その日も、永遠亭の主である輝夜は「優曇華」の盆栽を前に、ぼんやりと暇を潰していた。
「あー、うー、うー」
「はいはいはい、我慢してね我慢してね、ちょっと、おしめの替え持ってきて早くー!」
「はいこらうっさっさー!」
「うー!!」
「うさー、くっさー、ちょ、止めて、誰かこの濁流止めてー!!」
何となく、少し離れた部屋で騒いでいるてゐと妖怪兎の声に耳を傾ける。
1年チョイ前に生まれた八意永琳の娘の世話をしているのだろう。
全く、子供が生まれてから永遠亭は大忙しになる事が多い。
こうしてぼんやりと暇を持て余す輝夜自身、何度もその騒動に巻き込まれた。
「子育て、って大変よねぇ」
非常に忙しくはあるので、暇潰しにはもってこい、だろう。
だが、興味を持ってやろうとしたら永琳とその旦那と永琳の弟子に満場一致で止められた。
暫くはブウ垂れていたが飽きっぽい彼女の事、今では彼女らがああして騒いでいるのをぼんやり見る程度である。
「と言うか、あの永琳が母親になるなんてねぇ」
ましてや、地上の民、月の民からすれば穢れを纏う男。
外界で外科医をやっていたという男を永遠亭に連れ込み、身体を許し子まで為し結納までしたのだ。
(実際はモーションをかけているのに手を出さないのでぶち切れ、お酒に混ぜた媚薬で獣にし既成事実を作ったのだが)
それこそ千年を軽く越える時を共に過ごしてきた輝夜からすれば、まさしく天と地がひっくり返りそうな事態だった。
あんまりにも驚いたので、ずっと暇潰しと称して二人の夫婦生活を観察していたぐらいだ。
暫くの間二人の観察ばっかりやっていた所為か、完全に放置されていた妹紅が半泣きで彼女の部屋に殴り込んできた位だ。
その永琳だが、今現在はこの永遠亭に居ない。
博麗神社に弟子を連れて向かっている。
『実家に帰らせて頂きます』と書き置きを残して出ていった亭主を連れ戻しに。
無表情かつ狂おしいほど切羽詰まった面持ちで、てゐに我が子を任せると弟子を引き摺るようにして彼女は飛び出していった。
と言っても多分2年前の夫婦喧嘩の時みたく、博麗神社に向かった彼を永琳がふん捕まえて数日間お籠もりする。のパターンだろう。
今朝方出ていく時に玄関で鉢合わせた時も、自分の「本気で出ていくのか」という問いに苦笑で返してたのだし。
歪んではいるものの、本心から自分を好いてくれる永琳の事をあの旦那も愛しているのだろう。
「愛、恋愛、かぁ」
輝夜はポスンと敷かれたクッションに身を投げる。
そう言えば月の都に居た頃も、流刑されて地上に降り京の都に住んでいた頃も彼女は恋などした事が無かった。
名だたる貴族の貴公子達から数え切れない位求婚された。
その代の帝様からも求愛を受けた。
だが、輝夜は何れにも興味を示さなかった。
貴公子達の色欲に満ちた眼にも興味は無かった。
帝様の真摯な愛情は、真摯さは理解出来たものの、愛情は結局理解出来なかった。
(ちょっと気の毒には思えたので、蓬莱の薬をお詫びとして置いてきたが)
永琳との逃亡中にも何度か男と巡り会い、愛を告白されたが輝夜の心は微塵も動かなかった。
盆栽の世話以外の何事にも能動的にはなれない姫君は、誰かを愛する事や恋する事にも全く能動的ではなかった。
しかし、永琳の夫に対する愛情に関しては、少しだけ興味を引かれていた。
初対面の後辺りから、見張り用の因幡を里に常駐させるようになったのを聞いた。
幾重にも策を弄し何ヶ月もかけて、男が永遠亭に住む事になるよう誘導するのを見た。
彼の使った食器をこっそり隠し、深夜になって自分の舌で綺麗にするのを見た。
彼の部屋に通じる通路を作り、夜中に寝顔をずっと覗きこんだり何事かを耳に吹き込み続けるのを見た。
彼の食事に自分の体液をこっそり混ぜ込んだり、手製の薬を混ぜるのを見た。(こっそり食べて見たら夜になって凄く身体が火照った)
男が風呂に入っている間、彼が着ていた服や下着に顔を埋めていた。
男が夜便所に行った時、布団に滑り込んでその温かさと匂いを堪能していた。
男が里に居た頃に知り合ってた夜雀が尋ねて来た時、竹藪で何故か行方不明になるのを見た。(その日、因幡達の食事は鳥鍋だった)
てゐが男に悪戯でじゃれついた時、男からは見えない角度で月の守護者さえ怯むような形相でてゐを睨んだ。
(それ以降、てゐは男と永琳の子供に関しては絶対に悪戯をする事は無かった)
男との初体験の朝、平謝りする男に「こうなったら責任取って」と泣き付きつつ「計画通り」な顔をしてたのを見た。
いやはや、求愛された事はあってもした事がない輝夜にとって驚きの連続だった。
確かに世間一般的な恋愛とは異なるだろう。鈴仙に聞いてみたら顔を真っ青にして否定してたし。
だが、輝夜は永琳の愛情の示し方に興味を覚えたのだ。
多分、多分だが永琳の愛情が鈴仙やてゐの言う「世間一般的」だったらそれ程興味を抱かなかっただろう。
あの堅物な永琳が恋するなんて珍しいこともあるもんだ、程度で終わったかもしれない。あくまで想像だが。
「まだ理解は出来ないけど……あんな愛し方が出来る相手が見つかったなら、私も恋とか愛とかするのかしら?」
永琳の示した、偏執と妄執と依存の混じった愛情。
愛や恋を感じた事の無い自分でも興味を示したアレなら、ひょっとしたら理解出来るかも知れない。
そうなったら、ひょっとすると自分は能動的になれる日が……来るかも知れない。
「そうなったら……私もあんな風になっちゃうのかしら?」
好いた相手をつけ回す自分。
好いた相手を永遠亭に囲う自分。
誰にも触れさせず自分だけで相手を独占する。
そんな愛情を抱く女にワタシハナリタイ。
「……なーんてね」
いまだ理解の域には入らない愛情の世界を夢想していると、玄関の方が騒々しくなった。
大方、永琳が捕獲した旦那を連れて帰還したのだろう。
「ま、暫くは観察と勉強と行きますか」
そんな風に呟くと、輝夜は屏風の後ろに隠してある戸を開いて隠し通路へと入っていった。
永琳と旦那が仲直りするまで篭もる『夫婦の部屋・地下』に続く通路へと。
尚、輝夜が運命の男と出会い、永琳の愛を解するのはほんの数年後の事であった。
やおい
最終更新:2011年03月04日 02:24