仕事を終えて外来長屋へ戻った頃には日がすっかり暮れていた。暗くジメジメした通りを半ばまで来た時、自分の家から明かりが漏れている事に気が付いた。
日が経つごとに住人が消えて人気の少なくなった外来長屋だ。こんな時間に明りが付いていれば嫌でも目立つ。「客か」すぐにそう断じた。
物盗りの線は無い。人里の人間は好き好んでこの長屋に近づかない。そして長屋の住民同士には異郷で出会った同郷同士の奇妙な信頼がある。決して仲間からは盗まない。
「おお、帰ったか、○○。勝手に上がらせて貰ったぞ」
「……こんばんは 白沢先生」
戸を開けるとそこには寺子屋の先生と人里の村長のジジイが座っていた。ジジイは俺の面を見ると俺を無視したまま露骨に顔をしかめて茶を啜った。
(誰の茶を勝手に煎れてやがる)
こちらも村長に無視をし返して先生にだけ挨拶をした。
「さて、今日は話があってきた」
「外来長屋への仕事の依頼ですか」
人里の重鎮二人が遅くにやって来たという事は面倒な仕事だろう。俺は面倒が嫌いだ。また長屋から人が減る事にならなければいいが。
この幻想郷において外来人に任される仕事というのは人里がやりたくない仕事ばかりだ。
人里近くまでやってきた知性の無い低級妖怪を体を張って追い払う。妖怪に喰われる危険の有る人里離れた土地を開墾する。
そして一番多いのが人里の人間が決して行きたがらない場所への連絡や物資の運搬、御用聞きだ。
紅魔館。白玉楼。永遠亭。妖怪の山。地底。そこ自体が危険だったり、そうでなくても道中が危険な場所ばかり。
どんな大妖怪でも日用品や物資は必要らしく人里で作られた様々な物を供給する事が決まりらしい。
しかし人里の人間たちは恐ろしがってその役目を外来人に押しつける。そして幾許かの銭を報酬として長屋に渡す。
それで俺たち外来人はようよう口を糊する。どんなに危険で割りに合わなくてもやらない訳にはいかなかった。幻想郷で新参の若者に他にまともな働き口など無い。
神社に行けば現世に戻れるという話だが巫女に縁もコネも無い者は賽銭というには余りに高額な金を求められた。俺達外来人の収入では貯めるのに何年かかるか分からない。
(幻想郷は全てを受け入れる?糞でも喰らえ)
「いや、今日はお前に良い話を持ってきた」
顔には出さぬようにやり場の無い怒りを煮立たせている俺を先生の嬉しそうな声が現実へと引き戻した。
どくん。と俺の心臓が跳ねあがった。(まずい。まさかアレか)
「……へぇ。そりゃ一体どんなお話で?」
平静を装いながら俺は祈った。(頼むから。アレは止めてくれ)
外来長屋にはもう一つ大きな仕事がある。幻想郷の有力者たちから最も重要な役目だと言われる仕事。最も身入りの大きな仕事。
「○○、お前もそろそろ」
(やめろやめろやめろやめろやめろ)
そして最も多くの仲間を消した仕事。その仕事とは。
「身を固めてはどうだ」
人身御供である。
先生はにこやかにあくまでもにこやかに俺に死刑宣告を付き付けた。
「仕事中のお前と何度か話してお前が気にいったという者があってな。先方はすっかりお前を気にいって惚れこんでいる」
外来長屋にはこういう話が良く来た。外来長屋の仕事で普段人間が決して近づかない場所を回る俺達はそこに住む女に会うほぼ唯一の男。
人里の玉無しどもが恐れて寄り付かないから免疫が無いのか、外の世界で作られた人格に魅力を感じやすいのか分からないが。
彼女らの多くは幻想郷の有力者だ。婿入りともなれば長屋暮らしとは比べ物にもならない生活が手に入る。しかし。
「お、俺に拒否権は有りますか」
「無い。先方はお前が婿に来ないなら『考え』があるそうだ。ははは。愛されているな○○」
問題は彼女らが普通の愛し方を知らない事だ。恐れられ畏れられるばかりで孤独の中で生きてきた彼女らは一度男を愛すとそれはもう偏執的に愛した。
もう絶対に独りにならないように。愛した男が離れないように。どうすれば男を繋ぎとめておけるか不安で不安で仕方がなくて凶行に走る。
束縛。監視。監禁。拷問。心中。自傷。自殺。そして現世への帰還の絶対阻止。そう。何よりも、こうなればもう外の世界に帰る事は出来なくなるのだ。
愕然とする俺に今まで黙っていたジジイが嫌らしい薄笑いを浮かべて言った。
「この話が進めばお前の仲間には人里から礼をする。何人かはその金で外へ帰れるじゃろう。そちらにとっても悪い話ではないと思うが?よそ者のお前らもこれぐらいは幻想郷の役に立て」
ジジイの顔面を殴りそうになったがこの間長屋に来たばかりの仲間たちの事を考えて思い止まった。
そういえばまだ右も左も分からない若造だった。あいつらには未来がある。俺とは違うのだ。
「先方にお伝え下さい。お受けいたします」この日俺は帰還を諦めた。
最終更新:2020年03月07日 08:59