贈り物なんてガラじゃない。
だから何も用意なんてしてなかったし、する気も無かった。
「バレンタインと言ってですね。想いを寄せる殿方にこう、大切な贈り物をしたり……」
得意げにその風習を語る星の横でぬえは退屈そうに溜息をつく。
「……何でそんな風習に則らなきゃいけないのよ」
「何でって……」
きょとんとした表情のまま、星は真顔で答えた。
「ぬえには好きな人、いないんですか?」
「んなっ!?」
突然そんな事を聞かれたぬえは勢い良く咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「い、……いきなり何を聞いてくるかと思えば!
いるわけないじゃない、そんなの!!」
「……あれ?そうなんですか?」
星は悩む様な目でぬえをまじまじと見つめ、首を傾げる。
「絶対間違い無いと思ってたんですが」
「……間違いないって、な、何が?」
「――が――で――――しちゃってる位の相手、もうとっくにいるものだと――って、あら?」
その言葉と同時、ぬえは蒸気が爆発する様な音と共に真っ赤になってぶっ倒れていた。
「……なん、なんでそんな事細かに知ってるのよぉ、寅丸!」
「何の事です?」
「まさかあの鼠を私の監視につけてたとか、そういう……」
ぬえは真っ赤なまま星へと詰め寄るが、星は不思議そうな顔をしたまま、笑ってみせる。
「いやいや、ただの憶測ですよ。
でもぬえならそれ位進んでいてもおかしくはないかなぁと……って、気に障りましたか?」
「……勘かよ!!!お前は何処の巫女だよ!!」
「私は巫女ではなくて毘沙門天の……」
「あーあーあー!もういい!もういいから」
星が説明を始める前にぬえは言葉でそれを止めると、窓に手を掛け羽をふわりと蠢かせる。
「あんたこそそうやって――が――で!
――――してればいいじゃない。あんたの彼氏とさ!」
そう吐き捨てると、勢いよく外へと飛び出していった。
「…………」
「おや、ご主人。こんな所で何を……」
入れ違いに入ってきた
ナズーリンの視線は窓の外へと一瞬移ったが、興味なさそうに視線を戻した。
「……ぁ……う……ぐっ、ナズー……リン。……うぁっ……私だって……私だってあの人と……」
「入る部屋を間違えたらしい」
ぴしゃっ!
主人の言葉を気にも掛けず、今開けたその戸を彼女は思い切り閉めた。
行く当ても無くぬえは空を漂っていた。
その正体を隠しつつ、道行く人間をちょこちょこと驚かせながら。
「バレンタインつったってさぁ……」
正体不明の種をその辺の生き物に植え付け、それを見た人間が慌てる様を見て、楽しむ。
「恐れさせたり、かどわかす方が主流の私が」
けれど直ぐに飽きてしまい、それを剥がし上空へと浮き上がると、雲を見つめたまま憂いの表情を浮かべ。
「何を贈ればいいってのよ……」
何時の間にか沈んでいた夕日へと呟きながら、ぬえはそのまま浅いまどろみの中へと落ちていった。
……。
夜の闇に染まった黒い森の奥深く。
真っ黒な沼の中に、○○は半身以上浸かっている。
ぬえは座るようにして浮かび、それを見下ろしていた。
「私からのプレゼントは気に入ってくれた?」
徐々に沈んでゆく○○の手を握り、少しだけ引き上げると力を緩める。
「ずぶ、ずぶと。何処までも落ちて行く……
私が飽きたらそれでおしまい。
二度と浮かび上がる事はない、底知れぬ世界へと飲み込まれてしまえば。
……楽しいゲームだと思わない」
○○はぶんぶんと首を振って答える。
「勘違いしないで」
それに対しぬえは何処か優しい声で応えた。
「”楽しいゲーム”だって言ったよね?主に私がだけど」
○○がぬえの顔を見上げた。
「……くくくっ。
気付かないのね。
私がずっと、あなたの手を掴んでる事。
あなたが沈んだら、私も一緒に沈むのよ
暗く深い、人の手も人外の瞳も届かない……この深淵の中に」
「そしてあなたは物言わぬ泥のまみれた人形となって、抱かれたまま眠るの。……私の腕の中で」
○○の手から次第に力が抜け落ちるのを感じ、ぬえは握っていた手に大きく力を込めた。
「分かってるって。○○だってそんなの嫌だよね。
でも、ゲームオーバーとしては悪くないかなって」
ぬえはにやりと笑うと○○の手を自分のボタンに掛けさせた。
「だから、さ。
攻略してみせてよ。
あなたの全力で、私と言う城を篭絡させれば良いのだから。
幸い私はあなたに惚れていて、全力で愛して見せてくれれば私も誠意を見せるかもしれないよ。
煮るなり焼くなり好きにしていいんだから、さ。
――それとも」
ずぶん、と。ぬえも沼へと身を落とすと、二人の顔の高さが同じになる位にまで沈んだ。
「ん……むっ……」
噛み付くようにぬえは唇へ齧りつくと、顔をほんのりと赤らめながら、ふふふ、と笑った。
「もっと深い所まで潜ってみないと、見破れないかな。
私の、この気持ちは――」
満点に輝く星空の様に。
「……空気が心地良いと思ったら」
沈んでいた太陽は隠れ、夜の闇と月明かりが世界を彩っていた。
「夢……だったんだ……」
(……面倒くさいな。あれが現実でも、私は構わなかったのに)
人里の灯りは殆ど消えていた。
○○はまだ眠れずに何かをしているらしく台所で悩む様に突っ立っていた。
「おーい。わたしが来たぞぉーっ」
そして明らかに玄関以外から入った様子のぬえがそれに飛びついてくる。
背中にはしっ、と張り付くようにおぶさると○○はそれが当たり前の様に、
手を後ろに回して頭を撫でた。
「……50点だね」
何の点数だよ、とツッコミが入る。
「彼女の扱いに決まってるじゃない。つまんないなぁ○○は。
でも許してあげる私は優しいなあ。
幸せ者だねー、○○」
ぬえを撫でる手に力が込められ、髪の毛をわしゃわしゃとしてやる。
「なによ。やるっての?」
喧嘩腰でそう答えるが、その声は何処か嬉しそうだった。
が、撫でていた手が急に引っ込む。
「んん?ぁ、ちょっと○○、もうちょっとやっ……」
すぽんっ。
そんな音がしそうな感じで、○○の人差し指がぬえの口に収まった。
口内の舌に触れたそれは、まだ少し暖かく。
「なにこれ、あま……」
どろっとした、味がしていた。
何でも今日、人里で妙な食材が入り”こういう菓子”が急に流行り始めたのだとか。
一部紅白やら黒白が『異変ね』『異変だな』と騒いでいたらしいが、どうなのやら。
それなので、どうせなら一騒動治まる前にと○○はそれを手に入れ、現在に至る、と。
……結果、人里で言っていた『黒い固形の甘いお菓子』は出来なかったらしい。
そのなれの果てらしい溶けた甘く黒いなんかを指に絡めると、またぬえの口に運んでやった。
「んちゅっ……あのさ。これはこれで出来てるんじゃないの?」
……。
「十分食べられるし」
かもしれない。
「じゃあ皿か何かに移してよ、気が利かないなぁ。
……んでなんでまた指に取ってるのよ、それ」
何でだろう。
「あむっ……食べる私も、私だけど」
すっ。
「……」
「普通に食べさせる気、ないでしょ……?」
はい。
「…… …… …… ふーん」
ガシャン!!
ぬえの羽が薙ぐ様に台所を舞っていた。
床で皿が何枚か割れたのか、その破片が少し飛び散っている。
一緒に倒れた○○の腕にも、軽い傷が出来たのか、血が流れだしていた。
ぬえは素早くその腕を掴んでおり、直ぐにずずず、と這うように滴を舐め取った。
「……あなたの味。知ってる味がする」
ぬえは羽で溶けた菓子を取ると、口に含み、そしてそれを口の中で絡め合わせた。
そのまま何も言わずにぬえは○○と唇を重ね合わせると、それを舌で渡す様にして動かした。
ちゅぽん、と音を立てて離れる。
「あなたの血と私の唾液、それが混じったこのお菓子は……一体何なんだと思う?」
そしてぬえは少し不服そうな顔をしていた。
「○○に食べさせられてばっかりじゃ、ねぇ」
「私だってあなたに食べさせてあげたい。いや、食べさせたい。
私以外、誰にもあなたにお菓子を食べさせる事なんて許さない」
「あなたの”ナカミ”に触れていいのは私だけ」
「私を味わっていい存在も……
私を食べていいのも」
あなただけなんだから。
ぬえは無邪気に笑って見せた。
「バレンタインは贈り物をしないとね。大好きなあなたに、私というお菓子を上げる。
どんな味がするか、覚えられるまで、ね……?」
ぬえはゆっくりと手を重ね、その身を○○へと預け。耳元で囁く。
「三月にはあなたがお返しをする番らしいけど……
きっと間に合わないねわね。○、○?」
好き、好き、好き、と小声で何度も呟きながら。
きっと何時までも見破れない、彼女の想いに侵されて。
最終更新:2010年08月27日 12:15