「人間の命なんか、なんとも思っていないのよ、私。
 ――それが誰であろうと、ね」


 ○○は気付けばそこに居た。

 家へと帰る途中、真っ暗な空間が目の前に現れた事に気付かぬまま
 ぼーっとそのまま足を伸ばすと。

 宙に浮くような感覚と同時に。
 目の前には暗闇の世界が広がっていた。

 何も分からぬまま、○○は出口を探す。
 あるかどうかも判らないのに。

 戸惑ったまま辺りをうろついていると、にこり、と可愛らしい少女が顔を見せた。
「まぁ、はじめまして♪
 ここまで人間が来るなんて久しぶりだわ。
 どうやら迷い込んできたみたいだけど……」
 友好的な態度で、彼女は○○へと近付く。
 彼は早速彼女に聞いた。
「帰る方法を知りたい?」
 頷くと、少女はまた、にこり、と微笑む。
「帰すつもりなんてないけど?」
 その態度は変わっていない。
 どういう意味か、○○は彼女に聞く。
「やっと肉親に会えたのに、それを手放す妹なんて居ないわよ。

 ――ね、兄さん?」
 ……良く見ればコスプレだろうか。
 メイド服らしきそれを来た少女。
 質問する相手を間違えたのかもしれない、と○○は考えた。

 そもそもよくわからない場所に居る人間に、
 質問したところでまともな答えは返ってくるのだろうか?
 そんな事を考えていると、少女はいつのまにか目の前に居た。
「今、すっごく失礼な事を考えていなかった?」
 にこり、と優しげに聞いてくる。
 若干苛立ちを覚えながら、○○は言った。

 こんなところに用は無い。自分に構わないでくれ、と。



 少女は何時の間にか○○の後ろに居た。
「”こんなとこ”って、何よ」
 彼女は後ろにて、表情は見えない。
 が、声色がまるで違った。
 後ろを振り向いて、彼女を見ようとする。
「……兄さんはまだ分からないんだ。
 此処がどんなに素敵な場所か」
 後ろには誰もない。
 右左、後ろと確認するも少女の姿は無い。

 ――なのに

「何処を見てるのよ、兄さん。

 くすくす」
 暖かな手の感触が○○の首に触れている。

 手が離れた感触と同時に、声は消えた。


「ほらほら、早く帰らないと」


 気付くと元の道、家への近く。
 白昼夢でも見ていたのだろうか、暫く此処に立ち尽くしていたような気がする。
 ――思い出した方がいいような。
 いや夢だし、気にする事も無いだろうと疑念を振り払った。


 扉に手を掛けると玄関は開いている。
 と、奥からは食欲を誘う匂いがした。
「あ、兄さん。お帰りなさい♪今日は遅かったのね」
 妹の夢月が、料理をしていたらしい。
 匂いの元は……肉じゃがだろうか。
 ぐつぐつと良く煮えている。

 ……それにしても。
「ま、まじまじと見ないでよ兄さん……」
 随分と見慣れない格好をしている。
「あの、この格好は……メイド服ってやつで……
 姉さんが着ろっていうから、私も断りきれなくて」
 ……幻月の仕業か、と○○がタメ息をつく。
 彼女の趣味に文句をつけて、命を危険に晒したくは無い。
 そのタメ息に、夢月が少しだけ寂しそうな顔をする。
「や、やっぱり似合ってないよね……すぐに着替えてくるから」
 逃げる様に、自分の部屋へと行こうとする夢月の手を○○が掴む。
 首を振って、夢月に良く似合って居る事を伝えた。
「……本当、に?」
 掴まれた手をちらちらと見ながら、ほんのりと顔を赤らめて夢月が言う。
 その姿を可愛らしく思い、彼女を腕に抱きしめようと――
「あ」

 抱き寄せた体に、夢月がすっぽりと”入った”。
 比喩ではなく、夢月が妙に後ろに行き過ぎている。
「もう、兄さんったら」
 にこり、と笑う。
 そうして離れると、まな板の上においてあった”ソレ”を持って。
「首から下は、さ っ き 切 り 離 し た ばかりじゃない」
 彼女の暖かい手の感触だけが、切り取られていた記憶の様に思い出される。


「!?」
 慌てて自分の首に触れ、確かめる。
 ――ある。
「ほら兄さん、肉じゃがが出来たわよ」
 夢月。
 鍋を持って、にこにことしている。
 先程前の家の光景は無く、辺りはまた暗闇。
 彼女がこの現象の原因なのだろうか、と○○は考え始めた。
「ねぇ、食べてくれないの?」
 その表情が変わらぬ事に、不気味さを覚え、後ずさる。
「兄さんの匂いがして、とーっても素敵なの」
 ぐつぐつと鍋から音がする。
 そして、鼻につく、肉じゃがの匂い。

 ……そうして、先程見た何者かの”ニク”。
 自分のものでは無いにせよ、あれが材料だとしたら。

 軽い嘔吐感を覚えると、夢月を警戒して身構える。


 ――。
 その刹那。

 空気が、歪んだ 気が、した。


 鍋が夢月の手から落ちる。
 暗闇へと、鍋は飲まれた。
「兄さんはいっつも食べてくれないね」

「最初は私、いい匂いがするからって、頑張って切ったのに」

「次は姉さん、あれをそぐのは辛いから、姉さんに土下座までしたってのに」

「今度は兄さん、自分のモノですら、拒絶されるんじゃぁ」
 夢月が自分の指を舌でねぶると、目を伏せたまま。

「兄さんが何を食べたいのか、分からないわよ……」
 舐った指を噛み千切って、掌に乗せると。

 自分の口へと入れ、咀嚼する。


「こーんなに、 お い し い の に っ 」


「ねぇ兄さん。私ね、嬉しかった」
 ○○は眠っている。
 穏やかな表情で、今日も。

「あなたの心を壊したあの日から、ずっと。
 でも何か食べないと死んじゃうなんて、人間って、本当に使えない」
 夢月の手には鍋が握られている。
 ○○は眠ったままだ。

「私の肉親は、姉さんで十分だったから。
 ましてや、男だなんて考えた事もなかったけど。

 兄さんと出会えて、私は変われたの。

 楽しい事。

 嬉しい事。

 そして、愛する事。 

 人を好きになるって言う事と


 ……人間は本当に馬鹿だって事をね!」
 夢月が眠っている○○の手を取り、指へと貪りつく。
 しゃぶるように舐めながら、がぎり、ぎり、ぎぎぎ、と指の関節ごとに食い千切ってゆく。
 ……うっとりと。
「やっぱり兄さんって、いい匂い……」
 ○○は目覚めない。
 いや、眠っているのか、死んでいるのかすら、分からない。

 ちゅぽん、と○○の指を口から離す。
 指は、あった。
「私ね、兄さんが……

 姉さんに惨たらしく殺される姿が見たいの」
 そうして夢月は笑った。
 にこり、と。

「兄さんって呼びたい人が出来たって言ったの。姉さんに。
 物凄い表情をしてたわ、それはもう。

 それだけ私、死んじゃうかと思ったわ、ふふふ。

 でね。
 もう直ぐ此処に来るの。

 あなたは今もこうやって、壊れた心を必死に修復しようと、帰る道を探してる。
 多分あと少しで、目覚めるんじゃないかしら。

 私の呼びかけに答えられた位だし、ね。

 どうなるかな。

 目覚める前に殺されちゃうかな。

 目覚めた後で、殺されちゃうかな。

 ああぁ。兄さん。

 可愛いなぁ。弱いなぁ。惨めだなぁぁ。

 きっと潰されちゃうよ?
 体のあちこち、痛いところ全部的確に。

 痛みで死ねるかなぁ、死ねないだろうなぁー。

 だって姉さん、怒らせても、一発じゃ殺してくれないもの。

 絶対にね?

 あぁでも、一発で死ねるほど弱ってれば別ね。

 まぁそうならないよう、こうして毎日着てたんだけど」

 カツ。
    カツ。
       カツ。

「あら、姉さんったら、もうきちゃった。
 大丈夫よ○○、ちゃんと後ろで見てるから。

 違った。
”兄さん”。
 大好きよ♪」


 虚ろな目をしたままの○○の前に一人、可愛らしい女性が一人。
「あぁ、私の愛する兄さんが、姉さんの手で壊れてく」
 泣く、鳴く、啼く、どれでも無い声が響き渡る。
「こんなにも愛しているのに、私は止められないの」
 その悲鳴に意味があるかすらどうか、分からない。
「苦しくて、切なくて、辛いのに。
 間に入って、今直ぐにでも止めてあげられたらって」
 部屋の色が、一色、一色、色を変えてゆく。鮮やかに。
「本当に、そう思っているのに――

 無様に力尽きてゆく兄さんが、素敵なのがいけないのよ!」
 女性が――幻月が、手を振り上げる。

「はぁ、はぁっ……あぁんっ、……兄、さんッ……!!」

 ――静寂が、訪れた。










 ”こんなとこ”でも、いい事はあるでしょう?”兄さん”。

 あなたが私に”兄さん”って、呼ばれ続ける限り、あなたは姉さんに殺され続けるの。

 残酷に、無様に、ゴミみたいに。

 ……え、いい事なんて無い?

 やだな、ちゃんとあるじゃない。

 ずっと私が貴方を好きでいられるのよ。

 こんなどうでもいい人間のあなたを、悪魔の私が、ずっとね?

 大好きよ、○○。

 悪魔に本気で告白した、馬鹿な人♪


 ……大丈夫よ、兄さん
                   この夢は、終わらないから。

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最終更新:2010年08月27日 13:09