「○○、また世話んなるよ」
「またお前か……いい加減うちはやめて永遠亭でも行ったらどうだ」
「――それがお得意さまに向かって言うセリフかい?
答えはNoだ。やだよ。向こう遠いし。
それに私が来なくなったら、誰がこんな辺鄙な所にある診療所に来るのさ?」
からからと笑う鬼の娘は、あちこちに傷をこさえている。
以前足を捻ったか何かでうちに治療を受けに来たのを切っ掛けに、
こいつは何かと理由をつけてはうちに来るようになった。
……今では得意客の一人である。
――近隣でもかなり強い、いや、ヒエラルキーの頂点にいるような彼女が
――どこで、どうやって傷をこさえているのかは、いつも聞かないことにしている。
「減らず口ばかり叩きおってからに……」
「あだだだ!……まったく、女に優しくない男はモテないよ!」
「患者は皆等しく扱うのがモットーでな。ほれ、終わったぞ」
等しく、とは言ったが、その実心持ち強めに消毒してやっていた。
少しは頭を冷やせという暗喩込みで。
「まだ患者扱い、か……」
「何か言ったか?」
「いや、何でもないよ」
広げていた商売道具を手早く元の棚へとしまう。
その際彼女が何か呟いた気がしたが、俺にはよく聞き取れなかった。
――彼女だけではなく。
――最近、不自然な程に怪我をしたと治療を受けにくる輩が増えた。
――状況と、新聞で報ぜられた内容。
――目の前の、こいつが?
「……そうか。何にせよ、無茶はすんなよ」
「へえ、心配してくれるんだ?」
「馬鹿言え。患者がこなけりゃ俺らはおまんま食い上げだけど――
出来れば誰も傷つかないのが最良であることに変わりはないからな」
「おーおー、お優しいこって」
「茶化すな、本心だ」
仰々しくおどけてみせるが、恐らくはこいつにゃ俺の言葉は届いちゃいない。
元々、無病息災に生きられぬなら、と始めた医学である。
使うことがなければそれに越したことはない、が。
――誰彼構わず勝負を吹っかけて回る、鬼の娘がいる、と。
――勝負そのものは真剣に行われるが、
――被弾すると嬉しそうに口を歪めるその様は
――まるで狂人のソレである、と。
「で、今日も食っていくんだろ?」
「お、いいのかい?」
「いつも飯時に来ては腹へったアピールしてくる誰かさんのせいで、
余分に作る癖がついちまってな。責任持って食えよ?」
「あ、あはは……いつも悪いねえ。
いっそ嫁に来るかい?――や、この場合は婿か」
「寝言は寝て言え、このアホタレ」
正直、こんなやり取りが少し楽しくなってきている自分が居て。
だからこそ尚更――
――記事の中身と、目の前の事実のギャップに戸惑う。
――あれはお前なのかと、聞くのが怖くなる。
――嘘ならまだいい。笑って済ませられる。
――あの記事が、真実だとしたら。
「……ったく、俺にどうしろってんだ」
「ん?何か言ったかい」
「何も……とにかく、あまり無茶はすんなよ。
お前だって腐っても女の子だろ?肌は傷つけるもんじゃない」
「……うん、気を付けるよ」
「分かればいいんだ……飯の支度、してくる。
茶葉の場所は分かるな?やっといてくれ」
「あいよ」
診察椅子からひょいと飛び降り、勝手知ったる顔で居間へと向かう彼女。
地底在住の鬼の娘、星熊勇儀。
こいつの真実は、真意は――嘘は、一体何処にある?
「何だって俺なんだろうな」
答えなど返るわけもない問いを無人となった椅子へと吐き出し、
俺もまた、夕食を作るべく診察室を後にした。
――○○、早く私の気持ちに気付いておくれ。
――早くしてくれないと、私は、わたし、は――
「――愛しさのあまりに、狂っちまいそうだよ……」
「何か言ったか?」
「いんや。ただの独り言だよ、気にしなさんな」
「……そうか。ん、今日の浅漬けはうまく出来てるな」
「ほんとかい?なら私もお一つ」
「だっ、て、手前人の箸に食い付くな!」
「ん、おいしおいし」
「全く、手前という奴はな――!」
最終更新:2011年07月09日 21:57