シアワセな魔女と復讐の魔法使い
 1
 私、アリス・マーガトロイドは○○のことが好きでした。
 いつからと言われたらもうわかりません。
 それは彼に出会う前から予兆が遭ったようで、それでいてつい最近だったのかもしれません。
 兎に角彼のことを思わない日はなかったし「これじゃダメだ」と無理やり頭の中から○○を追い出しても山の中でこんこんと湧く水のように体の芯から○○を求めるのでした。
 日ごろ、こんな調子ですから生活に支障をきたします。
 昼間に幸せな妄想に浸ると夜に人形を創るための素材が足りなかったり、魔術書を読みたくても○○が文字の上をちらついてなかなか読み進めることができなかったり。
 まるで○○のことを思い過ぎて生活が難しい、と言うよりは私の生活の中に足りないのは○○だと言ったほうがしっくり来ます。縫物をするのに待ち針がないようなもので、それがないととても難しい。
 待ち針ならば買えば済みますが、○○は買えません。欲しいと言えば、貰えるのかもしれませんが。
 ―それが言えればどんなに。
 私は現状を知るのが怖い。もし○○の隣に私以外の人がいたらと考えると苦しくて声が出る。ぎゅっと握った手が開けない。
 私も男女の在り方については知っているつもりだ。○○は私のことを知っていますがそれだけ。私が○○を思っているように○○が私を思ってくれているとは到底思えない。
 お友達からとは言うが、それで知りえた○○の現状が受け止めがたい物だとしたら。遠くから見つめ想う今がどれだけ幸せだろう。
 
 今日も幸せだった妄想は残酷な想像へと変わってしまった。
 握りこぶしの上に水滴がぽたぽたと落ちてきて、それが自分の涙と気づく。日はとっぷり暮れていて月明かりだけが部屋を照らしてた。
 どうやら照明を点け忘れていた、というより暗さを気にしてなかったと言ったほうがいいのか。
 上海人形がよたよたと近づいてくる。ランプを持ってきてくれたようだ。
 「ありがとう」
 手で涙を拭いながら笑う。ランプを受け取ると重荷がなくなったからか一仕事終えたからか、しゃきっとなった気がしてすー飛んでいった。
 たぶんあの子には「明かりがないと私が思ったら持ってくること」と命令しておいたのだと思う。でも、うれしいときには言いたくなる。
 まだ明かりを点けずに月に照らされた私の部屋を見渡す。普段見ないからか月が眩しい気がする。窓に近づいて森を見た。同じ月に照らされた森は明るい。夜なのに人里へ続く道がはっきり見える。
 まるで異世界だ。起こりそうもないことが起こりそうな。
 「○○」
 返事はない。
 新しい子を作って返事をする用に命令しようかしら。
 馬鹿なことを考える。
 そういえば人形の素材はとうになくなっているのだった。
 明るく輝く道を目で追って、森にさぎられて追えなくなった。その先には○○がいる人里がある。
 明日は人里に行って素材を買いに行こう。余裕があれば○○をちらりとでも見れるかもしれない。
 そう思うと楽しくなってきた。
 私を月を頼りにランプに火を灯して、それからカーテンを閉めた。
 まずか顔を洗ってそれからお風呂の準備をして―それからそれから。
 ○○の目に映る私を想像しておかしなところがないように準備をしなくては。
 
 2
 幻想郷といえども季節は忘れることができないらしく四季が巡る。すごしやすい季節はだんだん暑さに支配されてきた。頬に当たる風が涼しくて心地よい。
 人形の素材や足りなくなっていた生活用品を買い込んだら持ってきた鞄が膨らみきってしまった。
 出不精と言うわけではなかったつもりだが。両手で持った鞄はひざの前で揺れている。軽いものが多いので特段重くもないが大きい。
 じわりと汗がにじむ。風が吹いて汗が温度を奪って引いていく。
 人里の用事が終わったので村の郊外、田園方面に向かって足を進める。
 ○○は幻想郷の外から来た人間。つまり外来人です。
 外来人は人里でいったん受け止められて、大きく分けて2つに分かれます。
 ひとつは外来人の住む元の世界に帰ること。もうひとつは幻想郷を受け止めてこちらの世界に帰化することです。
 この選択を知って私は祈りました。どうか、どうか○○はこっちにいてくれますよにと。今もこんなに離れているのに次元という壁までできてしまったなら。私は「外来人」になってしまう覚悟までしました。
 そして○○は、こちらの世界へ残ることを選択してくれました。
 ○○がいなくならないことを知った私の喜びようといったらどんなにだったでしょう。
 
 そんなことを思い出していたら田園の道をもう歩いていた。
 私が歩く道から等間隔でわだちが延びていて広い平野にマス目を作っている。
 何代かかって開墾したのか知らないが
 里に近い畑は昔からいる御百姓さんが、遠い方は新参者と帰化した外来人が管理している。
 ○○は畑が仕事が好きで誰よりも畑にいる、と前に誰かから聞いた。
 もう夏野菜の定植がはじまるのか鍬を振っている人が多い。だれも頭に光が当たらない様に帽子や手ぬぐいでホッカムリをしている。
 これでは彼らが「農業に従事している」ということしかわからない。
 百人の男が並んでいてその中で○○を見つけろといわれたら一瞬で見つける自信はある。ただ、田圃に一列にならんで鍬を地面に打っていたらじっと見ないとわからないと思う。やってみたいが○○から変に見られたくないのでしないだろう。
 「おんや、あんた人形劇の」
 おねーちゃんじゃないか、と畑から一人帽子が出てきた。顔には皺が寄っている。若干泥も付いていた。
 「めんずらしい」
 「こんにちは。精が出ますね」
 老人はうれしそうに皺をゆがめた。
 私が里の祭りで披露した人形劇の客だろうか。ああ、まだその時は○○はいなかった。いつかは見せたい。
 「なんだい。男にでも会いに来たかい」
 「ええ、そんなところですね」
 「はっはっは。そりゃええ」手を叩いて喜んでいる。
 「外から来た人たちの畑は、あそこですか」と遠くで農作業している集団を眺めながら答える。
 「お相手は外来人か。噂しとった村の若いモンが悲しむの」
 そういって老人は振り向いて「んだな」と答えた。
 「だいたいあそこらへんは外来人の若いのが開墾した土地だからそうじゃのう」
 ○○がいると思うとあの集団が愛しく思えてくるのが不思議だ。誰一人こちらに気づかないで鍬を振りかぶっている。
 「すぐ出て行ってしまう外来人もいれば、ああやって残って働いてくれる若者もいるからの。村も安泰じゃ」
 あんたー、と後ろから聞こえた。
 「おお、婆さんに浮気してると誤解されたらたまらん」
 老人は今までとは違う笑みを皺で作った。
 「じゃあの。また人形劇を孫と一緒にみに行くわ」
 礼を言って老人を見送る。先には老婆が包みを提げて立っていた。二人が並ぶとそれは風景にぴたりと納まった。
 振り返って教えてもらった畑を見る。こちらも田園には馴染んでいる。が、それはあの老夫婦とは違う。あのような夫婦はどんな場所でも納まってしまうと思う。お互いがお互いを満たす。
 私もできれば○○とあのようにありたいと心の底から思った。
 荷物を持っているのを忘れて集団を見つめる。一人一人みるが誰もが○○のようで、誰も○○に見えない。ただ、あの集団の方向からひりひりと幸福を感じた。
 集団の一人が顔を上げた。○○にばれた、となぜだか焦る。焦る理由はないだろう。無いはずだ。
 どうやらそれは○○でもなければ私に気づいたようでもないようだった。周りになにか伝えると鍬を担いで畑から出始めた。まわりの集団もつぎつぎに鍬を担ぎ始めた。休憩だろうか。ここにいたら、いづればれる。
 私は幸せを背にして早足で歩いた。なぜだか、ばれてはだめな気がした。
 
 3
 魔理沙が私の家に来たのは人里から帰ってきた数日後だった。
 魔理沙は応接兼リビングをぐるりを見渡すと「相変わらずだな」と感想を述べた。
 「相変わらずの人形館よ」
 「…ああ、そうだな」
 私の家に人形がある風景はあたりまえだろう。魔理沙は来客用の上着掛けに帽子を掛けてから勝手知ったる何時もの席に座る。魔理沙の目の前にはティーポットから紅茶を注ぐ上海人形がいる。
 「ありがとうな」
 そういって人形の頭に手を置く。可愛がりが終わると上海人形はティーポットを受け皿に戻してまた飛んでいった。
 ずずっと緑茶を飲むようにカップから紅茶を飲む。
 「うーん、アリスの家で飲む紅茶はうまいぜ」
 「どこに行っても、そう言ってるんじゃない?」
 「ばれたか」とにやりと笑う。いつもこんな感じだ。
 「最近見なかったから元気かと思って今日は来たんだぜ」
 「あなたに心配してもらわなくても私は無病息災よ。それに、最近ってこの前もあなたお茶をたかりに来たじゃない」
 「あれ?そうだっけ」そういうと魔理沙は指を折り始めた。「小指まできて折り返したから、ひさしぶりだな」と親指が握りこまれた手を見せるように差し出した。
 確かに言われると微妙な線だか、魔理沙の判断基準もよくわからない。少し呆れた。
 「じゃあ、久しぶりでいいわよ」
 「へへ、勝ったな」
 お互い紅茶を一口飲んだ。私は完全に呆れているし、魔理沙は得意げである。
 「私も孤独な老人みたいに心配される年になったのね」
 「そうだぜ、森の御婆さん。早く身を固めたらどうだ?」
 一弾放って掛けてあった魔理沙の帽子を吹き飛ばす。
 「わぁ。嘘です嘘です。アリスおねーさん許して」
 「わかればよろしいのよ」
 魔理沙は吹き飛んだ帽子を取りに行く。その後姿をみて後半の言葉を飲み込んだ。
 ―身を固める。
 当然固める相手は一人しか思い浮かばなかった。
 「へぇ、誰を想ってるんだ」
 魔理沙は帽子を片手にテーブルに戻る。帽子を脇において座る。
 魔理沙は鼻をひくつかせて「匂うぞぉ」とうなる。
 「恋の匂いだ。恋色魔法使いの鼻は誤魔化せんぞぉ」と魔理沙は嘯く。
 事実、魔理沙にはわたしの想い人はばれているようだ。なぜなら―
 「人里…それも外来村の方から匂ってくるのか?そうだろうアリス」
 この有様である。魔理沙と○○は友達だという。
 「観念しろい。きりきり聞かせてもらおうか」
 そしてあくまで私の口から詳細を語らせようとするからこの客は性格が悪い。
 ただ、この手のことを踏み込んで聞いてくれるのは私の周りでは魔理沙だけだ。
 私は彼の名前をあえて出さず先日の話をした。
 魔理沙は身を乗り出して聞いてくれて驚いたり笑ったり嬉しがったりしてくれる。案外聞き上手である。
 そして私の話が終わると魔理沙はいつもの質問をしてきた。
 「で、そいつの名前は?」
 「さぁ、誰かしらね」
 かーっといって魔理沙は悔しそうに頭を抱える。
 「ここまで聞いたんだ!いい加減名前を言えよ!」
 「そんな義理はないわ」
 私はすまし顔を作って紅茶を一口飲む。
 魔理沙はむむむと唸り、自分のカップに残ってる紅茶を一気に飲み干して、カップを割れないように受け皿の上に戻した。
 そして「諦めないからな!」と捨て台詞を残して出て行ってしまった。
 嵐のようだった。その嵐は帽子を持って行くのを忘れてしまったらしい。
 二体の人形がテーブルの上に乗る。一体は今魔理沙が飲み干したカップを持ち、もう一体は私のカップの側に来て首を傾げた。まだ紅茶が残っている。
 「私のはいいわ。そっちのカップだけ片付けて。あなたはそうね。本を持ってきてちょうだいな」
 今日は○○のことがたくさん話せて気分がいい。このまま読書へとしゃれ込もう。主人公が○○、ヒロインが私に似ているそんな恋愛小説が読みたくなった。
 
 4
 今夜も私は泣いていた。
 窓からは月明かりが眩しいほど差し込んでいる。
 月光に誘われるように窓に近づく。窓を開けると満月が浮かんでいた。一緒にすこし冷たい風も流れてきた。
 満月を見上げて、そして森を見渡す。月には特別な力があるというのか、その光に照らされたもの全てが異世界のものに思えた。
 現実に似通っているけど少し違う異世界。満月なら、その光の量が一番多い夜なら。
 ―全ての願いが叶う気がする。
 「○○」
 その声は切なく響いた。とても悲しくなった。
 
 「なんだい。アリス」
 男の声が後ろから聞こえた。外からではない。部屋の中私の後ろからだ。
 その声は私の妄想の中と全く一緒で、懐かしい声だった。
 後ろに―いるのか。彼が。
 そんなことあるわけがない。なぜなら彼は。彼は。
 ゆっくり振り向く。自分の目がゆっくりと見開く。
 
 月明かりを浴びて立っていた男は間違えなく○○だった。
 
 「どう、して」
 これは夢なのか、はたまた異世界なのか。
 ○○がどうしてここに、幻想郷にいるのか。
 よたよたと一歩一歩と○○に近づく。
 目の前の彼は実は虚像で触れたら消えてなくなるのではないだろうか。そう考えると伸びかけた手が怯む。
 ついに足がもつれ、バランスが崩れた。
 倒れたら目が覚めるのか。やはり、彼はいないのだ。
 しかし倒れることはなかった。彼が私を抱きとめたのだ。
 彼の胸の中は温かい。実像だ。○○は目の前にいて、どこにもいかないのだ。
 「○○」
 彼の名前を呼ぶ。もう止まらなかった。
 「○○、○○、○○、○○」
 胸に頭を擦り付ける。私が満ちていく。足りない箇所が埋まっていく。
 
 ああ、シアワセだ。
 
 私を拒む○○はいなかった。私を嫌う○○はいなかった。私を残して消えた○○はいなかった。
 いなかったのだ。
 
 その夜に浮かぶ満月のように、私は満ちた。
 
 5
 私、霧雨魔理沙は○○が好きだった。
 ○○は魔法に興味があったみたいで私がする簡単な魔法でも喜んでくれた。
 街角であったら必ず声を掛けてくれた。
 それからだんだん仲良くなって、いろんなことをして、いろんな場所へ行った。
 そして○○から告白されて、めでたく恋人同士になった。
 ○○は幻想郷に残ることになった。私のためだと言う。
 恥ずかしかったが満更でもなかった。
 
 過去が変えられるなら私は彼を家に閉じ込めていただろう。
 後悔先に立たずというが、これほど後悔した瞬間はない。
 憎む足るべき魔女。アリス・マーガトロイド。
 彼女に○○を紹介した。紹介といってもお互い自己紹介してその場は終わったのである。
 ただ、ここが決定的な瞬間であったことには違いが無いのだ。
 今でも夢に出る。
 「こいつは私の友達の○○だぜ!」
 「はい!魔理沙の友達の○○です!」
 私のおふざけに○○も付き合って答えてくれた。このとき真面目に答えていたら。
 「そう、友達、なのね」
 魔女は呟く。
 「私はアリス。アリス・マーガトロイドよ」
 ○○の目を見つめてそういった。
 
 まず○○は誰かに見られているような気がすると言った。
 私も心配しない訳ではなかったが、そんなに深刻に取り扱わなかった。
 そして目に見えて肉体がやつれはじめた。彼は笑いながら心配しなくていいと言った。
 それから行われたのは実力行使だった、らしい。
 
 私が彼の部屋に踏み込んだときは角でガタガタ震える○○と霊夢と紫に取り押さえられているアリスだった。
 「あなたはともかく○○を見てて頂戴」と霊夢に促され○○に駆け寄る。
 「大丈夫か!私だ!魔理沙だ!」
 ○○はどんなことばを掛けても首を振るだけだった。
 ―私のことがわからないのか?
 ○○は大きく2回震えて、倒れた。
 
 アリスはすでに紫によってどこかへ連れ去れていて、私は霊夢と一緒に○○を永遠亭に連れて行った。
 しばらく○○を看病していたが、ついに目を覚ますことは無かった。
 最後は紫が現れて彼を連れて行った。現世へ送ると言う。
 私は泣いて止めた。紫は言う。全て無かったことにしたほうが彼のためである、と。
 「それでも」
 「このまま愛しの彼が目を覚まさなくてもいいの?残念だけど幻想郷にいたら彼はこのまま目を覚まさないわ」
 現世に戻れば正気をなる。全てを悪夢だと思わせれば。と紫は続ける。
 私は泣いて、泣いて、泣いて、そして肯いた。
 こうして、私は愛しい人を失った。
 
 6
 その後の私は話によると呆けていたらしい。
 ふらっと箒に乗って出かけてくるということを繰り返してたと言うことだ。何処へ行っていたかわからないが少ない目撃情報を集めて推理するならどうやら○○と回った場所に行っていたらしい。
 私が正気に戻ったのはアリスが人里を歩いていたという情報を知ってからだ。どうやら布やら綿やらを買っていたらしい。
 あの魔女がのうのうと生きている。紫は一体何をしていたのだ。
 ならばやることはひとつだ。目には目を、歯には歯を。
 私はアリスを家へ向かった。家の中から人の気配。ドアをこじ開けて部屋に踏み入った。
 そこで私は見てしまった。
 
 謝罪、懇願、愛情の呪詛を吐きながら原寸大の○○の人形を作るアリスを。
 
 私が固まっているとアリスがこちらを向く。
 目が正気に戻り、○○の人形がアリスの手から滑って床に落ちる。
 「なにやってるの?魔理沙?」
 「アリスこそ。なにやってるんだ。お前それは」
 「え。私?そういえば何やってるんだろう」
 「お前の足元に落ちてるそのでかいのはなんだ!言ってみろ!」
 「え、どれよ?」
 「どれって…お前が今さっきまで作っていたそれのことだよ!」
 「だから…どれよ?」
 もしかして、見えてないのか。今さっきまで自分があらゆる情念をこめて創っていたモノが。
 「変な子ね。そんなところに突っ立てないで入るか出て行くかしなさいな」
 ○○の人形に近づく。素材が素材だが、顔は○○そっくりだった。
 腹には今さっき詰めていただろう綿ははみ出ている。
 「どうしたのよ。さっきから床ばっかり見つめて。なにか面白いものでも落ちてるの?」
 やはり見えていないらしい。紫が何かしたのか。
 「…アリス、○○って知ってるか?」
 「…それがどうしたのよ」アリスは目をそらした。少し頬が赤い。
 
 紫はアリスを地獄へ落としたのだと思う。具体的に何をしたのかは知らないが。
 アリスは○○を求めれば求めるほど、得られずに苦しむ。しかし求めずにはいられないだろう。それがアリスの咎なのだ。
 それならば私も付き合おう。
 「…ああ、私の友達でさ。楽しい奴なんだ」アリスの目が一瞬見開いて私を睨む。
 「…そう。お茶を入れるから飲んで行きなさいな」
 アリスと話して確信した。アリスの中には○○がいる。当然本物ではない。本物はもう幻想郷にはいないのだから。
 神社で買うお守りのようにアリスは○○を肌身離さず持ち続け、心の支えにしているのだろう。いや、支えでは全てか。
 気にくわない。
 私は○○の全てを失ったと言うのに、その原因であるこの魔女は○○の欠片を集めて並べて大切に保存している。
 アリスにその資格はない。
 魔女から○○を解放しなくてはならない。
 アリスを煽るとその口から簡単に○○が出てきた。アリスの中の○○。ひとつ○○を解放できた気がする。
 この調子だ。この魔女から○○の全てを吐かせる。そうすれば私の溜飲も下がるし、あちらへ行った○○も安心できるだろう。
 そして○○を取り返す復讐が始まった。アリスの口から○○に関すること全てを吐き出させる。初めの頃は順調に進んでいたが、彼の最大の聖遺物をアリスは手離さないことに気づいて停滞する。アリスは私の目の前で○○の名前を呼ばなかった。
 
 ○○の人形はアリスの家へ行くたびに完成に近づいていった。
 さすが人形遣いと言うべきか精密につくるものだ。だんだん雰囲気が似て来ている。
 「その壁に何かあるの?」
 アリスにはやはり見えないらしい。無意識か本能か、アリスの根幹にあるなにかが○○を作っているのだろう。
 今日もアリスは幻想郷に残る○○の気配を感じ取り、舐め取って、私に伝える。
 私を頂点とする○○の食物連鎖のようで、アリスが話す○○は純度が高くてそこで生きているようだった。
 最近はそれが嬉しくもあった。○○が幻想郷のあちこちに染みているようでいっそうこの地が好きになる。
 向かいで話している魔女さえいなければ、と思う。
 早く○○を解放して欲しい。限りなく○○に近い話題をしているのにアリスの口からその言葉が出てくることは無い。
 いろんな手段でアリスをつつく。ねだったり、強く言ったり、不意打ちで聞いたり。そのイニシャルですら未だ聞けていない。
 今日もアリスから○○の名を解放することはできなかった。
 そして、ある予感を感じる。アリスの持つ○○はもう尽きかけているのではないか。
 アリスは閉じこもりがちになったようだ。話題も少なくなってきた。○○の雰囲気を食い尽くしたのだ。
 ○○解放成就の日も近いかもしれない。
 空っぽになったアリスはどうなるだろうか。どれだけ苦しむかと思うと胸が躍る。一刻も早く○○の名前を手に入れなければ。
 気になるのは日に日に完成度を上げていく○○の人形だ。アリスはどう言うつもりで自分には認識できない○○の人形を作っているのだろう。
 
 7
 久しぶりにアリスが外へでたと聞きアリスの家に向かう。
 部屋に入ると○○が鎮座していた。
 「相変わらずだな」
 「相変わらずの人形館よ」
 適当に返事をする。人形は完成までもう一歩といったところか。
 帽子に仕掛けをしてきてよかった。そう思いながらいつもの場所へ帽子を掛けた。
 アリスをけしかけて○○の情報を引き出そうと茶化す。やりすぎて帽子を吹き飛ばされた。
 やばい。帽子の中を確認する。無事のようだ。今度は私の近くにおいておこう。
 アリスの報告を聞く。相変わらず○○を蒐集してきたようだ。しかし純度が薄い。
 報告が終わったのを見計らっていつもの質問をする。
 「で、そいつの名前は?」
 「さぁ、誰かしらね」
 いつものかわし方。
 今日はここから芝居がかかる。私は大げさにアリスに詰め寄って、啖呵を切ってアリスの家を飛び出す。
 帽子を置いて。帽子の中には所謂盗聴器が仕掛けられている。
 ○○にしか興味がないアリスのことだ。きっとろくに改めることなく放置されるだろう。
 森の中。アリスの家が見える距離。受信機のスイッチを入れる。少しノイズが混じっているが聞こえないことはない。
 布の磨れる音、食器を片付ける音。そんな音しか聞こえてこない。
 今日こそは○○の解放を。
 耳に受信機を擦り付け、じっとアリスの家を睨んだ。
 
 日が沈みかけた頃、やっと動きが出てて来た。
 ぶつぶつとアリスの声が聞こえる。それはいつかの呪詛に聞こえた。○○の人形を作っているのだろうか。
 呪詛の中に○○の名前がないか集中する。なかなか出てこない。
 ごめんなさい。許して。私を愛して。そんな意味の言葉が繰り返される。
 声が震えているのは泣いているからだろうか。
 許されるはずがない。○○を壊し、私から奪い、幻想郷から追い出した張本人。
 腹が煮え繰り返りそうだった。この期に及んでそんなことを言うこの魔女に怒りが募る。
 そして月が昇った頃にまた静寂が訪れた。
 人形を作ることをやめたのか、と思っていると受信機から足音が聞こえる。
 窓からアリスが顔を出した。月明かりが差し込んでいるのかアリスの顔が良く見えた。頬が一筋の光が見える。やはり泣いていたのだろう。
 アリスは月を見上げてそれからだんだん視線を下ろしていった。
 ばれることはないと思ったが一応身を隠す。

 そして待望の瞬間が訪れた。
 「○○」
 それは窓にいるアリスか、はたまた受信機を通してか。
 けれどもアリスの口からアリスの声で○○の名前を聞いた。
 魔女はついに○○のその全てを放出したのだ。
 歓喜に満ちる。あの魔女から○○を解放できた。もう○○は捕まえられないだろう。
 成就の達成感は
 「なんだい。アリス」
 と愛しい声で塗り替えられた。
 「さっきの声は」
 受信機から聞こえてきたのか。そんなことよりあの声の主は。
 身を隠すことを忘れて飛び出す。
 アリスの背中越しに月明かりに照らされた○○がいた。
 
 「どう、して」
 受信機の声と重なる。
 ○○はたった今、あの魔女から解放されたはずだ。なのにどうして。
 アリスが揺れる。○○は自分へ近づいてくるアリスを優しい目で見ている。
 ありえない。どうして。幻想郷に○○はいない。○○はアリスをあんな目で見ない。
 だとするとあれは○○のニセモノか。ニセモノ…人形か!
 人形は完成したのだ。そして人形はアリスの○○の意識を持って動き始める。
 あれだけの呪詛を込めたのだ。それだけではない、アリスが○○を語るときには何時も側にいたではないか。アリスには見えない○○の人形が。そう仕向けたのだ私が。
 目の前が真っ暗になっていく。私は必死になってアリスから追い出した○○は、アリスが作る○○の人形に入り、アリスの下へ戻ったのだ。
 声にならない絶望の声が漏れる。ひざの力が抜けて、森の柔らかい地面に堕ちた。
 「○○」
 耳からアリスの声。
 「○○、○○、○○、○○」
 止めろ。そいつはお前のものじゃない。
 目を凝らす。○○はアリスを抱きとめている。アリスは○○の胸に頭を埋めている。
 冗談じゃない。それではダメなのだ。
 
 八卦炉に手が伸びる。そして壊れるくらいに握り締めた。
 月明かりの下ではアリスと○○の邂逅が続いている。
 絶望の声は解放された激怒と自分を奮い立たせる鼓舞の叫びに変わった。
 目標はすぐ目の前。アリスの家。
 
 その夜に浮かぶ満月に押されるように、私は走った。

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最終更新:2011年05月15日 02:17