それを運命と言いたくない。しかし、私は運命を信じたくなった。

それはいつも通りに薬を置き代金を頂き、その帰り道に。
夕暮れ時のちょっとしたその瞬間、それだけのはずなのに。
その人を見付けてしまったから。

それからの少しの間、思考が鈍った。気が付くと虚空をじっと見ていた。
もしも殿方が傍にいたら、仕事から帰った夫を迎える妻の気分は…
そんな事を考えては我に返る。
姫様やうどんげに声を掛けられるまで、粉薬の山を作った事もあった。
あまりに冴えなくて情けなくて、溜息が出た。

その日もうどんげを伴い、薬を卸に行った朝。
いつもすれ違う彼に、いつも通りに挨拶をして、ふっと息を吐き出す。
何故かうどんげが悪戯っぽく笑っていたので問い質す。

「師匠、あの人の事、好きでしょう」

あまりに意外な言葉に全く反応出来なかった。遠くに行った背中を視線が追いかける。
腰が砕け、膝が震え、胸の鼓動が一気に早くなった。声が出ない。

「し、ししょー!?」

うどんげに肩を借りて帰った。彼の事だけを想いながら。

苦しい、朝に挨拶を交わすだけで終わるだけの関係が。
聞きたい、昨日なにをしたか。
話したい、昨日どれだけ貴方を想ったか。
伝えたい、どれだけ貴方に惹かれてしまったか。
届けたい、この想いを。
欲しい、貴方が…

そんな想いを抱えると、どうしても今の自分から逃げたくなる。
夜雀は全く良い商売をしている。商才は物理と違う事を否応無く教えられる。
あの人は、人の和の中で人の生を生きている。
私はそこから外れ、それを認めたくないから、酒を煽る最低な女だ。
うらやましい? 違う。違う事が悲しい。
もう、何もかも嫌だと思ったのに…

「永遠亭の薬師さんは本当に美人だよ。あれほど美しい人を見たことは無い!」

呑み過ぎて聞き違えているだけと思った。

「俺が知ってる世界じゃ、あんな美人はいなかったよ」

雑踏が聞こえない。目を離せない。

「俺は好きだよ。八意永琳って人」

それが、あの人だったから。

「あんな素敵な女性と一緒になれたらって… え…?」

嬉しい。夢で終わりそうで恐いくらい。
否定はさせない。みんな聞いたじゃない?

「いいじゃないか! こんな時くらいは語らせろよー!」

これからは、いつでも語らせてあげないと。
あの人に恥をかかせる訳にはいかないから。

いつもの朝の挨拶。でも私にとって、二人にとっては特別な時。

「お、おはようございます…?」

通じている。
通じてしまう。
互いを想い合っているから。
貴方から離れないと握った手から意識を送ったら、清清しい笑顔で応えてくれた。
仙桃の香水も、私たちの結び付きには必要無かった。
それに頼ろうとした自分が恥ずかしい。
私は女の幸せというものを、今更ながら知った。

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最終更新:2011年07月09日 21:44