(しくじった・・・)

 ○○は箪笥の陰に身を潜めてモグモグとジャガイモを咀嚼しながらそう思った。

 もう二度と妖怪の山で密猟は行うまいと心に決めた○○は、代わりに余裕のありそうな家から気づかないであろう程度の金品を拝借して生計を立てることにしたのである。

 だが最初の空き巣にて二度目の人生最大の危機に直面していた。急に家主が帰ってきてしまったからだ。

 ○○はちゃんと里から少々離れた人気の少ない家を狙ったハズなのだが今回もすこぶる運が悪かったらしい。

 日雇いや食える野草探しの合間に家の周辺の様子を入念に調べ上げ、遠目から家主の出入りを何度もうかがって行動習慣を記録し、慎重に慎重を重ねたうえでようやく留守を確信した○○は勇み足で家に押し入るにいたった。

 昼を抜いて見張っていた○○はまず台所に直行、しかし残念ながら炊いた米どころか棚にぼた餅が隠してあるわけもなく、ついに空腹のあまり無造作に置いてあった芋を手に取って(生のまま食ってしまおうか・・・)と悩んでいる最中に遠くから迫る早い足音を聞き、慌てて箪笥の陰に隠れたのだった。

 もし見つかればただでは済むまいが、件の家主は空き巣がいることなどつゆ知らず。むしろ○○に背を向ける形でしゃがみこんで何かを探し始めた。

 「おっかしいなぁ、どこ置いちゃったんだろう?」

 (はよ見つけて帰れ!)

 帰れも何も、アレがこの家の家主である。

 理不尽な要求を胸に秘める○○が息を殺して箪笥の裏に潜んでいると、なにかの視線を感じてビクリと心臓が跳ねる。ふと見れば無造作に転がっていた大きめのこけしと目が合う。

 「・・・・・・・」

 ○○の脳裏に後ろ暗い考えがよぎった。これで後ろから襲い掛かれば誰にも知られることなく金品を、いや家主の持っているものを一切合切手に入れれるのではないかと。

 未だに同じところをゴソゴソと探っている家主の禿げ頭といやにデカいこけしを交互に見やり、イケると確信した○○は意を決してこけしを掴む。

 目をつむり、ドックドックと高鳴る鼓動と緊張による震えを抑えようと何度か深呼吸をしてひょこっと箪笥の陰から顔を覗かせてみた。

 性懲りもなく同じところを延々と探している家主の坊主頭が見える。

(いい加減諦めるか別のところを探せよ・・・)

 ○○は相変わらず同じ場所を探る禿家主の愚かさにイライラしながらそろりそろりと背後に忍び寄り、握りしめたこけしを衣服の擦れる音で気づかれぬようゆっくり振りあげる。 

 そして腕の限界までこけしを振り上げた○○は一層強く握りしめて大きく息を吸い込み、家主のドタマめがけて振り下ろそうとした刹那、誰かに後ろから強烈な力で腕を掴まれた。

 おっかなびっくりして後ろを向けば、なんと、あの少女が気色の悪い笑顔をうかべて佇んでいるではないか!

 ○○は思わずウワァッと声を出して驚いた拍子にこけしを手から放してしまった。ゴトンと大きな音を立てて落ちるこけし。

 慌てて空いている手でこけしを拾おうとするが筋骨隆々の大きな腕がそれを遮るようにこけしを掴んだ。

 ○○の顔はみるみる真っ青になる。

 遠目からは分からなかったが、目の前に立つ家主は○○よりもさらに二回り以上も大きく体の部位すべてが太くガッシリしており、禿げ上がった皴のキツい顔にはいくつもの傷跡が見受けられたからだ。

 そう、見た目はまんま眼帯してないだけの愚地独歩である。

 家主の手に納まったこけしは○○の目からは、あたかも箸のように細く映った。そのくらいこの家主独歩はデカいのだ。

 (ああ、死んだなこれは)

 妙に冷静になって考える○○。彼の脳裏にはさっきまであった邪な考えの代わりに走馬灯が流れていた。

 万事休す・・・ということもなかった。

 家主の方を見ればなんということでしょう、そこには○○(と次いでにこいし)のことなど気にも留めた様子もなく手にしたこけしを見て安堵する家主の姿が!

 「なんだ、こんな近くにあったのか」

 手にしたこけしを見て気恥ずかしそうにテヘッとニヤけ顔を浮かべる家主は優しい口調と眼差しをこけしに向けて一人呟くと、そのまま二人の侵入者を残して家から出ていてしまった。

 こいしの手から掴んでいた○○の腕がスルリと滑り落ち、何が何やら全く分からない○○はへなへなとその場にへたり込んで唖然と独歩そっくりの家主の後ろ姿を見送り、少女は相変わらずのにこやかな表情を彼に向けていた。

 座り込んでいた○○だったが、やがてゆっくりと立ち上がって戸口に向かう。頭の中がうまく纏まらないものの長居するのが危ないことぐらい○○にだって考えなくてもわかっていた。

 はにかみ少女の方は考えたくないので極力視界に入れないように無視して横切った。幸いなことにこれ以上、特に何をされるわけでもなく、ただひたすらに少女は○○の姿を目で追うだけだった。

 初めての空き巣、空腹、死の危険、未遂に終わった強盗、へんな少女、家主独歩、今日の出来事すべてが○○の脳と体を十二分に疲労させた。家を出た○○は昼の太陽が眩しく照らす中トボトボと人里の方へ歩を進める。

 (もう秋だというのになんて暑さだ)

 ○○は額に滲む汗をぬぐって太陽の眩しさに目を細めた。


―――――


 昼の太陽が西へ僅かに傾いたころ、○○は長屋まで戻ってきた。途中で何人かの日雇いの仕事で知り合った人々に飲みに行かないかと誘われたが、金がないからと断った。こういう日雇いばかりしている○○のような貧乏人たちの飲みの席は大抵割り勘で、しかも今日使う行燈の油をミリ単位で節約するような輩ばかりなのでまず奢ってはくれないのだ。

 ○○は裏手の井戸から水を一杯汲んで手や顔の汗を流し、何口か水を飲むと借りている一室に上がって畳の上にバタリと倒れるように大の字で寝転んで目を瞑り寝息を立てる。

 まどろみの中で○○は夢を見た。数寸先も見通せない暗闇の中にポツンと突っ立っている夢だ。

 暗闇の中で誰かがすすり泣く声が聞こえてくる。よく目を凝らすといつも被っている帽子を傍らに置いてしゃがみ込む少女が見えた。あの少女だ。

 恐ろしくは思ったが、あまりにも悲しそうな姿に哀れに思った○○はおずおずと近寄って声をかける。

 「何を泣いているんだい?」

 優しく声をかける○○。しかし少女はすすり泣くばかり。

 困ったものだと首をかしげる○○は小さい頃、べそをかいた時はよく母親が頭を撫でてくれたのを思い出した。

 ○○は触れることで少女がどんな反応をするのか結構不安だったものの、何とか泣き止ませたくて頭を撫でると少女の頭が僅かに上向いた。

 「お?」っと反応があったことに喜ぶのもつかの間、気付いた時には○○は座ったままの少女にヘッドロックをかまされていた。

 「いででででで!?なんでぇ!?!?」

 華奢な体から出るとは思えない凄まじい力で頭を絞められ目を白黒させる○○。

 バシバシと地面をたたいてギブアップを知らせるが、少女はぶつぶつと何かを呟くのみ。

 全然離してくれず、終いにはちょっと痛みに慣れてきて心に余裕ができた○○は、お経にも似たそのつぶやきに耳を傾けた。

 「好き、好き、大好き、離さない離さない離さない、私だけの太陽、私だけの○○、誰にも渡さない、人里の女の子にも山の妖怪にも、お姉ちゃんにだって渡さない、絶対、絶対、絶対に!」 

 ○○にゾッと虫唾が走る。

(お経なんて有難いものじゃない、これは呪詛だ、俺を呪うための呪詛なんだ!)

 そう直感した○○は半ばパニックになって少女の腕から逃れようと体を左右にひねる。

 そしたら急に力が緩みその勢いで体が回って少女と目が合った。

 「恐ろしい」その瞳はどこまでも暗く深く濁っており、眼球にぽっかり穴が空いたみたいだった。

 そしてその穴は○○の感情や意識や記憶、体さえもすべて吸いこもうとしている様に○○の意識を捉えて離さない。

 ○○はまるで蜘蛛の巣に引っかかった蝶のような思いだった、しかし獲物が引っかかったというのに蜘蛛はただジィっと○○を見つめているだけで動こうとはしない・・・・・。

 日はさらに傾き、夕日の光が眩しく○○の顔を照らす。パッと目を開けた○○は激しい動悸と悪夢の相乗効果で体を起こすことができずに呆然と天井・・・ではなく薄緑の瞳を持つあの少女の笑顔を見ていた。

 徐々に思考が定まっていくと同時に○○はいまだ高打つ心臓と気怠さをものともせずに少女の膝枕から飛び起きて、ゴキブリのごとくワシャワシャと手足を動かして部屋の隅っこに背を預ける形で少女と対峙する。

 「起きちゃった?どうして起きたの?」

 そんな○○の様子を気にも留めることなくニコニコと”なんで起きたのか”など変なことを聞いてくる少女。

 「・・・ふん、どうしてだと思う?」

 (んなもんお前が俺の家にいたからじゃい!)と穏やかではない心中でツッコミを入れつつ、普通に答えるのも手玉に取られているようで癪だと考えた○○は、ぺたんと座って夕日に照らされる少女に疑心の感情マシマシの眼差しを向けつつ精一杯の虚勢を張って質問を質問で返したのだった。

 「それは、太陽が眩しかったせいだね!」

 少女は考えるそぶりも見せずに自身の目を両手で覆って即答した。

 「また、太陽かよ・・・」

 明るい声でおどける少女にやや毒気を抜かれた○○の腹がぐぅっと情けない音を上げる。

 「ふふ、可愛い音」

 「うぅ、うるさい、どんな用かは知らないが、俺が井戸で水を飲んでる間にさっさと出て行ってくれ」

 ご承知の通り、今日の○○は生の芋しか食っていないのだ。かと言って貯蓄なぞ博打に使ってしまって一銭も無いので、仕方なく○○は何時ものように水で胃袋を満たそうと少女の言葉に赤面しながら井戸へ向かう。

 しかしそんな○○の前に少女がニコニコと立ちふさがる。

 「な、なんだよ?」

 こっちは腹が減ってるのに、と言葉を続けようとする○○の利き腕を掴んで目の前に引き出すと、その手にジャラジャラと銭を落として一言。

 「これで一緒に美味しいもの食べよ?」

 手から零れ落ちるほどの量の銭に口をあんぐり開けて驚く○○も一言。

 「お、お、お前、一体何で俺なんかに?」

 驚く○○により一層良い笑顔で古明地こいしは答える。

 「それは、太陽のせいだよ」

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最終更新:2023年11月08日 13:13