……私は紅魔館で働く妖精メイドです。
私たち妖精メイドのお仕事は家事全般で、この広いお屋敷のお掃除は特に大変です。
巫女や魔法使いなどがやって来て暴れた日などは、もう目も当てられません。
窓が少なく、わずかな窓も真紅のカーテンで閉め切られている廊下は、真昼であっても薄暗くて不気味。
でも仕方ありません。何故なら、この館の主であるレミリア様は吸血鬼。日の光は大の苦手であるのですから。
……これだけ大きなお屋敷で、しかもその主は吸血鬼ですから、使用人たちの間ではいくつかの怪談や噂話も出てきます。
曰く、
フランドール様が幽閉されているのとは別に地下室があり、そこは食料(人間)の保管庫である。
曰く、物置にある大きな鏡には秘密の部屋へと繋がる仕掛けがある。
曰く、大図書館の本棚にある手順をとって進んでいくと禁書の棚にたどり着く。
そんな不確かな話がいくつもいくつも出てきます。
私も含めて皆は噂好きでイタズラ好きですから、中には噂を利用したイタズラをしたり、嘘の話で皆を怖がらせようとする子もいるのです。
…だから、最初にその話を聞いた時も、…そんな噂話の1つだと思っていました。
「……貴賓室の、亡霊…?」
「えぇ、そうよ。あの“開かずの間”の噂話、確かめてみたくなーい?」
……紅魔館には、“開かずの間”もしくは“開かずの部屋”と呼ばれている貴賓室がある。
貴賓室は当主であるレミリア様が特別なお客様を迎えた時のための部屋、ということになっていました。
ですが、この部屋が使われたことなど私がここで働いてからただの一度もありません。
また、一度も使われたことのないはずなのに、貴賓室の清掃はメイド長自らが毎日行い、他の誰にも、…決して近づかせようとはしませんでした。
そもそも、この貴賓室の亡霊というのが噂になったのは理由があります。
ある日、妖精メイドの一人がお庭の手入れを終えて館に戻ろうとした時、窓に映る人影に気が付いたというのです。
最初は誰かが屋敷の外を見ているのかとなんとなく思っていると、……ふとおかしなことに気がついた。
そこは“開かずの間”と呼ばれている部屋の窓のはずで、その部屋から誰かがこちらを覗いているなんてありえない…!
…そのことに気付いた彼女は気味が悪くなって、急いで中に戻ったのだという。
「…で、でもそれは別の部屋の窓と勘違いしただけで、あの“開かずの間”の人影だったとは限らないんじゃあ……」
「この紅魔館に窓がほとんどないのは知っているでしょう? あっても分厚いカーテンで閉められているわ。
それに、貴賓室の近くの部屋には窓がない。あれは間違いなく、あの部屋だった」
話を聞いていた他の子が意見しましたが、それも別の先輩メイドに否定されてしまいました。
掃除をしていたメイド長の影だったのではないか、という仮説が出ても、それもまた別の子によって否定されてしまいます。
そして最後には、実際に誰か確かめてみるべきだ、という結論になってしまったのです。
◆◆
◆◆
「う、うぅ……どうして私がこんな……」
紅魔館の広い廊下を、貴賓室の鍵を持った妖精メイドがおっかなびっくり進んでいく。
彼女は自分がこの肝試しの役に偶然選ばれてしまったことを心底後悔していた。
しかしここでやめる訳にもいかない。明日になって皆に意気地が無い、臆病者だと言われるのはもっと嫌だった。
廊下にある明かりは蝋燭の炎だけだった。…その光にゆらゆらと揺れる影がよけいに恐怖心を煽る。
「……あ」
――貴賓室の扉が見えた。
持っていた鍵を無意識に強く握り締める。
……鍵を差し込むと、意外なほどにすんなりと開いた。当然だ、メイド長が毎日清掃しているのだから。だから自分も……怯えることなどなにもない。
扉をゆっくりと、押し開いていく。
ギイィという音を立てるかと思ったが、静かに、すうっと開いていった。
「し、失礼します…!」
唾をごくりと飲み込んで、彼女は貴賓室の中に踏み入った。
部屋の中へと入り、彼女はぐるりと内部を見る。
……そして、見た。
「…………え、」
最初は気付かなかった。
だって、あまりにも静かに、まるで調度品の1つであるかのように、この部屋に自然に溶け込んでいたから。
"彼"は、部屋の窓際にある大きくゆったりとした安楽椅子に沈むように腰掛けていた。
人里の人間では珍しくもない黒髪に、まるで貴族が着るような見事な意匠の服は少しアンバランスにも感じた。……ただ、もしこれが彼女の主人のセンスであるというのなら、納得できる。
……この安楽椅子に座る青年を、紅魔館に勤めるメイドである彼女は見たことがない。
しかし、彼がこの貴賓室にいるということはつまり……、つまりこの人がこの部屋に居るにふさわしい客人であるということだ。
安楽椅子の前にあるテーブルの上には、紅茶のカップと小皿が置かれ、その小皿の上には美味しそうなクッキーが載せられていた。
「あ、あなたは……?」
「…………………、…………。」
わずかに眼差しを向けただけで、返事は、なかった。
動くこともなく、安楽椅子に座る姿はまるで精巧な人形のようにも見える。
僅かに上下する胸は彼が呼吸をしていることを教えてくれたが、その瞳は虚ろだった。呼び掛けても答えもない。
……眠っているわけではない、くつろいでいるわけでも、ない。
彼は何も語らず、何も反応しない。
「――――見てしまったのね」
急に背後から聞こえてきた声と首筋に当たる金属の冷たさに彼女の心臓がドキンとはねた。
「め、メイド長……!? ち、ちがッ、…違うんです! これは、これは……」
「大丈夫よ。私はわかっているわ、だから―――」
銀のナイフが描く白の軌跡が宙を舞う。
……妖精の少女は、喉元から赤い雫を撒き散らしながら、くるりくるりと回りながらゆっくりと崩れ落ちた。
「……あなたには一回休みになってもらうだけ。戻ったときには余計なことは忘れているわ」
最終更新:2011年03月24日 18:40