「さて、河童なら人間とは幸いにも少し以上に仲良くしてくれているから、それに技術者気質の連中だから、しきりに作った物を見せたがっているのはますます幸いだ、こっちから会いやすい」
やはり行動こそが○○にとっての健康の秘訣なのだろうか、色々と○○は頭をそして体を動かしている時の方が、明らかに生き生きとしている。
面倒を嫌うよりも前に、薄暗い部屋で書類や本の山に囲まれて思索にふけると言うのは、○○の性格とは合わない……と言う上白沢の旦那の考察に対しては、自画自賛の気配もあるけれども彼自身もそれなりに正しいと思っていた。
しかしながらそれなり止まりであった、まだ言語化出来ていないのが上白沢の旦那としては悔しいけれども。

「今日はさっそく河童の集落と言うか出張所に行こう、あそこは人里とも商いがあるから割と近くに拠点を構えてくれていて助かったよ。カマをかけに行くと言うのが目的なのは、やや申し訳ないけれどもね」
○○が両手を揉みながら、ワクワクとしているのは間違いが無いのだけれども上白沢の旦那と目が合ったら、○○は急かす様な様子をやや出しながら、上白沢の旦那にあてがわれている人力車に乗るように、一緒に行くぞと言う様子を大いに出していた。
そして無論の事で上白沢の旦那が乗ってきた人力車の引き手も、稗田夫妻に呼応して扉を開けて……くれたと上白沢の旦那は思いこむ努力を……今回だけではない、意識しているかいないかの差でしかなく、常に行っている。
その努力のたまものだろう、上白沢の旦那の主観ではさながら夢遊病患者の如く、意識をあまり持たずとも人力車の扉をくぐって席へと座ったのは。
意識が覚醒した後でさえも、自分が稗田阿求の台本に沿った動きをしたことさえ分かっていれば、そこまで大事だとは思いもしないのだ。
その途上にて、何も考えていなさそうな上白沢の旦那の姿に対して、○○は一瞬目をむいたけれども……
「例の、汚れた布が入った袋は忘れないで持ってきてくれよ?」
それだけを言ったら、すぐに稗田阿求の方を優先した。

確かに○○は稗田阿求に対して愛はある、それを残念と思うかはたまた純粋だと思うか。
あるいは、○○が阿求を愛するように仕向けている?

辺りに突風とまでは行かないが、風が舞った。
まさかと○○は思ったが……気付かないふりをして、阿求の方だけを見た。
○○が気付かないと言う事を、○○自身が選んで演じたため、緑の巫女の視線と姿は結局誰にも観測されることは無かった。


「げっ……”やっぱり“何かあったな」
人里との交流と交易の為に、利便性の比較的良い場所に出張所のような物を作っている河童たち、そのうちの一人が明らかに仕立ての良い人力車を見た瞬間に、そうは言っても中心地からは外れているこの場所に、お大尽と言えるような存在が……いやそれだけならばまだ、河童から何かを買いたいと言う好事家が現れたかもしれないと言う、楽観的な予測もまだ立てて良い。
人力車を守るように体格のいい連中が付き従っている、つまりあの中身の社会的地位がそれだけで推し量れてしまうし、商いがやりたいのならば護衛がいたとしてもあんなには必要はない。
「やぁ、どうもどうも。突然に申し訳ありませんね」
そして満を持して――少なくとも降り立った彼はそう思っていそうだった――人力車から降りてきたのが、あの稗田○○であると言う事に至っては、本格的に何かが起こっている事を、この河童は理解して認める必要に迫られてしまった。
自然と、空気を求めるかのようにこの場合は平穏を求めて、自分の後ろ側に逃避する場所でも無いかと一縷の望みを探したかったが。
この場合は抜け駆けと表現しよう、この場にいる他の河童が、辺りを見て逃げ場を探していた河童に視線を寄こして逃げるなよと圧力をかけていたし。
その河童にしたって、他の河童から逃げられないように動線をふさがれていたし、もっと言えばこの動線を塞いでいる河童にしたって他の河童から……
つまり互いが互いに、逃げたいのはやまやまであるが逃げるわけにはいかない、であるのならば誰かが逃げるのを妨害する事に決めてしまったのだった。
最も、後ろに行くだけでは何も解決しないのだけれども……
ただそれでも、逃げ場をせめてどこかと思って探した河童が最も貧乏くじを引いていた、この者は寄りにもよって一番前に、つまりは稗田○○に一番近い場所にいてしまった。
(くそ、逃げ場がないな……)
この河童はまだ、余所行きあるいは商い用の笑顔を作る余裕はあったが、内心の逃げたいと言う意識が強すぎて、表情に対して継ぎはぎだなと言う印象は本人ですらぬぐえなかった。
「申し訳ないとは思っている」
○○もつい、用向きを言う前にまず謝罪の様な言葉を出してしまったが……態度のほどはまるで悪びれてはいなかった、思ってもいないなら言うなと河童は言いたかったがそうすれば面倒が増えるだけだ。

「お察しの通り、商いでもなければ気になる機械類を見せてくれと言うわけでもないんだ……情報が欲しくてね、河童の身内かもしれないんだよ」
相変わらず、よく言えばひょうひょうとしている、悪く言えばうさん臭さを持ち合わせながら○○は、さりとて諦める気など無いと言う頑なさも持ち合わせながら、上白沢の旦那の方に目くばせを与えた。
ようやく、この薄汚れた布の履いている茶巾袋を手放せるのか。
河童に対する厄介な事になったな君たちと言う同情心が、この瞬間には上白沢の旦那の中から消えてしまった。
悪いなとは……思ったけれども、自分は何もしない感情も出さない方が良いなとも思った。
間違いなく○○の雰囲気がそれを上書き所か、上白沢の旦那の態度がわざとらしくて却って嫌味に聞こえる。
それぐらいの客観視は上白沢の旦那にだって可能だった。


「多分、機械油だと思うんだけれどもね。こういうのは河童さんたちの方がお詳しいかと思って」
上白沢の旦那から茶巾袋を受け取った○○は……中身の悪臭の事には一切言及せず――どう考えてもわざとだ――完全に不意打ちの形で○○は目の前の河童に茶巾袋の中身を見せた。


「おえっ!?」
不意打ちの効果は最大限に存在したようで、運悪く○○の応対をせざるを得なかった河童は更に運の悪い事に、機械油らしきものの悪臭を思いっきり嗅ぐことになったが。
「山童の臭いじゃないか!河童と一緒にするな!!こんな物を河童は使わん!どうせあいつらまた、山の適当な所に捨てて行った奴だろそれ!?」
不意打ちと、後はそこに加えて種族間の対抗意識と言う奴が感情に対して火を付けてくれたのだろう、○○が何かを聞く前に中々重要そうな情報を目の前の河童は口走った。
上白沢の旦那には○○の後ろ姿しか見えていないが、○○が当たりを引いたぞと言う喜びの感情を抱いたのは、これを例え背中姿でもはっきりと確認できた。
同時に、まだ阿求が乗ったままの人力車からも……華やいだような雰囲気が、稗田阿求の姿が無いのに○○が喜んでいるのと同じぐらいに、間違いなくそうだと思う事が出来た。
あるいは人力車の座席に垂らされている御簾(みす)が揺れ動くのが、無意識下でも視界の端に捉えたことで、中に載っている阿求の感情に気付いたか。
もっとも、人力車の位置的に○○の表情は中にまだ乗っている阿求からも観測できる位置だ。
○○が喜んでいるのならば、稗田阿求も喜ぶだろうではなく絶対に喜ぶと言うのは、どんな簡単な文章問題だの作中の登場人物の意図よりも簡単に思う事が出来る。
それぐらい、稗田夫妻の精神的なつながりは密接なのだ。もはやどちらか片方がいなくなることを、まるで想像できないぐらいに。


「なんだよ、やっぱり山童に私たちは巻き込まれているだけか!?」
「最近羽振りがいい山童がいくらか見えて嫌な気したが、やっぱりろくでもない仕事だったんだな!」
「あいつらはいつも妙な物を振りまきやがって!姿が見えないのに気配がうるさい!!」
「けばけばしい連中だ!風情が足りない!!」
「ついに尻尾だしたな!山童はいつもそうだ!変な事に首突っ込んで、周りを巻き込む!」
さすがは、職人どうしと言う奴か。
○○が茶巾袋の中にある小汚い布切れを見せた瞬間、もっと言えばそのすえた臭いが辺りの河童たちが認識した瞬間には、全てが伝播してくれたし○○は情報を聞き出すことに成功した。
河童たちは山童が関わっていると即座に断言した後は、稗田家が急にやって来て厄介な事になったなと言う鬱憤をこの場にはいない山童に対して大いにぶちまけていた。
そのうちのいくつかは、河童にも言える事の様な気はしないでもないが……今はその部分は本題と関係がない。

「山童ねぇ」
相変わらず○○は腹の底を隠しつつ、うさん臭さの気配が抜けない様子を見せていたけれども。
河童たちからすればいけ好かない山童をとっちめてくれるかもしれない存在、そのように○○の配役は変化したので、言いたい事聞かせたい事がわんさかとある河童たちは、いつの間にか○○の周りに集ってとにかく山童に対して言いたい放題を重ねていた。
「そう、遊郭での仕事が増えてるんだ。山童は」
遊郭の事に話が向くと、河童たちの熱気はさらに上がった。
風情が無いと山童に対して文句をたれながらも、それならば春を売り物にしている遊郭はきらびやかなようで下世話な空間であるはずなのだが。
それはそれ、これはこれと言うか……遊郭での仕事を山童にほとんど取られている現状への苛立ち、こちらの方がより正確だろう。

いつの間にか○○は手近な物に腰掛けながら、河童の証言を一つ一つ吟味する様子を見せていた。
「では、最近遊郭街で頭角を現していそうな山童について、知っていることがあったら教えていただけませんか?もしかしたらその中に、私の目当てがあるかも」
そうしながらも、○○の視線はあっちこっちに向いていた。
河城にとり、彼女を探していたから。
当然だろう、彼女は今回の件に置いて主たる人物ではなさそうではあるが、中心へ迫れるカギを持っている可能性が非常に高かったからだ。


とはいえ、河城にとりも○○が行動を開始している事はあの広場で出会った事で、嫌でも理解を深めている。
ならば自分を追いかけてやってきそうな、河童のたまり場には姿が無くても不思議でも何でもなかった。
とはいえ場の主導権は○○が依然有している、河城にとりがいないのであれば他の手段、この場合は他の河童たちを突っついて騒がせるだけでも十分であった。
実際、○○は自分が知らなかった遊郭街における機械仕事で存在感を高めつつあり、立場を向上させている山童の存在を知る事が出来た。
河童も遊郭街での仕事が全くないわけでは無いのだけれども、水場からあまり離れたがらない河童よりは山でなくともまだ何とかなる山童の方が商売をするのに分が良かったと言う事らしい。

だがしかし、あの場に落ちていた河童が主張するところの山童の臭いがべったりついた汚れた布切れとの矛盾が生じる。
「みなさんは遊郭街でのお仕事には縁遠いと言う事ですか?河童が全くいないわけではなさそうですが」
にとりとか、有名どころが取っていくんだよ。にとりはあんなんだけれども、腕は良いし色々やってくれるから最初からにとりを指名されたら、太刀打ちできないんだよ。水回りや防水の事なら私らでもにとりとそん色ないって自信はあるけれどもさ」
しかしながら、それとなく河童と遊郭街の関係を聞いてみれば、全くつながりがない訳ではなかった。
どうやら河城にとりは、河童にしては珍しく遊郭街でそれなり以上の立場で仕事を持っているようであった。
これだけあれば、首を突っ込むには十分だろう。
とはいえ、自分が遊郭街に出向く事が出来ないのは非常に歯がゆかった……最も歯がゆさよりも阿求が嫌がるから行かないと言う選択を考えるまでもなく、○○は行うのだけれども。
ここから先はいつも通り、稗田家の者たちに適せん指示を出して、遊郭街内部で情報を集めてもらい、ここぞと言う時に遊郭街の外にいる主格に自分の姿を出せば……

そう言う風に絵図を○○は描いていたのだけれども。
一筋の、寒さが少し気になる風が吹いたことで、○○は帳面や筆記具を守ったり埃を目に入れたくなくて、あるいは風が顔面に当たるのを嫌がり顔を違う方向に背けた。
顔の方向を変えた○○の目に見えたのは、簡素な作りをした小屋であった、恐らくあそこで河童は話をしたり食事をとったり、あるいは仮眠を取ったりするのだろう。
中には誰もいないようで、明かりと言える物は何も灯っておらず、窓やすだれもしっかりと閉められていた、と思っていた。

すだれが揺れた、あのすだれは明らかに室内にあるのに……。
不思議と言うか怪訝な思いがあったけれども、すだれが揺れて室内がほんの一部見えた時に、東風谷早苗と目線が確かに合い、その上で東風谷早苗が憂いはあるけれども○○と目線があった事を、確かに喜んだ笑みを浮かべた、乙女の顔であった。
恐怖した、東風谷早苗が自分に乙女の顔を見せたことに対する恐怖であった。
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最終更新:2023年07月26日 22:12