「その刀、いらないなら私にください」
刀を持った手を振り上げて岩に打ち付けようとする彼の腕を必死で押さえる。
ギリギリ間に合った……でも彼が。
彼が命の次に大事にしているはずの刀を捨てようとするなんて。
「香霖堂で二束三文の値で買ったものだ……妖夢の刀に比べれば大した価値なんて」
そう言うと彼はまた、刀を岩に振り下ろさんとして腕に力をこめる。
「刀の価値は銘だけじゃ計れません。○○さんはこの刀の手入れには心血を注いできたはずです」
「10年以上・・・毎日欠かさず振って手入れをして大事にしてきた」
「その時点で、振られもしなければ抜かれことも数える程度の観賞用の刀何かより、遥かに良い物です」
「……それを叩き折ろうとするなんて」
何故とは聞かなかった。理由は分かり切っている。
「仮に後20年以上振り続けてもやっと。妖夢の足元に辿り着けるかどうか……」
「売り払っても、何かの拍子に目に触れればまた迷ってしまう。だから迷いは断ち切る」
「その決別式代わりなんだよ。これは」
無理に奪い取ろうとすれば、奪い取れる。
ただそれをやってしまったら……彼は益々悲観してしまう。
「○○さん……○○さんだって少しは思っているはずです。勿体無いなって」
「だから、その刀……いらないなら私にください」
言葉と一緒に涙が出てきた。
○○さんと一緒に剣を振るった日々の事が。私の脳裏に次々と思い出されていって。
「……!」
何とか刀を叩き折る事だけは思いとどまってくれた。
○○さんは刀を地面に突き立て、鞘を投げ捨てて走り去った。多分その時の彼は泣いていた。
追いかけようかとも一瞬考えた、でも何を言えばいいのだろう。
人間の限界に悲観してしまった○○さんに。人間で無い、半人半霊の私が何を言えば慰めになるのだろうか。
「一体何処まで行けるんだろうな。修練を重ねていけば」
○○さんの剣に対する姿勢は真摯で純粋だった。強くなって偉ぶるなんて気持ちも無く。
里の自警団に参加して恩を着せようなんて気も無く。ただ技術を習得していくのが楽しそうで、無邪気そのものだった。
活人剣と言う物がどういう物なのか、正確には答えることは出来ないけれど。
間違いなく○○さんの振るう剣は。人を活かす為にあろうとしていた。
それに、それ以上に。私は○○さんの向上心の高さに魅かれていた。
種族の違いを問わず、向上心が無ければ。人でも妖怪でもきっと駄目になってしまう。
だから○○さんの持っている向上心は。とても眩しかった。
「妖夢だってそれなりに時間はかかったんだろう?そこまで強くなるのに」
その彼の持つ本気さは。私の心を○○さんに向かわせるには充分だった。
何度も何度も。私と○○さんは一緒に鍛錬を重ねた。
でも一つだけ後ろめたい事があった。
私は○○さんと剣を合わせる際、相当に手加減をしていた事だ。
勿論私が半人半霊であることは○○さんも知っている。ただ半分は人間と言う事でそこまでの力の差はないと思っているようだ。
その事と○○さんが刀を折ろうとした原因については一切関係は無いが……
もし…もしその事実を知ってしまったら。○○さんは本当に再起できなくなってしまう。
そうなってしまったら。私は○○さんともう一度剣を合わす事が出来なくなってしまうんじゃないか。
それが……それが一番。私が今恐れている事だ。
剣の心得があると言われた方が。まだいくらか救いが合ったかな……。
「酒を持っていくんですか? 博麗神社に」
アレは本業とは関係の無い、合間の仕事だった。博麗神社で度々宴会が行われているのは知っていた。
その席に里の方からも、これからもいくらか目をかけてくれる様に、と言う意味で。合わせるように酒を持っていくのも人伝に聞いていた。
酒を博麗神社の巫女に渡して帰るだけでいい。仕事の内容の割りに随分と給金が良かった。
それなのに。「おい! お前等、逃げるな!!」
結局途中からは1人で持っていく事になった。取って食うような下級妖怪があの席にいないくらい分かるだろうに。
帰ったらあいつ等の分の給金も俺が貰えるんだろうな。と言うか多少の色はこっちから要求しても罰は当たらんよな。
そんな事を考えながら。1人で酒樽の入った台車を引き神社へと向かっていった。
「……流石に一人で持って上がるのは無理だな」
ここまで台車を引っ張ってきただけでも。結構な疲労感が合った。
その上何往復もして。重い酒樽を全て持って上がる気力は、もう残っていなかった。
しかも日もかなり傾いてる……今日中に帰れるのだろうか。
逃げた奴等の給金は俺が貰おう。心の中でそう決心しながら、博麗神社の階段を上がり荷が来た旨を知らせに行く。
階段の下からでも、もう随分騒いでいるのは分かった。だから人手には事欠かないだろう。
「ごめんください!里の者ですが。里からお酒を奉納に来たのですが」
酒が来た旨を入り口で告げると。場が更に沸き立った。
「酒! 酒はどこだい! 何処にあるんだい!?」
私より随分小さい見た目の女の子が酒の在り処を聞いてきた。左右からは角が伸びている。多分彼女は鬼だろう。
「わ…私1人で持ってきたので。台車ごと階段の下においています」
「下だね!!」そう言うと階段を駆け下り……否。飛び降りるようにして、酒のある場所に降りて行った。
「萃香 ぁぁ!!ちゃんと持ってきなさいよ!一人で飲みきるんじゃないわよ!」
そう声を張り上げながら。今度は巫女さんが私の横を……飛んで行った。
少し目眩がした。飛べなければ弾幕も出せない只の人間にはかなり刺激が強い場所だ。
「○○さん」
目頭を押さえていると、聞き知った声が聞こえた。
妖夢だ。ある程度は会えるんじゃないかなと期待していたが。やっぱりだった。
西行寺家のお嬢様が、宴会によく顔を出す事は知っていた。
そのお嬢様が来てるなら。従者である妖夢だって来ていて当然だろう。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。少し目眩がしただけだ。こういう光景を直に見るのは多分初めてだから」
「そう……ですね」
「あらぁ~妖夢。もしかしてこの人が例の?」
「
幽々子様!」
横からふよふよと浮いている女性が声を、明らかに茶化しに来ている声だった。
「すいません、○○さん。また後で」
「大丈夫よ~もう私は引っ込むからぁ。ちょっと顔を確認したかっただけ」
ニヤニヤした顔を崩さず、彼女はまたふよふよと去っていった。
「妖夢~チャンスよ~。お酒の席は仲良くなる絶好の―」
「幽々子様!!」
去り際にもまた茶化されてしまった。そんな主のいたずら心に妖夢は顔を真っ赤にしている。
「すいません○○さん。幽々子様が変な事を」
そういってペコペコと何度も妖夢は頭を下げていた。
「大丈夫だよ、俺の事は主人なら気になって当然だろうし」
「あの…○○さん。今日はこれからどうするつもりですか?」
妖夢に言われて太陽の傾き加減に目をやる。
この傾き加減では、里に着くまで明るさが持つかどうか……正直微妙なところだ。
「無理して帰ろうとしない方がいいんじゃないですか?と言うか1人で運ぶ量じゃありませんよねアレ」
鬼や巫女さんが運び込む酒樽を見て妖夢が疑問を口にする。
「酷い!」そこで他の運び役が逃げた事を説明すると。妖夢は物凄い勢いで激昂した。
彼女はかなり真面目な性格だから、こうなるのも当然だろう。私も少しイラついていたので賛同者が欲しかった。
「○○さん、一緒に飲みましょう!それくらい許されるべきですよ!」
日の傾き加減にもう一度目をやる。それとよく考えたらあの台車を持って帰らなきゃならないんだ。
妖夢と話しているうちに、当然だが日の傾きは増している。もう間に合うはずが無い。
このままお相伴に預かろう。見た感じ飲み疲れて横で眠っていても、大して気にしなさそうな空気もある。
「気にしないで、手酌で良いから」
「じゃあ最初の一杯だけでも」
妖夢に連れられて境内の隅のほうで酒を飲む事になった。向こうではさっきの鬼が樽ごとがぶ飲みしている。
「なら俺も。一杯目は妖夢に酌させてくれ」
会えるかなと期待はしていたが。一緒に酒を飲めるとまでは考えていなかった。
しかも奉納するだけあって、酒の味も上等な物で。その為とても気分が良かった。
だが、一つ私の生き方を変えるような出来事がここで会った。
宴会の場に誰かが刀を持ってきていたらしい。誰の持ち物なのかは知らないが、始めはその切れ味の良さを試すだけだった。
実を言うとこの時点で、私の心は折れかけていた。
彼女達の剣の扱い方は。妖夢と比べればやはり良くは無かった。
ただ、その扱い方でそこまで切れるのかとは何度も思った。彼女達は腕の強さだけで叩き切っている。
枝だったり瓶だったり。それ位なら私でも構えに気を使えば何とかなる。
構えに気を使わずともあそこまで切れるものなのか……。
「これ、これ切れるかな?次これ行こう!」
誰かが中身が無くなってそこらへんに放り出されていた酒樽を持ってきた。
一抹の不安がよぎる。普通に考えれば。余程の手誰で無い限り、刀の方が折れる。
近くにいれば、ブルンブルンと。景気のいい音が聞こえそうなくらいに滅茶苦茶な振り方をしている。
振り方の方は、酔っているからだろうけど。刀ってあんなに景気よく振れる物だったか?
「○、○○さん。向こうに酒の肴でも取りに行きませんか。色々置いてますよ」
妖夢が少し席を立とうと提案してくる。私の心中に気付いたのだろう。
だが。「いや…大丈夫だよ。このままで」事の顛末が気になるのも事実だった。
「行くぞー」そう言って素振りをしている。その様子は殆どバット状態だった。普通あんな振り方連続では出来ない。
そして―
木が折れて、千切れる音が聞こえた。
「やったー!」違う。
場は随分沸いているがあれは切ったとは言わない。どちらかと言うと切り潰す。
もっと的確な言い方をすると、叩き潰したんだ。物凄い速さで。
場に散らばる木片はとても刀で切った物とは思えない飛び散り方だ。
棍棒か何かで叩き潰したといったほうが的確な表現だ。
口の端から妙な笑いが短く漏れた。
「何をどうやれば出せるんだろうな……あんな速さ」
「……!で、でも構えは○○さんの方がずっと綺麗で整っていますよ」
あの力で真っ当な構え方を覚えたら。それこそ手が付けられないよ。
「まぁ……良い物が見れたかな。さてと、飲もうか妖夢」
その話題は無理矢理打ち切ることにした。今でもかなり泣きそうなのに、これ以上その事を考えてしまったら。
間違いなく、泣いてしまう。
「諦めようと思った事? 何度もあるよ。力の差を聞いたりすると、何度も心が折れそうになる」
いつだったかに聞いた、○○さんのこの言葉を思い出した。
出席者の一部が刀を振り回す余興に夢中になった折に。○○さんの顔が一瞬曇るのが分かった。
持ち方、構え方、振り方。全部が成ってはいなかった。それでも力だけで切り潰すその様は。
非力な人間である事を強く自覚している、○○さんにとっては。間違いなく心を折りかねない毒だ。
とにかく、何か体の良い。場に合った理由で○○さんをこの場から連れ出したほうが良い。
そうは思ったが。○○さんの方が事の成り行きに興味を抱いてしまっていた。
そして空になった酒樽を叩き潰した辺りで。○○さんは天を仰いだ。
一部始終を見終えた感想は短く素っ気無く。その後すぐにいつもの顔と声で、飲もうと言ったが。
多分あれは意図的に考えなくなかったから。自分で自分を守る為に考える事を一時放棄した―
いや、あの時点でもう○○さんは諦めた。○○さんの心は折れてしまったのかもしれない。
あの時いつもの顔でありながら、一粒だけ流れたあの涙。
あれがどんな言葉より雄弁に語っているように思えてならない。
そしてあの日○○さんは剣を捨てた。
○○さんが折ろうとした刀は寸前のところで難を逃れたが。
どうすれば○○さんの折れてしまった心を治す事が出来るのか。その答えは一向に出てこない。
一筋の光明すら見えない。日課となってしまった○○さんの刀の手入れをしながら考える。
○○さんが持っていたときから。この刀は非常に丁寧に扱われていた。
その丁寧さは勿論。抜かれる事もまれで振られもしない、観賞用の刀とは全く違う丁寧さだ。
とても……とても綺麗な一振りの刀だ。○○さんの心が見えてくるようで、どんなに見ても飽きない。
でもこの輝きは、○○さんが持つ事で。○○さんが振るう事によって本当の輝きになる。
でも○○さんは…もう剣士としての心を捨ててしまったのだろうか。
里で会えば前と同じように会話してくれるし、笑ってもくれる。私にしか見せないあの笑顔を!
でも……、
剣の話に少しでも触れると。「ごめん」と言って黙ってしまう
そんな事はないと思いたい……○○さんはまだ剣を諦めていないと。
最終更新:2011年07月09日 21:34