空は快晴。太陽の光が降り注ぎ、大地を明るく照らしている。
吹く風は適度に涼しく、肌に心地よい。
「…………はぁ…」
そんな中、陰気臭いため息を吐く、頭巾を被った女性が一人。
彼女の名前は雲居一輪。命蓮寺に住む妖怪の一人である。
手には買い物籠が握られており、中には人里で買った食材が入っている。お使いに行っていたのだ。
「………………」
その一輪は今、命蓮寺の正門の前で立ち尽くしていた。
あとは扉を開けるだけだというのに、考え事でもしているのか、それとも別の理由があるのか、中々動こうとしない。
まるで帰ることが嫌であるかのようだった。
門を開こうと手を伸ばしては引っ込めてしまう。それを何度か繰り返した後、ついに何かを決心したかのように扉を掴み――――
「おはよーございます。おはよーございますッ!!!」
「~~~ッッッ!!??」
突如響いた大声に、飛び上るほどに驚いた。
「ええ、おはようございます。……というか、もうすぐこんにちわですけどね」
「声が小さいですよ! ほら、もっと元気よく!」
声のした方へ視線を向けると、箒を持った幽谷響子と一人の男が談笑していた。
……仲良く会話していると言うよりは、響子が大声で一方的に喋っているのに男が合わせているといった様子だ。
何が嬉しいのか、響子は締まりのない顔で上機嫌に笑い続けている。
山彦のくせに自分から話し続けてどうするんだ、という疑問を一輪は心の中に留めておく。
「あ、一輪さん。おはようございます」
「え、えぇ……おはよう○○さん」
こちらに気付いたのか、○○と呼ばれた男がペコリと頭を下げてあいさつして来る。
長身だが、線の細い少し痩せこけた男だ。そのせいかマッチ棒のように少々頼りない印象を受ける。
名前は○○。今は人里に居を構える元外来人だ。
この男、基本的には善人だ。根は良い奴だ。…雲山もそう言っていた。
噂や人伝に聞いた情報を合わせるならば、幻想郷へ迷い込む以前、彼は相当な苦労をしてきたらしい。
何でも、両親を亡くした後に父の工場を継いだはいいものの、従業員たちに裏切られ、全員に共謀されて貸した金を持ち逃げされ、借金地獄にいたとか何とか。
人間不信と絶望の淵にいて、幻想郷でも妖怪に襲われて死にそうな目にあったらしい。
(実は妖怪は驚かせようとしただけらしいが……最近流行りのキャッチ&リリースである)
その後、人里で説法に行く途中であった聖と寅丸に偶然出会い、……紆余曲折あって彼は仏門に入る事となった。
そういった経緯もあり、○○が命蓮寺や聖のことを心から慕ってるのは一輪も知っている。
基本的には善人だ。根は良い奴だ。
でも、この男こそが一輪を悩ませている原因なのだ。
『ギスギス命蓮寺@お試し版』
それは○○が命蓮寺の中に入り、続いて一輪が門を閉めようとした時だった。
――チッ。
舌打ちが聞こえた。一輪は思わず振り返る。
自分ではない。そして○○でもない、彼はもう寺の中へ入ってしまっている。
「……だ……○○とは……私が……話してたの……邪魔しやがっ…………ふざけ………糞がッ……」
その言葉を呟き続けていたのは、幽谷響子だった。
さっきまで門前で脳天気に掃除をしていた彼女の面影は、そこにはない。○○の前では絶対に見せない態度だ。
両手をだらりと下げ、一輪の方へ首だけを向けている。
あまりにも妖怪らしい雰囲気。壊れたラジカセのように途切れながらも聞こえてくる悪態。
……前髪で影になっているせいで表情が見えないことが、余計に怖かった。
「…………もうホント、勘弁してよ」
結局、私室に入ったあともしばらく一輪は頭巾の上から耳を塞いでいた。
そうでもしないと響子の呪詛のようなつぶやきが延々と聞こえて来る気がしたからだ。
最近の響子は○○がいない所ではいつもあんな調子だ。疑り深く、勝手な思いこみも激しい。
日に日に空気が悪くなる寺に、一輪は心を痛めていた。
「いちりーん、もうごはんできてるよー!」
そんな陰鬱とした空気をぶち壊すように、がらがらと戸をあけて水蜜がひょこりと顔を覗かせた。
そうして部屋を覗き見た彼女の表情が怪訝そうなものに変わる。
「あれ? なんか元気ないけど、どしたの?」
「え、ぁあ、……いや、気にしないで。ちょっと疲れただけだから」
嘘ではない。
ここ数日の一輪は働いて疲れている。
というのも、寅丸星が寺の仕事をそっちのけで○○を優先するので、本来は星がするはずの仕事を一輪と雲山がする羽目になったのだ。
まぁ彼女自身、現在の寺の空気には少々うんざりしていたため、むしろ自分から積極的に人里など寺の外での仕事を変わっていたのだが。
水蜜はその返答に疑問を持つこともなく納得したようだった。
先に行くねと言い残すと、部屋の戸を開けたまま、ぱたぱたと小走りで去っていく。
それを目で追いかけて、ふと気づいた。
「……昼食って、○○も食べていくのかな?」
今の時間なら、星に世話を焼かれながら写経か写仏をしている頃だろう。
「どうせなら昼食も一緒に」と、星が○○を誘う光景がありありと想像できる。
……沈んでいた気分が、余計に重くなるのを感じた。
「さあ、○○さんも遠慮せずに食べてくださいね。といっても精進料理ですけど」
「あ、はい。ありがとうございます」
食卓の上に並んでいるのは梅干し茶粥、野菜の胡麻油炒め、茄子の辛子醤油びたし、胡瓜の酢の物、精進肉じゃが、漬物など様々だった。
料理には詳しくない者であっても、それらに手抜きなど一切されていないと一目で分かるだろう。
○○はそれを行儀よく食べている。
それを見た白蓮は心底嬉しそうに「これもどうかしら」「この味付け口にあったかしら」とにこにこと話しかけたり料理を進めていた。
白蓮が座っている位置は○○の真横。密着するほどに近い位置だ。
その配置に当初彼は戸惑っていたのだが、楽しそうと笑みを浮かべる白蓮には何も言えなかった。
それより、別のことに対する戸惑いがあったのもあるだろう。
「あの、……そのぉ…、一つ聞きたいんですが…」
「何でしょうか?」
白蓮が顔を向ける。いや、近づける。
体温すら感じ取れそうなその距離で、○○は視線をそらして答えた。
「い、いいえ。何でもないです……」
「あら? ……うふふ」
何がおかしいのか、白蓮は口元に手をやって上品に微笑む。
今、昼食を食べているのは聖白蓮、寅丸星、村紗水蜜、雲居一輪、
ナズーリン、幽谷響子、そして○○だ。
白蓮は○○の隣でニコニコと、
星は他の面々のことは眼中にないかのように○○だけをぼぅっと見つめたまま、時折思い出したように、
一輪は早く食べ終えようと黙々と、
ナズーリンは、何が苛立たしいのか、傍目にも分かるほどにイライラと、
響子は普通に……しかし聞こえないように何かを時々呟いているのか口を動かしながら、
そして、水蜜だけはいつもと変わった様子もなく箸を動かしていた。
○○がお茶を取ろうと手を伸ばすした時、同じくお茶を取ろうとしていた白蓮と手が触れた。
ビクリと手を引っ込める○○に、白蓮はむしろ手を重ねようとするかのように近づける。
その時だった。
「ゴホンッ、……ンン!」
短く、ナズーリンが咳払いをした。
自然と全員の視線が彼女へと向かい、妙な沈黙が落ちた。
「……すまない。気にしないでくれ」
どこかわざとらしく喉を擦りながらナズーリンがそう言うと、再び一同は食事を再開した。
今度は皆無言で、誰も目を合わせようとしない。
聞こえてくるのはかちゃかちゃという食器の音だけ。誰も、何も喋らない。
「ごちそうさま」
「……私も、御馳走様だ」
結局、その沈黙は一輪とナズーリンがほぼ同時に食べ終わるまで続いた。
「聖もご主人も、地獄へ堕ちろ」
「な……!?」
そそくさと食卓から立ち去っていた二人だったが、仏頂面のナズーリンが口にした一言に一輪は驚いた。
咄嗟に大声を出しかけて、……慌てて自分の手で口を塞いだ。
きょろきょろと周りを見渡し、誰もいないことを確認する。
「何てことを言うのよ、ナズーリン…! 姐さんに対してそんな――」
ずんずんと先に行ってしまうナズーリンの背中を追いかけながら、一輪は小声で窘める。
するとナズーリンはぴたりと止まり、振り向く。その顔に浮かんでいるのは自嘲的な笑みだった。
「今の聖やご主人を見て、本当に、少しでもそう思わないのか?」
一輪は、反論しなかった。
「かつての聖は、人間と妖怪は平等たるべきだという確固たる理想を持ち、それを目指していた。でも今は違う。
あの○○とかいう人間が来てからというもの、聖はすっかり骨抜きになってしまった!
ご主人もそうだ! 寺の信仰や檀家のこともそっちのけで○○のことばかり!
年頃の娘でもあるまいし……、今の二人はただの腑抜けだ!」
ナズーリンは、溜め込んできた不満をぶちまけるかのよう一気にまくし立てた。
確かに、○○に対して不自然なほどに世話を焼く星にイライラとしているナズーリンの姿は一輪も何度か見かけた。
最近では妙に嫌味ったらしくなったとぬえも愚痴っていた。
…………。
でも、姐さんと星の態度はそこまで非難されるほどのものなのだろうか?
大体、ここ幻想郷での生活は、聖が封印される前とは状況が違う。
スペルカードルールができてからというもの、人間と妖怪の対立も遊びのようになっている。
むしろ、
「……ナズーリン。本当はあなたも、姐さんや星のように○○と話したいんじゃないの?」
それを聞いたナズーリンの変化は劇的だった。
顔がさぁっと蒼くなり、次に同じくらい急に耳まで真っ赤になった。
ぱくぱくと開かれた口から言葉は出ず、唇はふるふると震えている。
オーバーヒートしてしまったかのようなその姿。
ナズーリンは、自分の心の内を見破られたことに対する羞恥に顔を歪めると、出来る限りの苛立ちを拳に込めて、壁を思い切り殴り付けた。
そのまま一輪から逃げるように走り去って自室へ飛び込み、扉を乱暴に叩きつけて閉めてしまった。
後に残されたのは一輪だけ。
壁を殴った音を聞きつけたのだろう、水蜜と○○がやって来る。
さらなる悩みの種が増えたことに気がついて、一輪は頭痛を堪えるかのように額を抑えて立ち尽くした。
ナズ:変わってしまった聖や寅丸の態度にイライラしている。最近では小言や嫌味、皮肉が多くなって寺の空気を悪くしている。でも実は……
響子:一番病んでるかも。○○の前では明るく元気な女の子。○○が見てないところでは嫉妬深く、思いこみが激しく、常に他の人への悪口を垂れ流して寺の空気を悪くしている。
一輪:現在の寺の空気にげんなりしている。最近は雲山と共によく外で活動してる。寺にいると気が滅入るから。
水蜜:表面上は変わっていない。でもこの状況で何も変わってないことがむしろ怖く見える。実は……
星 :○○に対して何かと世話を焼いてる。寺の仕事をそっちのけで○○を優先したりするので、本来は星がするはずの仕事を仲間がする羽目に。寺の空気を悪くしている。
白蓮:人間と妖怪が真に平等に暮らせる世界を目指して活動中。しかしその平等の中に○○は含まれていない。自覚はないが、自分と○○が最優先でその他大勢は平等といった価値観に変わりつつある。
最終更新:2011年07月09日 21:26