「白玉楼の庭師。魂魄妖夢だな」
ある日、里への買出し中に。里の守護者である上白沢慧音から声をかけられた。
「ええ、そうですが。何か用ですか?」
「少し聞きたいことがある。まぁ立ち話もなんだ、寺子屋の中で話そう」
何を聞かれるかは、すぐに分かった。
「お話って○○さんのことですか?」
その事を口に出すと。慧音の茶を運ぶ手が止まった。
「何だ……分かっていたのか。なら話が早い」
「隠すような事でもありません。ですが誰彼構わず話すのは○○さんの名誉に関わります」
彼女なら大丈夫だとは思うが。一応釘はさしておこう。
「勿論分かっている。誰にも話さない」
知った所で剣士でない彼女に出来る事は限られているが。
「……そうか。なるほど悲観してしまった、か」
宴会の事を全て話した。だからと言って何が出来るのか。私が話してやった理由は別の所にある。
「根はかなり深いですよ」
「壁に気づいてしまったか……」
気づいた? 彼女の言葉に、私のこめかみがピクリと動くのが分かった。
○○さんはその事になんてとっくに気づいていたし、人間の非力さは強く自覚していましたよ。
それでも尚、○○さんは諦める事を拒否し続けたんです。
○○さんは伊達や酔狂と言った。ただのかっこつけで剣を振るっていたわけじゃないんです。
何も知らないんですね。○○さんのこと。
そう言いたかったが場を荒立てるのは好みじゃない。
それに誰も彼もが○○さんの魅力に気づけるとは思っていないし。下手な理解も示して欲しくは無かった。
私が一番○○さんの心中を理解しているし、出来るんですよ。
「慧音さん。○○さんの最近の様子を教えてくれませんか?」
里の守護者であり、里のことをよく知る彼女なら。何か知っているだろう。
○○さんの心中を素直に教えたのはこの為だ。
それに教えっぱなしではあまりにも分が悪い。少しは聞き出しても構わないだろう。
「ああ。勿論だ、一番仲のいい者なら何か気づく事があるかもしれないからな」
刀を捨ててから何日も経った。捨てた日の夜は、もう早起きする必要も無いんだな。と思い床についた。
それでもいつもの時間に目が覚めた。
始めは、もうこの時間に起きる必要は無いんだと、目を閉じ二度寝をした。
だが二度寝をした後悔の念が想像以上に強かった。
一個一個は小さいけど、大事な何かの一部を無駄にした。そんな喪失感が強く私を襲った。
結局遅くに起きる事はあれから止めた。
刀を捨てているのに。前と同じように寝て起きて、朝ごはんを摂っている。
外に出る事は無いが、空いた時間の存在に。とても落ち着かない気分でいた。
「何でこんな物を……」
本でも読んで暇を潰そう。そう思って本と一緒に買ってきたのは、グリップだった。
何度も何度も握りこむ事で握力を鍛える道具だ。
使わずにいるのも勿体無いので。そいつを握りながら、本を読むのが朝の日課になってしまった。
キィ…キィ…とグリップを握る音が静かな室内にとてもよく響く。
その音を聞く度に。別に追いつけもしないのに。と考えてしまう。
それでも全く何もやらずにいるのは。私の中の何かが許さなかった。
ある日、朝に読む本を補充しようと雑貨屋を訪れた際にダンベルを見つけた。
刀よりずっと重かったり、軽かったり、同じくらいだったり。いろいろな種類があった。
別に必要も無いのに、刀と同じくらいの重さのダンベルを持ち上げた。
(不味いな…ずっと動いていなかったから少しなまっている。少し重い)
ふっと、そう思ってしまった。
……自己嫌悪してしまった。私は刀の事など剣術の事など忘れるつもりで。妖夢にあげたんじゃなかったのか。
それでも私は剣術の事を忘れる事はできなかった。
自分に嘘はつけない。
それは私が読む本の吟味の仕方にも現れていた。
神経質なほどに、剣や刀が関わりそうな話題を扱う読み物を避けていた。
しかし剣客物や。丁々発止で進む冒険憚、血が荒ぶりそうな戦記物。
とかく戦う系の物はとても人気があり、題名や表題を見るだけでも私の心を揺らす。
やっとそれらが無さそうな本を見つけても。剣術や刀やそれらに関わる事側の文章を見ると。
それでも尚諦めきれない、剣術を忘れきる事ができない私の心中に。否が応でも気づかされる。
考えないでいようと考えすぎて。却って前よりも剣術の事を、私は考えてしまっている。
剣術は、私にとっては最早魂の一部にまでなっている。忘れる事などできない。
いや忘れる事ができないのではない。忘れたくなかったと言うのが最も正しい答えだろう。
「…これが私の知っている最近の○○だな」
やっぱり! ○○さんは剣術のことを忘れてなんていなかった!
あの人にとって剣術は、私と同じで魂の一部なのだから!
とても嬉しかった。本当に自暴自棄を起こしてしまったのなら。早起きなんてしないし。
自分自身を鍛える為の道具になんて、興味を持つはずが無い!
まだ治せる! ○○さんの折れた心はまだ治せる! 今ならまだ間に合う!!
「私はずっと心配だったんだ…○○のことが、もちろん今でも心配だが」
「人と妖怪の間にある壁は。とてつもなく分厚くて高い」
そこだ…○○さんが人と妖怪の間にある壁を。それを乗り越えれる方法を考えないと。○○さんの心は完治しない。
「それに気づいたときの彼が心配でならなかった。かと言って説き伏せようとすれば意固地になるだけだろうし」
「やっと気づいても…諦めきれずにいる。その姿を見ていると、いつか命を落としそうで」
「下手に挑めば自分の命すら失いかねない。それには気づけているはずなのに」
あの時の私は慎重に言葉を選んでいた。
話を聞く前からある程度の覚悟と慎重さは忘れないでいようと、肝に銘じてはいたが。想像以上だった。
人選を間違えたかとも思った。しかし詳細な事情を知っていそうな人物は他に思いつかなかった。
○○の事を喋る魂魄妖夢はとても上気していた。
本人は努めて、冷静に話を進めているつもりなのかもしれないが。私にはそうは見えなかった。
一緒に剣の稽古をしていた事は知っていた。その事を話す彼女はとても嬉しそう……というよりかなり興奮していた。
○○がふさぎ込む原因となった。宴会で起こった事の仔細を話す際は感極まってなく寸前だった。
私が○○の最近の状態を話しているときも。爛々と輝く目でこちらを凝視し、一言も聞き漏らさずにせんとしていた。
そして彼が雑貨屋で、本と一緒に鍛錬用の器具を買ったり見ていたりする場面に差し掛かったら。その顔はパァッと明るくなった。何かが魂魄妖夢の琴線に触れたのだろう。
はっきり分かった。彼女は相当に○○のことを溺愛している。
もしこの場で、迂闊な言葉を用いてしまい失言を。○○を貶めるような言葉を。私にその気が無くともそう思われてしまったら。
妖夢の傍らに置かれた二振りの刀。あれに叩き切られそうな恐怖感を。あの時の私は感じていた。
だが、最後の最後でしくじってしまった。
「命を落としてからでは遅いからな……」
この一言が魂魄妖夢の中にある、虎の尾を踏ん付けてしまった。
大きな舌打ちと、鋭い目で睨み付けられ。刃を抜きこそしなかったが、刀にも手をかけていた。
物凄い速さだった。
刃が納められた鞘を持ち上げるだけで。刃を抜かなかっただけ褒めて欲しいくらいだった。
奥歯がギリギリと鳴るのが分かった。コイツは○○さんの努力を無意味な物と、始めから思っていたようだ。
一体何様のつもりなのだろうか。○○さんが必死で剣を振るう事で何か不利益でも被ったのだろうか?
そんな筈は無い。何も無いのなら、見ているだけの外野は黙っていろ。
「……貴重なお話ありがとうございます」
これ以上この場にいたら。鞘に収められた刃を本当に抜いてしまいそうだ。さっさと帰ることにしよう。
光明は見えた。でも帰路に着く時、時間が経てば経つほど。
その光明をつかむ方法が思いつかない事で、気分が落ち込んでくる。
「考えてなかった訳じゃなかったんでしょう?」
○○さんの刀を持って帰ったあの日。
幽々子様にそう言われた。
全くその通りだ。
意図的に考えなかっただけ。それ所か薄々感づいている○○さんが、これ以上気づかないようにとも願った。
今はその自分本位な考えが、酷い自己嫌悪となって帰ってきている。自業自得なのだが。
どれほど考えても○○さんが壁を越えるための方法が思いつかない。
色々な書物を漁っているが。生半可な鍛錬では100年かかっても追いつけない。
かと言って、妖怪や人外の者達がやるような方法は………考慮するだけ無駄である。
「諦めちゃ駄目よ、諦めちゃ」
脳裏に、上白沢慧音が最後に呟いた。あの言葉が反復する。
多分そう思っていたのはアイツだけじゃない。○○さんが熱心に剣を振るっていたのは周知の事実だ。
その事を考えると。ギリギリと、また奥歯が軋む音が聞こえる。
このままでは○○さんが浮かばれない。見返してやらねば。必ず、絶対に!何としてでも!!
ただ、それでも。私の強い決意とは裏腹に、事態は一向に進もうとしない。
同じ剣術の指南書でも。人が書いた物と妖怪やそれに準ずるような存在が書いたものでは。
最初の1行目からして。言っていることもやっていることも違う。
ただ……光明を掴む為の手掛かりは思わぬ所に転がっていた。
「これだ!!」
気分転換に読んだ、天狗が勝手に置いて行く新聞。あれの中に○○さんを引っ張り上げる方法があった。
灯台下暗しとはこの事だった。どうして、どうしてすぐに気づけなかったのか。
夜更けに戸を叩く大きな音で目が覚めた。
「○○さん!頼む手貸してくれ!!大変なんだ!!」こんな時間に、何か余程の事らしい。
何が合ったと聞くと。「見れば分かる!とにかく人手が必要なんだ」と急かされ、腕を引っ張られた。
なるほど……説明するより見たほうが確かに早いなこれは。
「あいつ、何処かで性質の悪いのに取り憑かれたらしい」
それが今表に出てきたようだ。
目の前では何かに憑かれた人間が。物凄い勢いで長屋やそこいらにある水がめ、ほうきといった家財道具を。
とにかく目に付く物を一切合財壊して行っている。
私も含めそこそこの人手がかき集められたようだが。女子供や老人のいる場所に行かないように誘導して。
それ以外は遠巻きに見守る以外何も出来ないでいる。
取り憑かれた奴のことは知っている。独り身で、酒と博打が好きで。お世辞にも褒められた暮らしはしていない。
昼夜問わず、酒絡みで何度か騒ぎも起こしている。
珍しく酒は絡んでいないが、間違いなく今回起こした騒ぎは過去最大。そしてこれから先に塗り替えられる事は合ってほしくない。
「上白沢先生は?」
「今呼んでいる所だ」
それまでは時間稼ぎか……歯痒いし泣きたくなる。どんなに鍛錬を繰り返しても。無駄なのだろうか。
あの程度の輩、普段ならどうって事は無いのに。性質の悪い、それも木っ端みたいなのが憑いてるだけで、何も出来ない。
破壊行為をただ指をくわえて見ることしかできないのか。
心の傷がぶり返す。だがそれにばかりは構ってはいられない。あれの一挙一動に目を凝らさなければ。命が危ない。
「皆はどこへ逃げたのですか?」
「俺達の後ろだよ」
まるで背水の陣だな。
「手ごろな物で壁を作るようには言ってるが…」
気休め程度にしかならないだろうな。ハナっから通さない、それぐらいの覚悟で挑まなければ。
「一応向こうへ、向こうへと追い込むつもりだ。向こう側の住人にはもう避難してもらっている」
だから私たちと対面の、向こう側に配置されている人間の数が少なく。しかも石を投げるなどして挑発しているのか。
そしてこちらはジリジリと彼奴との距離を詰めていっている。どうにかしてこっちではなく向こう側に
誘導しようとしている。
手にはそこいらにあるほうきやら物干し竿やらの長い棒を突き出して威嚇もしている。
私の方も。私をここまで連れてきた彼から、さすまたを手渡された。
だが、これは後出しの結果論だが。憑かれたアイツの性格をもう少し考慮するべきだった。
血気盛んで喧嘩っ早い。酒が絡んでればもっと酷くなる。
そして今回は酒に酔う、そんな物とは比べ物にならないモノで。我を失っている。
「こっちに来た……!」
「先生はまだ来ないのか!!」
時間にすれば上白沢先生がここまで来るのに10分もかからないはずだ。
それでも極限状態にいる我々は。10分程度の時間が、何時間にも思えるほどの濃い時間をすごしていた。
いや、言葉には出さなかったが。皆気づいていた10分程度で我々全員どうにか出来るだろうと。
毎日毎日、走って体力をつけ。重い物を持ち剣を振る筋力をつけ。素早く行動できるように瞬発力にも気を配り続けた。
俺は、何の為に毎日あんな事をやっていたんんだ!
「俺が前に出ます! 他の皆さんは後ろと横を取って下さい!!」
今動かずしていつ動く!
やはり諦めきれてなどいない。私が剣を振るっていた理由はこう言う時のためだろう!
が、かっこ良かったのは威勢と行動だけだった。
目が追いきれなかった。やっと追いつき、奴の姿を目の端に捕らえれると思った頃には。
私の体は長屋の屋根よりも、もっと高い場所で。宙を待っていた。
あぁ……負けたんだ。吹っ飛ばされながらだが、以外にも私の頭は冷静だった。
あの時の巫女さんは……いやあの宴会の出席者のほとんどが。
こうやって空を飛べるんだろうな。と、実際は別として。そこまで考える心の余裕までもがあった。
残念ながら私の力では彼女達と違って。
上がりきるだけ上がったら、地面に向かって落下を開始するしかない。自力で浮き上がる力は持ち合わせていない。
今まで何の為に刀を振るっていたんだろうなぁ……やっぱり折ってしまえばよかった。
丁度良いのか、悪いのかは分からなかったが。空を飛ぶ上白沢先生が見えた、間に合ったようだ。
「行って!!!」助けは求めなかった。下は確認できなかったが、私を助けるのにかかった時間だけ、下では負傷者が増える。
とにかく頭と腰だけは守らねば。激突するにしても、その後坂道のように転がる事はないはずだ。
目の端で先生が通り過ぎた。
私も自分の身は自分で何とかせねば。身をよじり何とか足と手が先に地面につく様な体制に―
そう必死の思考を続けていると、背中の方から強烈な痛みが襲った。まだ地面につくには早いはず。
視界が回る。そしてその痛みは一度ではなかった。
連続して私の体を襲った。体の回転も衰える気配は無い、むしろ速度を増しているようだ。意識が飛ぶ。何がおこ―
目が覚めたら私は竹林の奥にある、永遠亭と言う医者の所で寝かされていた。
「すまない!悪霊憑きとお前を助けるのを同時に行うには、あの方法しか思いつかなかった!」
上白沢先生の話では。あの時私が連続で感じた痛みは、上白沢先生の弾幕だったようだ。
悪霊憑きを攻撃しつつ。もう片方の手で死なない程度の強さの弾幕で、私が地面に落下しないようにお手玉をしてくれていたようだ。
そして悪霊憑きを弾幕でぶちのめしたら、すぐに私の体を受け止め。永遠亭まで運んでくれたようだ。
勿論その弾は急所をしっかりと外してはくれていたが。節々の痛みと、骨が数本折れる事はどうにもならなかったようだ。
先生は何度も何度も私に頭を下げ謝ってくれていた。
だから私は、その必要は無いと。あの時の先生のとっさの機転が無ければ。
あのまま地面に落ちていたら、もっと酷い怪我で。最悪命を落としていたかもしれない。
逆にお礼を言うべきは私のほうです。と言い、お辞儀合戦の末、何とか先生の頭を上げさせた。
「……ッ!」
それでもしばらくは、多少の不自由な生活を甘受しなければな。
足や腕を折らないように頑張ってくれたようで。歩く事はできるし食事も取れる。
だがこれは誰にも言ってないが、少々利き手が痛く箸が持ちにくい。
今も食事を食べる為に使っていた箸を、畳に落とした。日にち薬と言う奴で、時間がたてばマシにはなっていくが。
先生の事を思うと誰にも言えずにいる。周りの人間には、何だか疲れたのでしばらく寝る、と言ってごまかしてる。
「○○さん! ○○さん!!」
戸を叩くより早くに妖夢の声が聞こえた。珍しいな妖夢が訪ねてくるなんて。
開いてるよ。と言うと物凄い勢いで妖夢は戸を開けた。
戸を開けた瞬間は満面の笑みだったが、私の姿を見ると一気にその顔が青ざめた。
「え……まさか、この負傷者1名って」
妖夢の手には新聞が、そして妖夢の腰にはいつもの二振りの刀と一緒に。
私が捨てた刀がぶら下がっていた。
「妖夢……その刀「○○さん! 大丈夫ですか! 怪我の具合は!?」
「―――ッッッ!!?!?」
私の問いを言い終わる前に。いや私の怪我に我を忘れ、聞こえていなかったのだろう。
妖夢が私に飛び掛るように近づき、ご飯の入ったお椀を、勢いよくひっくり返し。そして妖夢の触れた手が、傷に大層響いた。
「あッあぁぁ!! ごめんなさい! ごめんなさい!! ごめんなさい!!!」
傷が落ち着くまでにしばらくかかった。騒ぎにはしたくなかったので「静かに、騒がないで」とだけ振り絞った。
その間妖夢はオロオロ、オロオロと涙目と小さな声で私に謝罪を続けていた。
「お見舞いに来てくれたの……」?」
いや違うな、知ってたらあんな表情は見せない。言いながら失敗してしまった事に気づいた。
妖夢の性格は知っている。わざわざ人の心をえぐるような真似はしない。
それなのに妖夢は、私が捨てた刀を腰にぶら下げている。普通はこのことを、真っ先に聞くべきなのに。
あの日、永遠亭で目を覚ましてから。私は全く自然に、刀の事を、剣の事を考えていなかった。
今妖夢が腰に下げている。私の物だった刀を見て、初めて思い出したくらいだ。
理由は分かっている。ただの人間に辿り着ける境地など、たかが知れている。
最早考えるだけ無駄。無意識のうちに私の心は、そう結論付けたのだ。
しばらく沈黙が続いた。お互い次の言葉を言い出せずにいる。
妖夢は間違いなく私に何かの用があってきたのだろう。
でも私の傷に触れてしまった罪悪感から、次の言葉を搾り出せずにいるようだ。
「……その刀」
だから。私の方から一番気になっていることを聞くことにした。正直その刀はもう視界にすら入れたくない。
かと言って妖夢の顔ばかりを見るのも恥ずかしいが。視線を少し左右へ振ると、泣きそうな顔が見えた。
そんな顔を見るほうが辛い。結局私の視線は妖夢の顔に固定される事になった。
「……越える方法を見つけました」
「何を…?」
「人を超える方法です……○○さん!」
妖夢が距離をつめる、今度は私の傷を傷かって触れるギリギリの所で止まったが。顔が近い。
妖夢の吐息よりも、真剣な眼差し。そちらの方に思考が傾く。
「○○さん……私はあれから○○さんが妖怪と同程度の力を得れる為に」
「○○さんが私達と同じ境地に立てるための方法を探してきました」
―そして見つけた。手掛かりは新聞に載っていたこの間の悪霊騒動に合ったと。
「○○さん」
妖夢がもう一度私の名前を呼ぶ。そして妖夢の傍らで浮いている半霊。それを手に取った。
何を言いたいかはすぐに分かった。―そして
「そうか……その方法が合ったか」
残念な事に、私の気持ちに拒否感と言う物が無かった。
何故そんな簡単に決断できたんだ。それを聞かれたら答えに困る。
色々考えたが、答えらしい答えは多分、こうなのではないかと思ってる。
人間を止める事よりも、剣術を捨てる事の方が。そっちの方が私の魂に与える傷が深く重いものだった。
多分そうなんだと思ってる。
「○○さん、目をつぶって。体の力を抜いて。私にあなたの体を預けてください」
妖夢の言葉に対して、微塵の疑問も無かった。
私は言われたとおりに目をつぶり、体の力を抜き。
妖夢と私の体の間に、半霊をはさんだ体制で妖夢に抱きしめてもらった。
ゆっくり、ゆっくりと。妖夢の半霊は私の中の深所へ、私の一番深い所へと入っていった。
とても心地が良かった。妖夢に抱きしめられている事も、半霊が私の中に入っていく事も。
妖夢の半霊と同化した時には、辺りはもう暗くなっていた。
不思議な感覚だった。体が軽い。しかも傷も痛くない所か、殆ど治っている。
しかし私の心は。雲ひとつ無い晴天のようだった。
「○○さん、これお返しします」
妖夢が預かってくれていた私の刀。それを受け取り再び腰に帯びる。
「やっぱり○○さんはその姿の方がらしいですよ」
帯刀姿の私に、妖夢は満面の笑みで答えてくれた。
「行きましょう、○○さん」
「あぁ」
何処へ?とは聞かなかった。いや聞く必要が無かった。
この時から私は妖夢の考えている事が、妖夢の言葉を聞かなくても分かるようになっていった。
雷が落ちたかのような音だった。
魂魄妖夢の、あの殺気に満ちた目。
あれを夢に見て。ただでさえ眠れずにいた私の眠りを、更に妨げる轟音だった。
すぐに寺子屋を飛び出し、音がしたおおよその方向に向かった。
脳裏にはこの間の騒ぎが思い出される。眼下には夜警の者達が慌しく動き回っている。
また音がした。音がした方向と距離から察するに里の近くだ。
不味い、相手次第ではすぐに始末せねば。
この間のように。里のど真ん中で騒動が起きても、死人が出なかった。
そんな上手い話が何度も続くはずは無い。
夜警の者達に里から出るなと大声で伝え、音のした方へと急ぐ。
音のした方向は、彼が。○○が魂魄妖夢と共に剣を振るっていた場所じゃないのか?
「頼む…早まるなよ」悲観した末の暴挙。そんな最悪の事態が私の脳裏に浮かぶ。
ただでさえ彼はこの間の騒動で。気づいてしまった壁を今度は体験してしまったんだ。
足を踏み外す材料は十分に揃っている。
そして。最悪の結末ではなかったが人によっては、それと大差が無い状況だった。
現場には○○と魂魄妖夢が一緒にいた。
「あ…上白沢先生。すいません調子に乗っちゃって」
刀をしまいながら、バツの悪そうな顔で○○が謝る。
○○の足元にある岩には、大きな傷が二つ。バツ印を描くような、深くえぐれた傷だった。
「えーっっと…まぁ見ての通りです、今のは私がやりました」
一緒に魂魄妖夢がいると言う事は。やはり、彼女が。
「あ、待って!勘違いしないでください。私は全部承知で妖夢の半霊と一緒になったんです」
一緒になった…?そう言えば。いつも魂魄妖夢と共にあるはずの人魂!アレは……まさか。
「大丈夫ですよ、慧音さん。○○さんの自我は一切侵してません」
「これだけは私の首を賭けても構いません」
魂魄妖夢が潔白を訴える。それに対し○○の方も彼女の言うとおりです、と肩を持つ。
「すいません、上白沢先生。大事にしてしまって、書置きは残したんで静かに行こうと思ったんですが」
人を止めた事に対する心残りは何も無いんだな……それほどまでに彼は剣に生きていたのか。
「じゃあ、さようなら上白沢先生」
そう言い残して。二人は飛んで行った。
その日の私はやっとぐっすりと眠れた。
もう私の手に負えない。それがはっきりと分かり、考える事がなくなったからだ。
その後の天狗の新聞に二人のインタビュー記事が出ていた。
あの岩は○○が剣術を捨てようとした際。刀を折るのに使おうとした岩だそうだ。
それを叩き斬り、新たな一歩を踏み出す為の。始まりの証と一里塚代わりにしたかったらしい。
「ねぇ紫、凄いでしょ?」
そう言って苦笑を浮かべながら、幽々子は庭で剣を振るう2人の人物に目をやる。
「凄い動きね」
白玉楼の庭で剣の修練を続ける二人の動きは人知を超えていた。
居合いの達人が鞘から剣を抜くさい。その刃の動きが全く見えないと言うが。
二人が振るう刃は居合いではない。普通に鞘から抜き打ち合っている状態だ。
それなのに刃の描く軌跡が。かろうじで残像程度に見えるだけだ。
「私が来たときは、もう外からでも打ち合ってる音が聞こえたけど。一体いつからやってるの?」
「私の朝ごはんを用意した後からずっとよ」
「……もうそろそろお昼よ」
何て体力なのかしら。半人半霊の妖夢はともかく。人を止めてまだ日の浅い彼がそれに付いていけてるなんて。
「もう慣れちゃったわぁ……だって毎日あんな感じで刀を振り続けてるんですもの」
「よく達人同士の戦いだと相手の1手先、2手先を読むなんていうけど…」
「あれがそんな範疇に収まる戦いだと思うのかしら?紫」
思わないわ、1手2手先所か。数十手先までお互い読めているのではないか。
「読めてるなんて物じゃないわ。見えてるのよ、分かっちゃってるのよ」
私の言葉に幽々子が訂正を入れる。
「…彼は妖夢の半霊を取り入れたのよ。その時点でお互いの感覚を大部分で共有できるようになったの」
「それって……」
「あの2人は刀を合わせながらお互い相手が今の状況をどういう風に思っているか」
「どういう風に勝ちに持っていくか。そこまで分かってるのよ」
「思っていることが分かっちゃうのよ。2人はあれを稽古と思ってるのが恐ろしいわ」
稽古……あれで?
「そうよ、2人とも本気を出したら100人でも200人でも切り伏せれる力を身につけたわ」
「勿論単独でそれよ。2人で一緒に戦ったら……考えるだけで恐ろしいわ」
合戦のど真ん中に放り込んでも生還できるわね。
「でもそんな状況で。お互いどうやって勝つのかしら」
「数は少ないけど、意外と決着って付くものよ。紙一重より更に小さい差だけど」
「どれだけ無駄の無い動きで動けるか。どれだけ速く動けるか。読みが必要ないから大体そこで決着が付くわ」
「最も決着が付いていても。はたから見ればどっちが勝ったかなんて分からないわ」
この間は妖夢が鼻から血を流し。○○が池に吹っ飛ばされていたが勝ったのは妖夢らしい。
基準が全く分からない。
妖夢の方が、肉を切らせて骨でも断ったのかしら…?
「あの2人にはね……もう言葉すら不要なのよ」
どういう意味?そう問いかけると。幽々子は目を閉じ小さくため息をついて宙を見上げた。
「私ね、あの2人がまともに会話した所見たことないの」
「普通に考えれば不仲と思うでしょ。でもねあの2人はお互いの言葉を言葉に出す前に分かっちゃうのよ」
「いきなりお互いがね。うふふって感じで笑ってるのよ」
「せめて少しは喋ってよね~。状況が分からなくて私凄い疎外感を感じちゃうのよ」
棄人(了)
最終更新:2011年07月09日 21:40