「なるほどねー。外の世界って、今はそんな風になってたんだ」
妖怪の山の麓。
携帯電話型のカメラを片手に持ちながら、姫海棠はたてが軽く目を輝かせる。
「ええ、まぁ……。妖怪の話は今でも語られてはいても、信じてる人はほぼいないだろうね」
それに答えているのは、見た目二十歳前後の好青年だった。
その格好は幻想郷では見かけないような洋服で、……彼が所持している小物などと合わせて、外来人であると判断できる。
「でも、神様を信じてたり祭りをやったりはするんでしょー? 信じてないのに?」
「それは……うん。どういう表現をすればいいのかな……」
はたての質問に対し、○○は少し困った表情を作った。
確かに、祟りや神罰といったものが存在しないと誰もが認めた外の世界であっても、人はそれを恐れたり敬ったりする心は残している。
……例えを出そうか。
都会であっても、家を建てる時に神主を呼んで土地神に敬いを示す儀式は何度か見かけたことがあるのではないだろうか?
オカルトなんてありえない。……そんな現代であっても、職人は大きな事故などを恐れ、けっして疎かにはしない。
戦後、平将門の首塚がある土地をGHQが区画整理で造成しようとした時、不審な事故が相次いだために計画を取りやめた………なんてのは有名な逸話である。
身近なことで言うと、かつて自分が住んでいたマンションの近くは乱立する高層ビルやマンションが避けるような空白の区画があり、その場所に稲荷神社が建っていた。
つまり、幻想の存在などいないという常識が浸透している現代であっても、人間は恐れと信仰心を完全には捨てきれていないのだ。
「ふむふむ。……確か山の神様たちは信仰が残ってるうちにこっちに来たんだっけ。……ってことは、」
そのことを伝えると、はたては一人で納得したかのようにケータイに何かを打ち込んでいく。
上手く言いたいことが伝わったのか? 妖怪である彼女にとって失礼なことではなかったか? などと心配していた○○だったが、問題なかったようだ。
「あとはお祭りだったな? 以前、観光に行った時の祭りなんかは……」
そういって、○○は日本や世界の代表的な祭りを挙げていく。
テレビや本などで見た祭りから、自分が実際に観光に行って見たり体験した祭りまでを面白おかしく話していく。
最後に「人間のお祭りだから野蛮かもしれないけどね」、と補足すると、はたてはとんでもないといった表情で否定した。
「だからいいんじゃない! やっぱりさー、祭りは野蛮に限るじゃん?
サンマは目黒不動みたいなー。大人しい祭りじゃあ面白い記事は書けないもん」
ぐっと握り拳を作って力説する彼女に、○○はおもわず苦笑してしまう。
天狗というのはプライドが高く、基本的に人間を見下している妖怪なので気をつけなければならないとは言われていたが、
こうして何度も彼女に会って話をする内に、その気持ちは薄れていた。
勿論、妖怪に対する警戒心や恐怖といった感情はある。あくまでもはたてに対してのものだ。
そんな風に、ぷらぷらと歩きながら話す内容が取材というより単に楽しい雑談に変わって来た頃だった。
「おいっ! そこの人間、止まれ!!」
女性の、少女の声だった。
二人は自然と声が聞こえた方向へと向く。
「ああ、白狼天狗の椛ねー。どしたの?」
○○を庇うかのようにさりげなく前に出ながら、はたてが声をかける。
二人の前にすたりと音もなく飛び降りてきたのは、妖怪の山を哨戒している白狼天狗。犬走椛であった。
「どうしたもこうしたも、ここから先は天狗の領域。人間が立ち入ることは許されません」
椛の表情は警戒半分、不機嫌半分といった様子であった。
それもそのはず。
人間である○○一人であるなら適当に追い返して終わりだ。それが外来人なら多少手荒にやっても文句を言われることもない。
だが、烏天狗である姫海棠はたてが一緒となると少々面倒臭い話になる。
「いいじゃない。○○は私が取材するために呼んだのだし、別に私たちのところにまでは連れて行かないわ」
「駄目です。規則ですので」
そう言うとはたての後ろにいる○○に近づいて、どんと胸を突き飛ばした。
はたてと話を続けるよりは人間をどうにかした方が早いと思ったのだろう。
話に加われずに黙っていた○○は、急に押されたことで尻もちをついてしまう。
「分かったらさっさと立ち去れ。……言っておくが、許可なく山に近づけば、今度は警告では済まさんぞ」
そっけない態度で○○を見下ろして言い放つ椛。
そんな椛に、はたては少しだけ慌てた様子で近づき、話しかけた。へらへらとした表情で。
「あーもう、わかったわよ。そんなに怒ることないじゃない? すぐにあっちに行くから。…ねっ?」
いつもより低姿勢なはたての態度に怪訝な表情を浮かべていた椛の顔が、歪む。
見れば、はたての高下駄が椛の足を踏んでいた。それもタバコを足で踏み消すようにグリグリと。
痛みに歪んだ顔をはたてに向けるが、はたての表情は変わらない。
ただ、その目は笑っていなかった。
「そっちだって大変な仕事ってのはわかるわ。でも、そんなにピリピリしなくてもいーじゃん? ね? ね?」
踏んでいた足を離すと、はたては椛の耳元に口を寄せた。
「…………お呼びじゃねぇんだよ」
ボソッと、呟くように。
その言葉が、椛にだけ、聞こえるように。
…………。
わ、我々の住居にまで来られては困りますからね! と最後に捨て台詞のような言葉を残して、犬走椛は青い顔で飛び去って行った。
それを不思議そうに見送りながらも、○○ははたてに謝罪する。
「その、……ごめん。なんだか迷惑をかけちゃったみたいで。後で、はたてが怒られたりしないかな?」
「いーのいーの、別に気にしないでいいわよ。あの子はいつもあんなカンジだし」
そう笑顔で返すはたてのあっけらかんとした態度に、○○は少しだけ気分が軽くなったような気がした。
「あー、でもやだねー、ああいう下っ端の相手って面倒くさくて。
せっかく良い記事を書こうと燃えていたのに、意欲が失せちゃうわ」
だから、と不意にはたては立ち止り、上目遣いで○○を見つめた。
その何気ないしぐさに、表情に、○○の心臓がどきんと大きく跳ね上がる。
「また、取材させてもらってもいい? こ、今度は、……その、……あなたの部屋で……」
○○は、少し顔を赤くしながら頷いた。
最終更新:2011年05月28日 20:58