吸血鬼○○の日常


夕方、目が覚める。
スカーレット家当主の部屋は一日中ぼんやりとした燭台の明かりで照らされていた。
薄暗い部屋も暗視が効く○○にとっては問題ない。

自分の真横に蹲る小さな白い裸体にシーツをかけ直してあげながら、○○はそっとベットから出た。
彼女が起き出す時間帯はまだ遅い。朝方自分の血を吸いながら猛り狂っていたから尚更遅いかも知れない。
身体のあちこちに出来た裂傷や噛み跡、引っ掻き傷はやっと傷跡が消えかけた位。
やはりレミリアに付けられた傷は治りにくい。これも主従関係の所為かなと○○は考えている。

いつの間にか、サイドテーブルに洗面器一杯の温かいお湯とタオルが数枚置かれている。
自分が起きた事を察した忠実なる従者が用意したのだろう。
○○は日本人的に起床時間を守るから、彼女も気紛れな当主を相手にするより随分楽に違いない。

軽く絞ったタオルで身体を拭いていく。
タオルからも、洗面器のお湯からも、咲夜の香りがほのかにした。

当主の方は血やら体液やらで随分な状態であるが、そのまま放っておく。
彼女曰く、○○から分泌された物体や液体に包まれて眠るのは至福の睡眠らしい。
綺麗にしようとすると返って怒られる場合があるので、放置するが吉だろうと○○は判断している。


渡り廊下の向こう側に注す夕日は随分と沈んだ色合いになっていた。
○○は何時もの服に着替えさせられた後、食堂に入り瞬時に引かれた椅子に座り、瞬時に配膳された料理を食べる。
最初はまるでコマ送りの世界にでも入った感じで気が滅入ったが、慣れというのは恐ろしい。

まだ吸血鬼になって日が浅い○○は、人間の食事を食べている。
吸血鬼の食事は血ではないと意味が無いので、実質食事は食前に出される咲夜の血が入ったグラス一杯だろう。

他に用意された焼き立てのパン数種類、丁寧に剥かれたカットフルーツの山、綺麗に形が整ったオムレツ。
適度に炙られたハムステーキに温野菜、まろやかそうなコーンポタージュ、チーズ各種に焼いたトマト。
まるで○○が子供の頃に見たアニメに出て来る某伯爵の朝食の如き豪華さだ。

これらは○○の『趣味』の為に作られていると言っても良い。
これらは○○の吸血鬼としての身体を維持するに何ら貢献もしないからだ。
あの長屋に居た頃では決して口に出来なかった豪華な食事を○○は黙々と口に押し込んでいく。

まるで人間の頃の名残を惜しんでいるかのようだと、時折○○は自嘲する。
○○は思う、何時か自分の食事とは、食前の血のグラスだけになるんじゃないかと。

○○はコーンポタージュのお代わりをお願いする。
事前に察していたのか、唾液をポタージュが入っている鍋に垂らしていた咲夜が瞬時にポタージュをよそう。

フルーツが好きだった○○は、カットフルーツのお代わりを頼む。
咲夜は林檎を口の中で適度な大きさに砕いて口移しして来たり、バナナの向こう側を銜えたままこちら側を○○に突きだして来た。

毎度の事なので、○○はそれらを普通に平らげていく。
この辺で変にリアクションを返すと図に乗るので注意だ。
まぁ、週に一度は嫁のモツ料理を食わされる◇◇や、従者に人魂料理を食べさられた××よりは随分まともだと○○は考えている。

そして食後の咲夜の血入り紅茶を飲んで、○○の朝食は終わった。
朝食が終われば、レミリアが起床するまで自由時間だ。
後援関係の書類や手紙などは昨日の内に済ませたのでやる事が無い。
こんな暇な日に限って鴉天狗の新聞はやってこないので、陽が落ちた屋敷周辺を○○は歩く事にした。
用心の為、愛刀のレイピアは持っていく。門番が居るのに結構な具合で襲撃者が屋敷内に侵攻して来るからだ。


適当にブラブラしながら、湖畔を展望出来るバルコニーへと向かう。
途中で出会う妖精メイドは離れた場所でヒソヒソ噂をしているか、頭を下げて足早に通り過ぎる。
誰しもが、○○と下手に関わり合いを持って嫉妬深い当主の怒りを買う事を恐れてるのだろう。
幾ら死なない妖精達とは言え、些細な事で身も凍るような恐怖を味わい復活の手間をかけるのは願い下げなのかも知れない。
それは魔法図書館の魔女と司書、時折胸に傷がある外来人の格闘家と世紀末格闘をしている門番も適用されるので油断ならないが。



ドーンという激しい音が聞こえたので、少々急ぎ足でバルコニーに出てみる。
見ると湖の対岸で何やら巨大な土煙が発生していた。
こちらまで震動が伝わる辺り、上位クラスの妖怪が暴れているのだろうか?


視力を強化し、尚かつ魔法のオペラグラスで対岸を窺う。
途中で慌てたのか巨大な蛙に頭をかぶりつかれている氷精が居たが無視して土煙を凝視する。
魔力のみを感知する事を意識し、神経を集中させる。
○○の視界に映ったのは、日傘を差し、悠々とした態度で空中に漂う大妖怪。
そして、彼女の視線の先にいるのは、ボロボロの外来人の服を纏った男だった。

「先輩か」

先輩。そう、○○は呟いた。
先輩、文字通り幻想郷で人為らざる者になった外来人の『先輩』。
別に自分達全てが元外来人ではない。希少数ではあるものの、彼のような先輩は何人か居るらしい。
彼らは人里ととも外来人達とも接触しない。接触した例が殆ど無い。
全てを諦めて自分を愛した妖怪と永劫の時を歩んでいるのか。
自分の全てを独占しようとする妖怪に監禁されているのか。

あの『先輩』のように、自分を郷へ括り付けた女性に、幻想郷に挑み続けるのか。

先輩が叫び声と共に手にした木の杖を地面に突き立てる。
地面が割れ、凄まじい数の飛礫と中から飛び出した植物の蔦が猛然と飛び出す。
流石自分達が来る遙か以前からこの郷で生き延びてきただけの事はある。
並の妖怪程度であれば軽く一蹴出来るレベルの弾幕だ。

そう、並の妖怪程度であれば。

○○は咄嗟にオペラグラスを外し、視力を元に戻す。
次の瞬間、轟音と共に凄まじいまでの弾幕が対岸に突き刺さった。


「……やはり、上位クラスは格が違うな」

再度、オペラグラスを付けて窺うと、既に勝者は敗者を抱え飛び去る所だった。
言うまでもなく、あのフラワーマスターの称号を持つ大妖の勝利で終わった。
先程まで闘志に溢れていた先輩は、更にズタボロになり項垂れた状態で抱えられてる。

「……先輩」

○○の赤い瞳には、軽蔑も失望も無かった。
ただ、純粋な尊敬の意がそこにあった。

恐らく、彼はこうして何度も何度も自分を束縛しているあの大妖怪に挑んだのだろう。
実力の桁が違いすぎるのを承知の上で、全てに置いて相手が上回っているのを知った上で。
自分達は諦観を持って妻と現状を受け容れ、幻想郷の一部となった。
あの先輩は諦めず、今も尚外の世界へと戻る事を諦めていない。

人は自分に無いものを持つ存在に憧れを抱く。
○○にとって、他の全てを捨ててでも帰還を目指す先輩は憧れの存在だった。
例え、この郷に居すぎた所為で、大妖怪に植えられた因子に絡め取られていても。
大妖怪を倒した所で、魔に染まりすぎた身体では結界から出る事は不可能だとしても。
強引に出ようとすれば死ぬか巫女に討たれると理解してても。

「まるでイカロスだな」

彼の場合、結果が分かっていて太陽を目指すイカロスであったが。
決して敵わない、至れない太陽に向かっていくイカロスを、○○は心底尊敬していた。

「旦那様、お嬢様のお部屋にお戻りください。先程の戦闘の余波でお嬢様が起きられてしまいました」
「そうか。解った……咲夜は先に行って宥めてくれ。私も直ぐに行くから」
「承知致しました、旦那様」

一瞬で姿が掻き消えた咲夜の後を追うようにバルコニーから屋敷の中に戻る。
ふと、今だうっすらと土煙が上がる湖畔を見やる。

(あなたとは、何時か心境を語り合いたい所だ。あなたは今だ抵抗者で、私は敗北者だろうけど)

自分の末路を知っているイカロスが、太陽にたどり着く事があるのだろうか。
○○の思考は、館を揺るがす震動で打ち切られた。どうやらレミリアが癇癪を起こしたらしい。

「……それよりも、今は癇癪を起こした我が妻を宥める時か」

溜息をつき、窓を閉める。
湖畔の土煙は夜の霧に紛れ、うっすらと幻想の郷に散っていった。

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最終更新:2011年02月11日 21:24