元教師(と言っても新卒2年目)の私は、この異郷の里で唯一の教育施設を見学させて貰う事にした。
教師は唯1人で、まだお逢いしてない里の守護者である上白沢慧音さんという方らしい。
丁度授業中であり、教室の後ろで見学させて貰う事にした。
時折こちらを見ていた慧音さんであったが、授業の終了と共に話しかけてきた。
(その前に好奇心旺盛な子供達をあしらうのが大変だったが)
私は自分が外の世界で教育者だったことを話し、この地での教育に興味を持ったと伝えた。
そして、「素晴らしい授業でした。分かり易くて熱意の篭もった素敵な授業です。あなたは立派な教育者ですね」と伝えた。
これは世辞でもなく本音だった。今の日本であれ程の熱意を持って授業する教師はどれくらい居るだろうか。
そう言うと、慧音さんは照れたのか顔を真っ赤にして俯いてしまった。
暫くして、是非とも今夜自宅に招きたいと申し出て来た。
私は快く応じた。彼女ほど博識で誠実な教育者との交流は貴重だ。
是非とも有意義な話し合いをしたかったし、可能であればお手伝いをしても良いと思ったからだ。
さて、用意も出来たし、行ってくるとするか。
「さ、本日はここまでだ。家の手伝いもあるだろうが、予習はちゃんとするんだぞ」
『はーい、○○先生』
私は教え子達を寺子屋の出入り口まで送る。
子供達は斑はあるものの、熱意を持って授業を受けてくれる。
こちらも教え甲斐があるというものだ。
「○○、今日の授業は終わったのか?」
「ええ、慧音。今日は余所見の数は少なかった方ですよ。私の授業も受け容れられて来たという事でしょうかね」
「それはそうだ。○○の授業は見てて楽しいからな」
「あら、見ていたんですか?」
「う、うん、そ、その、自分の授業でも参考にしたいからな!」
今、人里の寺子屋は私達夫婦によって経営されている。
人里の重鎮でもあり守護者でもある妻の慧音の代わりに、私が先生を務める割合は大きい。
他にも大人達に強要や読み書き算数を教える事もあるのでそれなりに忙しいが充実している。
外の世界で先生をしているよりも、こちらの方が性に合っているかもな。
―――そう、何が起こったのか知らないままの方が幸せな場合もあるしね。
丁度、帰り道で擦れ違った巫女が、何かを呟いたような気がした。
多分、気のせいだろう。
今、私は愛する妻と共々とても幸せな生活を送っている。
こんな日がずっと続けば良いと、私は日々願っている。
最終更新:2011年03月04日 00:53