「ねえ、ちょっといいかしら。」
夕食の後、神社の縁側に座って夜空をただぼんやりと眺めていた彼に声を掛ける。すると彼は、どうしたんだ、と言いたげな顔を向けた。
「・・・話があるの、それも少し真面目な。だから、ここに座ってくれないかしら。」
私はそう言って、私が座っているちゃぶ台の反対側を指差す。
彼は、分かった、といった感じですっと立ち上がり、そこに腰を下ろした。
「ん、ありがと。」
ぽろっと溢れ出た言葉。
何気なく言った私自身のその言葉に気付かせられる。彼への態度が他の人のものと変わっていることに。普段の私ならこんなことで礼を言わない。彼と親密になれた証拠なのか、もしくは、あえてそうしているのか・・・
・・・まあ、いいわ。どっちにしろ喜ばしいこととは言えないわね。
・・・ふぅ。
「お茶、淹れるけど飲む?」
そう聞くと彼は少し考える素振りを見せた後、首を縦に振った。そこで私と彼の前に湯呑みを一つずつ置き、私の横のやかんを傾け、注いでいく。
「はい、どうぞ」
彼は軽く会釈してからゆっくりと、味わうように飲んだ。
「・・・・・・」
私は話を切り出せないでいた。できるならば、ずっとこうしていたい。彼と何気ない時間をゆっくりと過ごしていたい。向き合わねばならない現実からは目を背けて、ずっと。
しかし、そういう訳にはいかない。実際彼を待たせてしまっているし、なにより、早い方が良いもの。
「確か・・・」
私は意を決して言う。
「あなたがこの幻想郷に来たのは、大体一年前よね。」
彼は、こくりと相槌をうつ。私は、ふぅ、と息をついてから、ぽつぽつと語る。
「私もここで巫女をやってる以上、あなたみたいな外来人にはそれなりに会っているの。だから、この見知らぬ土地、幻想郷に来た外来人が軽いパニックを起こしていることも百も承知。ただ、あなたは・・・なんと言うか、こう、普通の人とは違っていたのよね・・・。」
下を向いて話していた顔を上げると、彼は真摯に私の話を聞いていた。いつものように落ち着いた、しかし無表情とはとれない顔で。
「とにかく、あなたは冷静な人だったわ。異世界に迷い込んだと伝えても、この世界には妖怪がいることを伝えても、そうですかの一点張り。果ては神社に来るまでに妖怪に襲われていたのにその冷静さと来たら・・・本当に人なのか、怪しいほどだったわ。」
一度口を止め、私は目の前のお茶を一口飲む。
「決してそれを悪く言っているのじゃないのよ。むしろあなたの良いところだと思っているわ。裏を返せば何事にも、誰にでも等しく向き合い、評価できるってことだもの。」
ふぅ、と私はまた息をついてから話す。
「この際はっきり言わせてもらうわ。私、この一年間あなたがこの神社に住んでいてとっても嬉しかったし、何より楽しかった。私のような浮世離れしたヤツに恐れることもなく対等に接してくれた人間は、
魔理沙や菫子とか以外では・・・あなただけだったの。」
私はお茶をがばっ、と飲み干す。あふれでる感情を飲み込むように。
「だからこそ、あなたと一緒にいる時間は私にとって、とても大切なものなの。これからも一緒に過ごしていきたいって心の片隅で、ううん、心の底から思っている。けれど・・・」
そう。
「帰ってしまうのよね・・・」
翌日、彼は元居た世界に戻ることになっている。博麗大結界とて頻繁に操作するのは好ましくない。だから、外来人を外の世界に送り返す頻度は、およそ一年おき。彼は前回の帰還の直後に迷い込んだので、一年間をこの博麗神社で過ごしていた。しかし、明日がその一年後なのだ。
そう、幸せだったのだ。彼と一緒にいて。いつか別れることは知っていたし、そのときに後悔したくはなかった。だけど、それを理解していながら彼を、愛した。彼が、好きだった。心では覚悟していた、なのに、なのに・・・
・・・泣くな、私。そんなことはとっくの昔に受け入れたはず。それに、笑って送り出すのが私の役目。そうよ、そうなのよ。
・・・けれども
「・・・もう一度聞くわ、あなたは、本当に、帰るのね?」
やっぱり諦められない。彼と居たい、彼と歩みたい、彼が欲しい。そうした、まるでおもちゃをねだる子供のごとき無茶な我が儘を、諦めきれない。
そんな相反する感情が私を包み、支配し、蝕む。蝕まれた心は、絶対にあり得ないとわかっていても、もしかすると、彼が首を横に振り、やっぱり一緒に居たいと思ってくれる彼を夢想し、
彼は、横ではなく、縦に、振った。
それからの事はあまりよく覚えていない。気付けば鳥居の下の階段で、私は膝を抱えてうずくまっていた。彼は明日の朝、帰ることになった。一緒に居れる時間は、後半日。
もうわかった。彼に質問したとき、いや、彼に声を掛けたときには薄々勘づいていた。私は彼に残って欲しいと思っている。受け入れてなんかいない。覚悟なんてできていない。
そうだ、勝手な言い訳を作って残らせようか。大結界が急に操作できなくなったとか。かなり無理のある言い訳だが、それで彼が残ってくれるなら・・・
いや、やっぱりできない。彼の意思を反故にすることはできない、という良心的な解釈もできるが・・・
・・・怖い、のだ。
彼の自分に向ける視線、思いが変わってしまうのが、怖い。
もし、私の、妖怪を退治するといった調停者としての仕事を彼に見られてしまったら・・・いくらぶっきらぼうの彼とはいえ、私を畏怖するかもしれない。そうなったら、私はいったい何を支えにして生きればよいのだろう。
この一年間、できるだけ彼に好印象を与えるように、決して彼の前で「博麗の巫女」の仕事を見せないように、細心の注意を払っていた。異変が起こった際には、彼に適当な言い訳をして、神社を飛び出し、仕事が終わるや否や、神社に真っ直ぐ帰り「博麗霊夢」を演じる。
そうすることで、私は、私を守ってきた。しかし、今となってはそれは二律背反なのだ。
一方、彼を残せば、本性を知られ、恐れられる。
他方、彼を返せば、生きる意味を、失う。
・・・もう、泣いてしまいそうだった。何もかもが、わからない。
私は、一体何をすべきなの?私は、何を望んでいるの?私は、彼はなんで此処に居るの?私は、何の為に生きているの?私は、私は、いったい、私は、なんで、どうして、私は、彼は、私は、わたしは、わたしは、わたしは、
わたしは、
「・・・・・・・あ。」
突如、頭の片隅にある考えが浮かぶ。
そうだ。これだ。これで、これで全て上手くいく。これで、彼は残ってくれるし、私は恐れられない。そして、彼は私から離れられない。
「・・・ふ、ふふ、ふふふふふふ・・・・・・」
思わず笑みが、溢れる。
ああ、なんでこんなに簡単なことを思い付かなかったのか。こんなにも、簡単だというのに。
そんなことはいい。やるべき事が分かったからには、すぐに取りかからないと。なにしろ、早い方がいいもの。
そう思いつつ、私は彼の居る部屋に足を進めた。
すっかり夜は更けていた。空には、つんと尖った三日月が浮かんでいて、
少女の目は、どこまでも深く、暗く、濁っていた。
「・・・失礼するわ。」
静かにそう言ってから、そっと障子を引いて彼の部屋に入る。案の定、彼は布団の中で眠っていた。何せ明日帰る予定なのだ。早寝するにこしたことはない。
音を立てないように、こっそり近寄って彼の顔を覗く。いつも通り感情の起伏はなく、しかし今日はどこか微笑んでいるようにも見える顔に安心させられる。
彼の背中側に回り込んで、そっと腰を下ろし、掛け布団をめくって布団の中に入る。微妙に肌寒くなるこの季節、彼の体温が、脈拍が、存在が私を暖めてくれる。
彼の体に腕を回し、そっと、ぎゅっと抱き締める。私は彼の背中を感じ、彼の匂いで満たされ、彼の体温でさらに体が火照り、彼の存在が、私を私たらしめる。
・・・いったい、何時なのかしら。彼が、私の中でこんなにも、こんなにも大きくなったのは。
あの頃?この頃?または、もっと前から、
・・・いや、もしかすると、もしかしなくても、
私は、袂から封魔針を取りだし、
ーーー最初から、だったのかもね・・・
彼の延髄に、ぶすりと、突き立てた・・・・・・
彼は動かなかった。声を出すこともなかったし、目さえ開かなかった。まるで眠っている様であったが、たった一つ、寝息が一切聞こえなくなった事が、彼の眠りは永遠に続くものであることを語っていた。
そんなことをぼんやり考えているうちに、彼の身体から青白いものが、ふわりと浮き上がった・・・魂だ。まるで知らない土地に初めて来た子供のように、部屋のあちこちに、ふよふよと漂っている。
「・・・おいで。」
私が両腕を広げてそう言うと、しばらくきょろきょろした後、すっと私のもとに寄ってきた。ぎゅっと、ふんわりソレを抱きしめながら、思う。
ーーーああ、これだ、これで良かったのよ。
人はこの世に生まれたときに魂を授かる。そして、それを基に人間の構成要素、要するに肉体、感情、思考が作られる。そして、肉体が滅び魂が成仏、もしくは転生するまで、魂は不変なのだ。簡単に言うと、擬似的な不老不死。
つまり、コレは彼の存在そのもの。
しかし、魂は脆い。何の力も持たない、放っておけば消えてしまうような存在なのだ。
ーーーだから
「私が、守ってあげる。」
誰にも、私と彼の二人以外に聞こえないように、口の中で言葉を転がした。
・・・ふと思う。
これで良かったのか、彼は受け入れてくれるのか、こんな我が儘な私を・・・
・・・まあ、良いか。
善後策や後悔や我が儘なんてどうでもいい。だって私は今、幸せなの。
・・・けど
「ごめんなさいね」
彼に迷惑をかけてしまっていたのなら・・・
いや、それでも
「私は、あなたが、欲しいの」
最終更新:2024年10月30日 00:15