古明地さとりが○○と初めて出会ったのは間欠泉異変のしばらく後、博麗神社の宴会の席だった。
少年の面影をわずかに残した顔立ちの地味な青年。……第一印象としてはその程度で、特に意識することもなく忘れてしまった。
次に会うことになったのは、妹が起こした問題が原因だった。
そもそも、
さとりの妹である古明地こいしは第三の目を閉じてからというもの、あっちへフラフラこっちへフラフラと目的もなく放浪していた。
厄介なことに、無意識で行動する彼女には誰も気づくことができず、姉のさとりの能力でも心を読むことができない。
だからこそ、こいしは誰にも知られることなく地上に遊びに出ていたのだが、博麗の巫女に白黒の魔法使いと弾幕ごっこをしてからは人里にまで出入りするようになっていたのだ。
そしてこいしの自由奔放な行いが異変とも呼べない、小さな小さな事件を起こした。
……○○は人里のパン屋で働いていた。
そこは近頃は外来人も雇い入れ、外の世界の知識を元に新しいパンを作っているという、ちょっとした話題になっている人気店だった。
その店で、商品が気づいたら消えていたという問題が起こるようになったのだ。それも何度も
当初は姿を隠せる妖精達か、あるいは神出鬼没の隙間妖怪の仕業かとも噂されたが、……その犯人がこいしだった。
ただ適当に里の中をブラブラと歩いていた時に、おいしそうな匂いとひとだかりに釣られたのだという。
事件というにはあまりに小さいもので被害の額も大したものではなかったが、場所が“人里の中”で犯人が“妖怪”であったこともあり、問題が起きることを嫌ったさとりが直々に出向いて謝罪と弁償をするはめになった。
○○は謝るさとりとこいしに対し、「ウチのパンを気に入ってくれたのは嬉しいことだし、お金さえちゃんと持っているのであれば人間でも妖怪でも歓迎する」と答えた。本心からの言葉だった。
其れからというもの、こいしは○○の店に入り浸ることが多くなった。
暇さえあれば地底を抜け出し、人里に遊びに行くのが日課であるとすら言える状態。それがもう1年近く続いている。
そんな妹のことを知りつつ、さとりは止めようとはしなかった。(仮に止めようとしても、無意識で行動するこいしを止めることはできなかっただろうが。)
こいしの固く閉ざされた第三の目が、ほんの少しでも和らぐことを期待したのだ。
だが――
「な、なんでもっと早くに言わなかったの、こいし! そんなのダメに決まっているでしょう!?」
「…どうして? どうしてそんなこと言うの、お姉ちゃん?」
昼間であっても薄暗い
地霊殿の中。薄色の毛足の長い絨毯に落ち着いた調度品のある一室に、さとりとこいしの姿があった。
「どうしてって……、彼は人間なのよ? 種族だって、寿命だって、全然違うのよ?」
「知ってるよ。それでも一緒にいたいの」
さとりが、彼女にしては珍しく感情を露わにして怒っている。
……こいしが突然に、自分は○○と交際していると打ち明けてきたのだ。それも、将来は結婚までしたいだなんて甘ったるいことまで言い出して。
「……いいえ、何も分かっていないわ。交際だとか結婚だとか、それはあなたが思っているようなものじゃないのよ。
相手が求婚してそれを受けて、それで成立? ………えぇ、確かにそれでもいいかもしれないわね。
でもお互いが愛し合っているだなんて、それは一時の気の迷いよ。どうせ十年も経たない内に飽きてお終い。相手が寿命の短い人間ならなおさらね。永遠の愛なんて幻想ッ、ファンタジーよ。
貴女にはもう相手の心が読めないでしょうけど、もしその目を開くことができたなら失望することになるわ!!」
そこまで一気にまくしたててから、さとりは荒くなった息を整える。……少し感情に任せて言いすぎてしまったと、苦い思いをしながら。
「…………こいし、とにかく一度頭を冷やしなさい。そしてよく考えなさい。
いえ、もう地上に行かなくてもいいわ。私が話をつけてあげる。だから、…ね? お姉ちゃんに任せて…?」
さとりは意識して作った優しい声をかける。
妹の閉じた心が彼との交流で少しでも良くなることは期待していたが、それとこれとは話が別だ。
これがペット同士の色恋沙汰であれば文句も言わないがこいしは自分の妹なのだから。
「そう……じゃあ、もういいよ」
「え? ま、待ちなさいこいし! こいしッッ!!」
急に立ち上がって走り出すこいしに、さとりが静止の声を上げるが既に遅い。
こいしの姿は最初からどこにもいなかったかのように消え去っていた。
■
それから1ヶ月ほどが過ぎたが、古明地こいしの姿はどこにも見つからなかった。
時期を同じくして○○も人里から忽然と消え去ってしまい、パン屋は別の人間を雇い入れることになった。
――二人はいったい幻想郷のどこに消え去ってしまったのか。……あるいは外の世界にでも? まさか。
大きなふかふかのベットの上で、同じくふかふかのクッションを抱きながら、古明地さとりは床のタイルに目を落としていた。
彼女が今何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか。
覚妖怪が彼女しかいない以上、それは誰にも分からない。
……、…………?
「後悔してるのね、お姉ちゃん」
突然聞こえてきた声に顔を上げるさとり。その瞳に飛び込んできたのは間違いなく、1ヶ月前に地霊殿を飛び出したこいしの姿だった。
「こ、こいし!? 本当にこいしなのね! 今までどこに行っていたの、心配したのよ!?」
こいしはベットを挟んでさとりの正面に立っている。だがその様子が妙だった。
人形のように美しかったその顔はますます陶器じみた白さを持ち、生気がまったく感じられない。
そして何よりその表情。両目は焦点があっておらず、どこを見ているのかわからない目線はふらふらと泳いで定まっていない。
「今なら理解できるよ、お姉ちゃんの気持ち。あの時なんであんなことを言ったのかね。…うふふ……」
「そ、そうなの…。……やっと分かってくれたのね。そうよ、第一人間なんて――」
だが、そんなことはお構いなしに言葉を続けるこいしに、さとりは戸惑いながらも返答する。
やっと妹を思う姉の思いが伝わったのだと、しかし、
「うっふっふっふふふ……違うでしょぉおおぉぉ? そうじゃないでしょぅぅ?
お姉ちゃんは単に自分が傷つきたくないだけ。
愛する人が自分をどう思っているのか知るのが怖いだけなんでしょう? それを知って泣きたくないから動かない臆病者!
当然よね。愛する者がいなければ、最初から傷つくことはあり得ない。
……それを認められない? 認めない? いい加減認めたら、自分の古傷(トラウマ)がどんな姿をしているのか目を向けてみたらぁぁああぁ!?」
それまで何も映していなかったこいしの両目がぎょろりと動き、その顔に狂気と狂喜の入り混じった笑みを浮かべて凄む。
さとりはそんなこいしの豹変に驚き、そして続く言葉の内容に顔を歪める。
それは、確かにさとりの古傷を突いたものだったのだろう。
「え、…ち、違うわ……。私は、私はそんなつもりで言ったわけじゃないのよ。そんなの知らない! いい加減なことを言わないで」
「ううん、本当よ。わかるわ。わたしには……“わたしたち”には解るもの。」
そうして「ね、○○」と、こいしが自分の隣――何もない虚空に声を掛ける。
まるで、そこに透明な何者かが寄り添っているかのようだった。
そしてうっすらと、次第に人影が姿を現していく。
「…………嘘…?」
それは、少年の面影をわずかに残した青年。……見間違うはずもない、○○だった。
だが、さとりが驚いたのはそれが理由ではない。
その青年の胸元からは青い触手が伸びていた。その触手を辿った先にあるのは……覚り妖怪の証である第三の眼。
・・・・・・・・・
しかもそれはこいしの第三の眼と繋がっているのだ。
寄り添う二人の胸元から伸びる触手の間に、第三の眼が存在した。
その一つの瞼は閉じられる事はなく開いている……いや、正しく言うのであれば、一つではない。
本来は一つ目の球体であるはずが、そこには埋め尽くすように複数の眼がぎょろぎょろと蠢いていたのだ。
その全ての目が、さとりを見ている。さとりの、全てを、見透かして、いる。
『「見てお姉ちゃん、私は○○と一つになれたの」』
これまで口を閉ざしていた○○が、初めて口を開けてさとりに話しかけてきた。
……だが、その言葉は○○が言う台詞ではない。こいしの心の声そのものだった。
『「俺たちは……心も体も全てを分かち合っている」』
入れ替わる様に、こいしが口を開く。……今度は彼女が○○の思いの言葉を代弁する。
『「私たちは永遠に、」』
○○が喋る。
『「あぁ、……俺たちは永遠に、ずっと一緒だ」』
こいしが喋る。
二人はまるでオペラの舞台か何かのように大仰な動作で、互いに互いの言葉を交代で語っていく。
それを唖然として聞いていたさとりだったが、突然に手を胸に当てて呻きだした。
「あ、頭が……胸が、…………痛い……。ぅ、うぅぅ……な、に? なんなの、……これは…?」
相手の思っていることが、濁流のように一気に自分の中へと雪崩れこんで来る。自分が普段やっている読心と違い第三の瞳を通さない、頭の中身を高温で焼けた鉄棒でかき回されるかのような感覚。
胸の奥深くに突き刺さるように、直に響く声がした。
――お姉ちゃん、私は今とっても幸せなの。だからそれを教えてあげる。
人の心なんて見ても落ち込むだけで良い事なんて何一つ無い、……そう思ってた自分が馬鹿らしくなるくらいの快感をね。
「ひっ!? ひぃ!!! ひぃいいいいいぃいいいぃッ!!!」
心が犯され塗り潰されるかのような悪寒に、さとりは引きつった金切り声を上げた。
短い両手で震える自身の体を抱きとめて、助けを求めるかのように大声で叫ぶ。
そして、……凍りついたように体を硬直させた直後、眼球がぐるりと回って瞼の裏に隠れた。
さとりは、まるで操り人形の糸が全て千切れたかのように、カクンと脱力し、ベット上に崩れ落ちるのだった。
◆幻想郷縁起妖怪録
寄り添う愛の瞳
古明地こいし&○○
能力:意識と無意識を操る程度の能力
種族:覚り
危険度:極高
人間友好度:普通&高
主な活動場所:何処でも
灼熱地獄跡の上に建てられた地霊殿。その主はこちらの思っていること全てを見透かし、口に出すよりも早くそれらをしゃべるという。
古明地こいしは、その地霊殿の主である古明地さとりの妹であり、○○と二人で一人の覚り妖怪である。
こいしと○○はお互いの胸元から伸びた第三の目の管で繋がっていて、常に二人一組で行動している夫婦である。
その顔は人形のような陶器じみた白さで、目の焦点は合っていないという容姿をもつ。また、第三の目は複数の眼がぎょろぎょろと蠢いていて、ものすごく不気味である(※1)。
そんな恐ろしい外見の二人だが、実は○○は人間から妖怪に変化したタイプである(※2)。その為、人間に対しての理解度は高い。
○○は温厚で残酷を好まず、こいしも普段はできるだけ○○の意志を尊重するため、積極的に人間を襲うことはない。
ただし、彼女らは人間の肉は食べないが、恐れや畏怖などの人間の心を食べる。不用意に何度も近づくのはやめておいた方が良いだろう。
◆能力
この二人の操る力は、個人の無意識を超えた、集団や種族、生き物の心に普遍的に存在するとされる集合的無意識にまで及ぶ能力である。
遠く離れた者の位置や考えを読み取ることも、逆に彼女達自身の思念を送り込むことも出来る。
姉のさとりの能力とは異なる能動的な力と言えるが、どちらか一人でも発動を止めてしまうととたんに不安定になり、明確な行使は不可能になる。
また、二人になったことで、どちらかが意識を保ったまま無意識で行動する事も出来る様になっている。
彼女たちが無意識で行動する間は、誰もその存在を知覚することが無い。誰一人として気配に気付けないのだ。
◆目撃報告例
- この前、お寺の縁日からの帰り道ですれ違った。不気味だったからすぐに走って帰ったんだが……。
(匿名)
単に縁日の屋台などを楽しむために来たのだろう。見た目は十分に恐ろしいので仕方ない。
(従業員)
人間であったころはパン屋で働いていたそうだが……。
- この前地底で見かけたんだが、互いに無言でニコニコと楽しそうにしていた。何だったんだ
(霧雨魔理沙)
互いに繋がっているため、心や体を共有している。恐らく、心の中で会話していたのであろう。
◆対策
彼と彼女の危険度がここまで高いのは、その能力が恐ろしいからである。
記憶などの思考の読心から人格の洗脳や破壊、トラウマの再現まで。精神に重きを置く妖怪にとっても人間にとっても恐ろしい力である。
幸い、片割れの○○に関しては、性格は穏やかで自己中心的な戦闘を望まないので、訳もなく襲われることはないだろう。だだし、二人の仲を引き裂こうとしたりしたら覚悟しないといけない。
普通に人里にも現れるが、この時は恐れる必要は無い。ただ、買い物に来たかブラついているだけである。
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※1 思わず逃げ出したくなるらしい。
※2 妖怪歴は浅い新人。
とりあえず、最初にさとりが反対しなければこうはならなかったかもね。
○○が本当にこいしを受け入れてああなったのか、こいしが無意識の力でそう仕向けたのかは、この話を読んだあなたの解釈次第です。
追記:誤字の修正と縁起を追加しました。
最終更新:2010年12月08日 13:43