目を覚ます。相変わらずの紅色。
 外からの光を受け入れる窓は、カーテンで遮断されていた。
 身体を起こす。メイドが食器を乗せたお盆を近くのテーブルに置いて去っていく所だった。

「おはよう」

 メイドと入れ違いで、レミリアが部屋に入ってくる。
 おはよう、と返してやると、俺のベッドに腰掛けてきた。

「まだ身体動かしづらいでしょう? 私が食べさせてあげるわ」

 レミリアがお盆を自分の膝に乗っける。
 自分でやるよ、と言いながらレミリアのお盆を掴んで持ち上げようとするが、持ち上がらなかった。
 その様子を見たレミリアに笑われたので、大人しくレミリアに任せることにした。
 料理をフォークに刺したかと思うと、俺の方に持ってくる。

「はい、あーん」
「…………」
「あーん」

 気恥ずかしいが、ここまでやってもらって断るのもあれなので、甘んじて受ける。
 口の中で咀嚼して味わう。いつもと違う味だが、いつもよりも美味しく感じる。
 俺の様子を見ていたレミリアが嬉しそうに笑うと、今度は紅茶の入ったカップを俺の口に持ってくる。
 カップに口を付けて中身を少し飲むと、すぐに離され、今度はレミリアがその紅茶を飲んだ。


 違和感。
 いつもと何かが違う。
 遮断されたカーテン。
 身体が動かない自分。
 同じ紅茶を飲む人間と吸血鬼。
 お盆を掴んだときに見た、自分の血の気の無い、白い手。


 カーテンから微かに漏れた光に、指先を当てる。
 あ、っと驚いたようにレミリアが声を上げる。
 焼けるような痛みを感じた後、光に当てた指先がさらさらと気化していく。
 光から避けると、しばらくしてから生えてくるように、元に戻った。
 これが意味することを理解するのは、簡単だった。
 俺をこうしたであろう、

「どういう……こと、だよ?」
「あら、言ってなかったの?」

 もう咲夜ったら、と口を尖らせた後、俺を見て嬉しそうな顔でこう言った。
 貴方は私の眷属になったのよ、と。
 その言葉を聞いて、ある出来事を思い出す。


  ――嫌だ……俺は人間でいたいんだ!
 『そうよ、もっと恐怖なさい。そうすれば、貴方の血は極上の物になる』
 『でもね、貴方が悪いのよ。私に時間をくれ、なんて言って外に逃げ出そうとするから』
 『ちゃんと時間を与えてあげた私の想いを無碍にして逃げ出したんだから……』


 絶望感が心を満たしていった。
 俺は人間を辞めた。辞めさせられた。

「ぅ……ぁ……」

 何も見えない。
 血色が混じった肉料理も。
 紅茶という名の人間の血も。
 吸血鬼の狂気を携えた瞳すらも。

 何も、見たくない。

「大丈夫よ、安心して」

 耳障りな息が耳にかかる。

「自由になりたかったのでしょう?」

 そうだった。でもお前のせいで、もうなれない。

「あなたは、もう自由なのよ」

 嘘をつくな、勝手なことを言うな。

「私の眷属になるという事は吸血鬼になるという事。つまりは妖怪の頂点に立つということ」
「誰も、あなたを蔑まない。外に出ても、吸血鬼というだけで、大抵の人妖はあなたをみんな敬う」
「私だって、あなたと一緒になれて嬉し――」

「うるさいんだよ、もう話しかけ――っ!?」

 我慢の限界を迎えて罵声を浴びせようとした瞬間、肩に激痛が走った。
 レミリアが肩に置いていた手に力を込めて握ったらしい。
 見ると、悲しそうな表情で俺を見ていた。

「○○、痛いでしょう? 私も痛いのよ」
「自分から、やってる癖に……!」
「○○が分かってくれないからよ。本当はもう自由だって事に」
「俺の求めてた、自由と違う……」
「じゃあ聞かせてもらおうかしら。あなたの求める自由を」
「この紅魔館から抜け出す事――ぐあぁっ!」

 肩に乗せた手に、更に力が込められた。バキボキと嫌な音がはっきりと耳まで届いた。

「そんなの、自由じゃないわ」
「――っ、――っ!」

 肩の骨が折られた痛みとショックのせいで声が出ない。

「それはまやかしの自由よ。ここを出た所で、待っているのは絶望だけ」

 愛しそうに肩を掴んでいない手で俺の頬を撫でてくる。
 目が合う。いや、目を合わされる。
 現実を見ていない。
 幻想しか見ていない。
 濁りきった紅い瞳。
 絶望が、恐怖に塗り替えられる。

「あなたは、私と一緒にいることが一番の自由なの」
「それが――あなたの運命なのよ」

  そうか、そうだったのか。
  俺は運命を操られていたのか。
  だから、だからだから。
  ここから逃げられなくなっていたのか。
  もう逃げられないのだろうか。
  むしろ、今考えたところで、すべてむだなのかもしれない。
  かのじょのけんぞくになったじてんでおれはもう――ひかりにあたることはできない。

 骨まで砕かれた肩を、申し訳為さそうに撫で摩ってくる。
 愛しそうに目を細めて頭を撫でられる。
 甘えるようにほお擦りされる。
 求めねだるようにキスされる。
 抵抗する気力は、もう無い。

「ふふ、物分りが良いわね、○○。あなたのそういう所が、とても好きなのよ」

 瞼から溢れる涙も、きっと嬉しくて泣いていると勘違いされるのだろう。
 左目はレミリアが拭ってくれた。右目は自分で拭った。
 自分の涙に色は無い。血のような紅色ではなく、無色透明の透き通った物だった。
 これが、俺が人間だった最後の証のように思えた。

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最終更新:2010年11月08日 00:14