――――何だ、これは。
驚愕する、と言うのは、まさしくこのような状態を指すのだろう。
視界に入ってくるのは、写真。
壁にも、床にも、天井にも。
ピンで、テープで、画鋲で。
部屋じゅうに、一瞬一瞬を切り取った、小さな額縁が飾られている。
数えるのも億劫になるような、小さな紙切れ。
それら全てに共通しているのは、一人の男にピントを合わせ、中心に据えていること。
その男には、見覚えがあった。
いや、見覚えなんてもんじゃない。
何せ、毎日毎日、嫌と思っても、こいつの顔を見せつけられるのだから。
その男とは、自分だ。
何で、何故、どうして?
疑問と困惑が、心中を埋め尽くす。
こんなの、病的だ。
まるで、ドラマや漫画などのフィクションの中で見るような、それ。
皆目見当もつかない現状を打破すべく、手がかりである写真の中、手近な一枚を手元に引き寄せる。
ざっと目を通した後、それを戻して、二枚目。次に、三枚目。四枚目。五枚目。
――――おかしい。
念入りに観察する必要もない。
一瞥するだけでも、充分にわかる。
見つかった、二つ目の共通点。
『レンズ越しに捉えられた自分は、そのほとんどが、目線をカメラに向けていない』のだ。
確かに、正面を真っ直ぐ見つめているものはあるけれど、それはファインダーに視線を向けているものではない。
確かに、カメラが苦手な人だっているし、撮る度カメラ目線を決めるようなヤツはそう多くないだろう。
けれど、限度がある。
手元にある写真の、
一枚は、人里の雑貨店で。
一枚は、里の離れで。
一枚は、自分の家で。
一切、撮影者に気を配っていないのだ。
一枚は、商品を手にとって、見定めている。
一枚は、今にも沈みかけている夕日を、眺めている。
一枚は、自宅の布団にて、無防備に寝顔を晒している。
視線はおろか、写真を撮られる際の準備すらできていない。
良く言えば、自然体。悪く言えば、無警戒。
例えるなら、まるで絵画のように。
‘ファインダー越しに覗かれていることを、知らない’ような。
待て。
そもそも、自分には覚えが無い。
あの店に行ったとき、友人はカメラを持っていたか?
あの夕日に目を奪われたとき、隣に知り合いはいたか?
自分の家に誰かを招いて、寝顔をフィルムに収めるよう頼んだか?
無い。
記憶に無いのだ。
そもそも、人に向けてシャッターを切る際は、必ず許可を得るものだ。
マナーとして、そして法律として。
はっきりとした形を持って、してはならないと規定されている。
写真に残すのなら、本人に許可を取らなければならないと言うのに。
顔見知りや家族との記念写真やらならともかく、
自分は、知りもしない誰かに、写真を撮っていいかと聞かれたことはない。
そう思い至ってしまったのは、ふと頭に浮かんだ嫌な予感を裏付けるかのようで。
写真の中の自分が、撮影者の方を向いていない点と。
己の知らぬ間に、シャッターを切られていた事実と。
その両方が結びつくことで、至ってしまう結論は――――
「…………嘘」
声。
背後から。背中から。
少女の、声。
普段の明朗なものと違って、どこか冷たい、無機質な声。
振り返らずとも、わかる。
例え感じが違っても、その声色から誰かは察せられる。
姫海棠はたて。
超常の力を持つ妖怪『カラス天狗』にして、花果子念報を発行している、新聞記者。
そして――――この幻想郷でも珍しい、
カメラを所持している、人物。
「……見たの?」
彼女の声は、不安定に震えている。
涙を流しているような、恐怖で舌が回っていないような。
ゆっくりと、振り返れば。
視界に入った彼女の顔は、青ざめていた。
言われずとも、理解できる。
はたては、恐れているのだ。
この部屋の存在を、知られてしまったことに。
その結果、自分自身を否定されるかもしれないと言うことに、おびえている。
その態度と、さきほどの台詞と。
その二つが揃ってしまえば、半ば確定したようなものだ。
これらの写真を撮ったのは、彼女だと。
こんな部屋を作ったのは、彼女なのだと。
ならば、問わねばならない。
問いかけなければ、なるまい。
はっきりと、させなければ。
己の矜持にかけて、絶対に。
はたてに向け、一歩を、踏み出す。
踏みしめるように、力強く。真っ直ぐ、曲がらずに。
こちらから近づいたことに、はたては何かを感じ取ったのだろう。
彼女は言葉にならない声をあげて、肩を震わせている。
けれど、彼女は動かない。足がすくんでいるのかもしれない。
似合わない、と思った。
彼女に相応しいのは、明るい、元気な立ち振る舞いだ。
あんな、臆するような素振りは、彼女らしくない。そんな彼女は、見たくない。
たどり着く。
彼女の目の前に。
手を伸ばせば、届く距離に。
名前を、呼ぶ。
しかし、はたては応えない。
うつむいたまま、佇んでいる。
もう一度、呼びかける。
呼びかけて、はたての肩に手を置く。
その接触に、はたてが体を硬直させる。
彼女の震えが、直接伝わってくるようだと、頭の片隅でぼんやり考えた。
意を決して、口を、開く。
この言葉が、彼女の真意を確かめるものだから。
――――何故、一人しか写っていないのか。
「…………え?」
はたては、鳩が豆鉄砲を食らったように、呆然とこちらを見つめ返した。
ようやく、はたての顔を視界に収められた。故に、たたみかける。
ツーショットや集合写真が、一切見当たらない。
その理由を、問う。
質問に、はたては数秒の間を置いた後、やっとと言った風に言葉を紡いだ。
「そっ、それは、貴方の写真しか撮ってないから……」
なるほど、それは当然だ。
人一人を撮ろうと思うなら、ピントをその人物に合わせ、それ以外のモノが中心に来ないように撮影する。
違うものが一番目立ってしまっては、本末転倒だ。
だから、ここにある写真は全て、自分一人しか写っていないのだろう。
それは。
なんだか、まるで、友達がいないやつみたいに見えて寂しい。
そう言った旨のことを告げると、はたてはまたもやじっくり熟考してから、
「えっと……ごめんなさい」
いや、謝られても困る。責めているわけではないし。
ただ、もうちょっと賑やかと言うか、こう、活気があるというか、そう言う写真が欲しいだけだ。
――――そうだ!
突如、ひらめく。まさしく天啓と言うやつだ。
なるほど、パイオニアはこのような感覚を味わっていたのだろう。
――――はたて!
「はっ、はいっ!?」
びくっと体を緊張させながらも、はたてが返事をする。いい返事だ。
――――写真を撮りにいこう!
「……写真を?」
要領を得ない、と言った具合に首をかしげるはたて。
あどけない、その動き。何でそう言う行動がいちいちかわいいんだこいつは。
ともあれ、まずははたてに概要を説明せねば。
――――そう、写真を撮りに!
「何の写真?」
無論、ツーショットに決まっている。
誰と誰のツーショットか、など、もはや聞くまでもないだろう! はたてと自分のツーショットだ! なにそれわくわくする!
そう、この孤独を写したような個室を、自分とはたての愛の巣に作り変える!
カラスだけに!
「あっ、愛の巣……!?」
嫌とは言わせない。
互いに恋焦がれていたとわかったのならば、もはや遠慮をする必要などないのだ。
そう――――この部屋を作るまでにはたてが自分を求めてくれていたというのなら、その思いに応えてみせよう!
その勢いのままはたての背と膝の裏に支点を移し、一息に持ち上げる。
言わずともわかるだろう。これは、お姫様だっことしか言いようがない! ところで、はたての膝の裏ってすごい心惹かれる響きだね。舐めたいね。
ハイテンションのまま、はたてを抱えつつ写真部屋(仮)を飛び出る。
はたてが軽いおかげで、全力疾走できるのだ。確かに、はたてはスレンダーな体型をしている。いいくびれだ! 抱きしめたいなぁ、はたて!
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
はたてが慌てた声を上げるが、しかし今は行動だ。
多少強引でなければ、カラス天狗は口説けないのである。
廊下を駆け抜け、フロントに出て、秒にも満たない間で靴を履き、玄関を開け放つ。
ついでにはたての靴を回収し、外に出る。
さあ、どこに行こうか。せっかくの初ツーショットであるし、どこか風景のいい場所がいい。
どこかいいところはないか、と問いかけると、はたてはしばし考え込んで、
「え……っと、山の麓の方に、綺麗なところがあったはずだけど……」
こんな状況でも、聞けば答えてくれるはたての律儀さは、本当に好ましい。
そういうところが好きだ! そうでないところも好きだ、はたて!
「えっ、あ、あー、その、ありがとう」
どういたしまして!
方向の指示さえもらえれば、後は駆け抜けるのみ。
麓を目指し、下山する勢いで走る。走る。今の自分はチーター。秒速340m。いける。
「それってチーターじゃなくて音速なんじゃ……」
賢いな、はたては! ご褒美に膝枕一年分をプレゼントだ! するのは自分だから、はたてはされる側だ。おめでとう。
「あ、ありがとう……」
どういたしまして!
返事をしながら、山道を疾走する。
山全体が妖怪のテリトリーだろうが、よそ者は排除されようが、今の自分は関係ない。
はたてもいるし、おそらく顔も通るはず。
さすれば憂慮することもなし。
早く。早く。天狗をも凌駕する存在になる!
◆ ◆ ◆
――――以下、某日の文々。新聞より抜粋――――
『妖怪の山に正体不明の影!? 新種の妖怪か』
○月○日、妖怪の山を全力で下山する何者かが現れた、と言う事件の知らせがあった。
目撃者は、哨戒任務を担当していた白狼天狗(本人の希望により匿名)。
見回りを行っていたところ、何かが横切った気配があり、気づいたときには土煙だけが残っていたと言う。
百聞は一見にしかずと私も現場を実見したが、野生の獣が通ったにしてはいやに荒れており、確かに怪異の存在を匂わせていた。
ただ下山するだけならばともかく、これは明らかに異常である。
なお、妖怪の山の住人もその影の鳴き声を耳にしており、
「天狗をも凌駕する存在だ!」、
「早い! 早いよ! 何でこんな早いの!?」、
「愛の力だと言わせてもらおう!」など、
人語に近い音が聞こえた、と語っている。
一方が男性に近いものだったのに対し、もう一方は聞き覚えのあるものらしく、女性のそれに似ているらしい。
双頭を持つ妖怪か、はたまた山の者が捕まったのか。もし後者であれば、被害者の無事を祈るばかりである。
なお、白狼天狗が目で追いきれない速度で移動するのは、並大抵のことではない。
これはもしや、この幻想郷に新しい妖怪が流れ込んできたのではないだろうか。
そうであった場合、本紙は取材を続行する予定だ。
余談ではあるが、ここ最近、幻想郷中の観光スポットを回っている一組の男女がいると噂になっている。
当事件との関連性がないことを願いたいが……。
最終更新:2010年10月31日 03:22