全てを、失った。
 あの羽の、化け物のせいで。


 家族も、家も、財産も……そしてこの両腕の感覚も。
 何もかも全て、失ってしまった。
 腕は残っているものの、全く言う事を聞かず動かない。

 ……どうしてこんな事になったのだろう。
 俺はただ、何時も通り暮らしていただけの筈なのに。


 燃え盛る火の手は全てを奪っていった。
 爆発だろうか、轟音と共に家の天井が崩れ落ち、
 家族の悲鳴が聞こえてきた。
 火災を止める事も出来ないまま、窓の外から脱出しようと試みる。
 しかし、崩れ落ちてきた瓦礫の破片をかばった両腕が――

 激痛が走る。
 そして、痛みだけが残り、俺は倒れた。

 窓の外に見えた、あの化け物が……
 全てを破壊する光景を、焼き付けるようにして。


 何もかも失った。
 そう、本当の居場所さえ。


 奇跡的に助かったのか、意識を取り戻した俺が見たもの――
 それは、何処かも分からぬ見慣れぬ風景。

 そしてその先で見た人里の、明らかに異質な世界だった。


 家も無い、素性も知れない、体も不自由。
 こちらからすれば、寧ろ非常識なのはこの世界だと思いたかったが、
 どうあがいても現実は変わらない。

 俺は、ただ淘汰されるだけで。

 食事も、まともな生活をする事も出来ずに。
 そうして、数日のうちに森で倒れ、泥水を啜っている所を、
 あの化け物とはまた違う異形に襲われて、死に掛けていた。


 ――どうして。
 神を怨む様にして、俺は異形を睨み続けていた。
 せめて呪い殺せるなら、と。

 ヒュッ。

 風の吹くような音がした。

 そして、其処に。

「大丈夫?」
 ……見知らぬ、一人の女性がいた。


 女性の名前は神綺といった。
 瀕死の俺を介抱し、自宅だろうか、小さな家へと運ぶと料理を作って持ってきた。
「怪我が酷くて何も口に入らないかもしれないけど……
 そんなにやせ細っていては、治るものも治らないわ」
 俺はただ、差し出された料理を眺めることしか出来ない。
 両腕が使えない事を伝えると、彼女はスプーンを取り出して、自分の口に含み――
「んっ……んっ……」
 ゆっくりと、自分の口に流し込む……口移しで。

 俺はまた、眺める事しか出来なかった。


 行く当ての無い俺を哀れんでくれたのか、彼女は此処に養生する様提案してきた。
 そして俺も、それを喜んで受け入れた。


 とはいっても、男と女ゆえ、色々と不都合はあった。
 一例で言うならトイレだ。

 口移しで料理を食べさせてくれた時とは違って、顔を真っ赤にしながら悩んでいた。
 ……後ろ向きで、と言う事でお互いに納得する。深くは語らないが。


 まぁそんなこんなを繰り返すうちに、次第に腕が動く様になっていた事に気付く。
 が、折角なら神綺さんをびっくりさせてやろうと、隠しておく事にした。

 治り次第、料理でも作って喜ばせてあげようと。


「それじゃあ○○、私は買い物に行ってくるから」
 彼女を見送ると、治りきった腕で料理を作ろうと台所へ向かう。

 ……ん?
 台所に妙な扉がある。
 そういえば、神綺はよく台所でこの部屋に入ったりしていたような。
 食糧貯蔵庫か何かだろう、と俺はその扉を開けた。


 ――ギィ

 ……扉は、簡単に開いた。
 そこには、真ん中に置かれた一つの水晶玉と……
 明らかに、”俺の家の私物”が置いてあった。
 なんでこんなものが……


「見ちゃったのね」
 振り向く間もなく、背中に柔らかい感触と共に体温が伝わってきた。
「……まさかもう、腕が治ってたなんて」
 がっちりと腕を掴まれ、悪寒が走る。

 ――水晶玉には、俺の家族が映っていた。


 ゴキリ!!

 両腕から、おかしな音がした。
 ……まるで痛みは無い、けれども。

 そう、”確実に折れている”と言う事だけははっきりと分かった。
「あの人達の事なら、心配ないわ。
 だって、あなたのこと、”何も憶えていないから”」
 ……何を言ってるんだ。
「幻想入り、おめでとう。
 といっても私が門を開いたのだけど。

 ……何でこんな事するか、聞きたい?」
 俺は心を落ち着けて、頷いた。
「うん。そう言ってくれると思ってたわ……

 ずっと前に貴方、私と出会った事を覚えてる?

 もっと小さくて、きっと記憶も曖昧でおぼろげな頃に。
 私達は一時、迷い込んだ貴方に興味を持って、帰る時に一つの約束を交わしたの――」
 神綺の手は、折れた腕から離れ、○○を抱きしめた。

「貴方が全てを失った時、貴方の全てを私に捧げるという約束。
 ……随分と待ったわ。
 そして、様子を見ていて思ったのよ。

 ――このまま老いて、命の残りカスしかなくなった貴方なら。
 ……いらないってね」
 俺は、思い出していた。

 彼女の顔。彼女達の家族。

 そして……魔界の事を。

「だから壊したの。
 貴方の全て、全部、まるごとひっくるめて。……一つ残らずね」
 自分で失わせておいて約束を守れと?と聞く。
「うん」
 彼女は否定しなかった。
「……もう、どう足掻いても。貴方は私のものだしね」
 抱きしめていた手は、心臓を掴むようにしていて。

 もう、どうする事も出来なかった。


「その代わりといってはなんだけど――」
 彼女の手が俺の腕に触れる。
 ……と、腕に違和感が無くなる。
 間髪入れずに、唇を重ね――何かを、飲み込ませた。

「そっちのは……ふふふ、あと100年位すれば分かるかしら」
 ……まさか。

「さぁ行きましょうか、○○。
 出来ればもう少し貴方と二人きりで過ごしたかったけど、
 魔界を放っておくわけにもいかないし。

 ……ま、あっちに行ってもその時間が少し減るだけだけどね」
 彼女は微笑むと、翼を広げて包み込み、ふわりと宙に浮く。

 俺は……
 この美しい化け物から……もう、逃げる場所は足元一つ残されていなかった。


「永遠を約束するわ。これからも一緒よ、○○」
最終更新:2017年06月10日 23:18