○○が目を覚ますと一声かけた。
「おはよう……?」
彼は独身で一人暮らしである。
だが、それは家族へと向けられた呼びかけである。
誰に向けたか○○自身が良く分かっていなかった。
家、とはいっても男一人の小さな小屋だが、彼は中を見渡す。
間違い無く○○が長く住んでいる。変わった所も無い。
だが、彼の中に根付く違和感は大きくなるばかりであった。
仕事先でも違和感は続く。
首を傾げている○○へと、同僚が声を掛ける
「どうした。家族と喧嘩でもしたか」
「え… 一人暮らしだぞ」
「ん? えっと、そうだっけ?」
○○のみならず、周囲にも何かが起こっていた。
夕飯の材料を買いに歩く途中、寺子屋の慧音先生と会った。
他愛ない話をするうちに、彼は妙な感覚の事を話した。
すると、彼女は険しい顔で話し始めた。
「妖怪… 恐らく狸か狐かだろうな」
「何でまた…」
「恐らくだが、後数日で家族として入り込み、人として生活するんだろう」
「どうしましょう?」
「危険はそれほどでもないが、追い払おう。突然だが今日はうちに来なさい」
「え、そんないきなり… でも良いんですか」
「幸い、大した妖気は感じない。今晩中に終わらせてしまおう」
こうして○○は急遽、慧音の家に泊まる事となった。
その夜、慧音は客間に結界符を取りつけ、○○に部屋から出ない様に言い付けた。
「眠っている間に全て終わっていると思う。お休み」
「何から何まで、ありがとうございます。おやすみなさい」
明るい月の光が、里を煌々と照らしていた。
次の日の朝、○○は目覚めると一声かけた。
「おはよう慧音」
「おはよう、あなた」
彼と慧音は、仲の良い夫婦である。
病んで無い話
誰しも結婚と言う二文字には憧れる時があるだろう。多分。
価値観が少しばかし昔の幻想郷ではどうか?
現在よりもその想いが強いのかもしれない。
若い男女が寺子屋へと訪ねて来る。
世話になった恩人に、結婚の挨拶に来たのだ。
二人の恩師は笑って二人を祝福する。
教え子が多いと年に一度、いや、それ以上の頻度で良くある事だ。
それは、彼女の心に薄らと影を落としていた。
「今日も、教え子が、報告に、来たんだよ…!」
「はいはい…」
慧音は夜雀の屋台で、妹紅に愚痴っていた。
「目出度い、あー、目出度い。私は独り身だけどな」
「私もだから、そんなに呑まなくても…」
「私って、みんなから見るとオバサンなのか…?」
「慧音がそうなら、私も婆さんだよ」
「ああ… 何でみんなは幸せになれるんだろう?」
「私は別に… それなり… いや、そうだねぇ…」
こんな夜を何度過ごしたか。
そんな彼女に、春の兆しか。
買い物へ行く途中、見覚えのある顔が向こうからやって来た。
野良仕事帰りのその姿、数年前に寺子屋に居た教え子だった。
柔和で気配りが上手いが押しと気が弱い、良い人だが男としては物足りない… そんな男である。
その格好と雰囲気から、独り身である事を敏感に感じ取ってしまったのは悲しい性か。
「やあ、久しいな」
「え? ああ! 慧音先生!」
昔と全く違わぬ無邪気な笑顔で返答され、慧音は不覚にも心が躍る。
相手の為、いや自身の為に慧音は聞いた。
「子供は居るのか? そろそろ寺子屋に預けないのか?」
慧音は不自然ながら質問をぶつけた。返答も分かり切っていたが。
「いえ、未だ一人なんですよ」
「そうかそうか!」
「同年代も下の奴らも所帯を持って羨ましいですよ」
「そうだろうそうだろう!」
教え子の手を握り、熱く熱く訴えかけた。
「実はな! 丁度! 凄く良い見合い話があるのだが!」
「は、はい…」
「大丈夫だ! 相手方もお前の事を絶対に絶対に気に入るから、な!!」
「あの… 先生……」
「日取りは来週の大安吉日だ! 私が! 何とかするからな!」
そう言って、慧音は猛牛をも吹き飛ばす勢いで去って行った。
翌日、見合い相手の写真が、里長よりその教え子へ届けられた。
それは仲人を買って出たと思われた、慧音の姿であった。
苦渋の表情をした里長が絞り出すような声で聞いた。
「どう、するね…?」
真っ蒼な顔で、その教え子は応えた。
「この集落から去ります…」
里長の溜息は重かった。
大安の前には仏滅がある。ちょっとした例外はあるが。
残念ながら、その日は例外とはならなかった。
寺子屋で逸る心を抑えつつ授業を終え、晴着はどうするかと浮かれていた慧音に報せが届く。
数刻、慧音は何も出来なかった。いや、理解を放棄していた。
この日の夜雀屋台は、泣き声は絶えないが大賑わいだったと言う。
最終更新:2011年05月28日 21:09