【モザンビークで観光旅行?!】
第8話)その言い方だけは止めてくれ!
《モザンビーク旅行記|マプート|カテンベ|イニャンバネ|トーフ》
マプート2日目、今日は下町バイーシャに行ってみる。中央市場やら要塞といった観光名所は古くから開けたこの辺りに集中している。
だが昔からの繁華街は当然のごとく多くの人が集まり犯罪も多い。僕はその日に必要な現金だけをポケットに、あとはデジカメをスーパーのビニール袋にしのばせ、なるべく観光客臭を消して街に出た。
マプートにも路線バスは走っているが、どこをどう走っているのさっぱりかわからないので、結局ホテルのあるニエレレ通りからバイーシャ地区まで歩いていった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
この街の通りは共産革命リーダーの名前の付いたものが多い。レーニン通り、マルクス通り、毛沢東通り(さすがに某共和国の将軍様の名前はないようである…笑)。バイーシャに向かって、そんな通りの一つのホーチミン通りを抜け、豪華な造りの議事堂前ロータリーを通りかかったときである。反対側から歩いてきた黒人が声を掛けてきた。
「アミーゴ、元気かい?」
アミーゴと言われても、こんなところに知り合いなど居るはずもない。
「お前、覚えているかい。俺だよ、イミグレさ。お前のパスポートにスタンプ押したじゃないか」
「あなたが?」
「そうさ、モザンビークはどうだい。まあ楽しんでくれ。」
彼は非番の入国管理官だった。よく僕の顔を覚えているものだと感心したが、この数日間に入国した東洋人は僕だけだったのだろう。それだけここでは東洋人は目立つ存在だ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
30分程でバイーシャに着いた。この周辺は某日本政府機関から「絶対に立ち寄るな」と警告されてる地域だ。確かにニエレレ通り辺りと比べるとすさんだ感じはする。でも昼間なら「絶対に立ち寄るな」と言われるほどではない。独立後ソ連の援助で立てられた醜悪な高層ビルの狭間に、ポルトガル植民時代のコロニアルな街並みが残る。路上のみやげ物売りや市場の喧騒は活気があって楽しい。
この辺り一番の見所といえばマプート鉄道駅だ。古風な駅舎はまるで由緒正しいホテルのように荘厳で、むろん今でも現役の駅だが一日に数本の列車しかないこの駅は、駅というより博物館といったほうが正しい。ちょとだけホントに使っている博物館だ。
とはいえ、カメラを取り出してシャッターを切るときには神経を使う。回りに怪しそうな人が居ないのを確認して、ササッと撮影してはすぐさまカメラを隠す。
しかし、どんなに観光客臭を消したつもりでも、この街で東洋人は目だってしまう。
下町をすれ違うたびに、「チン!」、「チン!」と言われる。ポルトガル語で中国/中国人は「シィナ/シーネス」のはずだが、或いは蔑称なのであろうか、ともかく「チン」としか聞こえない。相手は物珍しさから言ってるのだろうが、あまり気分のいいものではない。中にはご丁寧に「チン!」を2回繰り返して、さらに英語を付け加えるやつまでいる。
「チン」、「チン」、「チャイナ!」
でも、その言い方だけは止めて欲しいゾ。だって、
「●ン ●ン、ちっチャイナ!」
って聞こえるじゃないか。ドキっとするだろ!!
最終更新:2016年08月24日 09:33