人生、何が起こるかわからない

 別におかしくも何ともない言葉であるが、実際にその実例を目の当たりにした彼女は混乱の極致にいた。
 何度も何度も、それが自分の見間違いであるかのように読み返していく。
 しかし、それに書かれた内容は変わることはない。

 「…………嘘…。……こんなの、嘘よ……」

 頭の中は真っ白で、両腕はガクガクと勝手に震えだしていた。

 彼女の名は、犬走椛。
 千里先まで見通す程度の能力を持つ白狼天狗である。






 「○○とこれ以上関わるのはやめなさい」

 射命丸文のいきなりの命令に、椛は最初戸惑うしかなかった。

 「……え、あ…? い、いきなり何を言うのですか!? 理由をっ、理由を教えてください!!」
 「わからないのかしら? あなた、あの人間のことをずいぶんと気に掛けているようね」

 文の指摘に、椛の顔が一瞬で赤く染まった。

 ○○という男は、人里に住む人間だ。
 特に何かの地位にあるわけでもなければ、強大な力を持つわけでもない。ただの、人間。
 哨戒任務に就いている時、山の幸を収穫しに来ているのを何度か見かけ、奥深くまで迷い込まないように忠告する内にいつの間にか親しくなってしまった。
 最近では暇つぶしに将棋を指したり、世間話をしたりすることもある相手。
 ……誰にも明かしたことはないが、密かに恋慕の情を抱いている相手。

 それを知られていたことに対する恥ずかしさ。
 そして、羞恥の次に湧き上がってきたのは、理不尽な要求に対する怒りだった。

 「そ、それが何だというのですか!? あなたとは関係ないでしょう!!」 

 声を張り上げる椛とは対照的に、文の態度は涼しげだった。
 取材の時のような営業スマイルのまま、扇子をパタパタと意味もなく動かしている。

 「いいえ。関係ありますとも」

 作り笑いをやめると、びしりと扇子を椛に向ける。

 「はっきり言いますよ。下っ端とはいえ、あなたも誇り高き天狗の一員です。
  そのあなたが人間相手に恋をするだなんて、天狗としての誇りはないのですか? 恥を知りなさい!」

 「……う……、あ………」

 こちらを見つめる文の瞳から逃れられない。まるで見えない鎖で縛り付けられているかのようだった。

 「そ、それは……その……」

 正論だ。
 ○○は人間。そして自分は白狼天狗。そこにははっきりとした種族の隔たりがある。
 同胞の天狗たちは誇り高い種族であり、自分たちよりも弱い存在である人間を見下している。
 無論、それは下っ端とはいえ天狗である椛とて同じだ。
 内心では人間という存在を、寿命が短く、弱くて愚かな生物だと思っている。
 でも、その人間である○○は、○○だけは………………。

 「……椛。私だってあなたをいじめたいわけじゃないのよ。でもね――」

 それまで責めるようだった文の口調が終わり、反論することもできずに俯いていた椛の肩に手が置かれる。
 文の表情は、いつの間にか寂しげなものへと変わっていた。

 「私はあなたより長く生きているから、妖怪と人間の恋の末路も知っている。そのほとんどが、報われないものだったわ」

 自分と○○はそんなことにはならない、…とは言えなかった。
 文の言葉には、重みがあったからだ。

 「大抵の場合、妖怪が人間を好きになるってパターンが多いんだけどね。
  愛が憎しみに変わってしまったり、想いを伝えられないまま終わってしまう。
  ……例え相思相愛でもね、種族の違いは最後に不幸を呼んでしまう。100年を生きれない人間と違って、千年を生きる妖怪は最後まで共に同じ時間を歩めないの」

 それは、わかるわよね……? そう問いかける文に、椛はただ無言で頷くことしかできない。

 「妖怪は人間を襲うもの。そして人間は身を守るために妖怪を退治する。
  ……この関係を続けていくのが、お互いにとって一番いいのよ」

 人間が毎日を忙しく、せわしなく働いて生きるのは限りある生の中で精一杯生きようとするから。
 暇つぶしの手段を探すのも難しいくらい寿命の長い妖怪達とは、価値観があまりにも違う。


 「だから○○のことは忘れなさい、椛」


 ――忘れなさい。

 ――わすれなさい。

 ――ワスレナサイ。

 …………………。

 …………。

 その言葉が1ヵ月以上経った今でも、ずっと頭の中で響いている。

 ここ最近の椛は、にとりと大将棋をしている時も、哨戒任務に就いている時も無気力でやる気が起きなかった。
 様子のおかしい椛を心配した自警団の団長が休暇をとらせてくれたのだが、自宅にいてもそれは一向に変わらない。

 「私たち妖怪が精神的な生き物だってこと、はじめて実感した気がする」

 カーテンの締め切られた部屋の真ん中で寝転がりながら、椛はぼそりと呟いた。
 あれから○○のことを頭から消そうとしたのだが、忘れようと考えれば考えるほどに○○のことしか考えられなくなる。
 人間に惚れてしまうなんて、きっと自分は愚かな天狗なのだろう。
 でも、好きになってしまったものは仕方ないじゃない。

 「………やめよう」

 また思考が堂々巡りになっている。
 最近はずっと自宅に籠もってたから、このままではどこぞの烏天狗のようになってしまう。これではいけない。

 よいしょっ、と掛け声をかけて起き上がる。
 締め切られたカーテンを開けると、久しぶりの太陽の光が目に眩しかった。
 そのまま窓を開けて空気を入れかえると、玄関口へと向かった。

 「うわっ、……! 新聞こんなに溜まってる」

 家のポストには、数日分の新聞が溜まっていた。
 どうやら自分が思っていたよりも、結構な時間を家の中で過ごしていたらしい。
 これじゃあ本当に引き籠りだな……と考えながら、新聞を抜き取っていく。

 「ん? ……何よ、コレ……?」

 その中で、ひらりと落ちてしまったその1枚。
 号外と書かれたその記事が、何故か妙に目に止まった。
 拾い上げ、読もうとする。

 「……………………え?」

 それを目にした椛の顔は、きっと唖然とした表情だったに違いない。
 何度も何度も、椛はそれが自分の見間違いであるかのように読み返していく。
 しかし、それに書かれた内容は変わることはない。

 「…………嘘…。……こんなの、嘘よ……」

 頭の中は真っ白で、両腕はガクガクと勝手に震えだしていた。









 文々。新聞の一面を飾る記事。
 写真の中心にいるのは射命丸文と○○の二人。
 嫌でも目に入ってくるその文字。



 『私たち、結婚しました』








 「は、あははは……。や、やだなぁ、こんな手の込んだイタズラ、いったい誰が……??」

 何で?

 どうして?

 妖怪と人間の恋愛なんて上手くいくわけがないじゃない?

 もう○○と会うなって言ったのは、私のためを思って言ってくれたんじゃあ?

 だいたい人間と天狗の恋愛なんて、大天狗様や他の天狗たちが知ったら大問題に――

 でもそんなの聞いてない!? 何で?

 やっぱり嘘なの? それとも裏で根回しでもしてあった!?

 じゃあ何? ………私、ハメられた?




 「あっははははははははははははははは! ヒャーッハッハッハッハー―――!!
  しゃめええええまるぅぅぅ! 裏切ったのかァ! 私を…騙したのか!!」

 ゲテゲテゲテゲテ、ゲテゲテゲテゲテ

 壊れた玩具のような笑い声が辺り一帯に響き渡る。
 その笑いは、椛が自宅から大剣を持って飛び出すまで続いた。

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最終更新:2013年01月28日 21:47