.
第一話
朝、雷門中の校門。
通学の時間帯を迎え、登校してくる様々な生徒達によって賑わっていた。
「ここが……雷門中……」
昇降口へと向かう流れに従いながら、一人の少年がポツリと自分にしか聞こえない程の声で呟いた。
少年は海のように深い青の瞳に、朝日を受けて煌めく金色の髪をしていた。背中に掛かる程長い髪は、一つに纏めて結んでいる。
今日からここが、自分の学校。
そして、反旗を翻す為の戦場となる。
歩みを進めながら、少年は校舎に掲げられたイナズママークを見上げた。
ホームルーム前の2年2組の教室は、とある話題で持ちきりになっていた。
「なぁ、染岡!もう聞いた?」
丁度登校してきた染岡に、半田は嬉々とした表情で話し掛ける。
「あ?何かあるのかよ」
一才興味なし、知るかと言わんばかりの態度で答える染岡に苦笑しながら、半田は答えた。
「今日、うちのクラスに転校生が来るんだってさ!女子の噂だと、スッゲー美形らしいぜ」
「美形って……お前それ噂だろ?それに、女子には良くても俺らには何の得もねーじゃねーか」
「いや、そりゃそうだけど……」
小さく溜息を付き、なおも言い募ろうとした途端、担任の男性教師がガラガラと扉を開けて教室内に入ってきた。
「お前ら席に着けー。ホームルーム始めるぞー」
担任の言葉に、生徒達は慌てて席に着く。
全員が着席したことを確認すると、教師は口を開いた。
「みんなもう知ってると思うが、今日は転入生がいるぞ」
その瞬間、教室内は騒がしくなる。それはいつもの事なので、男性教師は入り口で教室は入らずに待っている生徒を招き入れた。
途端、しん……とクラスは水を打ったように静まり返った。
女子はハッと息を呑み、男子も呆然と入って来た生徒を見つめている。
「自己紹介、頼めるか?」
「…はい」
担任に促され、その男子生徒は一つ頷き口を開いた。
「今日からこの学校に通うことになりました、
冬月夜宵です。よろしくお願いします」
その男子生徒の声は、まだ変声期を迎えていないらしく、男子と言うよりもどちらかと言えば女子に近い。
そんな明るい声で少年、夜宵は言った。
「冬月はお父さんの仕事の都合で転校してきたんだ。みんな、仲良くしてやってくれ。さて席は……」
担任の教師は教室中を見回していき、一カ所で止めた。
「あそこだ。窓際から二列目の後ろから三つめの席だ」
それを聞くや否や、染岡と半田は顔を見合わせた。担任の言った席は、自分達の間の席じゃないか。
二人が驚いていたのも束の間、ゆっくりとした歩調で歩んできた夜宵が、男子の者とは思えない程優雅な所作で、自分の席へと腰掛けた。
唖然と見つめる染岡の視線に気付くと、夜宵はニッコリと微笑んで見せ、
「よろしくね」
まるで小鳥のさえずりのような声が、嫌に心地よく響いた。
休み時間になると、夜宵はクラスの女子から質問攻めにあっていた。
「冬月くんって何処の学校から来たの?」
「えぇっと……田舎の方だよ」
「お父さんの仕事って何?」
「ふ、普通の会社員……」
「冬月くん、部活とかやってた?」
「い、一応……」
辿々しく、どうやらその状況に混乱しながら質問の雨に答えているようだった。
「モッテモテだねー、転校生くん」
それを遠目に見ながら、さして興味もなさそうにマックスはボソリと呟く。
「てか……普通の男子ならああ言うの喜ぶはずなのに……」
「すっごく困ってるねー」
「だよなぁ…」
男子ならば女子に囲まれるというのは、夢のような事だろう。
なのに、彼はその状況を嬉しがるどころか、嫌がっているようだった。
少しばかり心配そうに染岡がそちらを視ていると、夜宵は申し訳なさそうに一二度会釈をしながら謝ると、教室から出て行った。
「……変な奴」
染岡の夜宵に対する第一印象は、それだった。
女子の質問攻めから何とか抜け出した夜宵は、屋上の隅で一人座り込んでいた。
抱えた膝に顔を埋め、何度も深呼吸を繰り返す。
「無理……何なのあれ……何であんなに女子が寄ってくんの……?」
予想していなかったのと、初めて体験した幾つもの事に夜宵は混乱を隠しきれずにいた。
例えば、授業で指名された数学の問題にサラリと普通に答えれば、暮らす内がどよめいた。
訳が分からず、隣の席――確か半田と言ったか――にそれを問えば、数学の教師は意地が悪く、あまり生徒が答えられないような問題を出してくるのだと言った。
今回の問題も、普通なら答えられるレベルの問題ではなかったそうだ。夜宵にとっては全く難しくはなかったが……。
しかも、休み時間になれば瞳を爛々と輝かせた女子生徒達から、質問の嵐だ。
「でも……」
夜宵は荒かった息がだいぶ整ってきたことを確認すると、顔を上げた。
「悪い学校じゃない……」
思ったより設備もきちんとしているし、授業の質もいい。生徒だって、明るくみんなのびのびとしている。
「よし、昼休みだし、ほとんど人来ないっぽいからやっちゃうか」
気を取り直し、夜宵は持ってきていた通学鞄から、小型のノートパソコンを取り出し、起動させた。
パスワードを入力し、ページを開く。
インターネットに接続すると、何かめぼしい情報がないか検索し始めた。
あの手この手を使い、情報あさりを続けていると不意に夜宵の上に影が落ちた。不審に思い顔を上げると、
「学校にパソコン持って来ちゃダメだぞー?」
「うわあぁあぁぁ!?」
オレンジのバンダナを付けた少年が覗き込んできたため、夜宵は驚きのあまり、膝の上に乗せているパソコンを取り落としそうになった。
すんでの所で落とさずに済んだが、心臓の鼓動がバクバクと煩く騒ぎ立てて落ち着かない。
「おい、円堂!どうしたんだ?」
円堂、と言うらしい覗き込んできた少年は、後ろからやってきたポニーテールの少年に向かって「風丸!」と呼び掛ける。
「いやぁさ、何かパソコンいじってる奴いたから。先生に見つかったら大変だろ?」
「あのなぁ……ごめんな?ビックリさせて。いつもはここオレ達くらいしかいないんだ」
「え、あ、いや……別に……」
苦笑しながら謝る風丸に、夜宵はぎこちなく頷いた。
どうしよう、これも計算外だ。こんな人気のないところに、まさか誰か来るなんて。
中身を見られても困るので、とりあえずパソコンをシャットアウトすると鞄にしまう。
「円堂ー、風丸ー早く…って、あれ?お前……」
円堂達の後に続いて顔を見せたのは、夜宵のクラスメイトになった半田、松野、染岡だった。
「あっれー?えっと何だっけ……ふー、ふー…」
「冬月だろ」
名前を覚えていないらしい松野に、染岡が突っ込む。
「あー!そうだ冬月!下の名前は夜宵だっけ?」
「お前なぁ…名前くらい覚えろよ」
「だって興味ないんだもーん」
彼らのやり取りに途惑う夜宵にはお構いなしに、彼らは堅いコンクリートの上に腰を下ろすと、弁当を広げ始める。
「風丸!卵焼きくれ!」
「くれって、もう取ってるじゃないか……」
「取るなよ!!」
「お!染岡のミートボールもらいー」
「な!テメ、返せ!」
「もう食べちゃったよーだ」
悪く言えば騒がしく、良く言えば賑やかに昼食を取る彼らを、夜宵は物珍しそうに見つめた。
「男の子同士のお昼って、こんな感じなんだ……」
ポツリ、と夜宵も自分の弁当箱を開けながら呟いた。
騒々しいけれど、それがまた楽しい。
それは、夜宵の知る二人とは少しばかり違った雰囲気だった。
ぼんやりとそれを見つめながら弁当を食べていると、不意に何を思って染岡が夜宵の隣に腰掛けた。
「え、あ、あの…」
途惑いながら口を開くと、染岡は何気なしと言った様子で苦笑する。
「弁当のおかずほとんど取られちまってさ。煩くって敵わねぇんだよ」
染岡の手にしている弁当箱を覗き込めば、なるほど。弁当の中でも人気ナメニューであろうおかずばかりが、忽然と姿を消していた。
夜宵もそれに苦笑したが、ふとある事を思い出した。
「染岡くん…だっけ?」
呼び掛ければ、意外そうな顔で染岡は答える。
「お、おう」
「部活、何?」
「サッカー部だけどよ……」
やっぱり、と夜宵は頭の中にある情報と現在の言葉を確認した。
「ポジションは?」
真剣な眼差しで聞いてくる夜宵に、染岡は怪訝そうな表情をしながらも答えた。
「フォアード……」
それを聞いた途端、夜宵は自分の弁当から唐揚げとほうれん草のお浸し、そしてだし巻き卵を弁当箱の蓋にのせ、染岡に向かって差し出した。
染岡は不思議そうに、夜宵の顔と並べられたおかずを交互に見る。
「お、おい、何だよ?」
「これ食べろ」
あまり使った事のない乱暴な口調に、夜宵は自分でも途惑いながら皿代わりの蓋を差し出す。
「染岡くん、ポジションフォアードなんだろ?体が強くなるもん食べて力も付けて、ガタイも強くしなきゃ。そうしないと勝てる試合にも勝てないよ」
「いや、でもそしたらお前のが…」
「俺は小食だからいいの」
尚も突きだしてくる夜宵に途惑いながらも、差し出されたそれを渋々受け取り、染岡は口に運ぶ。
それを満足そうに見ている夜宵に、弁当を食べていたはずの円堂が徐に立ち上がって駆け寄った。
「なぁなぁなぁ、えーっと冬月だっけ!?」
ずぃっと顔を近づけられ、内心驚いて引っ繰り返りそうなのを堪え、夜宵は少し後退る。
「な、何?円堂くん……」
「お前サッカーに詳しいのか!?」
好奇心に瞳をキラキラと輝かせ、問い掛けてくる円堂に混乱しながら、夜宵は首を傾げた。
「いや、そんなんじゃないけど……ちょっと興味があるだけで……」
「へぇ~そうなのか!でも、どのポジションの選手がどんな気遣いすればいいかよく知ってるな!」
「え、いや…その…」
迫ってくる円堂の顔から目を背けながら、夜宵は口籠もる。
そんな夜宵には気付かず、さらに言い募ろうとした円堂に、風丸が待ったを掛けた。
「ほら、円堂。冬月が困ってるだろ?少し離れろって」
引き摺り戻された円堂は、「えー?」と不満の声を上げる。
「むー……なぁ、冬月!」
叱られても円堂は、瞳を輝かせたまま夜宵に話し掛ける。
「サッカー部に入らないか!?今、部員が少なくて大変なんだよ」
「え…?サッカー部に…?」
訊ね返せば、円堂は力強く頷く。
「あぁ!お前みたいな知識の豊富な奴がいればもっとよくなると思うんだ」
「まーた始まった。円堂のサッカー部勧誘~」
からかうように、半田が言う。
「コイツは根っからのサッカーバカでさ、サッカーの話が出るとすぐこれなんだ」
「俺はサッカー部を強くしたいんだ!それで強くなって、フットボールフロンティアに出場するんだ!」
「フットボール……フロンティア…」
夜宵はぴくり、と反応した。その言葉を聞いた瞬間、あの言葉が記憶の片隅から甦った。
――お前みたいな弱い、ましてや……にサッカーを穢されたくないな……。
「……ッ」
まるで塞がり掛けていた傷が、突然また開いて疼いたような感覚に襲われる。
あの日から一度も忘れた事のない、自分の心に楔のように打ち込まれた言葉。忌まわしい言葉が、アイツの顔を共に再生された。
円堂達には気付かれないようにその感覚をやり過ごすと、夜宵は顔を上げる。
「ごめん、円堂くん……ちょっと考えさせて。他にも部活はあるし、いろいろ見てから決めたいんだ」
よっぽど鋭い人か、夜宵を良く見知った人にしか分からない程、完璧な作り笑いで夜宵は円堂に言った。
「うーん、そっかぁ……でも、考えておいてくれよ!入部するんならいつでも大歓迎だからさ!」
「うん。ありがと」
握った拳を膝に押し付け、込み上げてくる憎悪を抱えながら夜宵は円堂達と共に昼食を終えた。
最終更新:2010年08月03日 16:30