現実よりも上に稗田阿求がいるんだから」
東風谷早苗の意向に関係なく、そう『する』。
ここで留めておいたのであれば、付き合いの結構長い事もあり○○も上白沢の旦那に同調して皮肉気に笑みを、つられて出してしまったかもしれない。
けれども上白沢の旦那は少し、喋り過ぎた。
「そうだが?」
○○がスッと上白沢の旦那に向かって目線を、間違いなく圧を出しながら目線を合わせてきた時、上白沢の旦那は稗田阿求から圧をぶつけられた時と、非常によく似た雰囲気を感じ取らざるを得なかった。
よく似たで済んでいたのは、まだ○○が彼の事を友人だと認識しているからだろう。
「俺は阿求をこの世で最も大事にしている、阿求が俺を最優先にしてくれているのだから当然の事だ」
○○が上白沢の旦那に対して本気で何かを、苛立ちを覚えたのであれば、このセリフをつらつらと述べている間も、上白沢の旦那に対して更なる圧を込めるために目線を合わせたままでいただろう、だが○○は目線をどこも見ていないような中空に向けて述べだした。
上白沢の旦那はこの○○の行動に対して、感情が高ぶったゆえにどこも見れなくなったつまりは本気なのか、それとも自分自身に言い聞かせているのか、判断をつけかねざるを得なかった。
だけれどもこれ以上、上白沢の旦那が自分から何か喋るその勇気は出てくるはずも無かった。
……いつもこうだなと感じる、自分から何か動くと大体こうなる。
鬱々とした気持ちにならない訳ではないけれども、いざもっと不味い事になるとそれを考えた際に上白沢の旦那の脳裏に浮かんできたのは……東奔西走する慧音、自らの妻の姿であった。
それは、不味い。
とても不味い、稗田家の不興を買うよりも慧音が苦労する事の方が、この旦那にとっては不味いと思える事であった。
……今はまだ、上白沢の旦那はそこまで思い至っていないけれども、この二人は非常によく似ている存在であった、だから仲良く出来ているのかもしれないけれども。
裏を返せば……これに近づける東風谷早苗は……かなりヤバい女と言う事になってしまうのだけれども。
最も、ヤバくなったのか最初からヤバかったのか、あるいはヤバくしてしまったのか……そこまでは分からないけれども。
「……で、それは?」
○○がいつものワクワクしたような様子を隠せていない表情で、上白沢の旦那が東風谷早苗からある意味では押し付けられた巾着袋を指さした時、上白沢の旦那はホッとしたと言う以外の感情を出すのは難しかった。
そしてこのホッとした感情をそのまま持続させるには、余計な事を言わない事、阿求の思い通りになるのは悔しいけれども自分は名探偵のよき友であり助手、その配役から逸脱しない事であった。
「ああ……その、見るか?どう考えても気持ちのいい物では無いのだけれども……」
「だから余計に面白そうでね……ああ、そう……何も考えずに君に渡すはずがないだろうし……気付いてほしいと言う意図を強く感じる」
強くて大きな間も、○○から感じざるを得なかった。
明らかに○○は、東風谷早苗の名前を出さないで済むような言葉の使い方を選んでいた。
「……ああ」
上白沢の旦那は何も言わなかった、東風谷早苗の事を指摘するのは自分の台本にはどう考えても書かれていない事象だと、そう理解が出来ていたから。
○○と上白沢の旦那はややまごつくような場面を見せながら、問題となっている茶巾袋を上白沢の旦那は○○に手渡した。
別の意味でまた上白沢の旦那はホッとせざるを得なかった、こんな悪臭の源を自分の手に持ち続ける事が無くなったおかげで。
「ふぅむ……」
とはいえ、予想通り○○も中身の悪臭が耐えかねる上にどす黒く汚れた布切れに対して少しばかり眉根を寄せたけれども、やっぱり面白そうな気配を感じ取ったのか笑みの方が眉根を寄せる顔よりも強く前に出ていた。
「機械油だね」
「油?」
機械類になじみのまだまだ薄い幻想郷土着の人間である、上白沢の旦那は油と言う言葉に反応して怪訝な反応を示した。
まぁ、しかたがないだろう、油と言えば食用油を想像してしまうのは。
「いや待て……ああ、そうか。いつだったかにカラクリの歯車に何か塗りたくってるのを見たことがある。そう言う奴だろう?」
しかしあの上白沢慧音の夫を――慧音本人が一線を越える程に愛してしまったからこの夫の能力はもう些末な部分かもしれないが――やれるだけはあり、○○が説明をする前に上白沢の旦那は自力でこいつがどういう物かに心当たりを付けてくれた。
「ああ、そうだ。とはいえ……これが河城にとりと言うよりは、河童と関係あるとは思えないのだよね」
「なぜ?怪しすぎて怪しくないなんて言うなよ?」
少し、場の空気が元通り――極端にそして露悪的に評価すれば稗田阿求の思う、見たい空気なのだけれども――になったのか、それで稗田阿求は安心して、人力車から降りてこの場の様子を観察……と言うよりは観劇でも始めたと言うべきなのかもしれなかった。
「河童は川辺に住む連中だ、水質には非常に敏感な連中だよ。機械油を全く使ってないとは考えられないが、もっと臭いのきつくない物を性能よりも水質を気にして選ぶ傾向にある……」
「じゃあ河城にとりはどういう役回りだろう?」
「誰かの代わりに疑われておきたいとにらんでいるよ、俺は」
中々、今回も真っ正直に真っ直ぐな方向に話は転がったりはしてくれ無さそうであった。
ここで○○は人力車のそばに降り立っている阿求に気付いて……まさか阿求に対してこんなものを近づけたくないと言う……まぁ確かに真っ当な考えから、持っていた巾着袋を上白沢の旦那に付き返してしまった。
げっ、とは思ったが○○が阿求の方ばかりを見ているので受け取らざるを得なかったが、すぐに地面に置いてしまった。
それぐらいは許してほしかった。
「阿求」
○○は阿求を招き寄せる前に、もっと言えば近づいていくその途上からすでに自分の身体に悪臭が付きまとっていないかを随分気にして手のひらやら袖口を鼻に持って行ってしきりに確認をしていたけれども。
阿求は○○の気にしている部分など、私は気にしていませんよと言いたいのだろう駆け寄って抱き着いてくれた。
その際、この場について来てくれた護衛でもある、稗田家の精強な者たちはそれとなく違う場所を見たり、いきなり雑談を始めたりした。
それを見ていると、上白沢の旦那も配慮すべきとの考えが自然とわいた。
「大丈夫かな?」
○○は、阿求なら絶対に気にしないと言う信頼はある物の、だからと言って女性を相手にしているのに何も気にしない等と言うのは、いくらなんでも心のある存在のやる事ではない、ましてや相手は自分を愛してくれているのだから。
「無体な事を言わないでくださいな、私は○○は何の汚れも無い存在だと思っているのですから。たとえ汚泥の中に足を滑らした後でも、それはあなたの崇高な行いの途上で起きた、名誉の負傷です。私はあなたの、○○の為にいくらでも布切れを汚してきれいにしてみますわ」
阿求なら実際にやるだろう、それでもそれを信じ切る事が出来ても、わざわざしっかりと口に出して表現されると非常に、気恥ずかしい物だけれども……護衛の為に付き添ってきた稗田家の者たちは、すでにその気恥ずかしさを目にしないように視線を外してくれている。
「それで、これからは何を?」
「うん、カマをかけて見ようかなと……まぁ、何となくさっきの河童じゃなくて山童かなぁ、とは思うけれども……それでも河城にとりにカマをかければ、彼女本人は口を割らなくても場の状況が動いてくれる」
「それはとても、楽しそうは性の悪い感想ですね。ふふっ」
「ははは」
とはいえ一番楽しいのは、○○が辺りを闊歩して……悪く言えば引っ掻き回して何かを調べている場面を見る事なのだけれども、阿求の先の言葉を思い出せば、阿求にとって○○の名探偵としての行動はすべてが、崇高なのである。
人里でならばともかく、河童にそれをやるのは悪い気はするものの……まぁ良い、人間の寿命は連中よりも短いから良いだろうこれぐらいと言う、正当化を○○は内心で見せてしまっていた。
――何よりも阿求はその業から特になのだから、余計に堪えて欲しい、むしろ堪えろとまで言いたかった――
最終更新:2023年07月26日 22:08