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◆東方地霊殿/鬼巫女・阿修羅霊夢爆誕編 その1


 ステンドグラスより反射して差し込む明りがエントランスホールを幻想的に彩る。
 高い天井から吊り下がったシャンデリアと豪奢な調度品は見る者を飽きさせない。

「……はぁ」

 そのホールの中心で、古明地こいしはうっとりとした……まるで恋する乙女の表情で“それ”を眺めていた。

「素敵だわ……本当に素敵…」

 こいしの視線の先にあったのは、地霊殿の大広間に調度品として飾られた……○○の死体だった。
 棺のような形で全体を覆う結界が施されたそれは、腐敗することもなく生前の姿のままを留めている。……その姿はまるで、磔の刑に処された聖者のようにも、正義によって裁かれた罪人のようにも解釈できた。

 いや、……本当の意味で言うなら、○○は、ある意味、死んではいない。
 現在、彼の死の歴史は隠され、閻魔の裁定も覆えされている。魂を管理する冥界の亡霊も、幻想郷を管理する巫女に屈服して○○の死を『なかったことに』した。
 ……例えそうでなかったとしても、博麗に伝わる秘儀である多重結界によって、○○の魂はその肉体に留まったまま、永遠に繋ぎ止められていただろう。

「うふふ…」

 だが、そんなことはこいしは知らないし、関係のないことだ。

 姉である古明地さとりのペット、火炎猫燐が地上から運んで来たこの青年の死体は、こいしを一瞬で魅了した。
 何故自分がこんなにも夢中になるのか? ……その理由は分からない。
 第三の眼を閉ざしたこいしは無意識に、あるがままに行動するのみであり、疑問に思う心も持ち合わせていなかったのである。

 しかし、この死体を見ている間だけ、こいしの第三の瞼が少し柔らかくなるのを感じた。
 顔は熱を持って熱くなり、いつも以上に浮ついた感覚が全身を支配する。

 しばらくの間、こいしはこの正体不明の感覚に身体を預けるのだった。




 高い天井から照らされるだけの僅かな明かりの下、スリッパのパタパタという足音が静かに響き渡る。
 廊下の角から、ゆったりとした足取りで姿を現したのは薄紫の髪にフリルの服の……『怨霊も恐れ怯む少女』古明地さとりだった。

「……またここに居たのね、こいし

 こいしとは異なる開かれた第三の目が、大広間で死体に寄りかかる妹の方へぐるりと向く。……その心は、やはり読めない。
 その姿を自身の両目とサードアイで見つめた後、さとりは軽い溜息を一つ吐いた。

 こいしは、……○○の死体の胸に額を押し当てるような形で寄りかかっていた。
 すでに閉ざされた第三の目はもちろんのこと、両目も閉じていた。すーすーという息遣いも聞こえてくる。……眠っているのだ。

 「そんなことしても鼓動も何も感じ取れないでしょうに」と、さとりは誰に聞かせるでもなく呟きながら、妹の体を抱き上げる。
 よいしょっと一言、そのままこいしを背中に背負い、さとりは寝室へと向かっていった。


 ……。

 …………。


 誰も居なくなってしまった大広間は冷たい空気に満たされていた。
 そこに飾られた○○の表情が、僅かに、歪む。
 しかしそれは一瞬の―― 瞬きする程の間のこと。誰もいない地霊殿のエントランスホールでは、それを見た者は誰もいなかった。




「……っ…! ……れ、…む…、……れ、■■!」

 まるで、白昼夢を見ているようだった。
 自分はすべての事象から浮き、意識を保ったまま夢現の境界を超え、上位の世界から全てを見下ろすかのような不思議な感覚。

「――霊夢ッ!!」

 しかしそれも、自分を背後から羽交い締めにして耳元で叫んでくる小鬼のせいで元に戻る。
 全身の細胞が鼓動し、息が荒くなり、汗が噴き出す。それまでの疲れが一気に出てきた。 

 霊夢の周りには、地底の妖怪たちや地霊殿のペットなどが倒れ伏していた。

 誰も彼もが苦しそうに呻き、あるいは泣き、あるいは許しを請うている。
 中には食いしばった歯の間から泡を吹き、白目を剥いている者や、大粒の涙をはらはら流して裏返った泣き声を上げ続ける者もいる。
 全て、地霊殿へと向かう霊夢にちょっかいを掛けようと、あるいは止めようとした者たちだった。


「れ、霊夢……。いくらなんでもやり過ぎだよ」

 先ほど霊夢を止めた鬼の少女――伊吹萃香がなけなしの勇気を振り絞るかのようにおどおどと言った。
 瓢箪を抱きしめて、霊夢とは目を合わせないようにうつむき気味にして目線を泳がせるその姿は、幼い少女の見た目だけから考えるならば違和感はない。だが、彼女が幻想郷でも最高位の力を持った妖怪・鬼の四天王の一人であることを考えると、その光景は以上だった。
 しかし、霊夢は――

「……なに言ってんだ、お前」

 バシンッ

 と、何か乾いた音が響いた。
 一瞬の間があって、萃香が自分の頬に手を置く。……霊夢がはたいたのだ。

「さっさと先に進むわよ。……早く○○を取り返さなきゃいけないんだから」

 しばらく赤く腫れた頬に手をやったまま立ち尽くす萃香だったが、……やがて涙で滲んだ目のままにへらっと笑った。媚びた顔だった。
 霊夢はそれを確認すると後は萃香には目もくれず、文字通り飛んで行ってしまう。

 ……萃香もその背中を追って空を飛ぶ。その顔に浮かぶのは怒りであり、悲しみであり、絶望であり、ありとあらゆる感情を混ぜこぜにしたものだった。
最終更新:2019年02月02日 01:04