「ありがとう、そしてさようなら、地霊殿
私はそう呟くと操縦桿を握り、戦闘機のエンジンを始動させた。
敵軍の新兵器の攻撃に巻き込まれ異世界に飛ばされて半年…私はひどく
損壊した機体の修理にようやく成功し、地下から地上に向けて脱出を試みている。
…世話になった此処の恩人達…さとり、燐、空には何も告げていない。
私のしている事はきっと、ひどく卑怯な行為なのだろう。
しかし…私は帰らなくてはならないのだ。
例え元の世界が破壊と恐怖に満ち溢れた地獄であったとしても…
自らの運命から逃げる事は許されな『嘘をつかないでください、○○さん』え?
次の瞬間、凄まじい量の光弾が渦の様に機体に襲いかかってきた。
咄嗟の急降下で弾幕を回避する。
『ちぃっ、その機械…それさえ無ければっ…』この声…頭の中に直接響いてくるこの声は。
『何で…何でなんですか…あんな地獄に貴方は何で帰りたいんですかっ!!』
さとり。地霊殿の主人。そして私が裏切った恩人。
彼女は普段見せた事も無い、憤怒の表情でコクピットの中の私を睨んでいた。
『貴方はとても幸せだった!生まれて初めて安心を味わっていた!
それがとても嬉しかったのに、私を必要としてくれたのにっ!』
語尾が断定形なのは、多分私の心を読んでいたからだろう。
そして私の元居た世界の事も…
『行かせない…あんな世界に、貴方を帰らせる訳にはいきません…お空』
モニターに警報が表示される。機体前方より熱源。…放射線検出!?
「くそっ!」レーザーのロックを外し、熱線に正面からぶつける。
凄まじい熱によりモニターの至る所に破損を表すレッドランプが灯ってゆく。
「…凄いね。今の、本気だったのに。」
陽炎の向うから黒い翼がゆらめきながら現れてきた…空。
「私達を置いていくなんてひどいじゃないか、お兄さん?」
またもや警報。高速飛翔体を多数確認。燐、君も…
機銃で何発か撃ち落とす事は出来たが、いかんせん数が多すぎる。
爆炎の中から飛び出した弾が風防を吹き飛ばしていった。


『邪魔、邪魔、邪魔ですね、その機械っ!貴方を地獄に引きずりこんで、それでも飽き足らずまた貴方の幸せを奪って…!』
「…○○、○○はそいつに取りつかれてるんだよね?待ってね、今助けてあげるからじっとしててね?」
「お兄さん…やだよぉ…そいつから離れてよ…そいつなんかにまたがってるより地霊殿の方がよっぽど楽しいんだよ…?ねぇ」
             「「『 ね  ぇ  っ  ! 』」」
再び私の機体は弾幕に包まれた。彼女達は明らかに冷静さを失った表情で情け容赦無い攻撃を浴びせてくる。
最早私を逃がす位なら動かなくしてでも引き止める気のようだ。
彼女達を止める方法はひとつしか無いだろう…前の世界の様に、「撃破」すること。
機体の全兵装を解放すれば、十分可能な事だ。
現にこの世界に迷い込んだ時、私は群がる妖怪の群れを全滅させる事が出来た。今、引き金を引けば…
「…駄目だ」
出来ない。出来る筈が無い。平穏。幸福。思いやり。古い時代の教科書の上でしか知らない言葉。
此処に来て初めて知ったその本当の意味。彼女達の眼に見た暖かい光。
でも、今やそれは見慣れた色に変わっている。不安、動揺、そして狂気。
とても悲しかった。それらは私が呼び覚ましたものなのだから。


『…撃てない、ですか…』急に弾幕が止んだ。さとりの「目」が機体の正面からじっと私を見据えている。
「目」は、澄んだ色をしていて、とても綺麗に見えた。
『さとり…私は幸せだった。此処に来れて…正直天国に来たのかと思った』
これで通じているのだろうか?さとりはうなだれたまま「目」だけが私の方へ向いている。
『でも…私達は天国は、心の清く善良な人々が来る所だと、教えられてきたんだ。君の能力、心を読めるというならば…分かるだろう?
私は何百機という戦闘機を落とした。何千人という兵士の乗った船を何隻も沈めた。…とてもそんな資格のある人間じゃない』
さとりは答えない。他の二人も、主人の横に付き添い沈黙を保っている。
『だから、私は元の世界に責任がある。史上最大の大量殺戮者としての責任が。この世界に居たらその責任すら果たせない。
…逃げたくないんだ、自分がしたことから』
静寂が流れた。心で話したのはこれが最初だ。そして最後になると願いたい。
『…わかった、わかりましたよ○○さん…』ああよかった。
『すまない…此処で過ごした日々は決して忘れn『絶対に、許さないからぁああッ!!』
地霊殿が、揺れた。
『離れろ、離れろっ!○○さんから離れろぉぉ!!』
後部フラップ破損、燃料タンク予備ヲ含メ全壊
「殺してやる…この化け物ッ!○○を離せぇえ!!」
レーザーキャノン臨界突破、機関部ノ溶解ヲ確認
「お兄さん…お兄さんがあいつに喰われちゃうよぉ…やだやだやだやだあぁっ!!」
機体左翼・右翼ノ破損確認、メインエンジンニ異常発生―――


「はぁっ…はぁっ…」
やった。私はあいつを倒したんだ。○○さんを地獄に落として彼の心まで蝕んでいたあの機械――いや、怪物を。
それにしても、心に嘘を言わせるなんて前代見聞のシロモノだ。
あんなに優しい○○さんが私達を置いて出て行くなんて…やっぱり嘘だったんだ。
その証拠に最後まで彼は私達に一発も撃ってこなかった。
きっと彼にも、私達の気持が伝わっていたに違いない。…○○さん、よく頑張りましたね。
こんな怪物に喰われても自分の意思を失わないなんて…そんなにまで私達の事を、思ってくれてたんですね…。
「さとり様っ、向こうに落ちましたよっ!」
どうしよう、あの化け物体中から火を吹いてる!○○があいつに喰われたままなのに…!
どうしようどうしようどうしよう○○が死んじゃうよ。いなくなっちゃうよ。
…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!早く、早く助けないと
「お兄さぁん…ごめんよ…ごめんよぉ…痛かったよね?熱かったよね?」
何だよ、これ。お兄さんの顔、もっとよく見たいのに。お兄さんはよくわからない仮面の様な物を被せられてこいつの口の中に縛り付けられている。
こいつが生気を吸い取ってしまったのか、ぴくりとも動か、ナ イ「や…だ…!」
「お兄さん、お兄さんっ!」何で取れないんだ。早くこいつから出さないと、お兄さんが
死んでしまう。まだこの化け物は生きてるのか?だったらトドメを…
「お燐、そこをどきなさい」
お燐は顔中涙と鼻水だらけにして私の方を向いた。どうやら彼を発見したがパニックに陥ったらしい。心が動揺と不安に満ちている。
「あ…さとり…さまぁ…おにい、さんがぁ…」
…○○さんが?うそ、うそでしょ? 「○○さんっ!」 何これ。まだこいつは…!
猛烈な怒りがこみ上げて来る。力任せに彼の体に巻きついた怪物の一部を引きちぎり、彼を外に引きずり出した。
よくよく見ると得体の知れない仮面やら機械やらが○○の体中に張り付いている。彼の顔に。彼の腕に。彼の肌に。

「○○さん…可哀想にこんなに汚されて」
「○○ぅ…こんなのにまとわりつかれて気持ち悪かったよね…今きれいにしてあげる」
「このっ、この化け物がっ!よくもお兄さんを…!」
六本の細い手が次々に搭乗服を剥ぎ取っていった。


…ぅ…私は…生きて…いるのか?
体中が熱くて、頭が…『よかった…気がついたのですね』さと、り…?
『貴方を捕らえていた怪物…「セントウキ」とやらは私達が倒しました。今はお空達が骸の処分をしています』怪物?君は何を言っているんだ?
『貴方が気づかないのも当然ですね。何せあれは心を操るモノですから…私もあんなモノは見た事もありません』
心を操る…?馬鹿な、あれは私の本心だった!君に心で話したのにそれでも信じてくれないのか!?
『○○さん…私は心が読めるんですよ?ヒトは不思議な生き物でして自分ではそう思っていても心の深い処、
自分自身でも気がつかない場所では反対の事を考えている事が多いのです。それこそが本当の自分とも知らずに、ね』
しかし、私は
『○○さん。貴方は前の世界で軍隊に居ましたよね?しかもあの「セントウキ」のような
極めて強大な力を持たされていました。一人の人間にそんなモノを持たせる事を他の人間がただで許すとお思いですか?』
………
『貴方は道具にされただけです。例えるなら馬を御する鞭や鞍…上に乗っている人間に使われる、単なる道具として。
貴方の記憶に残っていた軍隊の教え…あれはそういった意識で貴方の心を上塗りする物でしたよ?』
しかし、君に伝えたあの決心は…
『貴方は本物だと思いたいでしょうが…残念ながら「教育」の作りだした偽物です。
それだけではなく貴方の「セントウキ」、仮面等にも心を操作する機械が取りつけられていました』
…私は。私は…
『…でも、貴方は以前とは違いますよ。私達を撃たなかった。あの時、貴方の本当の心の声が必死で叫んでいました。ここから出して、助けてと…』
撃ちたくなかったんだ…それだけなんだ…
『もう無理をしないでください、○○さん…本当の自分は何と言っていますか?
道具として戦い続け、短い命を更にすり減らし炎の中で息絶える事を望んでいますか?』
……離れたくない…ずっと…ここで……暮らし、タイ…
『よく言えましたね。貴方はこれで生まれ変われる…もう、大丈夫です。
心に嘘をつく事も無い、本当の生活が送れます。…ずっと一緒ですよ…』


「さとり様…どうでした?○○は?…あたし達と一緒の体になること、わかってくれましたか?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、お空!お兄さんは此処を天国だなんて言ってたんだよ?
当然、ずっといるに決まってんだろ?…あの胸クソ悪い怪物も退治したしな」
お空とお燐が駆け寄ってきた。後ろではあの怪物の骸が地上から出張して来た河童に引っ張られていく処だった。
試しに心を読んでみると何と最高の歓喜に満ち溢れていた。
あんなに臭い骸の何処に喜びを感じているのだろう?やはり河童は理解できない。
「――ええ。心から快諾してくれました。早速儀式を行いましょう」
「「やったあああ――――!!!」」二匹とも、飛び上がって喜んでいた。
二匹のこんな笑顔を見るのは久しぶりだ。私も心から嬉しい気持ちになった。
ほんの少しの嘘なら人を幸せにする事もある。こんな事を言ったのは誰だが知らないが、
確かにうなづける事だ。確かに彼の受けた教育は事実だったが、心を操る機械など人間の
世界に存在する筈が無い。それが出来るのは私、古明池さとりとその妹くらいなものだ。
彼の心に刻まれた戦火の記憶と無理矢理押しつけられた戦士の誇りを鎮めるのには平穏、安静、そして落胆。それらがどうしても必要だった。
おかげで彼はこれまでの半年間よりも遥かに満たされた状態を享受している。
そしてこれからもずっとこの地霊殿の一員として…家族、として…
そこまで考えて私は自分の顔が火にかけたやかんの様になっている事に気づき、そっと頬に掌を添えた。

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最終更新:2011年02月11日 17:52