私が沢の冷たさでを目を覚ますと少女が見下ろしていた。
少女は目を見開いて「ひゅい」と、驚きの声を上げるとそのまま固まってしまい、
見下ろされている私も同じように見開いて少女を凝視してしまった。

私は早朝から山越えをするために霧深い山道を歩いていた。
柔らかな朝日と森の木々。そして谷を流れる水の音。
水の音に誘われるようにふらふらと淵まで足を運んで、そのまま―。
「…滑って落ちたのか。」
そこまで思い出すと体が痛みを訴えだした。打っただけで動かせないような所は無い様だ。
少し安心する。次に沢に浸かっている下半身から寒さを感じた。

体を起こす気配を察知してか少女は身を引いて、そのまま尻餅をついた。
恥ずかしいのか何も話してくれない。
何か言おうと唇の形を変えては止めて、終いにはきゅっと締めてうつむいてしまった。
「…えーと、大丈夫?」
「…おにーさんは人間、だよね。」
少女は体勢を立て直すと膝をつ身を乗り出してきた。
「に、にんげん?」
「ひゅいひゅい」
人間の男とは初めて話したと目をきらきらさせながらぶつぶつ言っている。
「ここはどこかな。」
「わたし、にとり。カッパです。」
だめだ。話がかみ合わない。カッパとはなんだろう。
「私は○○というけど。…誰か近くに大人の人いないかな。」
「おにーさん、変な服装してるね。」登山服がそんなに珍しいのだろうか。今度はしげしげと防水防風を兼ねたアウターを眺め始めた。

それから、何度となく噛み合わない会話からなんとか人里への道を聞き出せた。
「ありがとう。にとりちゃん。」
「へへ。いいってことよ。人間は盟友だからね。」
だいぶ打ち解けてきたが理解できない単語が良く出てくる娘だ。
またね!○○と元気よく別れを告げると沢の岩をぴょんぴょん跳んであっという間に上流へ上ってしまった。
人里は下流だという。下りながらにとりちゃんとの会話を整理してみる。
ここは幻想郷の妖怪の山の中で、その名通り妖怪が住む山である。
私のような格好は奇怪で人里では見たことが無い。たぶん私は現世から来たという外来人である。
河童は人間の盟友で仲良くしたいと思っていた。
―笑ってしまう。あのにとりとか言う娘はどこまで想像力が豊かなのだろう。
しかし人里は私に真実を突きつけてくれて、私は本当に異世界に来たのだと理解できた。

私はまた、沢に来ていた。
現世へ帰るための手がかりを探すためだったのだが、やはりあの河童少女がいた。
「○○だ!」
にとりは私を見つけると大きく手を振った。
私が沢へ行くと必ずにとりがいる。盟友の知識を知りたいらしい。
どうやら私以外に人間の知り合いは余り居ないらしく「非常識だからつかいものにならない。」とばっさり切り捨ていた。
私は沢を歩き回りまわる。にとりも横について一緒に歩く。そして何も見つからずに終わる。これを毎回繰り返している。
毎回変わることといえばにとりとのお喋りで、会話は河童の技術、現世の話、幻想郷の噂とやむことはない。
にとりはどんな会話でも感心し興味を持つ。最近では人間と話すより楽しくなってしまうほどであった。
「そういえば現世には『河童』って言うタイトルの小説があったな。」
「現世でも河童がいるの!どんな話なの?」
「確か河童の世界に人間が迷い込んじゃう話だったかな。前に一度読んだだけで今はあんまり覚えてないや。」
「へー、なんか○○みたいだね。」
そういわれて少しへこむ。まったくそのとおりだからなんとも言えないのだが。
「…ねぇ○○。」
神妙な雰囲気でにとりが言う。
「そのお話の最後ってどうなったの?人間は河童の世界から出て行っちゃうの?」
「…今度までに思い出しておくよ。」
「うん。わかった。」
俯いたにとりは少し早足なって私を追い抜いた。
今日の探索はちょっと静かに終わってしまった。

季節が変わり、巡り、1週したころついに私にも現世への切符が回ってきた。
帰れるのはまだまだ先だったが帰れる見通しが立っただけでも気が楽になる。
ただなんとなく、にとりには告げづらかった。
私は普段と変わらない態度で沢に向かったがそこににとりはおらず、初めて沢で手がかり以外のものを探した。
むき出しの岩、その影に生える苔、沢を包むように伸びる木々、穏やかに水が流れる音。
後ろから視線を感じる。振り向いても誰も居ない。
こんなに誰も居ない沢は寂しいのかと私は初めて感じた。

それから私は体調を崩し始めた。
常にどこからか視線を感じるのだ。自意識過剰かと思うが感じるのは仕方がない。
また、家の中の物の配置は度々変わるのも堪えた。家の中には誰も居ないはずなのに気配を感じる。
そういった類の妖怪にでも憑かれたかもしれない。
私は何度となく神社に通い札をもらったが視線が消えることはなかった。
そして、沢へ行くことも止め閉じこもるようになった。にとりにはあの時から逢えていない。
夜。やはり気配があり目が覚める。
気配はすっとうごくと私の近くで止まった。こちらを見ている。そんな気がする。
しかし、そこには何もない。
ただ、何故かにとりが懐かしくなってしまった。
「にとりに、逢いたいなぁ」
思わず出た言葉は何もないはずだろう空間に沁みた。
この怪奇現象も現世へ帰れば終わる。そう言い聞かせ布団を被った。

現世へ帰る前日。
こちらに来てお世話になった人に挨拶を済ませて沢へときた。
久しぶりの沢だ。最後ににとりに逢いたいと思った。
「にとり!居ないのか!」
「後ろにいるよ。」
声に驚いて振り返る。本当ににとりがいた。
「おまえ、どこにいたんだ。」
「ずっと近くにいたよ。」
「そ、そうか。」
久しぶりに話がかみ合わない。
私は現世への帰還についてどうやって話そうか考えてなかったことに気が付いた。
「わたしは○○は帰らないほうがいいと思う。」
「…知っていたんだね。」
「知ってた。○○のこと。たくさん知りたかったから。」
「今日はさよならを言いに来たんだ。にとりには挨拶しておきたくって。」
「いいの?わたしと会えなくなっても。」
妙な切り返しをしてくる。
「○○は言ってたじゃない。私に会いたいって。」
「…いや、言うには言ったけど。」
にとりの前では言っていない。どうして知っている。
「私嬉しかった。」
にとりはスカートを両手でいじっている。
それがフックを外していることにを知ったのはスカートがぱさりと落ちた後だった。
いつものブーツは履いてない。少女の素足は外気に晒されてしまった。
「あれからいろいろ考えてね。」
今度は上着のすそを持つと一気にめくり、脱ぎ捨てた。
沢には下着姿になったにとりと私だけである。
「○○を河童の世界にご招待しようと思ったの。」
そういってにとりは僕の胸板に頭を預けてきた。
理解が追いつかない。私は固まってしまった。
『河童』の一節を思い出す。
『雌の河童はこれぞと云ふ雄の河童を見つけるが早いか、雄の河童を捉へるのに如何なる手段も顧みません。』
細い腕を私の腰に回すととがった肩を私の体に密着させた。
そして腰を締められた。
「痛い!」膝の力が抜ける。
「ごめんね。○○。」
私は押し倒された。
「私初めてで聞きかじった知識しかないけど○○のために頑張るから。」
馬乗りになったにとりは真っ赤になっていた。私の服に手をかけ始める。
逃げるなら、ここしかない。
私はにとりの胸をつかむように両手をあてがった。
女性特有のやわらかい感触の中に硬い箇所を掌で感じた。
「…っん」とにとりが息を漏らす。
「ごめん。」そういって僕は思いっきり両腕を突き出した。
それから僕は神社に駆け込んだ。
ここで夜を明かしてそのまま現世へ渡ろう。
にとりなんて居なかった。河童はいなかった。
そういうことなのだ。

私はやっと現世へ帰ることができた。
1年以上ぶりの帰還でしばらく周りは落ち着かなかった。
しばらくして周りが落ち着いたころ、あれに気付いた。視線である。
どこからか見られている。多分幻想郷のやつと同じのだ。
専門の病院にも見てもらったが消えることはなかった。
なんとなく「にとり」と言ってみた。
すこし気配が揺らめいて、近づいた気がした。
「河童」の一節だったか。そんなことを思い出しながら気配の方向を見つめた。
『一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追ひかけるのです。』

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最終更新:2011年05月06日 01:57