カタカタ、と。寒さで肩が無様に震え。
 カチカチ、と。恐怖で歯の根が無骨に震え。
 カラカラ、と。認めぬ現実で無様に唇が震え。

「はは、ははは……どこだよ。どこだよ……」

 ―――ここは、どこだよ。

 泥に塗れ木々の葉によって摺れた身体。雨に打たれまるで錆びついた様に動く事が叶わない。
 最早、心に熱は灯らず燻ぶる精神。彼―――○○はただうわ言の様に先の言葉を呟き続けた。

 
 事の発端は何だったろうか。思いだせない。思いだす気力も無いし、思いだした所でこの状況が変わることも無い。
 雨は降り続ける。もう、○○は動けなかった。否、ただ動く事すら叶わない。
 ただ失われつつある己の命をまるで他者を見る気持ちで不覚にも深く俯瞰する。
 だから、そんなときだったんだろう。

「―――外は雨。だけど、ここは大雨だったようね」

「……あ?」

 場面からして見れば神の気まぐれ、天使の誘惑、堕天使の悪戯、悪魔の仕業。
 確立も低い絵本の中のような場面の一つ。○○は思った事を口にした。

「……助けてくれ。どこの誰かも知らないそこの人」

「見捨てるのも夢見が悪そうね、良いわよ。どこの誰かも知らないそこのアナタ」

 ―――これが、○○とアリス・マーガトロイドの初見である。
 決して人に話せるほどの話題性に富んだ出会い方では無い、と追記しておく。
 少なくとも、この世界では。

――――――


「だから俺は言ってやったんだ。そこで諦めたら相手の思う壺だって。相手を騙す知恵が無いのなら、騙され通せばいい。変に反応起こすから調子に乗られんだよ、ってな」

「へぇ……。名前も知らないのによくそこまで言えるわねアナタ。普通、名前も知らない、しかも会う機会の少ない人物にそこまで言えるなんてね」

「ならその時俺は普通じゃ無かったんだろ。ウサ耳だぞウサ耳。興味が惹かれるだろうが」

「…………ふぅん」

 気分が高揚しているのかいつもより口が回る○○に嘆息しながらも聞き役に徹するアリス。
 どうやら定期的な診察兼薬の補充にやってきた薬師に代わってその弟子がやってきたようだった。
 自分が少し里に買い物に行っている間にそんな出会いがあったそうだ。

 ―――○○が彼女、アリスの家に住んでから早一週間。初めは身体の傷で満足に動けない○○を何の心境か拾ったアリスが介護しつつ住まわせた。
 今では上半身を動かせるほどにまで回復したがそれでもまだまだ自らの意思で立つまでには時間がかかるようだ。
 以外にもよく話す○○の声を音楽にて人形作りに徹していたアリス。普段の彼女なら静寂を好むのだが何故か○○の声と話題は飽きなかったし嫌ではなかった。
 この気持ちを表すなら彼女はこう答えるだろう、気まぐれ―――だと。

「しっかし、あれだな。毎日寝てるんじゃ身体が鈍るわ鈍るわ。以前の輝かしい肉体の俺はどこに行ったのやら」

「死ぬ寸前だった患者が言う言葉じゃないわね。生きてるだけでも儲けものよ。……ここではそうじゃないかもしれないけど」

「あー? 何か言ったか?」

「何でもないわ。それより、思い出したかしら?」

 その言葉を後にして、○○の口は閉じた。表情も硬く、暗く、重く。
 それを見てアリスは嘆息。

「無粋だったようね。ごめんなさい、アナタのことを思った言葉じゃないわね」

「いや、気にすんな。俺も記憶が無いのが悲しいんじゃなくて、記憶を無くした俺が悪くて悲しいんだから」

 ○○が一週間前、傷だらけになった理由。それが分からず彼は悩んでいた。一体何があったのか、心を巣食う蜘蛛の糸が絡まり、気持ち悪い。

「大体生きているんだからいいさ。記憶が無いのは俺がここに来た前後だし。さっさと身体治して帰らないとなー」

「――――」

 一瞬。ほんの一瞬。たった一瞬。場が凍る。

「……? おい?」

 不審に思った○○だがそんな空気は存在しなかったの如く消え失せいつもの雰囲気に戻る。

「……いや、なんでもないわ。食費が大変なんだからさっさと治してよね」

「へーへー、了解しましたよー」

 踵を返して人形作りに勤しむアリスを横目に○○は寝ることにした。傷は、まだまだ癒えないのだから。
 そんな○○を横目にアリスは人形作りに勤しんだ。表情に影が出来るほど俯いて。

「……気まぐれよ、気まぐれ」

 この日の人形作りはあまり進まなかった。

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最終更新:2011年05月06日 03:29