「私がどれだけ貴方を好きになったとしても……」
「終わりはない……
それは永遠に続いてゆく。
過去も未来も関係なく」
「世界の隔たりが それを許さなくなったとしても」
……テレビのニュースが、砂嵐の様に耳障りだった。
まどろみの中、朝食を食べていた俺はトーストを見て溜め息をつく。
「ユキ……だから俺は朝はパンは食べられないんだって何度言えば」
「えぇー?朝食って言ったらパンに決まってるでしょ。ね、マイもそう思うよね?」
「……どっちでもいいわ♪」
二人の妹の、ユキがマイに同意を求めたが、助け舟は出なかった。
「何だかご機嫌ね、マイ」
「……まあね」
ガタン、と後ろから物音がする。
「あれ、姉さん珍しい。帰ってきてたんだ?」
ユキがそう声を掛けた相手は、
ルイズ姉だった。
「おはよう、みんな。
久しぶりに一段落着いたところだったから、ついでに帰ってきてたのよ」
「へぇ……そうなんだ……って、あーっ!!ちょっとマイ、何その首飾り!」
「……姉さんに貰っただけ♪」
「だからさっきから嬉しそうにしてたのね、ずるいー!
ね、ね、姉さん!私にお土産は?」
そうして詰め寄るユキに対し、ルイズが困った顔をした。
「ごめんなさい、ユキ……
お土産になるようなものはあれしかなくて」
「なんだってー!」
「今度行った時はユキに上げるから、それで許して……って、あら?」
ルイズがそう言おうとしていた頃には、きさまー!と言いながら、
ユキがマイを追っかけていた。
「○○も久しぶりね。変わりは無い?」
「ないかな。時々、母さんの夢を見たりはするけど」
「……え?」
複雑そうな表情で、こちらを伺う。
「……まだ、覚えてるの?」
「行って来ます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
マンションを出る際、外で掃除をしていた管理人のサラさんに声を掛ける。
「なんか、今日は顔色が悪くない?ルイズさん、帰って来てるって聞いたけど」
あぁ、と軽く返事をする。
「すいません。それとは別で、体調が優れませんで」
「ダメだよー?大事な体なんだから。
男はあんただけなんだから、倒れたら面倒見られないよ?」
すいません、と取り繕うものの、結局そこで責任云々説教されてしまう。
サラさんは、こういう所が妙に厳しくて困る。
「ふう」
仕事の休憩時間となり、トイレで自分の顔を見る。
そんなに顔色が悪かっただろうか。
母親の夢を見る様になったのは何時からだっただろうか。
実際の所、あの人の事は余り覚えていない。
顔も、容姿も、どんな人だったかも。
なのに、時々漠然とした、母親の夢を見る。
内容は支離滅裂だったが、何時も共通する事が一つだけあった。
何故だろうか、憎しみの篭ったような、そんな視線。
それを思い出すたびに、体は悲鳴を上げ、拒絶感をもたらす。
もしかして、自分は母親に愛されていなかったんじゃないだろうか?
そう思えてならない。
父親がどうかも良く知らないし、可能性は十分にあると思った。
と、鏡を見ていると、妙な違和感。
俺の後ろに
金髪の、女が居る。
「!?」
直ぐに振り向くが、其処には誰の姿も無く。
が、もう一度鏡を見ると其処には信じられない光景が映し出されていた。
金髪の女が机に向かい、人形を繕っている。
其処に映し出されている光景はトイレとは程遠く、何処かの家の一室。
其処で彼女は人形を作り、時折本を取りに行ったりしていた。
休憩時間のことも忘れ、その光景に見入ってしまう。
そうしているうちに、机の上にあった一冊の本に気が付いた。
「ぐり……うん?なんだ、あり……す?」
まるでその言葉が引き金となったかの様に
ガタン!!!
音を立てて、鏡が落ち ――割れる。
「なっ……」
気付くとトイレは、まるで廃墟の様に古びていた。
水道の蛇口から、赤黒い錆水が流れ出している。
カタン。
トッ トッ カタン。
……後ろの方から音が聞こえる。
個室から、扉が音を立てて――
それは出てきた。
全身赤黒い何かで塗りたくられたかの様な、女が。
……俺は逃げた。
此処が何処だか、訳も分からずに逃げた。
何処へ行ってもまるで廃墟のようで、しかし逃げるのを止める度、
あの女が顔を見せる。
髪を結んだ、銀髪が赤黒く染まった女が。
商店街に逃げ込んでいたのだろうか、街頭のテレビを見かける。
全てチャンネルは違うようだが、全てが砂嵐しか映っていない。
酷く耳障りだった。
まるで最初から全部なかったことにするみたいにしようとする、この音が嫌いで。
さっさとその場から立ち去ろうとする。
が、テレビの一つ――
其処にまた見慣れない光景が映る。
先程のアリスという、女の姿と。
何処か母親に似た、女の姿。
「だから言ってるじゃないっ!!○○は、とっくに死んだって!!」
「……何を言ってるの?」
理解出来ない、と言った表情で彼女は笑う。酷く、乾いた笑顔で。
「○○ちゃんは此処に居るじゃない。
ほら、ずっと此処に居るわ。
アリスちゃんが何を言ってるのか全然分かんないわ」
「……っ!そう、じゃあ勝手にして下さい。
私は、もう……知りません」
彼女は一冊の本を手に取ると、一度だけ後ろを振り向いて外に飛び出していった。
「あははは。バイバイ、アリスちゃん。
おかしなこと言うよね、○○。
もう貴方が居ないって。
帰ってくる頃には、なおってるといいんだけど」
「ね」
虚空に手を伸ばし、その瞳は何も見ようとしていない。
「……神綺?」
ふと、その女の名前が浮かんだ。
気付くと、テレビの砂嵐は消えていて、真っ暗になっている。
――あ。
追い続けていた女の姿が、その女性と重なる。
物陰から、女の姿が見えた。
「神綺!」
そして、名前を呼ぶ。
すると彼女は、笑顔で此方に近寄ってきて。
「○○!」
一瞬で――
「……違う」
その表情を憤りで固まった表情へと変えた……
「あ……」
彼女の手には何かが握られている。
ドクン、ドクンと脈をうつそれは
俺の――
……テレビの砂嵐の音がする。
「兄さん、パンが焼けたよー」
ユキがトーストを皿に乗せて、此方へと差し出してきていた。
「あ、ごめん。兄さんはお米がいいんだったっけ」
……が、差し出したそれを戻して、茶碗にご飯をよそっている。
「……どうしたの?」
無表情ながらも、心配してくれているのか、マイが袖を引っ張って顔色を伺っていた。
「なんでもないよ」
そう答えるものの、何か違和感の様なものが消えずに残っていた。
マンションを出て仕事に向かおうとすると、外にはルイズ姉が居て。
何処か、真剣な表情をしていた。
「○○……」
「母さんの名前、思い出せる?」
立ち話もなんだと言う事で、公園のベンチに座る。
家では話せない内容だったからだろうか、ルイズ姉は何度も周りを気にしていた。
「で、母さんの名前が……何だって?」
質問の意図がわからずに、俺は聞いた。
何でそんな当たり前の事を聞くのだろう、と思った。
知らない筈が無いのに。
「深い意味はないですわ。ただ……ね」
彼女は、片目を見開いていて、此方の様子を探っているといった感じがした。
「……それで、どうなのかしら?名前」
良く分からないまま、俺は答えた。
『あなたは神綺様に相応しくない』と、夢子が言っていた。
だから、彼女の与り知らぬ所で、脅しておけば――
そう考えて。
しかし、其処に偶然神綺が通りかかって。
脅しで投げた筈の刃物は、○○を避ける事無く、その体へと吸い込まれていった。
刃物を投げた張本人の夢子は、後ろでただ呆然としていた。
こんな筈ではなかったと、言いたげに。
「私は……神綺様の為を思って……っ」
そう言って、その場から走り去って行ってしまう。
刃物が突き刺さっている自分の体を引き摺りながら、神綺の元へと近寄る。
「ち、違う。……○○……○○じゃないっ」
神綺はそれを認められないのか、目の前に居る相手の存在を否定する。
涙ぐんでいる彼女の表情を憂いながら、精一杯笑顔を作ってみせる。
指で涙を掬おうとして、自分の体から、完全に力が抜け落ちた――
壊れた世界を、アリスは見つめていた。
たった一つの、命が壊れた世界。
その一つだけで、全てが壊れてしまった世界を。
アリスは時折、”似せた”人形を作ると其処へと送り出す。
何時も、その中に一つの魂を込めて。
そうして、何時も人形は壊されて、魂は再びアリスの元へと戻ってゆく。
何時か、その事に気が付くまで。
何度でも、繰り返す。
はず、だった。
「アリス、だろ?」
そう答えた。
魂以外、自分は人形の体で。
彼女に、作られたと言う事を。
此処で似たような事を繰り返しているうちに、なんとなく理解していたのかもしれない。
其処にルイズの姿は無く。
公園も、何も無く。
ただ真っ暗な闇が広がっているだけだった。
暗闇の中で浮かぶ神綺へと近付いてゆく。
何時の間にか忘れられた世界で眠る、彼女へと。
多分また、壊されてしまうかもしれない。
それでも、いつかきっと。
壊されて、直されてを繰り返して。
何時かは自分の名前を呼んでくれると、そっと願いながら。
人形の体を引き摺って、彼女へと近付いてゆく。
彼女が死んでしまった人間の自分を好きである限り、それは続いてゆくかもしれない。
けれど。
好きになる気持ちに、終わる事は無いと信じているから。
その気持ちには、長さも、時間も、世界も関係なくて。
だからその子が、自分を好きだと想い続けてくれる限り。
彼女へと、手を伸ばす。
「ふふふ……また○○ちゃんの偽物だ」
冷たい表情をした彼女は、また自分をバラバラに引き裂いた。
けれど。
「……でも、少し寂しいから」
バラバラになった中から出てしまった魂を引き寄せて。
抱きしめる様にして。
「少しだけ、こうしててね」
少しだけ、その先へ。
最終更新:2010年08月30日 20:19