ちょっとした気の迷い。
封印されていた間も、寂しいと感じる事はあったけれど。
これはきっと一時的な、そう、親近感や同情の一種
だと、思っていた。
私は今日も目も合わせられない。
この人の隣に居るだけで、自然とつかず離れずの距離を取っている自分。
滑稽で威厳の無いその姿は、醜態と言っても良い程。
……あの子達には見せられないな。
隣で不思議そうに会話を続ける彼を横目に、
私は俯きながらそんな事を考えていた。
……数日して、それが初めて『恋』だと言う事に気付く。
寅丸や村紗達から指摘されてから、だけど。
最初は否定したものの一輪や雲山までもがそうだと頷き、
全員息を合わせたかのように
「誰が見ても分かりますよ」
そう言われた時は身体能力を限界まで強化した上で、
全力で木に突っ込んだ時くらいの衝撃が――いや、分かり難いかしら。
とにかくそれ位の衝撃を受けた様な気がして、
何時の間にかエア巻物に筆を入れようとしていたりと。
……年甲斐も無い。
肉体と一緒に、若気まで取り戻したとでも?
鼻で笑おうにも、一瞬彼の顔が頭を過ぎるだけで、
何故か意味も無く自分の布団へと潜り込んでいる私が居る。
本当に……何をやっているんでしょうか、私は。
でもそれから、私達の関係は変わっていった。
あの子達の指摘のお陰で、私はこの気持ちに気付けたのだから。
素直になる事が出来たのも、皆と……彼の、おかげ。
躊躇いがちに俯いて、少しだけ覗く様に視える彼の顔が好き。
つかずはなれずの距離から、勇気を持って寄せる事の出来る彼の体も大好き。
私達、人外や妖怪とも区別せずに
私のこんな姿を見ても横で何も言わずに居てくれる
貴方の心に 私は少しでも寄り添っていたい……
それが例え、僅かな時間でも構わないから。
――大事な話があると、彼から話を持ちかけられた私は。
平静を装って別れた後、自室で天井を見たまま固まっていたらしい。
帰ってきてから五時間以上天井の染みを数えていたらしく、
村紗が心配そうな顔で揺さぶってくるまで完全に沈黙していたという。
事情は伏せたが、心配無いとあの子達に諭すと一先ずはお互いに落ち着いた。
私がまたその日の夕食で、床の染みを数え始めるまでの話だが。
――この日までは”普通”に幸せだったと思う。
林の中にある、水の澄んだ河のほとり。
あの人は大事な話があるのだと……
まるで少女の様に、胸に期待を膨らませながら私は彼へと近付いて言った。
先に来ていたのですね。待たせてしまいましたか?
彼は笑って首を振る。
そうして挨拶を返しながら、私の顔を見る彼。
不思議なもので、今日は彼の顔を見ても目を背ける事もない。
恥ずかしさよりも何か、違うものが前に押し出されているような。
少しの沈黙が流れ、彼の口が開く。
……とく、とく、とくん。
胸の中で、何時か取り戻されたそれが頭の中にまで強い音を立てる。
とく、とく、とく。とく、とく、とくん。
そして彼は言った。
とくん、とくん、どくん。
とくん、とく、とく…… ……とく ……とく
…… …… …… …… ……。
…… …… …… …… ……。
林の向こうから一人の男が出てきていた。
照れた様子で出てきたその人は、よく命蓮寺の補修なども手伝ってくれた人。
けど、そんな事はどうでもいい。
どうでもいい。
ど う で も いい。
あの……意味が分かりませんでした。もう一度言って頂けませんか?
自分が今耳にした言葉を、信じられる筈も無い。
心臓の鼓動は収まり、血はまるで凍りついたようにさえ思えていた。
……聞き間違いではなかった、その一言のせいで。
その人は私の事が好きだと。
私と仲の良い彼に取り持って貰おうと、お願いしていたと。
……つまり、彼は……
私とこの話をする為だけに私との関係を続けていた……?
「そんな事はない。彼は優しいから」
”そんな事は分かっている”
「そんな事は無い。彼は、優しいから」
”そんな事分かってる”
「違う、彼は優しいから……だから」
”でも嘘。私の事なんて始めから目に掛けてなかった”
「私は……優しいから……好きだったから、彼を……」
”人間はやっぱり嘘つきで酷い存在だったのよ。それは彼も変わらない?”
「彼、を……」
”好きだったのに。アイしてたのに。こんなにも本気で、私はまた裏切られた?”
「彼、は……」
”彼は 私の心を助けてはくれない”
違う。彼は私を救ってくれる人 きっと。
すうっ、と黒いものが。私の全てを包み込んだ様な気がした。
話を続けていた彼の口を、私は自分の口で塞ぐ。
思い切り舐め回す様に、私のにおいが染み込む様に。
驚き照れる様にして飛びのく彼をがっちりと腕に抱きしめて捕まえると、
その人へと私は微笑みながら言った。
「ごめんなさい、私は。彼の、モノですから」
そのまま胸に顔を埋めるようにして。
同時にその人は彼へと罵詈雑言を浴びせると逃げる様にして去って行ったが、
私には何の感情も沸かなかった。
ただ、この想いの丈をぶちまけ、体を重ねる幸せが全てを忘れさせてくれた。
彼が私を拒絶するまでは。
当然か。
私とは親友として付き合っていた、
ましてやあのような態度を彼の友人に取った事……
彼には許せなかったらしい。
体を引き剥がそうとしながら、
しかし汚い言葉は使わずに私を嗜める様に言葉で攻めている。
……あぁ、やっぱり私の好きな人は彼だった。
感情のまま、私に怒りをぶつける事も出来たでしょうに。
だから私は彼に言う。
何を言う?
決まっている。
後戻りなど出来ないと。
「アイしてます」
何かが壊れたその想いのまま、私は彼に告げた。
「これからは たとえ なにがあっても ずっと一緒ですよ」
彼は、目を丸くするだけだった。
「毎日、貴方の為にご飯を作りに行って上げますね。朝食も、お弁当も、夕食も」
何を言われているのか、理解出来ない。
「足りなければ夜食だって、任せて下さいね。これからは尽くしてあげますから」
そんな表情。
「服だって繕います、お揃いにするのもいいですね
洗濯もしましょうか ふふ、恥ずかしがらなくていいんですよ
部屋の掃除だってしてあげます 大丈夫ですよ
貴方が何を趣向としていても 私は許してあげますから
いっその事 私達と一緒に住むのもいいですね
一日中あなたにべったりと
うふふ、お説教してあげますから
どうですか
これだけ言われてまだ気付きませんか
私がどれだけ貴方をアイしているか
貴方が私に何を言ったのか
私が今、貴方をどんな気持ちで抱きしめているのか」
そして彼は、青ざめた。
自分を抱きしめている女は――人間の皮を被った、悪魔だと言う事に。
「貴方も私の事―― アイしてますよね?」
ゆっくりと頷く彼に、私は微笑んで答えていた。
そうして、もう一度キスをする。
今度はゆっくりと、永く……
そして耳元で囁いた。
「だから裏切ったら……殺しちゃいますから♪」
例え死んでも逃がさないという、二重の意味を込めて
永遠に続く私達の絆が
深くしなるように絡まったのを感じながら
最終更新:2011年03月04日 01:41