穏やかな秋の昼下がり。
今日は大学も無いので、俺は家の庭にある井戸をくぐって彼女のもとへ向かう。
死者を裁く閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥさんのもとへ。
「○○、どうして貴方が此処にいるのですか?」
「いや、実は先日良い茶葉と茶菓子が手に入ったので。小町さんも呼んで三人でお茶にしませんか?」
「質問に答えて下さい。・・・私は貴方に厳しく注意したはずですよ。みだりに生者が彼岸へ足を踏み入れるべきではないと。」
「ええ、勿論覚えています。二時間に渡る説教でしたからね。」
足が大変痺れました。
あと、眠くなりました。
・・・そんなこと口が裂けても言えないが。
「だったら!!」
「生者は此処に来てはいけない。そう、生者は。」
「何を言って・・・っ!?○○、貴方まさか自ら命を!?」
「いいえ、ケフィアです。」
笑顔で両足を見せて死んで無いアピールしながらそう言うと、四季さんは顔を真っ赤にして俺をボコボコにした。
手に持つ勺らしきものを使って。
これが後の閻魔式デッドリーレイブである、ということはない。
◆
「ね、小町さん。俺の頭部どうなってる?何か一部ブヨブヨしてる気がして怖いんだけど。陥没してないよね?」
「出来立て新鮮どざえもんって感じかね、むしろ。」
「ブクブク膨れていると申すか。」
「・・・すいません。流石にやりすぎました。」
俺が四季さんを怒らせてから数分後。
響き渡る打撃音を聞き付けた小町さんが助けてくれるまで、俺は四季さんの打撃で空中に浮き続けるという現象を体感していた。
多分、格ゲーならコンボとかチェインとか表示されていただろう。
「いえいえ、こっちも悪ふざけが過ぎましたから。・・・で、気分は晴れましたか?」
「え?」
いや、え?じゃなくて。
いつもより深刻そうな顔して出てくるから、わざわざあんな三文芝居をやったのに。
「何かあったんじゃないんですか?いつもより元気がないように見えましたよ。」
「やっぱりそう思うかい?あたいも今日は映姫様の様子が変だなあって思ってたんだ。」
「貴方たちはどうしてそう変なところで鋭いのですか・・・」
「四季さんは割と気持ちが顔に出やすいですし、もう一年近くここに通いつめてますから。」
それぐらいは分かりますよ、と俺は言った。
しばし無言が場を支配する。
しかしそれも諦めたかのような四季さんの溜息とともに破られた。
「・・・閻魔は職務上知り得た事実を無関係の者にもらしてはいけません。しかし、貴方の祖先は閻魔に仕える書記でしたから全くの無関係とも言い難い。したがって、これから話すことはあくまでも内密の話として聞いて下さい。」
四季さんは俺にそう念を押してから、ぽつぽつと語り始めた。
四季さんが裁判を担当する幻想郷。
そこは現実と幻想を隔てる結界に囲まれた一種の異空間であり、あらゆるものを受け入れる楽園と称されることが多いが、実はその誕生時から閻魔の間でも賛否両論が存在したという。
外の世界に科学が浸透し、幻想が力を失って消滅していくとするならばそれが世の理だと主張する反対派。
生命あるものは全て死を恐れ、足掻き、何かを残そうと輝くのだから頭ごなしに否定するべきではないと主張する賛成派。
幻想郷は反対派にとって世の理をねじ曲げる歪みそのものであり、賛成派にとって外の世界が選ばなかった可能性を見出す場という意味を持つ。
幻想郷、ひいてはそこに住まう全ての存在が罪を犯していると強硬な態度を取る反対派と幻想郷で起こった出来事および裁判を分析し、それをモデルケースとして外の世界の人妖を裁くことに利用したい賛成派の対立は激しく、当然この地を任せられる閻魔は両陣営の圧力を直に受けることとなる。
四季さんは幻想郷誕生から今までずっと一人でこれらの圧力に対して中立を貫き、閻魔の職務からかなり逸脱してしまうが秩序維持のために幻想郷の管理人である八雲紫という妖怪と協定を結んだりもした。
協定の内容は八雲紫が持つ能力を用いた神隠しの対象を外の世界の罪人もしくは居場所が無い人間に限定する、というものだ。
この協定で誘われた外世界の人間は妖怪の食料や人里の新たな住人になることもあれば、罪を自覚して悔い改め外世界へと帰還することもあるらしい。
まあ要するに近親交配で人里の血が濁ることや、妖怪が人里に手を出せないルールによって弱体化することを防止するとともに、極限状態で自己としっかり向き合うように仕向けて罪人を更生させるのだ。
「危ういバランスで成り立つ幻想郷、権限の無い閻魔による現世への干渉、公にされない協定。此処までを前提として、ではこの協定に問題点は存在しないのでしょうか?」
問題点?
どういうことだろうか?
「聞いた限りでは特に問題ないように思いますけど。」
「あたいも右に同じ、だね。」
「・・・かつて、一人の青年が幻想郷へと誘われたことがありました。彼は天涯孤独の身で友人も少なく、協定で定めた居場所が無い人間に該当するとして神隠しされたのです。」
「彼は最初に人里で保護され、そこで自らの置かれた状況も聞かされました。ここは幻想郷という異空間であり、自分が外から来たということを。」
「しかし、彼には記憶が無かった。自分の名前さえ記憶から失っていたのです。」
「そのため彼は外世界への帰還を望みました。たとえ何も覚えていなくても、元いた場所に行けば思い出すかもしれませんから。」
四季さんはそこまで話すと、湯飲みのお茶に口を付けた。
「・・・もしもここで彼が帰還出来ていればこの話は違った結末を迎えたでしょうが、彼はそうすることが出来ませんでした。結界を司る博麗の巫女と八雲紫が手を尽くしても、結界が彼を阻むかのように邪魔をしたそうです。」
「何も覚えていない、しかし外には帰れない。そんな彼は落ち込んだ様子で博麗神社から人里に引き返しましたが、人里の者達は彼を歓迎しませんでした。」
「それはいったい何故ですか?最初は彼を保護したのでしょう?」
「彼が何も役に立つものを持っていなかったからです。技術も知識も道具ですらも。」
「それはつまり・・・」
「人里の者達は彼をこう評価したということです。すなわち、役立たずのタダ飯喰らいと。」
見事にコミュニティからハブられてしまったわけか。
清々しいまでの変わり身だな、全く。
「民俗学でも疎民招来伝承なんて例があるから、閉鎖的なコミュニティにはありふれたことなのかもしれないですけど・・・何だかなあ。」
「あたいもそれはさすがにどうかと思うよ。・・・映姫様はどうなんですか?」
「私もそう思います。ですが人里の守護者を含めたごく少数の者達を除いて、そう考えた者は人里にいなかったのです。」
「彼は長い間使われていなかった小屋に半ば無理矢理押し込められ、人里の守護者の助力を得てようやく生きているという生活を強いられました。」
「ですが、人里の守護者と仲良くなれば今度はそのことが問題とされたそうです。」
「こうして追い詰められた彼は徐々にまいってしまいました。」
「「・・・」」
「そして彼は村人の一人と喧嘩した所を取り押さえられ、悲しみの中で現世に別れを告げました。」
「私は彼に罪を認め、それに応じた罰を与えました。しかし本当に彼は裁かれるべきだったのか・・・あれから裁判を行う度に私はそう思うのです。」
「四季さんは、自分が余計な干渉をせず協定を結ばなければその青年が罰を受けずに済んだかもしれない、と考えているのですか?」
「ええ、そうです。」
「・・・俺の予想では、恐らくその青年は仮に協定が無かったとしても遠からず外の世界で罪を犯したと思います。」
「どういうことですか、○○。」
「そうだよ、おかしいじゃないか。協定が無くて外の世界にいるなら、そいつが罪を犯す必要は無いだろう?」
二人は理解できない、という風に問いかけてきた。
俺はそんな二人に向き合って、真剣な表情で話を続ける。
「居場所が無いと判断された彼は支えてくれる人間がいなかった、あるいは少なかったと考えられます。だとすれば記憶の有無や幻想郷の中と外どちらにいるかは二次的な要因であり、周囲に追い詰められて罪を犯すという結末は変わらなかったのではないかということです。」
「それは・・・確かにそう考えることも・・・いやしかし・・・・」
「要するに、四季さんはもう少し肩の力を抜いても大丈夫と言いたいわけです。俺は。」
「む・・・」
「映姫様は仕事熱心だからねえ。少しはあたいみたいに息抜きしないと。」
「小町、貴女はさぼっているだけでしょう。貴女はもっと真面目に職務をこなすべきです。大体貴女は普段から必要な仕事量の三分の一をこなせばいい方という体たらくで・・・」
「お、いつもの調子が戻ってきたみたいですね?」
「・・・ええ、お陰様で。少し気分が楽になりました・・・ありがとう、○○。」
そう言った四季さんの笑顔はとても素敵だった。
・・・少々頬に朱が差しているのも俺の勘違い、ということにしておこう。
その日の夜。
井戸から帰った○○を見送った後、私は一人で閻魔の執務机に座って考えていた。
考えているのは○○のこと。
私はなぜ彼を遠ざけようとしている?
・・・私が彼を恐れているから。
私は彼の何を恐れている?
・・・彼は私にとって危うい存在だから。
危うい、とは?
・・・彼は私を変えてしまう。私は今までの私ではいられない。
それのどこが問題?
・・・変わってしまえば、私は幻想郷の閻魔でいることが難しくなる。彼を彼岸に縛り付けておきたくなる。それは互いにとって不幸でしかない。
本当に?
・・・本当に。
なら、どうする?
・・・どうすれば。いや、本当は分かっている。私が為すべきことは一つだ。
それは何?
・・・此処へ通じる井戸を塞ぐこと。
◆
三途の川を渡った先にある建物。
閻魔が住まう宮殿の廊下をあたいは歩いていた。
一人で何でも背負い込む癖のある映姫様は職務に忠実であるために、そして何より想い人の○○の幸せを守るために井戸を封鎖した。
だが○○と会えなくなってからというもの、映姫様はすっかり元気が無くなり普段は絶対にしないような仕事のミスも目立つようになった。
中立派という立場上、賛成派・反対派双方の閻魔から良い顔をされない映姫様は今、その立場が危ういものになりつつある。
ミスばかりする若輩者の閻魔を更迭し、新しい閻魔を配属するべきだと一部の閻魔から意見が出たのだ。
だから今日、あたいは一つお節介を焼くことにする。
あたいがいつも通りのミスをして、偶然井戸の封鎖を解いてしまうのだ。
これなら、映姫様は安全確認と情報収集のために現世へと赴かなくてはならない。
そして、○○に会えば映姫様もきっと元気になるだろう・・・
「・・・というわけで、井戸の封鎖が解けてしまいました。」
「貴女という人は・・・本当に・・・」
閻魔の執務室にたどり着いたあたいは、開口一番先ほどのお節介について報告した。
映姫様は目の前で蹲って頭を抱えている。
「・・・貴女に関するお説教は後回しです。これから私は安全確認と情報収集を行うため現世に向かいます。」
「はい、お気を付けて・・・○○によろしくお伝え下さい。」
最後は呟くようにそう言って、あたいは映姫様を見送った。
あたいの言葉が聞こえたのか否か、顔を真っ赤にした映姫様はこうして現世へと向かったのであった。
◆
彼岸へと通じる井戸が突然使えなくなってから数ヶ月。
俺は今、奇妙な来客達に頭を悩ませていた。
「だからね、○○君。貴方が以前話していた井戸を使って閻魔に会い、あることに白黒つけて貰いたいの。」
「閻魔は便利屋じゃ無いですよ?それに、件の井戸はもう使用不可みたいですし。何でか知らないですけど。」
「井戸が使えない?壊れちゃったのかしら。」
「いえ、ある日を境にただの井戸になってしまって。所詮は儚い泡沫の夢って奴だったのでしょうかね・・・」
「そう・・・残念だね、メリー。」
「確かに残念ではあるけれど、そういうことなら仕方ないわ。」
「今日は突然押しかけてごめんなさい、○○。いつまでも居座っちゃ迷惑だろうから、そろそろお暇するわね。」
「・・・今度はちゃんと連絡して下さい。そうしたら、おいしいお茶とお菓子を準備しておきますから。」
「ええ、是非そうさせて貰うわ。ねえ、蓮子。」
「そうね、是非。」
「・・・はぁ」
俺は家路につく彼女達を姿が見えなくなるまで見送ると、家の中から塩を持ってきて門の所へ軽くまいた。
大学で一つ上の先輩に当たる宇佐見蓮子さんとメリーさん。
大学がないので今日はゆっくりしようと思った矢先に彼女たちはやって来たのだった。
彼女たちを嫌っているわけではないが、秘封倶楽部というサークル活動で荷物持ちや下見に加え酒や食べ物の手配という雑用を一手に任されて振り回され気味のため、正直なところ休日くらいは会いたくなかった。
しかし結局今日もなんやかんやと半日居座られ、時刻は既に夕方の6時半。
朝食と昼食に加え、おやつまで提供させられた。
俺はこのお姉様方の下僕では無いはずだが・・・現実は無情だ。
何かにつけベタベタと接触を図り、口答えすればイイ笑顔で迫ってくる彼女たちを前にして俺が出来ることはせいぜい機嫌取りする位だった。
全く、今日は疲れた・・・
◆
私は自分の目を疑っていた。
○○が私の知らない女達と、仲良さそうにおしゃべりしていたのだ。
アイツラハ・・・ダレ?
どうして○○はそんな奴らと一緒にいるの?
ワタシハとてもクルシンデいたのに。
・・・ああ、そうか。○○はだまされているんだ。
わたしがかってにいどをふさいだりしたから、かなしくてくやしくてどうしようもないところにアイツラがつけこんだんだ。
ダカラわるいのはわたしだ。
ごめんなさい、○○。あくにんをばっしたらすぐにあなたをむかえにいくからね・・・
「・・・で、○○は見事映姫様の心を射止め、閻魔補佐兼書記官になったと。」
「この場合は仕方ないじゃないですか。俺だって驚きましたよ。少し片付けてから夕飯にしようと庭に出たら四季さん、いや映姫が鉈で両手を切断しようとしていたんですから。」
蓮子先輩達が帰った後、俺は庭で今にも自分の両手を切り落とさんとする四季さんを見つけた。
しかし彼女は酷く錯乱しており、俺が近づくと今度は泣きながら鉈を振り回してきた。
だから俺は、鉈の刃で傷が出来ることも厭わず彼女を思いっきり抱きしめた。
想い人が泣いている、理由はそれで十分だったから。
「俺はずっと貴女の傍にいる、だから貴女の時間を下さいってのも今時珍しいくらい直球な告白じゃないかい?」
「すいませんもう勘弁して下さい。」
三日ぶりに現世から帰ってきたと思ったら映姫が俺にべったりくっついて幸せそうにしていたため、小町さんから映姫と何があったのかと聞かれること数十分。
そろそろ俺の羞恥心が限界だった。
「しかし惚れた女の為とは言え、現世の全てを断ち切って彼岸へとやって来るとは・・・一途だねえ。あたいも○○みたいな男と出会いたいよ。」
「あはは・・・」
「小町、○○はあげませんよ?」
「言われなくても取りません・・・」
映姫はむっとした表情で小町さんを見ながら、決して放すまいと俺を力一杯抱きしめてくる。
俺はそんな映姫に優しく抱擁することで応える。
「○○、これから先もずっとずっと一緒にいて下さいね?」
「ええ、勿論。俺はいつまでも貴女を愛し続けます。」
「○○。」
「映姫。」
「・・・あたいはお邪魔みたいだね。あーあ、口から砂糖を吐きそうだ。甘ったるくてしょうがないよ。」
小町さんがそうぼやきながら執務室を出て行く。
俺はそれを視界の端で見送ると、映姫とキスを交わした。
・・・幸せな二人は気付かない。
執務机へと貼り付けられたメッセージがあることに。
“親愛なる○○へ これから貴方を迎えに行くわ 蓮子・メリーより”
最終更新:2011年03月04日 01:24