―――宙空に丸い月が煌々とした光を放ちながら孤独に浮かんでいる。
相当の光を発している筈だが、月の周囲には何も見えない。
青白い光は暗闇の中をどこまでも伸びていき、やがて消えていく。
まるでこの月だけしか存在していないかのような、そんな世界。
ここから逃れることは出来ない。
いつの日か、その限りなく儚い光で瞳を焦がしてまったとしても。―――


開け放たれた窓から決して強いとは言えない光線が部屋の中に差し込んで来ている。
きっと夕方に寝た時、開けっ放しにしてしまったんだろうな。
そんな風に考えながらベッドの脇に手を伸ばす。盲人の様にせわしなく掌を動かしながら、
ようやく小さな鉄鎖を探り当てた。
ベッドの中からそれを引き寄せようとすると、何故か急に一種の不安らしき感情がわき起こってきた。
もし、もしもこの鎖が何か他の物に繋がってたらどうしようか?
あの月。もしもあの月までこの鎖が伸びていたとしたら。
引こうと思えば簡単に引ける。ただ、引けないだけだ。あの月が鎖の先で眩い光を放っているとしたら。
漠然としたあの天体への違和感が、鎖を持つ手をベッドの淵に留めていた。

―――引けばいい、それで全てはわかるのに。

―――何故引かないの?  

―――じゃあ何故引くの?

手と鎖が奇妙な均衡を保っていると、不意に窓から一際強い風が吹き込んできた。
「あ…」
毛布を抑えようとした掌に引っ張られ、時計が軽い音を立てて床に落下した。



それからほんの十数秒後には彼の心からあの奇妙な感覚は消えていた。
だが彼にとっては別段喜ばしいことでは無い。かといって悲しむべき事柄でもない。
要するに、馬鹿げた夢の続きを考えている暇など今の彼には無いのである。
懐中時計の針は彼が日没前に申し付けられた時刻のほんの一つ前の数字を指していた。
これまではどんな事があっても指定された時刻の30分前には部屋を出ていた。
この広大な屋敷の中では、そうでもしなければ間に合わないのだ。
それが残り5分。しかも今回の指定場所は屋敷の裏地、この部屋とは正反対の方向である。
とにかく急がなくては。シャツに袖を通し、チョッキを羽織る。
袖のボタンは…とりあえず向かう途中で付けていくとしよう。後は、時計。あの時計はどこだ。
ベッドの上を見渡す。無い。机の上。無い。
ベッドの下、毛布の中、床の上、窓際、ランプの中、本の間。無い。
落ち着け、さっきは確かにあったんだ。ベッドで覗いた後、机の上に置いた筈なのに。
どんどん時間が過ぎていく。あと何分あるんだろう。2分?いや1分半?それとも…
「0分0秒。時間切れよ」
凛とした声が背後から響いた。
「咲夜…様…」
彼の主人、十六夜咲夜が時計をぶら下げながら部屋の入口に立っていた。



「○○。貴方は何時からこの紅魔館に居るのかしら?」
咲夜様の個室は、僕の部屋とは随分と離れた本館の中にある。おかげでここまで来るのには走ったとしても20分はかかる。
「…5つの頃、咲夜様に拾って頂いた時からです…」
「それから何年経つのかしら?」
おまけに咲夜様は事あるごとに僕に約束を取り付けてくる。部屋を与えられ、そこで住むようになってから週に二、三回は普通だ。
「今年で10、いや9年になります…」
「そう。じゃあ9年と何日何時間何分?」
しかも場所はほとんどの場合ここ、咲夜様の個室。約束の内容だって…こんな事言ったら失礼かもしれないけれど。
「あの…そのぅ…」
「早く言いなさい。もう30秒も無駄になってるわよ。」
ほとんが紅茶を入れなさいとか、インクを補充しなさいとか、本を片付けなさいとか、そんな何の変哲も無い雑用ばかり。少しでも遅れたりしたら、
「…申し訳ありません。その…わかりません…」
「9年と172日、5時間12分間。これが貴方が此処で過ごした時間の総量よ。」
今みたいなとんでもない無理難題を言われたりとか。
「何故、時計があるのにこんな簡単な事がわからないの?貴方はどれ位時間が経ったかすら自分ではわからないのかしら?」
こんな風に叱られたりする。…そんなの、咲夜様じゃなきゃ無理です。
でも、一番つらいのは大抵この後。
「…貴方、自分がどれだけ弱いか理解してるの?貴方はただの人間。力も無ければ魔法も使えない、汚い下級妖怪にも敵わない非力な生き物。それが貴方よ。」
「……」
本当の事だ。僕が出来る事なんてせいぜい屋敷の生ゴミを漁る野良犬を棒切れで追い払う位。
魔法だって、パチェリー様の蔵書を覗く事すら許されないんだ。
「何故私が貴方を拾ったのか。それをよく考えてみなさい。」
「………」
「…わかっているでしょう?もう忘れたのかしら。」
本当の事。当たり前の事を言うだけなのに、どうしてこんなに苦しくなるんだろう。
この言葉を口にすれば咲夜様は許してくれる。僕を今まで通り傍に置いてくれる。
「はい…僕は、○○は弱い生き物です。咲夜様に拾ってもらわなければ、とっくに妖怪の
餌食になっていました。今、僕が生きているのは全て咲夜様のおかげです。」
僕がいつもの台詞を言い終わると咲夜様は満足げに微笑んだ。咲夜様が昔みたいに笑ってくれるのは今はもう、この時だけになってしまった気がする。
時計は、結局返して貰えなかった。咲夜様の魔法の時計とは比べる術も無い、所々色が剥げた
みっともない時計だったけれどいざ無くなってみると何だか大切な繋がりが消えてしまった様で、
とても悲しかった。その夜はメイド達にばれないよう毛布を被りながらこっそりと泣いた。




一体、何時になったらこの忌まわしい時計は止まるのか。
私は古ぼけた異世界の時計を憎しみを込めた視線で見つめた。
何度、あの子の手からこれを取り上げた事だろう。何度、床に叩きつけてしまおうと思ったことだろう。
でも、その度にあの子はこれを必死で守ろうとしてきた。こんなガラクタの様な壊れかけの時計を。
何処から見つけてきたのか、あの子はおよそ似つかわしくない立派な鎖を付けて大切に服の下にぶら下げている。
あまつさえ、私が新しい時計を誂えてやろうとしても頑なに拒みさえもする。
―――何故。何故貴方はこんな時計が大事なの。私の時計は嫌なの。貴方は私無しでは生きられないのに。私が貴方の全てでなくてはいけないのに―――
私は机の引き出しの中に時計を乱暴に投げ込み、鍵を掛けた。腹立だしい。
近い内に、またあの子を呼び出そう。今度はもっと長い忠誠の言葉を言わせなければ。
何しろ彼には自覚が足りない。既にこの世界の住人であると言う自覚、そしてこの十六夜
咲夜の正式な下僕であると言う自覚が。




とりあえずここまでです。最初は本スレに投稿しようかなと思いましたがクソ長くなりそうな上に、
○○の年齢とかが気になる人もいそうですのでロダにしました。めーりんやフラン様なんかも出来れば絡ませたいなーとか考えてます。
…ロダのうpでいろいろとやらかしてしまったみたいです。無駄に容量を食ってしまい本当に申し訳ございません。ご親切な指摘ありがとうございます。

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最終更新:2011年06月05日 20:12