「酷いヒトですね、これは」
「やっぱり、白蓮でもそう思うのか」
独り漫画を読んでいた○○の部屋に入った聖は、横から覗き込む様にして漫画を眺めていた。
始めのうちは気にせずにそのまま、黙々と読み続けていたのだが、暫くすると読み終えて捲ろうとしたページを聖が止めていた。
○○も聖が漫画(の内容はともかく)に興味を持ってくれた事に気を良くし、それの一巻目から渡してやる。
そのまま○○が別の漫画を読み始めて、真ん中辺りに差し掛かった頃丁度、聖は読み終えて、ああいう感想を述べていた。
「当然です。この
主人公、余りに節操が無い。昔の人間にも、こういった輩が居たのですが」
「へぇ、どんなの?」
「権力者とか、顔だけが良い。そんな自己中心的な方々の中にちらほらと。
……言い寄ってくる人間全てが、救いを求めている訳ではないですから」
「……ふーん」
そう言って○○は先程読み終えた漫画を手に取り、主人公の顔を浮かべる。
……頭の中で聖の隣へと近付けると、言い寄らせてやった。
「……(っぷ)」
笑顔であしらわれるか、肉体的に立ち直れなくされる姿を想像して、少しにやにやとしてしまう。
「――?何ですか、○○。顔に何かついてます?」
……そこでふと、○○の頭には別の考えが浮かんだ。
聖は善人だ――それもかなりの。
今はこう言ってはいるものの、実際はどうだかなんて判りはしない。
仮に星や船長に尋ねた所で結果は見えている。
「まさか!聖に限ってそんな事はありませんよ」
耳をピコピコとさせながら不純物0%の顔で答えてくる顔が浮かぶ。いや、動物耳なんて見た覚えは無かったのだが。
「ははは、○○さん。ちょっと漁に行きたくなりませんか。いえいえ、何も言う必要はありませんよ」
そぉい、と。
今度はアンカーに括り付けられたまま、後ろからドーンとぶちかましてきそうな姿が浮かんでくる。
一輪は以下略、
ナズーリンは完全にアウトだった。
……兎に角、もし聖がそんな男の誘いすら避けられない、まだ純心な乙女だったとしたら、だ。
断りきれずに顔を真っ赤にして、流されるまま――
いやいや。
彼女は年老いてから法力を学び、それから若返っている筈。
だから――何か?
彼女はとっくにそれをあしらえるほどに経験豊富で、
「巷じゃ男喰いのひじりんって呼ばれてたのよ。千人切りでスコア稼ぎとか、良くやったわぁ」
とか言えるまでの手馴れと言う可能性だって、なくはないと。
いやいやいやいや。
黒く際どい衣装を着けた聖が、蝋燭を垂らしている姿が浮か――びそうになったが、どうにも不信感を拭いきる事は出来なかった。
(聖の掌の上で、遊ばれているだけって事も……)
「でも、この女性の行動も随分と短絡的だとは思いませんか?」
「は、えっ?」
聖の声で○○は我に返ると、素っ頓狂な声で返事をした。
「本当に好きなら、どうしこのて主人公にもっと真摯な気持ちで話をする事が出来なかったのかと……
彼女が愛することを放棄して、暴力や自己満足に陶酔しているようにしか、私には思えなくて……」
「あー」
所謂その漫画にあった”やんでれ”的な描写のページを開いて聖が問いかけていた。
それは○○にも判っては居たのだが、先程の考えとで思考が半分になってしまっている。
「じゃあ白蓮の場合、間違って浮気したとしても、謝れば許してもらえるのかー。なんて……」
「 は い ?」
びりびりびり。
聖が持っていた漫画が音を立てて破れる。
「あぁぁ!!それっ、紅魔館からの借り物なん……」
「 な に か ?」
「だけ……ど…………か、形あるものは必ず壊れるしなっ!しょ、しょうがないよな!うん!」
白蓮の笑顔はで笑っている。
聖母の様に。
不動明王のオーラを放ちながら。
因みにその日、一人だけ食事が御飯とたくあんだけしかなかったのだが、誰のものなのかは聞くまでも無かった。
(もう……あの人があんな事言うから……)
皆寝静まった頃に白蓮は一人、布団を抜け出すと恋人である○○の部屋へと向かっていた。
この年になって、しかも千年の封印が解けたこの世界でと……周りは笑うだろうか。
そんな風に考える事もあって、一時は○○を遠ざけようと、寺への出入りを禁止したりもした。
……そして、来なくはなった。
が、代わりに毎日手紙が届く様になり、その内容には自分を気遣う様な内容と、謝罪。
否は自分にあると思っていたのだろう、手紙には若干滲んだような後さえあった。
何度も何度も、書き直した様な筆跡と一緒に。
無下にする事が出来ず、白蓮は返事を返した。
直ぐに次の手紙が届き、白蓮はまた返事を返した。
繰り返す事、どれだけの遣り取りを繰り返したのか。
(あなたに会いたい。会って話がしたい、本当は)
(顔が見たい。今直ぐにでも、あなたの声をこの耳で聞きたい)
(あなたの事を 想っているから)
手紙の内容には、自重された言葉など無かった。
寺ではなく、偶然外で顔を合わせた二人は。
言葉よりも先に、お互いをその腕に捕まえていた。
まわりがなんと言おうと、構うものか。そう囁き合う様にして、ぎゅっと。
この幻想郷ではネタにはなるが(主に天狗の)。実際は懸念でしかなかった。
あの時手紙に記した様な想いが、白蓮の中でもやもやとしている。
(浮気……あの人が、浮気なんて……)
する筈が無いと、頭では判っていた。
けれどあの時、ふと興味を引かれ読んだ、漫画の中の女性の立場が――もし自分だったとしたら?
確認する様に、そして自分に諭す様に○○にはああは言ったが。
本当に浮気されたとして、自分は彼を正面から冷静に説得出来るのだろうか。
きっと冷静にはなれない。
……涙を流さずにいられる、自信も無い。
(……もう。釘でも刺しておきましょうか。それに偶には、こうやって夜一緒に過ごすのも――)
白蓮は部屋に辿り着くとそっと部屋の戸に手を掛けようとする。
(あら?ちゃんと閉まっていませんね)
風邪を引いて困るのは自分でしょうにと、少し溜め息をつき。
その隙間から、○○の寝顔が覗けると、何か違和感がある事に気付く。
(――えっ?)
……頭を何かで殴られた様な衝撃が、白蓮の中に走っていた。
直ぐにもう一度確かめてみるが、それは変わらない。
――彼の隣に誰かがいる。
布団の中に、黒い髪の。
……女の頭。
戸をそっと閉めると、口に手を当てたまま嗚咽を漏らさぬ様にして白蓮は部屋を離れ――
布団には戻らず、自室で、突っ伏すようにしながら声にならない声を上げていた。
「……おや?聖、目の周りが少し赤いですよ。あれからまだ起きて居たんですか?」
「星……えぇ、ちょっとね」
「ちょっと……?」
「……」
「……聖?」
一番に白蓮と顔を合わせた星はその何気ない変化に気付いたが。
皆で朝食を摂る為に顔を合わせた時にはもう、何時も通りの様相で。
星もまた、日常の忙しさに飲まれ些細な事を忘れる様に、その事は頭の隅へと追いやられていってしまった。
その日の夕方。白蓮は縁側に座りながら、何処か遠くを見る様な目をしていた。
「姐さん?どうしたんです……」
それに気付き声を掛けようとした一輪だったが、白蓮の視線の先にある存在に気付く。
(船長にぬえ?何してるのかしら、あの二人)
聞き耳を立てるが、どうやら大した話をしているわけでもない。
どうやら何かの趣味の、雑談と言った所だろうか。
聖は何を気にしているのだろう、とあらためて声を掛けようとするが。
「あれは――」
白蓮の方から声が掛かった。
「創作された本の話ですよ。昨日、○○の部屋で読ませてもらったんです」
「……そうなんですか?」
意外そうに返事をし、そうしてもう一度二人を見た。
……姐さんも話の仲間に加わりたいけど、恥ずかしいのかしら、と。
確かに楽しそうではあった。
「……今まで気にしてもいませんでした。気にする筈もありませんが。
自分が読んだ事も無い、本の内容なんて」
その言葉と同時に白蓮は俯く。
「――だって、趣味の合う女性(ひと)の方が……っ」
重そうに、言葉を吐き出して。
「え、何……姐さんっ!?」
振り向くと其処にはもう、白蓮の姿は無く。
ただそれを横目に、黒い髪の女の一人は――口元を歪ませていた。
夕食時、星の料理を手伝っていた○○はふと気になっていた事を口にした。
「そういえばさ。何か、聖が元気ないんだけど」
「ああーーーっ!!!」
大声を上げる星。
「うわったったったっ!」
それに驚いた○○は、配膳途中のお盆のバランスを崩し掛けたが、何とか持ち堪えた。
「い、いきなり大声を出してどうしたんだよ」
「そうでした!そういえば朝から聖の様子がちょっと変だったんですよ。何で今まで忘れてたんでしょう……」
「ええっ!?って朝から……?!」
「はい。何だか夜なべしたような感じで……てっきり昨日の疲れから来ているものかと思ったのですが」
「昨日からか……でも昨日部屋で別れるまでは(違う意味で)元気だったんだけどなぁ」
「……ふむ。もしやこれは……」
星が自分の方をじーっとみる。
「……ん?」
そして真っ赤な顔をして、両手でぶんぶんと振った。
「あ、その……おめでとうございます……」
「何がさ!?」
「そんな、私の口から言わせないで下さい……」
「いやいやいや。多分違う、それ絶対違うから」
結局星が何を言いたかったのかは追求せず、夕食時に顔を見せた白蓮の顔は、朝食の時同様何時ものままで。
それを気にして○○も声を掛けたが、やんわりとあしらわれ、自室へと篭っていってしまった。
何処か白蓮に元気が無い。
そんな考えが巡り、○○は眠れずに居た。
(昨日の夜っていえば……)
漫画を読んだ時の事を思い浮かべる。
そういえば、怒らせる様な話題をするにはしたが……
あの白蓮がその程度の事で、周りに気付かれるほどに塞ぎ込んだりするのだろうかと。
寧ろ、自分が鉄槌を喰らうか、前もって釘を刺しにくるにでも違いないと思っていただけに、心配だった。
それとは別で、やはり何かあったのだろうか?
戸に映る月明かりすら、もうおぼろげなものになっている。
夜も更けて、もう誰も起きては居ないだろう。
それでもまだ、彼女は――
○○はじっとしてはいられず、白蓮の部屋へ行こうと、布団から出た。
そして戸を手に掛けようとして
そのおぼろげな光に映る
人影が見えた。
「今日は居ないんですね……」
戸の隙間は若干開いており、彼女の瞳が覗いている。
――まさか、ずっと見られていた!?
「びゃっ、白蓮っ!?どうしたんだ、一体!」
「……それは」
指と指を合わせる様にして、白蓮は口をパクパクとしている。
言葉を選んでいるのだろうか。
「ちょっとした、探し物ですよ」
「探し物って……」
一瞬考えて言う。
「だったら、ナズーリンに頼めば早いんじゃ」
「もう頼みましたよ」
「……えっ」
「だから此処に居るんです。此処に”居る”と、言っていましたから」
……”ある”ではなく”いる”と言った。
それを火蓋に、○○の頭は混乱し始める。
「と、とりあえず中へ入ったらどうだ?
こんな夜中に、ずっとそんな所に居たら体に悪い」
「あなたとは違いますから。大丈夫ですよ、○○」
戸の隙間から覗く瞳が、優しく笑った。
――この戸を跨ぐ距離が、今のあなたとの間隔だから。
「……人の命も想いも、やはり儚いものなのでしょうか、○○」
「そっと手を触れる程度の衝撃で簡単に綻んで、壊れてしまう」
「もっとずっとあなたと傍で暮らしたかったのに……
どうしてこんなにも早く、終わらせる様な事をするんですかっ……!」
○○が何か言っているが、白蓮には聞こえていなかった。
「……あなたと別れるのは、命蓮と同じ、天寿を全うしたその日になると思っていたのですが」
バタン、と戸の開く音と一緒に。
白蓮の手が、ぐい、と○○の首を掴むとそのまま床へと捻じ伏せた。
「もう………………………………
そんな心配も要りませんね」
もう片方の手が勢い良く○○の頭へと向かう。
その手はするりと後ろへと回され、そのまま体を引き起こす様に持ち上げると――
首に掛けた手はそのまま、○○を抱きしめる様にして包み込んだ。
……首に掛けた手には力が入ったまま、息は出来るが言葉を発する事さえ出来そうに無い。
何時でもその首をへし折れるといわんばかりの力が込められていた。
「苦しくありませんか……」
白蓮がそっと耳元で囁く。
「そうですか……」
○○の様子を見ながら、呼吸出来て居る事を確認して、更に呟く。
「これで、私と一緒……
今私も同じ位、胸の中が締め付けられるみたいに苦しみに満ちていて」
「あなたを縛り付けて、離したくありません。
例え千年間、また封じられるとしても」
「○○……あなたとなら仕方ありませんね」
ドンッ!
白蓮は首に掛けていた手の力を緩め、○○を再び床へと押し倒した。
「あなたにはこれから法術……いえ、魔術の類を教え込みます。私自ら、徹底的に」
「私の事好きだっていったくせにあなたはっ!
本当に愛しているならそれくらいの……事っ。承諾出来る筈ですよね!何も迷わずに!!」
○○の視線が白蓮の目に留まり、その声が耳に届く。
「え……
あ、まぁ、はい。…………宜しくお願いします?」
ぽかん、と棚から小物の落ちる音がした。
「……」
「……えっと」
「~~~~っ(顔真っ赤)」
「……な、何があったの?」
「大体っ!!これだけ言っても顔すら見せようとしないのはどう言う事なんですか!
村紗なのっ?それともぬえ!?誰かは知りませんが、隠れてないで出てきたらどうですか!」
そう言うやいなや、白蓮は○○の傍を離れると、私物の入った机の下やら押し入れの下やらを漁り始める。
そうしてあちこち探してみたが、出てきたのは如何わしい漫画くらいのものだった。
「月刊魔界神……」
「あ、いやですね。それは友達から借り――」
「資源ごみですね(ぽいっ)」
「ちょっとー!?」
「そもそも夜に逢引をするというのに、あなたも随分と度胸がありますね?
浮気するその日に、浮気しちゃおうかなー、とかカマをかけたりして……」
「……ん、浮気!?」
「とぼけても無意味ですよ。昨日の晩、隣で女性と眠っているのをこの目で見ましたから」
○○はやっと状況を察したのか、慌てて手を意味不明に動かし、説明しようとする。
「昨日の晩……ってあれから誰も部屋に来てないぞ?!
白蓮が来てた事だって知らなくて、今知ったくらいだし……」
「いいえ。しっかりと、私は見たんですから。
貴方が黒い髪の女性を、腕に抱いて寝て……いる……のを」
そう話しながら、布団の中に何か違和感のあるふくらみが白蓮の目に入る。
「そこです!」
「へっ!?」
一瞬の事に気を取られ、○○は全く反応しないまま布団を捲られる。
中には、横たわる女性の――
「……抱き枕しかないけど」
「……なんですって?」
その瞬間、女性の姿は白いただの抱き枕へと姿を変え、代わりにその下から蛇の様な生き物が勢い良く飛び出そうとして――
白蓮につままれていた。
「これって……もしかしなくても……」
「ぬえの……でしょうね」
――二人は同時に溜め息をつくと、そのまま横になって何も言わずに寝た。
「……面白くないわねぇ」
「こっちは全然面白くなかったよ。首まで絞められて」
「白蓮に叱られるの覚悟で、悪戯したっていうのにさー。
もっと長引いてハラハラするようなスリルを見たかったんだけど」
「そりゃ、見たいかもしれないけど味わいたくはないよ!」
結局ぬえの悪戯だったが、酷い目にあったと○○は思いながらも。
白蓮にやきもち(と言えるレベルなのかはともかくとし)を焼いてもらえる程度には、自分は愛されていたと……
認識出来たのは確かに大きかった、が――
「大丈夫ですよ、これからは出来る限りあなたの傍を離れませんから。
部屋も一緒ですし、仕事の間も私の目の届く所に居られる様にしましたから。
それと、魔術を教え込むという話も冗談ではありませんので」
「なん!?」
「へー……それはそれは。
じゃ○○、精々頑張ってね」
「待てこら、ぬえぇー!!」
あれから白蓮がべったりになってしまった。
何処へ行くにも一緒だし、何かと自分にくっついてきたり、四六時中手を繋ごうとしたり、しまいには……
「白蓮……これはちょっと……流石に」
「私だって甘えたいんですよ。……あなたには。いけませんか?」
抱っこしてくれとせがんでくるのである。
ノーマルは勿論、お姫様抱っこまで手広く。
その上公衆の面前。
「人に見られてるってば……」
「見られてるんじゃありませんよ。見せ付けてるんです」
返ってくる言葉もこれだった。
(一体何時になったら収まるのかなぁ……はぁ)
と、心の中で溜め息をつきながら。
「○○、もっとぎゅっと……ぎゅっと、ちゃんと抱きしめていて下さい。
離れ離れになるのは嫌ですよ?」
(……でも、いいか)
彼女の重さと温かさを腕に、それも幸せなんだと思う事にして。
最終更新:2010年08月27日 12:11