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 机上の蝋燭の、か細い灯りを頼りに私は書を綴る。
 朔の月だと云うのに、肝心のお月様は雲に遮られて少しの先も見えやしない。
 今、私がしたためている物は『幻想郷縁起』。
 幻想郷の事実を、私見を交えながら書き連ね、後世の為に残す、稗田の事業(ことわざ)である。
 妖怪は多種多様で、全てを収めるには人間の一生はあまりにも短い。
 そこで御先祖、阿一様は転生の術を重ねる事にしたのだ。
 私は御阿礼の九代目、稗田の阿求。
 ならばこそ、私は全身と全霊を以って『幻想郷縁起』の完成を求道しなくてはならない。
 と、そうして今日もどれくらい経ったのだろうか?
 眼の奥に重い違和感を感じる様になり一旦筆を置き、
 ふさぁ、背中に掛かる何かを感じる。
「そんな熱心に、夜風が当たるぞ?」
 その感触に振り向くと、微苦笑を浮かべた○○さんが立っていた。
 成る程、あんまり暗いので分からなかったが、毛布であろう事など容易に考えつくだろう。
 そんな簡単に思いつかない程、私の頭は疲労で茹っていたらしい。
「そう、ですね。あまり根を詰めても良い文章も書けませんし。頃合ですか」
 ここは彼の言に従う事にした。
 確かに、一理も二理もある上、彼の言う事なのだ。どうして私が拒絶するだろう。
 私の言葉に満足したのか、○○さんは最後におやすみと言って部屋を出て行った。
「はい、おやすみなさい○○さん」
 その背中に聞こえたのだろうか、障子がぴしゃりと音を立て、○○さんの姿を隠した。
 さて、寝ると決めたのなら行動は早く。
 押入れから布団を出し、蝋燭の火を消すと暗闇が世界を包み込んだ。
 その光景にぶるりと肌を震わし、いそいそと布団に潜り込んだ。
 冷えた肌にも、敷いたばかり布団は冷たく、暫くしてから私を暖め始めた。
 ぼぅと天井を眺めると、言っても暗く見えはしないが、考えるのは、○○さんの事。




 三ヶ月前、人里近くで倒れていたのが○○さんだった。
 その、私達からは奇妙に見える出で立ちから彼が外来人である事はすぐに分かった。
 丁度通りかかった私は数人の連れ立った使用人達に家まで運ばせる事にした。
 意識が戻った彼の口から出たのは、外の世界の言葉はよく分からないものもあるが、案の定であった。
 事情が飲み込めていない○○さんに、私は一つ一つ現状を教えた。
 混乱気味な彼を安心させる為、戻る方法はある事を話すと少し落ち着いたようだった。
 そして、残るにしろ戻るにしろ、決心がつくまでこの家に滞在するといい、と伝えた。
 結局彼は状況に流されるまま、今猶明確な答えを出さずに稗田の家に厄介になっている。
寝所を提供したのは最初は只の親切心からだった。
人里の人間達は阿礼乙女を畏敬し、一線を引い接してくるが○○は違った。
単なる不遠慮とは異なる、外来人だからだろうか、阿求の記憶一つにもない優しさを以って彼女を扱うのだ。
その優しさは阿求にとって新鮮で、気が付けば誤魔化し様も無い程、彼に心惹かれてた。
三ヶ月―――長い時間でもありませんが、私にとっては掛け替えの無い月日だった。
願わくばこの小さな幸せがずっと続くよう、私の瞼は音も無く落ちた


それから何事も無く、平穏な日々が幾日か流れました。
「阿求、大事な話があるんだ」
何時の事だったでしょうか、彼がそう切り出したのは。
真剣な○○さんの表情に、私のひ弱な心臓は五月蝿く騒ぎ始めました。
様々な憶測が脳裏を駆け巡り、その中には淑女あるまじき内容もあり、かぁと血が顔に上ってくるのを止められません。
一人百面相をする私でしたが、彼は気付いた様子も無く言葉を続けます。
「随分悩んだけれど、俺、幻想郷に残ることにしたよ」
さて、彼の内容でしたが、私が自分勝手に想像した事とは違ったものでしたが。
それでもまた○○さんと過ごしていけるのかと思うと、私の心は喜びに震えました。
「それでさ、もう一つ大事な話があるんだけど……」
先程の凛々しいとも言える表情から一転して、今度は言い辛そうに頬を掻く○○さん。
良く見ると彼の頬がほんのり桜色に染まっているじゃありませんか。
いやまさか、そんな、と冷静になろうとしますが、頭と心が乖離してしまったかの様で、心臓が張り裂けてしまわないか心配です。
「○○、まだ私は出て行っては駄目なのか?」
「ちょ、慧音。早いって」
部屋の入り口から慧音さんが入ってきました。
どうしてそこで慧音さんが出てくるのでしょうか?
何事か目の前で揉めている二人、けれどとても嬉しそうで。
「えっとだな、その、なんと言うか」
さっき以上に言い淀む彼の姿を目にして、私の心が急速に熱を失っていくのを感じる。
「俺と彼女、結婚することにしたんだ」
 それからも○○さんと慧音さんは話しかけて来てましたが、私の脳内では結婚の二字が反芻し会話の内容が耳に入ってきません。
 気が付くと私は自室にいました。
どれくらいそうしていたのでしょうか、日もすっかり落ちきって外に光は窺えません。
あ、そうでした。今日はまだ史記の編纂がまだでしたね。
灯りを点け、机に向かい、筆を執り、墨を滑らそうとするが、紙が塗れていて文字が滲んでしまう。
その時になって漸く、私が涙している事に気付きました。
一度気付いてしまったからには、堰を切った様に涙が溢れて嗚咽も止まりません。
私は確かに○○さんの女になりたかった、しかし○○さんの幸せを願っている気持ちも嘘偽りの無い心なのです。
彼の幸せは慧音さんと一緒にいる事で、決して、……決して私ではないのです。
もう私は、彼の一番の女性になれないのだと、ただ一点が悲しくて悲しくて。
 ふと火の粉が目に映り、いっそ死んでしまおうかと―――。
陽炎の向こう、私はきっと非道い顔をしていたでしょう。
それは悪魔の囁きだったのでしょう、しかし今私にとってはまさしく天啓でした。
――――――。
かたん、燭台を倒すと火は畳に障子にと燃え広がり、瞬く間に炎が部屋を多い尽くしました。
―――嗚呼、○○さん。
灼熱が肺を燃やす感覚に身を委ね、瞳の最期は○○さんを捉えた、そんな気がしました。




「大分お腹も大きくなってきたな」
「ふふ、一体何度目の言葉だ?」
「仕方ないだろ。楽しみなんだ」
 慧音の膨らんだお腹に置いた掌から、とくんとくんと、彼女の鼓動とは違う、もう一つの小さな鼓動を感じる。
早いもので、俺と慧音が結婚して十の月が流れようとしている。
……同時に阿求が亡くなった歳月でもあるが。
俺が駆けつけた時、結局手遅れで、彼女は助からなかった。
当時の混乱は大変なものだった。
御阿礼が亡くなったと言う事で、幻想郷縁起はどうなるのかと悶着が起きたものだが、歴史に造詣の深い妻が引き継ぐ形で問題は収束していった。
多くの人は稗田の悲惨な事故を忘れ、或いは乗り越えて日々を過ごしていっている。
だが俺は―――。
 ぎゅぅと、唐突に慧音の膨よかな胸に抱かれた。
「お前は頑張った。頑張ったよ。だから、そんな顔をするな」
 ……参った。乳房に抱かれて落ち着くなんて、まるで子供じゃないか。
もうすぐ父親になるって言うのに。
だから今だけは、もう少し子供でいさせてくれ。
「う……、うぅ……!」
 背中に回した腕に力を入れると、応えるように少しだけ、ほんの少しだけ強く慧音は抱き返してくれた。
その日俺は、日が落ちるまで泣いた。


数日後、○○と慧音の間に生まれた子供は、成長し花の髪飾りが似合う可憐な少女に育った。





―――女として愛して貰えないのなら。
 ―――せめて私を。
―――娘として愛して下さいますか?
最終更新:2011年02月11日 18:22